日本語版

あなたの目・わたしの目

暗闇のなかで、あなたと私が見つめ合うとき

誰もいない部屋の片隅で、あなただけに打ち明ける秘密の話

ねえ、あなた。ちょっとそこへ腰を下ろして、私の話を聞いてくれませんか。

そう、もっと近くへ。

まるで私たちが、古い見世物小屋の裏手で、誰にも言えない秘密の宝物を分け合うかのように、肩を寄せ合って。

あなたは本当に、人の心の奥底にある痛みを、一目で見抜いてしまうような、とても深く、澄んだ、美しい目を持っていらっしゃる。

そんなあなただからこそ、私は今日、自分の胸のなかに淀んでいる、言葉にならない寂しさのすべてを、さらけ出してみたくなったのです。

あなたは、夜、眠れないことがありますか。

毛布を頭からかぶっても、世界の広大な静寂が、まるで冷たい泥のように身体にまとわりついてきて、自分が宇宙の迷子になってしまったかのような、あの恐ろしい孤立感。

私はいつも、あの暗闇のなかで、じっと目を開けているのです。

そう、孤独というものは、誰にでも平等に訪れる、冷徹な冬のようなものですね。

でも、不思議だと思いませんか。なぜ私たちは、これほどまでに他人を求めながら、同時に、他人を恐れてしまうのでしょう。

私は、高見沢耳という、風変わりな名前を持った一人の画家です。

画家、などと名乗るのも、何だかおこがましくて、背中がむず痒くなるような心地がいたしますが、それでも私は、絵を描くことでしか、この世界の冷たさに抗うことができない、どうしようもない人間なのです。

私の作品をご覧になったことはありますか。

きっと、驚かれるに違いありません。

そこには、おびただしい数の「目」が、まるではしかの症状のように、画面のあちこちに散りばめられているのですから。

気味が悪い、と思いますか。

それとも、何だか懐かしい、と感じてくださるでしょうか。

あなたのように聡明で、感受性の豊かな方なら、きっとその目の群れのなかに、私自身の、そしてあなた自身の、張り裂けんばかりの叫びを聞き取ってくださるに違いないと、私は密かに信じているのです。

なぜ、耳という名の男が、目を描き続けなければならないのか

それにしても、おかしな話だとは思いませんか。

名前に「耳」とつきながら、描いているのは「目」ばかりだなんて。

まるで、あべこべの喜劇のようですね。

実は、この高見沢耳という名前には、私の人生を決定づけた、ある一つの恐ろしい、そして気高いエピソードが隠されているのです。

あなたは、フィンセント・ファン・ゴッホという、あの燃えるような向日葵を描いた男をご存じでしょう。

ええ、もちろん知っていらっしゃいますとも。

あんなにも狂おしく、命を削りながら絵の具をキャンバスに叩きつけた男を、忘れることなど誰にできましょう。

彼はある日、自らの耳を剃刀で切り落とし、それを馴染みの女性に届けたという、あまりにも有名で、あまりにも非常識な事件を起こしました。

世間の人々は彼を狂人と呼び、後ろ指を指しました。

しかし、ねえ、あなた、本当に彼はただの狂人だったのでしょうか。

私は、彼のあの引き裂かれたような人生に、言葉もないほどの共感を覚え、救われたのです。

彼が耳を切り落としたのは、この世界の邪悪な雑音、自分を嘲笑う人々の冷酷な声から、自らの魂を守るための、最も純粋で、最も命がけの抵抗だったのではないか。

そう考えたとき、私は胸が締め付けられるような涙を流しました。

だから私は、自らの名に「耳」をいただくことに決めたのです。

世界の苦痛をすべて聴き取り、そして、それを美しい芸術へと昇華させるための誓いとして。

それなのに、なぜ私は目を描くのか。

それはね、目という器官こそが、その人間の魂のすべてを表現してしまう、最も恐ろしく、最も美しい窓だからです。

口は嘘をつきます。

言葉は、人を騙すための道具に成り下がることもあります。

しかし、目はどうでしょう。

怯え、悲しみ、恋い焦い、絶望するその眼差しだけは、決して嘘をつくことができません。

私の描く絵画には、あなたの目、そして私の目が、画面を隙間なく埋め尽くしています。

それは、私があなたの孤独をじっと見つめ、あなたが私の寂しさをじっと見つめ返す、終わりなき対話の場なのです。

芸術家という名の無謀な冒険者

魂の医者は、なぜ自ら毒を飲まなければならないのか

芸術家とは一体、何者なのでしょう。

きらびやかな衣装をまとい、拍手喝采を浴びる、幸福な特権階級でしょうか。

いいえ、とんでもない。そんなものは偽物です。

本物の芸術家とは、魂を救済する医者であり、同時に、誰も足を踏み入れたことのない暗黒の深海へと飛び込んでいく、無謀な冒険者なのです。

想像してみてください。

目の前に、重い病に苦しんでいる人がいます。

その人を救うために、医者はどうするべきでしょうか。

ただ遠くから眺めて、お上品な言葉をかけているだけで、病が治ると思いますか。

いいえ、本当の医者は、患者の病の根源を突き止めるために、自らの身体にその病原体を注射し、その苦しみを我が身をもって体験しなければならないことだってあるのです。

芸術家も全く同じです。あなたの悩みを和らげること、あなたの胸のつかえをすっと軽くして差し上げること、それこそが、芸術家の唯一の仕事なのです。

そのためにはね、芸術家自身が、身銭を切らなければなりません。

自分を最も苦難な、最も危険な立場に置き、自らの血を流してキャンバスを濡らすようでなければ、人の心を動かす作品など生まれるはずがないのです。

自分を少しも苦しませないような、安全な温室のなかで、ぬくぬくと symmetric な(左右対称の)美しい模様を描いているだけの人間に、一体何の価値があるというのでしょう。

そんなものは、ただの退屈な装飾に過ぎません。

孤立し、誰からも理解されず、暗い部屋で一人、頭を抱えてのたうち回る。

そうした苦しみと、そこからの奇跡的な解放を象徴しない芸術作品などは、すべて無意味です。

私は、あなたに嘘をつきたくない。

だからこそ、私は自らの孤独を、これでもかとばかりに絵のなかに叩き込むのです。

あなたが私の絵を見たとき、「ああ、ここに自分と同じように、傷つき、血を流している人間がいる」と気づいて、少しでもホッとしてくだされば、私は自分の命が擦り切れても構わないと、本気で思っているのですよ。

デジタルという名の冷たい刃で、永遠の温もりを切り取る

ところで、私の制作方法についてお話しすると、またあなたを驚かせてしまうかもしれませんね。

私は、油絵の具やキャンバス、古めかしい筆といったものは、一切使いません。すべて、デジタルという、現代の最も冷徹で、最も無機質な道具を使って絵を描くのです。

そしてそれを、ジクレー技法という特殊な方法で、最高級の版画用紙に印刷します。

「デジタルなんて、温かみがないのではないか」と、あなたは思われるでしょうか。

ええ、その疑問はごもっともです。

しかし、そこには私の、ある密かな企みがあるのです。

現代という時代は、誰もが画面を見つめ、指先一つで世界と繋がっているようでいて、その実、史上最も孤独な時代だと思いませんか。

誰もが冷たいガラスの画面越しに、誰かの温もりを、飢えた狼のように探している。

だからこそ私は、その冷たいデジタルの光をあえて使い、そのなかに、人間の最もドロドロとした情念、最も深い孤独、そして溢れんばかりの愛を封じ込めるのです。

冷酷なテクノロジーを使って、究極の人間味を表現する。

これこそが、私の戦いなのです。ジクレー技法によって印刷された版画用紙の質感は、まるで人間の皮膚のように生々しく、そこに印刷された無数の目は、あなたを見つめ、あなたの呼吸に合わせて、本当にまたたきを始めるかのように感じられるはずです。

