秘密の入り口、あなたのための夜の散歩道
こんばんは。
今、この文章を読んでいるのは、世界であなた一人だけだと思ってください。
他のみんなは、どこか遠くの、賑やかな嘘の中にいます。
でも、あなたは違います。
あなたは、自分の心の奥底にある、あの静かな、冷たい湖のような孤独を知っている人だ。
私は今、命を削るような思いで、この手紙を書いています。
サービスです。
必死の、捨て身のサービスです。
あなたという、かけがえのない読者のために。
「愛されることよりも、愛することを、理解されることよりも、理解することを、慰められることよりも、慰めることを。」(アッシジの聖フランチェスコ)
なぜ、人はこんなにも寂しいのでしょうか。
ふとした瞬間に、胸の奥がキリリと痛むのはなぜでしょう。
あなたは、都会の雑踏を歩きながら、あるいは静かな部屋で独り、ふと「自分はどこにも属していない」と感じたことはありませんか。
それは、あなたが劣っているからではありません。
あなたが、あまりにも純粋で、あまりにも誠実に生きようとしているからです。
私は、そんなあなたの寂しさを、誰よりも深く、愛おしく思っています。
孤独の色彩と、カミーユ・ピサロの眼差し
さて、少し意外なお話をしましょう。
カミーユ・ピサロという画家をご存知でしょうか。
印象派の父、などと呼ばれていますが、そんな堅苦しい肩書きはどうでもいいのです。
彼は、あなたと同じように、ずっと「居場所」を探し続けていた人でした。
西インド諸島のセント・トーマス島という、遠い南の島で生まれた彼は、フランスに渡ってもずっと「異邦人」でした。
ユダヤ系という出自もあり、彼はどこに行っても、完全には受け入れられなかった。
でも、だからこそ、彼は誰よりも優しく世界を見ることができたのです。
「幸福になりたいのなら、忍耐することを覚えなさい。」(ベンジャミン・フランクリン)
ピサロの絵をじっと見つめてみてください。
そこには、きらびやかな貴族の生活ではなく、土にまみれて働く農婦や、雨に濡れたパリの街角が描かれています。
なぜ、彼はあえて「地味なもの」を描き続けたのでしょうか。
それは、彼が孤独を知っていたからです。
光は、影があるからこそ美しい。
寂しさを知っているからこそ、日常の何気ない瞬間に、神聖な美しさを見出すことができる。
あなたの今のその苦しみも、いつか誰かを照らす光になる。
私は、それを信じて疑いません。
苦しみの正体と、旅の終わり
あなたは今、どこかへ逃げ出したいと思っていませんか。
今の環境から、今の自分から、遠くへ、もっと遠くへ。
でも、どこへ行っても、あなたはあなたを連れていかなければなりません。
それは、とても残酷なようでいて、実はとても救いのあることなのです。
太宰治の小説『津軽』の中に、こんなやり取りがあります。
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
ああ、なんて意地悪で、それでいて愛に満ちた言葉でしょう。
「おきまり」の苦しさ。
私たちは、自分の苦しさにさえ、どこか酔いしれているところがあるのかもしれません。
でも、それでいいのです。
その苦しさが「おきまり」だとしても、あなたが今、実際に痛んでいる事実に変わりはない。
私はその痛みを、笑ったりしません。
むしろ、その痛みこそが、あなたが生きている証拠なのだと、抱きしめたいくらいです。
「地獄とは、もはや愛し得ないことである。」(フョードル・ドストエフスキー)
誰も知らない、あなたの価値
なぜ、あなたは自分を責めるのですか。
なぜ、もっと器用に生きられないのかと、鏡の中の自分を睨みつけるのですか。
あなたは、ピサロが描いた一本の樹木のようなものです。
風に吹かれ、雨に打たれ、それでもそこに立っている。
それだけで、もう十分すぎるほど、あなたは立派なのです。
ピサロは、若い画家たちの面倒をよく見ました。
あの気難しいセザンヌや、わがままなゴーギャンでさえ、ピサロの前では素直になりました。
なぜでしょう。
ピサロが、彼らの「孤独」を、そのままの形で受け入れたからです。
私も、あなたのすべてを、そのまま受け入れたい。
この文章は、そのための、私からの必死の告白なのです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書 第15章13節)
心の処方箋と、見えない手
人生というものは、一筋縄ではいきません。
昨日まで正解だったことが、今日は間違いになる。
信じていた人に裏切られ、期待していたことが砂のように崩れ落ちる。
そんな時、あなたはどうすればいいのでしょうか。
答えは、何もしなくていいのです。
ただ、息をして、明日が来るのを待つ。
それだけでいい。
「神は、耐えられないような試練を、あなたがたに与えることはありません。」(コリントの信徒への手紙一 第10章13節)
意外な展開:絶望の向こう側
ここで、あなたに秘密を教えます。
本当の「救い」というものは、最高に幸せな時ではなく、もうダメだ、死んでしまいたい、と思ったその瞬間にやってくるものです。