これは、私からあなたへの、命を削った必死のサービスなのです。

犠牲者たちのひそやかな復活劇

太宰治が愛した、あの哀しい告白の裏にあるもの

ここで、少し文学のお話をしましょうか。

あなたは太宰治という作家を、きっとお好きでしょう。

あの、いつも世間に対しておどおどと調子を合わせながら、その実、人間の心理の最も醜く、最も純粋な部分を、まるで剃刀で切り裂くように鮮やかに描き出した天才。

彼の文章には、独特のリズムがありますね。

読んでいると、まるで催眠術にかけられたように、彼の告白の渦のなかに巻き込まれてしまう。

太宰治という人は、生涯を通じて、ある大いなる物語に深く傾倒し、その影響を受けていました。

それは、遠い異国の、あの十字架にかけられた男の物語です。

彼は、その物語が持つ「自己犠牲」と「愛」の精神に、激しく魂を揺さぶられていたのです。

彼は自らを、その物語に出てくる、裏切り者のユダになぞらえてみたり、あるいは、すべての人々の罪を背負って死んでいく犠牲者になぞらえてみたりしました。

なぜ、彼はそこまでして、自分を貶め、苦しめ、最後には自ら命を絶たなければならなかったのでしょう。

それは、彼もまた、読む人である「あなた」を、どうしても救いたかったからなのです。

彼は、自分の恥ずかしい部分、情けない部分をすべてさらけ出すことで、「ほら、僕のほうがこんなに駄目な人間ですよ。

だから、あなたは安心して、生きていていいのですよ」と、身を挺してあなたを褒め、あなたをおだて、あなたの生きる苦しみを和らげようとしたのです。

大抵の芸術家は、その男のように、あるいは太宰のように、世間からの理解を得られず、犠牲者として悲惨な死を遂げていきます。

しかし、ねえ、ここからが信じられないような、意外な話の展開なのです。

彼らは死んで、それで終わりでしょうか。

いいえ、違います。

彼らの身体は滅びて泥に還っても、彼らが残した作品たちは、ある日、奇跡のように蘇るのです。

そして、何百年もの時を超えて、今こうして、あなたと私の心のなかで、永遠の生命を得て生き続けている。

すべての真の芸術家は、死んだのち、必ず復活するのです。

ヘンリー・フォードが教えてくれた、成功の本当の意味

私は、世界で最も尊敬する言葉があります。

それは、自動車の王様と呼ばれたヘンリー・フォードが遺した、次のような言葉です。

ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。

どうですか、あなた。この言葉、胸に深く染み入りませんか。

世間の多くの人々は、お金や、名声や、地位をどれだけ多く「手に入れるか」で、人生の価値を測ろうとします。

しかし、それはまったくの逆立ちをした常識です。本当の成功、本当の偉さとは、他人にどれだけ多くのものを「与えたか」、どれだけ深く奉仕したか、ということによって決まるのです。

身銭を切って、自分を犠牲にし、他人のために一番奉仕した人間が、結果として一番偉い存在になる。

これは、一見すると、この弱肉強食の世界においては、とんでもない非常識に見えるかもしれません。

しかし、これこそが、世界の底底を流れている、最も美しく、最も揺るぎない真実なのです。

ゴッホも、太宰も、そして恥ずかしながらこの高見沢耳も、みんなその真実を信じて、命の灯火を削っているのです。

私たちは、あなたから何かを奪おうとは思いません。

ただ、私たちの持っているすべての愛、すべての情熱、すべての涙を、あなたに「与えたい」だけなのです。

あなたが、私の描いた無数の目に見つめられているとき、あなたは決して一人ではありません。

その目の数だけ、あなたを全肯定し、あなたを愛し、あなたの孤独を分かち合おうとする魂が、そこに存在しているのですから。

あなたの目と、私の目が交わるとき

悲しみの終わりにある、静かな祝祭

ねえ、あなた。

私の話を、退屈せずに、ここまでじっと聞いてくださって、本当にありがとうございます。

あなたはなんて辛抱強く、そして他人の痛みに寄り添うことのできる、優しい方なのでしょう。

あなたのような素晴らしい読者に出会えただけで、私は画家になって本当に良かったと、心の底から救われる思いがいたします。

私たちは、誰もが自分のなかに、深い井戸のような寂しさを抱えて生きています。

その井戸の底は、暗くて冷たくて、一人で覗き込むのはとても恐ろしいものです。

しかし、もしその井戸の底を覗き込んだとき、そこにもう一つの目が、温かい光を湛えて、あなたをじっと見つめ返していたとしたら、どうでしょう。

恐怖は消え去り、そこには不思議な安らぎが訪れるはずです。

私の絵画の画面を埋め尽くす「あなたの目・私の目」は、まさにそのためにあります。

私がキャンバス(実際にはデジタルの画面ですが)に向き合うとき、私は私の目を描いているのではありません。

私は、今こうして私の隣に座って話を聴いてくれている、あなたの目を描いているのです。

そして、あなたが私の絵を見るとき、あなたは私の目を通じて、自分自身の魂の最も深い部分と、邂逅(かいこう)することになるのです。

芸術家という無謀な冒険者が、身を挺して暗闇から持ち帰った光。

それが、私の作品です。

私はこれからも、自分を苦しめ、自分を擦り減らし、あなたのために最高の奉仕を続けたいと思っています。

それが、私という犠牲者に与えられた、唯一の生きる意味なのですから。

永遠に続く、二人の内緒話

さあ、そろそろ、この秘密のお話も終わりの時間が近づいてきました。

でも、寂しがることはありませんよ。

私は、あなたがこの文章を読み終えたあとも、ずっと、あなたのすぐそばにいるのです。

あなたがふと、一人の部屋で寂しさを感じたとき、あるいは、雑踏のなかで言葉にできない孤立感に襲われたとき、どうか思い出してください。

高見沢耳という、ゴッホの耳から名前をもらった、ちょっと変わった画家のことを。

そして、画面の向こうから、あなたをじっと見つめている、無数の温かい目の存在を。

あなたは、生きているだけで、それだけで十分に価値があり、美しい存在なのです。

どうか、そのことを忘れないでください。

私が命をかけて作った作品たちは、あなたのその美しい魂を守るための、盾であり、灯火なのですから。

この文章を、あなたはきっと、何度も読み返してくださるに違いないと、私は密かに確信しています。

なぜなら、ここには、あなたと私の魂が、確かに触れ合ったという、消えない証拠が刻まれているのですから。

ねえ、そう思いませんか。

私はいつも、あなたの目のなかにいます。

そしてあなたもまた、私の目のなかに、永遠に生き続けているのです。

また、いつでも、この私の隣の特等席に戻ってきてくださいね。私はいつでも、あなたを待っています。

絵画作品・芸術作品の評価は、好き嫌いなどという曖昧なものではない

私にはある信条があります。「絵画や芸術作品の評価は、結局のところ好き嫌いだよ」という安易な思想に対する拒絶です。

その考えは、好き嫌いで語られがちな現代の美術作品のほとんどが、見る人を納得させることが出来ないレベルのものなので、優れているという価値判断を下すことができず、お茶を濁されているだけだと思っています。

人間には普遍的な美意識、優れているものと劣っているような価値判断が下せる能力が、ほとんどの人にあります。

もし人類に共通の良し悪しの判断能力が無いのであれば、全ての美術教育は無意味なものになってしまいます。

作家志望の人間に対する幼年期・若年期の美術教育の目的は、人間の眼や足を釘付けにする為の、技術習得にあります。

理屈・理論・理詰めで技術を教えていかなければなりません。

美術に対する教育が可能で有益なのは、古今東西の違いに関わらず全ての人間の脳がほとんど共通だからです。

逆に美術を鑑賞する為の教育でも、教育者は価値判断を好き嫌いに逃げるのではなく、作品ごとに何故傑作なのか、理詰めで説明出来なければ、意味がないと思います。

美術教育は、人間の脳を理解するための、一種の心理学であるべきなのです。

現代でもほんの一握りの作品は、後世に残るような傑作だと思います。

しかし、好き嫌いで語られるような作品は、鑑賞者から否定的な評価を得ていることを、理解しなければなりません。

好き嫌いというのは、YESではなくNOを突きつけられているのです。

好き嫌いでしか語られない作家や作品、業界は消えていくしかないのです。

結局、見る人を納得させることが出来ない作品は、出来が悪いのです。

よくわからない作品は、やはり駄作なのだと思います。

100人中99人が良い作品だと感じるものだけが、傑作なのです。

作家は100人中100人を納得させなければなりません。

世界の中で、一人だけでも評価してくれれば良い、作者である私だけでも良いと思えれば良いのだ、というような甘い考えでは、永遠に大傑作を作ることは出来ないでしょう。

全ての人の眼と足を、釘付けにするために奮闘することによってのみ、かけがえのない1人のファンを得ることができるのです。

自分以外の作家が注目されたり、他の作家の作品が売れた時には、自分の作品が他の人に受け入れられなかったことを、意味するのです。

全ては競争で、同業者よりも優れたものを提供出来なければ、どんな仕事でも廃業しなければなりません。

やはり最高の品質の作品は、見る者を圧倒して、その人間の眼や足を釘付けにします。

私は、ゴッホの「夜のカフェテラス」を見た時、普遍的な構図の素晴らしさに感銘を受け、その絵画の前で4時間もの間、見続けました。

その場を立ち去り難くなり、動くことが出来なかったのです。

「夜のカフェテラス」の構図は、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」やベラスケスの「女官たち」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と共通するものでした。

わたしの構図のこだわりについては、別のところでも詳しく説明しています。

その展覧会には、他にも沢山のゴッホ作品が並んでいましたが、どれもあまり優れた作品ではなかったです。

ただ一つ、「夜のカフェテラス」だけが凄まじい人類史上の大傑作であって、ヴィンセント・ファン・ゴッホはあの究極の一枚を描いたことによって、歴史に残る大画家として評価されたのだと思います。

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独学で絵画を学び、制作そして販売をしています。

作品を通して、あなたの日常生活に喜びや楽しみ、熱狂をもたらしたいと思っています。

私の作品のテーマは、永遠、歴史、目、視線、宗教です。

目というものはは非常に感情的で、言葉よりも雄弁にものごとを語ると思います。


 現在の作品は、デジタル画面で制作して、画像の完成後に版画用紙に印刷されています。

作品は限定枚数しか印刷されず、希少性が保たれます。

作品には染料ではなく、顔料を使用して、非常に耐久性のあるジクレー印刷と呼ばれる印刷方法を使用しています。

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Mimi Takamizawa  高見沢耳  1995年9月5日生まれ

私の作品テーマ

先ほども述べたように、私の制作の根幹を成すのは、「目」「歴史」「宗教」そして「永遠」という四つの柱です。

これらが複雑に絡み合い、一つの画面の中に昇華されることで、鑑賞者の皆様を時空を超えた精神の旅へと誘いたいと考えています。

初めて私の作品に触れる方々へ向けて、私がなぜこれらのテーマを描き続けるのか、その考えを紐解かせていただきます。

1. 「目」:肉体における主役であり、感情の深淵

私の作品を開いたとき、まず目に飛び込んでくるのは、画面の至る所に散りばめられた無数の「目」のモチーフでしょう。私は、人間の身体において目は単なる視覚器官ではなく、その人物の魂が宿る「主役」であると確信しています。

「目は口ほどに物を言う」という言葉がありますが、それは真理です。怒り、悔恨、歓喜、退屈、そして言葉にならない哀しみ――それらすべての機微は、視線の鋭さや潤み、瞳の揺らめきの中に克明に現れます。私たちが他者と対峙する際、最初に確認し、最後まで記憶に留めるのはその人の「目」ではないでしょうか。涙という最も純粋な感情の流露もまた、目から溢れ出します。

このように、人間の印象を決定づける極めて重要なパーツである「目」を作品の中に偏在させることには、深い意味があります。それは、「見つめる側」と「見つめられる側」の境界を曖昧にし、観る者自身の内面を炙り出す鏡としての役割を担っているのです。

2. 歴史と宗教:人間心理の不変性を紐解く鍵

私は、一過性の流行や消費される美学には興味がありません。私が惹かれてやまないのは、数千年の時を経てもなお色褪せない「永遠の価値」です。その答えを見出すために、私は歴史と宗教の研究をライフワークとしています。

歴史を紐解き、宗教的な思索に触れるとき、驚くべき事実に直面します。それは、千年前、二千年前の人間が抱いていた苦悩や希望、愛憎といった心理構造が、現代に生きる私たちと驚くほど共通しているということです。

キリスト教、仏教、イスラム教、神道――。これらはいずれも、人間がいかに生き、いかに世界を解釈するかという深遠な心理研究の集積です。 私の表現スタイルは、西洋美術の巨匠たちの系譜に連なっています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの構図と神秘性

ミケランジェロの肉体に宿る精神の躍動

ラファエロの調和に満ちた崇高美

彼らから受けた影響は、私の作品の端々に息づいています。しかし同時に、私は東洋や中東の美意識にも深い敬意を抱いています。特に、イスラム美術のモスクに見られるような緻密な装飾デザインは、私にとって美の至高の到達点です。あの幾何学的で一切の妥協を許さない集積こそが、宇宙の真理や神性の偏在を表現していると感じるからです。

3. 永遠性という崇高さ:試行錯誤の果ての洗練

「長く続いたもの」には、それだけで圧倒的な説得力があります。

何世紀もの間、人々に愛され、守られ、淘汰されずに生き残ってきた文化や様式は、数多の試行錯誤を経て磨き上げられた「究極の洗練」を具現化しています。

私が「永遠」に惹かれるのは、それが人間の一生という短い時間を超越した、巨大なエネルギーの奔流だからです。

古くからの変化しない美意識を画面に定着させることは、現代という浮草のような時代において、確かな「錨(いかり)」を下ろす作業に他なりません。

私の作風に影響を与えた表現者たちは、いずれも独自の「反復」と「構造」を持っています。

草間彌生氏:水玉というモチーフの反復が生み出す、自己消滅と宇宙的広がり。

アントニ・ガウディ氏:自然界の法則を建築に落とし込み、神の造形に近づこうとした情熱。

狩野山雪氏:江戸時代の画家でありながら、歪みや奇矯な構図の中に圧倒的な静謐さと様式美を封じ込めた構成力。

これらの先人たちが示した「執念」とも呼べる表現への姿勢を、私は自身の「目」の描写や緻密な構成に重ね合わせています。

私の絵画の前に立つとき、どうかその無数の瞳と対話してみてください。

緻密に描き込まれたディテールは、イスラムのタイルやルネサンスの祭壇画のように、あなたを日常から切り離し、静謐な思考の時間へと誘うはずです。私は、自身の作品が単なる装飾品ではなく、「人間とは何か」「不変の美とは何か」を問い直すための聖域でありたいと願っています。

なぜ作品を作るのか?