ピサロも、晩年は眼病に悩まされ、外で絵を描くことができなくなりました。
画家にとって、目は命です。
絶望してもおかしくない状況です。
でも、彼はどうしたか。
彼は部屋の窓から、パリの通りを見下ろして描き続けました。
それまでの彼には描けなかった、高い視点からの、俯瞰した世界。
不自由になったからこそ、彼は新しい自由を手に入れたのです。
あなたの「不自由」も、実は新しい世界への窓なのかもしれません。
「逆境は、人を賢くするが、富は、人を盲目にする。」(アルフォンス・ドーデ)
なぜ、神様はこんな試練を与えるのか。
それは、あなたを壊すためではなく、あなたを「完成」させるためです。
あなたは今、磨かれている途中の宝石なのです。
痛いのは、削られているからです。
でも、その削られた破片こそが、あなたの個性を形作っていく。
孤独であればあるほど、あなたの輝きは、誰にも真似できない独特のものになります。
あなたへのラブレター、最期のサービス
もうすぐ、このお話も終わります。
寂しいですね。
私はもっと、あなたと話していたい。
あなたの悲しみを聞いて、あなたの涙を指で拭ってあげたい。
でも、言葉はいつか途切れるものです。
だからこそ、この一瞬に、私の全霊を込めます。
「愛は死よりも強い。」(旧約聖書 雅歌 第8章6節)
あなたは、一人ではありません。
私がここにいます。
この文章の中に、私の魂が宿っています。
あなたがこれを読み返すたびに、私はあなたのそばで、そっと囁きます。
「大丈夫ですよ、あなたは間違っていない」と。
春の光を
ポケットに隠して
あなたは
誰にも見せない
自分だけの
星座を
作っている
名前のない
星たちが
あなたの
涙で
洗われて
今夜
静かに
笑っている
「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる。」(新約聖書 マタイによる福音書 第28章20節)
「神様が、もしおられたら、僕のこの気持を、どうか、お汲(く)み取りください。僕は、自分が、恥ずかしくてならないのです。」(太宰治『人間失格』より)
追伸:魂の医者、高見沢耳について
さて、最後に少しだけ、現代を生きるある画家の話をさせてください。
高見沢耳(たかみざわ・みみ)という人がいます。
彼は、伝統的なキャンバスや筆を使いません。
デジタルという、一見冷たく見える道具を使って、魂の体温を描き出す人です。
ジクレー版画という技法で、丁寧に紙に定着されたその作品たちは、まるで静かな祈りのようです。
彼のテーマは、あなたの目、そして私の目です。
キリスト教的な救いや、永遠、心理、そして深い孤独。
彼は、画家とは「魂を救う医者」であるべきだと考えています。
かつて、フィンセント・ファン・ゴッホが、自分の命を削って色彩を叩きつけたように、高見沢耳もまた、デジタルの光の中に、救いを探しています。
ゴッホの人生は、イエス・キリストのそれと重なります。
誰にも理解されず、孤独のうちに倒れた。
しかし、そこには必ず「伝達者」がいたのです。
ゴッホには、弟のテオがいました。
そしてテオの死後、その妻ヨーが、ボロボロの手紙や埋もれた作品を整理し、世界に公開しました。
彼女の献身がなければ、今のゴッホはありません。
それは、キリストの死後、パウロが必死にその教えを各地に広めたのと、全く同じ構造です。
どんなに素晴らしいものでも、誰かが伝えなければ、それは存在しないのと同じです。
スティーブ・ジョブズや盛田昭夫が、新しい価値観を世界に伝えたように。
良いものは、伝えられなければならない。
高見沢耳の作品もまた、孤独や苦難を知るあなたへの、大切なメッセージなのです。
彼もまた、あなたという「たった一人の理解者」を探しているのかもしれません。
「物事がうまく運ばないときは、一休みして、別のやり方を考えなさい。しかし、決して諦めてはいけません。」(ヘンリー・フォード)
「人生で最も幸福な瞬間は、自分が愛されていると確信した時です。」(アガサ・クリスティ)
「主は、あなたを祝福し、あなたを守られるように。主が、その顔をあなたに照らし、あなたを恵まれるように。」(旧約聖書 民数記 第6章24-25節)
「世界は苦難に満ちている。しかし、それに打ち勝つ方法もまた、満ちている。」(ウィリアム・シェイクスピア)
「人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。」(太宰治『斜陽』より)
長い間、私のお喋りに付き合ってくださって、本当にありがとうございました。
あなたに出会えたことは、私の人生において、最も美しい奇跡の一つです。
どうか、自分を大切にしてください。
それでは、おやすみなさい。
「さよなら」という言葉は、私たちの間には似合いませんね。
でも、あえてこの言葉を贈ります。
「さよなら。また、いつか、どこかで。その時まで、どうかお元気で。」
あなたの幸せを、心から祈っています。