私は子供の頃から、芸術家という人達に深い関心を抱いていました。

人類の長い歴史の中で、有名無名を問わず、人生の多くの苦難を乗り越え、絵画、彫刻、デザイン、文学、音楽など様々な分野で、多くの偉大な作品を残してきた方々が沢山いました。

そんな偉人たちの作品を見るたび、自分もそんな人生を歩んでみたい、と考えてきました。

 この世に生を得たのであれば、この世界と人類の歴史に何かを残したいと思うのが人間の性ではないでしょうか。

人間は、自分の子孫、後世に影響を与える思想、人々に感動を与える勇敢な人柄、この世界を少しでも心地よくする親切な振る舞い、多くの人を豊かにする事業や発明など、何かを残すという行為で自らの生まれた価値があったのだということを深く実感できると思います。

 私は子どものころから、絵を描くことが好きでした。

10代の頃、様々な画家に影響を受け、自らも作品を制作するようになりました。

作品を見て何かを感じてくれたり、少しでも楽しんでくれたりした人がいたら、これ以上の喜びはございません。

 影響を受けた人物

ゴッホ、モネ、ベラスケス、フェルメール、セザンヌ、ウォーホル、ピカソ、藤田嗣治、草間彌生、寺山修司、太宰治、松尾芭蕉、植村直己、小林一三、石田退三、藤沢武夫、豊田佐吉、葛飾北斎、レイ・クロック、小津安二郎、黒澤明、鈴木敏文、宗次徳二。

ジクレー印刷とは何か?

ジクレー印刷(Giclée printing)は、高品質なアートプリント技術の一つです。

この技術は、インクジェットプリンターを使用して、デジタル画像を高解像度で印刷する方法です。

ジクレー印刷は、特にアート作品や写真の複製に適しており、色彩の再現性が非常に高いのが特徴です。

 ジクレー印刷では、通常、アーチファイル(耐久性のある紙やキャンバス)を使用し、耐光性のあるインクを使うことで、長期間にわたって色あせしにくい印刷物を作成できます。

このため、アーティストや写真家が自分の作品を販売する際によく利用されています。

リトグラフやシルクスクリーンの複製方式よりも耐光性に優れ、色の耐光年数は150~250年という高い保存性を実証しています。

絵画作品・芸術作品の評価は、好き嫌いなどという曖昧なものではない

私が作品で一番こだわっていること

私の作品での一番のこだわりは、画面の構図です。

世の中に存在する平面作品のすべて、絵画や写真、映画、アニメーション、漫画などの優れた作品には、共通する構図があると私は考えています。

描かれた内容、色彩の違いに関わらず、歴史に残るほど優れた作品の多くは、同じ構図をしています。

ベラスケスの『ラス・メニーナス』、ゴッホの『夜のカフェテラス』、フェルメールの『絵画芸術』、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』は全て同じ構図で、まるで兄弟のような作品です。

それらの作品達は、描かれた場所、描いた作者、描かれた時代が異なるにもかかわらず、構図に対する考え方が同じです。

逆に言えば、構図以外は全く違う絵画で、平面作品の良し悪しの95パーセント以上は構図にあると、考えられます。

ゴッホの画家としての、素晴らしさについて一般に考えられているのは、色彩の美しさや独特なタッチ、厚塗りの画面ですが、それらはゴッホの画家としての技量の本質ではないと思います。

ゴッホの画家としての根幹は、葛飾北斎や歌川広重の研究を通して、学んだであろう完璧な構図です。

そして、北斎や広重の代表作は、それまでの日本の絵画には存在しなかった西洋画の構図が使われています。

北斎や広重は、当時日本で流行した、オランダ学の中から西洋の構図を学びました。

ベラスケスやフェルメールの完璧な構図は、北斎や広重を通してゴッホに受け継がれていったのです。

日本を代表する映画監督である、黒澤明や小津安二郎の作品が、海外で大きな評価を受けたのもその素晴らしい構図が理由でしょう。

小津安二郎の構図へのこだわりが半端なものではなかったというエピソードは有名で、小津が愛した浮世絵の影響が見て取れます。

黒澤明の全盛期の作品である『七人の侍』や『生きる』が、完璧な構図のお手本のような映画作品であるのに対して、カラー映像になった後期の作品の出来が悪いのは、表面的な撮影機械の進歩に黒澤明の関心が向かっていってしまって、構図へのこだわりが薄れたためでしょう。

その当時の最高の技術を使うのは当たり前ですが、重要なのは永遠不滅である構図に対する考え方です。

表面的な技術は、現在や未来の方が進歩するでしょうが、ほとんどの現代の絵画作品はベラスケスや北斎を超えることは出来ないでしょう。

人間の目、人間の脳は長い間、変化がないのですから、平面の静止画、風景、映像の良し悪しを決める基準は変わることはありません。

人間の視線を飽きさせない技術の根幹は構図とグラデーションです。

優れた絵画作品というのは、人間の眼を釘付けに出来るものです。

何回も飽きずに、何時間も観ていられます。何度観ても、心を奪われます。

昨日観ても、今日観ても、明日も観たくなるものです。

反対に、つまらない作品の多くは、10秒間見続けることが出来ないと思います。

構図が悪いので、人間の脳を満足させることが出来ないのです。

写真の発明に危機感を抱いた画家達が勘違いして、昔から使われている永遠の構図まで辞めてしまったことが、今日の絵画作品の衰退を招いていると、私は考えています。

図鑑に使われる写真のような、目の前の対象を正確に写す技術に関心がいってしまって、本質である構図が忘れられてしまっているのが、写真が出てきた頃の画家達の問題点だと思います。

図鑑の絵や写真に必要な、正確に物を写す技術と、良い絵画の技術は別物です。

ベラスケスのラス・メニーナスについての評論で、その華麗な筆捌きを評価する人間が多いですが、本質はそこではないのです。

画面の中で、キャンバスを描いて手前を作り、画面の中間で人間達の姿を重ねて、距離感を出し、奥にあるドアと国王の姿で一番強いコントラストを使っているところこそが、名画の理由なのです。

この画面で使われている構図は、北斎の神奈川沖浪裏と同じです。

手前のキャンバスと大きな波が共通で、奥にある国王とドアの部分と富士山に強いコントラストが使われています。

ゴッホの作品の荒々しいタッチや厚塗りに注目することは、ゴッホ作品への冒涜です。

夜のカフェテラスという作品を、厚塗りの物質感が出ないポスターなどに印刷しても、素晴らしいと感じるのは、構図が優れているからです。

カフェテラスの一番手前にある青い窓枠が、画面の手前を強調しています。

奥の方には黄色と黒の強いコントラストがあることで、視線を奥に引っ張ります。

手前にも強いコントラストがあり、手前と奥とで、視線を引っ張り合うという構図です。

このように構図が平面の作品の良し悪しに大きな影響を与えていることは明らかです。

多くの画家達が捨ててしまった構図を、使い続けた映画や漫画、アニメーションの隆盛は、論より証拠だと思います。

私の作品は複数のインターネットのサイトで購入可能です。どれも数量に限りのある限定作品です。

何かご質問などがありましたら、下のメールアドレスにご連絡下さい。

corotakamizawa@gmail.com

私の制作への姿勢

私の作品は、私のこれまでの修行中に、自らの頭の中からひねり出されてきたものです。

そのため同時代の他者の作品とは、まるっきり違うものになっています。

自らの生活・人生と直接繋がっているものが、私の作品です。

当然ながら、私の子供時代は絵を描いたり、物を作ったりしている少年でした。

その後も学生時代の多くの時間を、美術を学ぶことに使いました。

私は優秀な生徒ではなかったので、直接学校から学ぶというよりは、自らの関心を信じて、過去の素晴らしい画家の作品から、直接影響を受けました。

そういう意味で、私は全くの独学の画家です。

大人になって、一年間だけ絵画や美術から離れたことがありましたが、再びこの美術の世界に戻ってきました。

私には絵画すら良いものを作る能力が無いのに、尚更、他のことをやっても、時間の無駄であることを悟ったのです。

あと何年間、わたしに与えられた時間があるのかわかりません。

私の技術では99.9%歴史に残るような素晴らしい作品を造ることは出来ないと思います。

自分が三流の無能な画家であることは、しっかり認識しています。

しかし10代20代の若い時に、自分に大した才能が無いことに気づいたのは、人生で最大の幸運でした。

人生は兎と亀だと思います。

瞬発力よりも継続力です。

私が死ぬまでに、三流の画家からせめて二流の画家になれるように、全ての時間を美術に捧げるつもりです。

私の作品は、これまでの約30年間に学んだ知恵や知識、技術が凝縮されたものです。

まだまだ、技術に未熟なところがあり、決して完成された作品ではないですが、私の尊敬するゴッホやベラスケス、フェルメール、葛飾北斎などの画家の作品に近づけるように、毎日睡眠以外の時間を、全て仕事に費やしています。

実際には、寝てる時間に見る夢の内容も、絵画についてです。

完全に全ての時間を一つのことに捧げるのは、難しいことですが、他のことをしなければならない時にも、頭のなかでは過去の名作のことを考えています。

私達の目の前にある、人間によって作り出された全てのものは、誰かの頭の中からひねり出されたものですから、何よりも考え続けて、手や肉体を酷使することが大切だと思います。

画家という仕事は、世の中の全ての仕事・商売と全く同じです。

やはり、毎日繰り返し働いて、遊ばず、休まず、長年こだわり続けた人間が、最高の商品・製品・作品を産み出せるのだと思います。

人間は、ずっと完璧な集中を続けることは出来ないので、一日の中でいかに長い時間を捧げられるかが大事です。

難しいことですが、それを週7日、一日も休まずに何十年間やり続けて、少しずつ向上、改善すればすごい仕事が出来ると思います。

私の好きないくつかの言葉を紹介します。

フォード・モーター創業者 ヘンリー・フォード

「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。 でも本当のところ、成功とは与えることなのです 」

「賃金を払うのは雇い主ではない。 雇い主は、ただ金を扱っているだけ。 賃金を払うのは顧客である」

「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。 多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」

阪急グループ創業者 小林一三

「青年よ、独立せよ。大会社にあこがれるな。商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」

「人生に勝利するには、何より勝つ心がけが必要である。人が八時間働くなら、十五時間働く気概、人がうまいものを食べているときには、自分はうまいものを食べないだけの度胸がなければいけない」

英国首相 ウィンストン・チャーチル

「成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である」

「我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る」

「成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である」

「決して屈するな。決して、決して、決して!」

「力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である」

サントリー創業者 鳥井信治郎

「60何年、酒、酒、酒で苦労してきている。なんぼバカでも、60年もやればものも分かりまっせ。お金もちいとばかりはできまっせ」

鳥井信治郎 (1879~1962)

Quoted from Wikipedia

マクドナルド創業者 レイ・クロック

この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う。才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う。恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世界にいる。教育も違う。世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である」

勇気を持って、誰より先に、人と違ったことをしなさい」

「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは30年だ。思えば長い長い夜だった」

「床の上に置かれたロープの上を渡っても、幸福を得ることはできない」

CoCo壱番屋創業者 宗次徳二

「真面目にやり続ける。向上心を持ってせっかく始めた商売を、事業を成長・発展させたいので、とにかく目の前のお客様を大切にしながら感謝の気持ちを持って、誰よりも自分が一生懸命やる。そんな中から明日のヒントが見えてくる」

よそ見しない、経営に身をささげる

「CoCo壱番屋のシステムは、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら綿密に作り上げてきたものなので、表面だけ真似てもだめなのである」

私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです」

お客様第一主義、現場主義

最初から上手くいくことは、ありませんから諦めずにやり続ける。商売は毎日の積み重ね、感謝です。年間5640時間(1日15時間半を365日)働くこと

「毎朝5時に起きて会社に一番乗りし、お客様が意見やクレームを書き込んでくれたハガキに目を通す。出張に行けば深夜営業の店をみてまわる。私は店長などが気にしないような細かな点が気になって仕方がない。飲食店の経営はわずかなことの積み重ねです。それが60点なのか70点なのか。その違いが店の格差になる。重箱の隅をつつくような仕事が私の役割でした」

「経営者は自分に能力があると思わないほうが良い。大した能力は無いと決めつけたほうが、なんとかしようとひたむきに働くことができる」

セブンイレブン創業者 鈴木敏文

「石垣のように、基礎からきちっと積み上げているからこそ、上質さと手軽さを両立させた商品を投入し、新たな需要を掘り起こすことができるのです。」

「安さで商売することは、最も失敗する確率が高いやり方です」

「基本をおろそかにして、大量仕入れによって安く仕入れて、安さで売ろうとしても、競争には勝てないと思います」

ナイキ創業者 フィル・ナイト

「レストランを開きたいと思っても、厨房で1日23時間働く覚悟がなかったら、やめたほうがいい」

「靴の商売に身を捧げ、靴以外のことは何も考えず話さない」

「自分のアイデアをみんなに馬鹿にされても、ただやり続けてください。あなたがそこに辿り着くまでは」

チョーヤ梅酒 金銅住太郎

梅酒で成功したら喜べ、成功しなければ人生を諦めろ

「ポジティブに人生を諦める」

失敗したら路頭に迷うのではないかと言われた際にも、「できることは、今努力することしかない、そんなこと考えたら何もできない」と答えた。

他業種から学んだこと

私はこのように、自分とは全く関係ない業種から、ヒントを得ることにしています。

何故なら、同業種の人のやり方を参考にすると、他の人と似たようなものになってしまうからです。

他の人と同じ事をやっていたら、それは何かが間違っているのです。横並びになって、自分の周りと同じになったら価値がないということです。

また、世の中の商売・仕事で発展したものは、すべて真面目で地道なものです。

石垣を積み上げるように、基礎を徹底的に作り込んだ商売が、必ず日本一、世界一になっています。

私は自分の絵の仕事を向上させたくて、色々な企業・商売の研究をしました。

ここ数年自分なりに約300冊の企業や商売の歴史についての本を買い込んで、読み漁りました。

やはり参考にするべき良い会社には、共通点があります。

日本の商売で、真似をするべきなのは

トヨタ自動車、京セラ、CoCo壱番屋、チョーヤ梅酒、本田技研、スズキ自動車、セブン・イレブンです。

共通点は地道で、細部まで徹底的にこだわった品質で、現場主義です。

良い会社は、小さな店の経営者が店舗の2階や近くに住んで24時間体制で働いているという状態、現場主義を大企業になっても続けているところが多いです。

日産自動車が本社や経営者を、生産現場から離れた都会に置いているのとは違って、トヨタ自動車とスズキ自動車が本社と工場を隣り合わせて、田舎から出ないというのがすごいところです。

経営者や幹部社員が、もの作りの商売の根幹である工場の中を、歩き回って改善していくことを続けたからこそ、トヨタ自動車とスズキ自動車は発展しつづけたのだと思います。

豊田佐吉 (1867-1930)

Quoted from Wikipedia

ゴッホと豊田佐吉

また、私の尊敬する画家のゴッホとトヨタグループの創業者である豊田佐吉は、かなり似た人間に思えます。

豊田佐吉は、トヨタグループの祖業である織機の発明、改善に人生を捧げた人間でした。

豊田佐吉について書かれた本の中から、いくつかのエピソードを紹介します。

「仕事が思うように運ばず、苦心懊悩は一通りではなかった。朝から晩まで毎日毎日何かこしらえては壊す、造ってはまた造りなおす。周囲から変わり者、狂人扱いにされたのも至極」

「昔から発明家という発明家は悉く貧乏で、おまけに人情の離反、果ては虐げられる。凡ゆる人間の悲哀を嘗め尽くして後、漸く基の大願望を成就する」

「豊田佐吉の日常は発明に明け発明に暮れる孤独閉鎖の生活であった。翁は社交界にも顔を出さず、名を知られようとせず、何の道楽も、何の嗜好も持たず、只一本の鉛筆、一枚の紙を相手に、朝から晩まで一室に閉じこもりて考案に耽ると言うのが翁の平生であった」

このように、豊田佐吉と画家ゴッホの性格や日常は、非常に似ていると思います。

そして、彼らが亡くなった後も、長い間、沢山の人の人生や生活に大きな影響を与えたのも頷けます。

トヨタ生産方式で絵画を造る

日本を代表する大企業のトヨタ自動車は、大変参考になる会社です。

トヨタを世界一の自動車会社に発展させた、トヨタ生産方式という考え方は、どの業種にも応用出来るものだとおもいます。

特に全てのメーカー(画家も含めて)は、実践するべきです。

私の絵画生産の基本的な考えも、トヨタ式生産方式が根幹になっています。

自動車を生産するのも、ウイスキーを生産するのも、絵画を生産するのも同じことです。

トヨタ生産方式は創業者の豊田佐吉と息子の豊田喜一郎によって、考えだされた生産方法です。

この方法は、二つの考え方が中心になっているものです。

1、ニンベンのついた自働化

「異常がわかる、異常で止まる、異常で止める」

豊田佐吉の作った機械は、明治・大正時代から不良品が出たら、機械が自動で止まる仕組みになっていた。

2、ジャスト・イン・タイム

毎日、必要なものを、必要な数だけつくれ

間に合えば良い、余分に作るな

この二つの考えは、トヨタグループがもともと貧乏だったために、考えだされたものです。

不良品や売れない商品を極限まで減らすというトヨタ生産方式の仕組みは、トヨタの高収益体質の根幹です。

商品の質を上げながら、無駄を無くすことが目的です。

トヨタ生産方式は、事業の財務体質を改善させることができます。

トヨタ自動車は『トヨタ銀行』と言われるようなお金持ちの会社になり、貯めた大量の資金で研究開発をするので、他の会社が追い付くことが出来ないのです。

豊田喜一郎氏(1894~1952)

Quoted from Wikipedia

トヨタ語録

私が絵画制作中に道標としている言葉を紹介します。

「自分の城は自分で守れ」

「ケチケチ商法」

「ほんとうのガメツさとは、それは質素を表すのである。精いっぱいしまつ倹約して、商いのムダを省くのが、江州商人の真面目である」

「田舎者的精神」「不屈の闘志」「根性」

「人生すべては勝負である。勝負のすべては闘志と努力である」

「よい品、よい考え」

「純粋と勤勉が大事。骨惜しみをしない。苦労をいとわぬ」

「作ってやる、売ってやるではいけない。買ってもらう、作らしてもらっているという気持ちでなくてはいけない」

「骨惜しみをしない。苦労をいとわぬ。しぶとくてガメツくて、欲が深くて、何事にも真っ正直。トヨタの最強美点である。」

「十円かけてつくったものを十一円で売る。この場合の一円は適正利潤である。そして、もし十一円で買ってくれる人がなかったら、なんとか十円で売れるように考える。そのためには、コストを九円にまで引き下げねばならない。ならば、その工夫をせよ」

本当の競争とは、企業のオリジナリティを売ることである、その会社ならではの技術、そしてサービスを売る。むろん安くできればそれにこしたことはない。要は商品価値そのもので勝負すればいいのだ」

「強い信念をもって実行せよ 。誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない。 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 、単に考えるだけでなく 、なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って、十分な準備を行い 実行したということである

「機械的に考えるのではない。 乾いたタオルでも知恵を出せば水が出る」

「モノの値段はお客様が決める 。利益はコストの削減で決まる 。コストダウンは モノづくりを根本のところから追及することによって決まる」

「発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。発明は努力の賜である」

困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ」

私はこれらの言葉すべてに影響を受けて、絵画制作しています。

大野耐一氏の考え方

トヨタ生産方式を第二次世界大戦後、本格的に生産現場に植え付けた第一人者に、大野耐一という有名な方がいます。

その方が講演で話した内容が、非常に勉強になるもので、少し抜粋したいと思います。

「いま言ったように売れない物を、いくら能率を上げて安く作ったとしても、企業にとって何になっているのだろうか。

例えばみなさん方が、いままで自分の部下が10人で100個作っていた物を、この頃ちょっと能率が上がったので120出来るようになった。

しかし売れるのは100個しか売れません。

そしたら100個作るのが、一番大事なことだ。

能率を上げて120作ったから1個あたり相当安くなったはずだなどと、考えてもこれは全然無駄なことである。

しかもこれが80しか売れませんよと、そうしたら80をどうやって安く作るんだということを第一線の監督者は考えてもらわないと、その企業がみんな一生懸命真っ黒になってやりながら会社を貧乏にしている。

どうせ来月は売れるだろうなどと言って作ってゆく、しかも能率が上がった。

まあ、気分が良いのでますます出来るようになったというと、今度は置き場がなくなってくる。

そうなると倉庫を建てないと置き場がないじゃないかと。

私どもか自動車に行った戦後間もない頃でも、何かこう各部品のラインに出来るというともう、すぐに持って行けと、運搬にすぐ持って行けと、ここに置いておいたなら皆の士気が下がるから、もう出来たらどんどん運んでくれ。

あるいは材料のほうはどんどん持ってきてドンと積んでくれと、そうすると皆がやる気になるというな変な考え方が、戦後相当続いた訳なんです。

従って中間倉庫はどんどん増えて、そうするとここへ倉庫番が要るようになってくる。

棚も作らにゃならん、そうすると結局せっかく現場で安く作ったつもりのものを倉庫へ入れる、倉庫番を付ける、だんだん品物が増え種類が増えると、もうひとりではとても管理出来ませんなどと言うと、今度はコンピュータ屋さんがうまいことを言ってきて、コンピュータを入れるとちゃんと間違いなくやってくれますよなどと言われると、いま8人いるところが、コンピュータを入れると女の子ひとりで、ちゃんとうまくやってくれます、ボタンを押すと要る物がちゃんと出てきますとか、このボタンを押すとちゃんと所定のところへ自動で持ってきますよ、というと何だか便利なような気がしてコンピュータ屋さんを儲けさせちゃう。

するとせっかく安く作ったのをコンピュータ入れるにしたって、倉庫を建てるにしたって、あるいは倉庫番を使うにしたって、皆お金が要るのではないだろうか。

現場が一生懸命安く作ったやつを、なぜ高くして行かねばならんのかと、考えてもらわないといかん。

現場が一生懸命やって能率が上がった、沢山出来るようになった。

売れないほど沢山出来ることは、結局それをどんどん高くして行くだけだ。

本当のお客さんの手へ移るまでには、社内で高くしているような面が非常に多いのではないだろうか。

それなら初めから作らないでくれた方が、倉庫も建てないで済むし、あるいは倉庫へ持って行くまでに、リフトトラックで運ぶ、これはガソリンが要るのではないか、あるいはタイヤも減ってくるのではないか、いろんなことで、結局売れない物をみんな作っているのではないか。

ゴールドラット博士の言葉

トヨタ生産方式を非常に評価しているゴールドラット博士の言葉も紹介します。

大野氏が生産で成したのは、生産における最も基本的な仮定への挑戦です。

例えば、高価な生産設備を所有していて、作業員に給料を払っているのなら、作業員が設備のそばで何もせず、ただ立っていたらそれはムダです。

我々はそう信じ、疑いもしません。

あえて考えもしません。

それは我々が大野氏の域に達していないからです。

このことを彼は思考し、こう述べています。

作業員にして欲しいことが何であれ、それが今、必要でないのなら、何もせず設備のそばで突っ立っているほうが、前倒しして作るよりも遥かに良いのだ。

これがトヨタ式生産方式の真髄です。

前倒しして作らない。

なぜならそれは流れを悪化させ滞留を起こすから。

流れが鍵なのです。

北斎とトヨタ生産方式の融合

初めてトヨタ生産方式のことについて知ったとき、自分の身体に雷が落ちたような衝撃がありました。

それからは寝る間を惜しんで、トヨタ自動車について研究しました。

このように私の作品は、葛飾北斎やベラスケスの絵画技法とトヨタ生産方式が合体して、産みだされたものです。

ですから、他の画家の作品とは、完全に違うものとなっています。

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あなたの隣に座って、静かに語り合いたいのです

ねえ、あなた。今、あなたの心はどこにありますか。お忙しい毎日の中で、ふと立ち止まったとき、胸の奥が少しだけ冷たくなったり、言葉にできない寂しさが、ひたひたと足元から忍び寄ってくるような、そんな夜はありませんか。私は今、あなたのすぐ隣に座っているつもりで、このお話をしています。あなたの肩の温もりを感じ、あなたの静かな呼吸に合わせるようにして、ゆっくりと言葉を紡いでいきたいのです。

あなたは、芸術というものが、ただの贅沢品だと思っていませんか。あるいは、選ばれた一部の人たちのための、高尚な遊びだなんて思っていませんか。もしそうなら、それはとても、もったいないこと。だって、芸術は、あなたの乾いた喉を潤す一杯の水であり、あなたの冷えた魂を温める暖炉の火そのものなのですから。

どうして人間は、これほどまでに美しいものを求め、手元に置きたがるのでしょう。なぜ、はるか昔から、王様も庶民も、命を削るようにして芸術を愛でてきたのでしょうか。それはね、あなた。芸術が、私たちの孤独を癒やす「魂の医者」だからに他なりません。さあ、私と一緒に、あなたの心を救うための、長い長い旅に出かけてみませんか。

魂の処方箋としての芸術

あなたは、誰にも言えない悲しみを抱えたことがありますか。もう、どこへも行けないような、真っ暗な穴の中に一人で座り込んでいるような、そんな絶望を味わったことはありませんか。そんなとき、あなたを救うのは、論理的な言葉でも、冷たい正論でもありません。ただ、そこに、あなたの悲しみを代弁してくれる、一枚の絵や、一節のメロディがあればいいのです。

芸術家という人たちは、実は、あなたの代わりに傷ついてくれる人たちなのです。彼らは、普通の人なら目を背けてしまうような深い心の傷や、叫びだしたくなるような孤独を、あえてその身に引き受けます。そして、それを「美」という形に変えて、あなたに差し出してくれるのです。

たとえば、あのフィンセント・ファン・ゴッホという男のことを、あなたは知っていますね。彼は、生涯を通じて、誰からも本当には理解されなかった。愛を求めても拒絶され、献身的に働いても報われず、いつも飢えと孤独の中にいました。彼は、あまりの寂しさに、自分の耳を切り落としてしまうほどの狂気を抱えていた。

でも、あなた。彼が描いた、あの激しく渦巻く星空や、燃え上がるようなひまわりを見てください。あの黄金色は、彼の絶望の中から絞り出された、命の輝きそのものなのです。彼は、自分自身の魂を削り、絵の具に混ぜて、キャンバスに叩きつけた。なぜ、彼はそこまでしたのでしょうか。それは、彼自身が救われたかったから。そして、同じように暗闇の中で震えている「あなた」という存在を、照らしたかったからなのです。

ゴッホの絵の前に立つとき、あなたは不思議な感覚を覚えませんか。まるで、彼があなたの背中にそっと手を置いて、「君の苦しみは、僕が知っているよ。僕も同じだったんだよ」と、囁きかけてくれているような気がしませんか。これこそが、芸術が持つ、魂の救済なのです。

クラシック音楽が奏でる、天国への階段

ねえ、あなた。少し耳を澄ませてみてください。どこからか、軽やかなピアノの音が聞こえてきませんか。そう、モーツァルトの「トルコ行進曲」です。あの、タッ、タッ、タタタ、という小気味よいリズム。どうしてあんなに、私たちの心をおどらせるのでしょうか。

モーツァルトという人は、天真爛漫な天才だと思われがちですが、実は彼もまた、深い哀しみを背負った人でした。借金に追われ、病に苦しみ、社会の理不尽に翻弄された。けれど、彼の音楽には、泥沼の中から咲く蓮の花のような、無垢な美しさがあります。

「トルコ行進曲」の、あの明るさ。あれは、単なる脳天気な喜びではありません。悲しみの果てに、もう泣くことさえ忘れてしまった魂が、ふと見せた微笑みのような、至高の明るさなのです。あなたが、仕事で失敗したり、大切な人に裏切られたりして、心がズタズタになったとき、この曲を聴いてみてください。あなたの硬く閉ざされた心の扉を、その軽やかなリズムが、コンコンと叩いてくれるはずです。

「ねえ、あなた。そんなに深刻にならないで。世界はまだ、こんなに美しい音に満ちているんですよ」

モーツァルトは、音楽という魔法を使って、あなたを日常の重力から解放してくれる。彼の音楽を聴くとき、あなたの魂は、一時的にせよ、この地上の苦しみから解き放たれて、天国のような高みへと引き上げられるのです。これは、どんな高価な薬よりも、あなたの精神に深く作用する、聖なる処方箋なのです。

東洋の静寂と、日本人の繊細な魂

さて、あなた。少し視点を変えて、私たちの住むアジア、そしてこの日本という国の芸術についてもお話ししましょうか。西洋の芸術が、力強い色彩や音であなたを圧倒するのだとしたら、東洋の芸術は、あなたの心に静かに染み入る水のようです。

あなたは、古い寺院の庭園で、ただ一人、枯山水を眺めたことがありますか。そこには、派手な花も、豪華な装飾もありません。ただの石と、砂があるだけ。でも、じっとそれを見つめていると、不思議と心が凪いでいきませんか。

日本人は、古くから「もののあはれ」という言葉を大切にしてきました。移ろいゆくものへの愛惜、形あるものはいつか壊れるという、静かな諦念。それは、一見すると悲しいことのように思えますが、実は、究極の癒やしなのです。

あなたが、「自分はいつか忘れられてしまうのではないか」「自分の人生には意味がないのではないか」という不安に襲われたとき、雪舟の水墨画や、千利休の茶碗を眺めてみてください。そこにあるのは、余計なものを削ぎ落とした、本質的な美しさです。

「あなた。ありのままでいいのですよ。不完全なままで、あなたは完成しているのです」

そう、日本の芸術は、あなたの弱さや欠如を、そのまま包み込んでくれる。イスラーム美術の、あの精緻なアラベスク模様も同じです。無限に繰り返される文様の中に身を置くとき、人間は、自分のエゴの小ささを知り、もっと大きな宇宙の流れの一部であることを思い出します。あなたは、一人で頑張らなくてもいい。大きな流れに身を任せていいのだと、芸術は教えてくれるのです。

太宰治が愛した、あなたの「孤独」

ここで、少しだけ文学のお話をしましょうか。太宰治という作家を、あなたは好きですか。彼は、あなたの心の最も柔らかい、最も傷つきやすい部分を、誰よりも正確に言い当ててしまう人です。

彼は、決してあなたを突き放しません。彼は、自分自身の恥ずかしさや、愚かさや、情けなさを、あられもなくさらけ出します。それを見て、あなたは思うはずです。「ああ、ここに、私と同じ人間がいる。私よりももっと、ダメな人がいる」と。

太宰の文章の中で、彼は何度も、読者であるあなたに語りかけます。あなたの孤独、あなたの寂しさ、あなたの悲しみを、彼は自分のことのように嘆き、そして慈しむ。彼が使う「あなた」という言葉には、血の通った温かさがあります。

「ああ、あなたは、どうしてそんなに苦しんでいるのですか。あなたは、本当は、誰よりも優しくて、誰よりも純粋な人なのに。世間というものが、あなたを傷つけてしまうのですね。でも、大丈夫。私が、あなたのそばにいます。あなたの悲しみを、私が半分、持ってあげましょう」

太宰の作品を読んで、涙が止まらなくなるのは、なぜでしょうか。それは、あなたがずっと誰かに言ってほしかった言葉を、彼が代わりに言ってくれるからです。芸術作品、特に優れた文学は、あなたの心の奥底にある、言葉にならない叫びを救い上げてくれる。あなたが一人で泣いているとき、その本は、あなたの手を握ってくれる唯一の友人になるのです。

大衆音楽の奇跡と、ビートルズの魔法

ねえ、あなた。芸術は、美術館やコンサートホールの中にだけあるのではありません。あなたのスマートフォンから流れる音楽、街角で耳にするあのメロディにも、魂を救う力は宿っています。

ビートルズというバンドを、あなたは知っていますね。彼らが世界中を熱狂させたのは、ただリズムが良かったからではありません。彼らの音楽には、人間の孤独と連帯が、絶妙なバランスで共存していたからです。

「イエスタデイ」を聴いてください。あの切ない旋律は、過ぎ去った日々への未練、失われた愛への、どうしようもない哀惜に満ちています。でも、あの曲を聴くとき、あなたは不思議と一人ではないと感じるはずです。

「あなたも、昔を懐かしんでいるのですね。あなたも、何かを失ってしまったのですね」

ビートルズは、世界中の何億人という「あなた」に向けて、その孤独を肯定する歌を歌いました。彼らの音楽が、国境も人種も超えて愛されたのは、人間の心の根底にある、寂しさと希望を同時に描いたからです。ジョン・レノンが歌った「イマジン」は、現実の苦しさを否定するのではなく、その先にある、私たちが共有できる夢を見せてくれました。

大衆音楽、ポップスというものは、あなたの日常に寄り添う芸術です。キッチンで料理をしているとき、満員電車に揺られているとき、ふと耳にした曲が、あなたの心を一瞬で別の場所へ連れて行ってくれる。それは、魔法以外の何物でもありません。芸術は、あなたの退屈な日常を、かけがえのない物語に変えてくれるのです。

芸術作品を集めるという、心の贅沢

ところで、あなた。あなたは、何かを「手元に置きたい」と強く願ったことはありませんか。高価な絵画でなくても構いません。道端で拾った綺麗な石、古い絵葉書、お気に入りのカップ。そういったものを慈しむ心は、立派な芸術鑑賞のはじまりです。

どうして人は、物を集めるのでしょう。歴史を振り返れば、メディチ家のような大富豪から、名前も残っていないコレクターまで、数えきれないほどの人たちが、芸術作品を追い求めてきました。それは、権力の誇示のためだけではありません。

自分を救ってくれた「美」を、自分のそばに置いておきたい。その美しさに触れることで、自分の魂を常に清らかに保ちたい。そう願うのは、人間として、とても正しく、純粋な欲求です。

あなたが、自分の部屋に一枚のポスターを貼る。それは、あなたの城の中に、外部の汚れを寄せ付けない「聖域」を作るということです。あなたが疲れて帰ってきたとき、その一枚の絵が、あなたを迎えてくれる。

「おかえりなさい、あなた。今日一日、よく頑張りましたね」

その絵は、何も語らないけれど、そこにあるだけで、あなたの存在を肯定してくれる。芸術作品を集める趣味というのは、自分自身の魂を守るための、防波堤を作るようなものなのです。あなたは、自分を救ってくれる美の断片を、もっと欲しがってもいい。それは、あなたの人生を豊かにするための、最高に有意義な投資なのですから。

現代を生きるあなたのための、美の処方

ねえ、あなた。現代という時代は、とても慌ただしく、残酷だと思いませんか。絶え間なく情報が流れ込み、誰かと自分を比較しては、落ち込んでしまう。効率や合理性ばかりが求められ、あなたの心の中の、繊細な部分は、行き場を失ってしまっている。

だからこそ、今、あなたには芸術が必要なのです。何の役にも立たないように見える、ただ美しいだけのものが、実は今のあなたを、最も深く救ってくれる。

なぜ、昔の文豪たちの言葉に、私たちは涙を流すのでしょうか。それは、彼らが命を削って書いた言葉が、時空を超えて、今のあなたの孤独と共鳴するからです。シェイクスピアも、ゲーテも、ドストエフスキーも、みんな、あなたと同じように悩み、苦しみ、そして「人間とは何か」という問いと格闘してきました。

彼らの作品を読むとき、あなたは、自分が長い人類の歴史の中の、孤独な一人ではないことに気づきます。あなたの悩みは、かつての天才たちも通ってきた道。あなたの涙は、何百年も前の誰かが流した涙と同じ色をしているのです。

「ああ、あなた。あなたは一人じゃない。このページを開けば、いつでも私たちがここにいます」

そう言って、彼らは本の中から手を差し伸べてくれる。この、魂の連帯感こそが、芸術が与えてくれる最大の贈り物なのです。

芸術は、魂を癒やす「静かな革命」

あなたは、芸術家という人を、少し変わった人たちだと思っていませんか。確かに、彼らは世間体や常識を無視して、自分の感覚に忠実に生きようとします。でも、それは、彼らが「魂の自由」を何よりも大切にしているからです。

芸術家は、社会という大きな歯車の中で、摩耗しそうになっているあなたの魂を、救い出してくれる「医者」なのです。彼らは、あなたが忘れかけていた、純粋な驚きや、震えるような感動を、思い出させてくれる。

あなたが、一枚の抽象画を見て、「何だかよくわからないけれど、綺麗だな」と感じたとき、あなたの脳の中では、小さな革命が起きています。論理や言葉で説明できない、あなたの本能的な部分が、その美しさに反応しているのです。

この「よくわからないけれど、素晴らしい」という感覚を、大切にしてください。それこそが、あなたの生命力そのものなのですから。効率だけで割り切れない、無駄なもの、曖昧なもの。そこにこそ、人間が人間として、豊かに生きていくためのヒントが隠されています。

あなたへ贈る、最後の内緒話

ねえ、あなた。そろそろ、お別れの時間が近づいてきました。でも、寂しがらないでください。私は、この文章が終わっても、あなたのすぐそばにいます。あなたが、次に美しいものに出会ったとき、その感動の中に、私は隠れています。

あなたが、夕焼けを見て美しいと涙を流すとき。

あなたが、古いジャズのレコードに身を任せるとき。

あなたが、太宰治の小説の一節に、自分の心を見つけたとき。

そのすべての瞬間に、私はあなたと一緒にいます。

芸術を愛でることは、自分自身を愛することと同じです。あなたは、自分を救うために、もっと美しいものを求めていい。もっとわがままに、自分の魂が喜ぶものに囲まれて生きていいのです。

どうして、あなたはそんなに我慢をしているのですか。どうして、あなたは自分の美意識を、押し殺しているのですか。今日からは、もっと自分に素直になってみませんか。

あなたが選んだ一枚の絵が、あなたが愛した一曲の音楽が、いつか必ず、あなたを絶望の淵から引き上げてくれます。それは、約束します。芸術は、決してあなたを裏切りません。あなたがそれを愛する限り、芸術は、あなたの魂の生涯の友となってくれるでしょう。

さあ、あなた。今、この画面を閉じたら、少しだけ周りを見渡してみてください。そこには、あなたを待っている「美」の欠片が、きっと落ちているはずです。それを、大切に拾い上げてください。

あなたは、素晴らしい。

あなたの感性は、誰にも汚されることのない、宝物です。

また、どこかでお会いしましょう。そのときは、あなたがどんな美しいものに出会ったか、ぜひ私に聞かせてくださいね。私はいつでも、あなたの隣で、あなたの話を聞く準備ができています。

おやすみなさい、愛しいあなた。

あなたの夢が、美しい色彩とメロディに満たされますように。