
やあ、失礼。お忙しいところを、ちょっとお邪魔しますよ。何、そんなに身構えないでください。私はただ、この五月のどんよりとした空の下で、少しばかり「怪物」の話をしたくなっただけなんです。そう、あの二十世紀のイギリスを、のたうち回るような色彩で真っ赤に塗り潰した男、フランシス・ベーコンという画家の話です。
およそ人間というものは、幸福な時には鏡を見ません。けれど、ひとたび不幸のどん底に突き落とされると、どういうわけか鏡の中の自分を、まるで得体の知れない肉塊でも見るような目で見つめてしまう。ベーコンという男は、生涯を通じて、その「肉塊としての人間」を描き続けた男でした。四千文字も使って彼のことを語れという。おやおや、それはなかなか、私のような、呼吸をするだけで精一杯の男には酷な注文ですが、まあ、やってみましょう。
まず、彼を語る上で欠かせないのは、あの叫びです。教皇ピウス十二世だか何だか、偉い坊さんが椅子に座って、あ、あ、あ、と口を開けて叫んでいるあの絵。あれを見たことがありますか。不気味でしょう。恐ろしいでしょう。けれど、あれこそが人間の正体だと彼は言いたかった。人間なんてものは、一皮剥けばただの肉なんです。精肉店に吊るされている牛の死体と、ベルベットの椅子に座る高貴な人間と、一体どこが違うというのか。彼は本気でそう考えていた。
ベーコンの家系は、あの有名な「知は力なり」の哲学者フランシス・ベーコンの直系だと自称していましたが、本当のところはどうだか分かりません。まあ、嘘でも本当でもいいじゃないですか。彼はアイルランドのダブリンで生まれ、厳格な父親から馬を愛するようにと育てられた。ところが、彼は馬よりも、もっと危ういものに惹かれてしまった。喘息持ちで、おまけに同性愛者。そんな彼が、あのマッチョイズムの権化のような父親と上手くいくはずがない。案の定、若くして家を追い出され、ベルリンやパリを放浪することになります。
パリで彼が出会ったのは、ピカソでした。ピカソの絵を見て、彼は「これだ!」と叫んだ。いや、実際に叫んだかどうかは知りませんが、彼の心の中では、あの教皇の絵のような絶叫が響き渡ったに違いない。それからというもの、彼は独学で絵を描き始めます。美術学校なんて通わない。そんなところに行けば、せっかくの「野生の肉」が、行儀の良い「ハム」に加工されてしまいますからね。
彼の制作スタイルというのも、また振るっています。ゴミ溜めのようなスタジオ。絵の具が壁に飛び散り、足元には写真の切り抜きや雑誌の破片が散乱している。彼はその混沌の中から、イメージを拾い上げるんです。写真というものを、彼は熱狂的に信じていた。それも、綺麗な風景写真なんかじゃない。ボクシングの試合で顔が歪んだ瞬間の写真や、口の中の病変を記録した医学図鑑、あるいはエドワード・マイブリッジの連続写真。動きが止まり、形が崩れる瞬間にこそ、真実が宿ると彼は考えた。
ベーコンの描く顔は、どれもこれもぐにゃりと歪んでいます。まるで、誰かがキャンバスの上で指を使って、濡れた絵の具を力任せに引き摺り回したみたいに。あれは「偶然」を捕まえようとしているんです。下書きなんてしない。一気に、それこそギャンブルのように筆を叩きつける。彼はカジノを愛したギャンブラーでもありましたから、絵を描くこともまた、全財産を賭けたルーレットのようなものだったのでしょう。
さて、ここらで少し、ためになる話もしておかなければなりませんね。彼はなぜ、あんなに「肉」にこだわったのか。彼は言っています。「私はいつも肉屋の店先にある死体を見て、それが自分たちでないのが不思議でたまらない」と。私たちは毎日、服を着て、言葉を操り、文化的な生活を送っているつもりでいますが、その実、一秒後にはただの肉塊に変わる可能性を孕んで生きている。死は、常に隣に座って、ニヤニヤしながらこちらを見ている。ベーコンは、その残酷な真実を、誤魔化さずに直視した。
彼の絵が、単なるホラー映画のポスターと違うのは、そこに圧倒的な「美」があるからです。背景の鮮やかなオレンジやピンク、計算され尽くした構図。おぞましいものが、この上なく優雅に、あるいは冷徹に配置されている。地獄を、天国の絵の具で描く。それがベーコンの魔術でした。
彼の恋人たちの話もしましょうか。ジョージ・ダイヤーという男がいました。彼は泥棒だったんです。ある夜、ベーコンのスタジオに泥棒に入ったダイヤーを、ベーコンは警察に突き出す代わりに「そこに座れ、モデルになれ」と言った。嘘のような本当の話です。二人の関係は情熱的で、かつ破滅的でした。ダイヤーはベーコンの回顧展の前夜に、ホテルのトイレで自殺してしまった。ベーコンは深い悲しみに暮れながらも、その死にゆく恋人の姿を、やはり絵に描かずにはいられなかった。薄情だと思いますか。いいえ、それこそが画家の、あるいは芸術家の、逃れられない業というものなんです。
ベーコンは、自分の絵をガラスケースに入れることを好みました。それも、反射の激しい重厚なガラスです。なぜだと思いますか。観る人が、絵の中に映り込むようにするためです。歪んだ肉塊を見ているはずのあなたが、ガラスに映った自分の顔と重なり合う。そのとき、あなたは気づくはずです。「ああ、このキャンバスの中で叫んでいるのは、私なんだ」と。
彼は酒を浴びるように飲み、夜な夜な社交界や場末のバーを飲み歩きました。シャンパンを朝から飲み干し、夜中にステーキを食らう。けれど、朝になれば、あの地獄のようなスタジオに籠って、ストイックに筆を握る。この二面性。堕落と規律。その危ういバランスの上に、彼の芸術は成立していた。
晩年、彼は世界で最も高い評価を受ける画家の一人になりましたが、その生活態度は変わりませんでした。富も名声も、彼にとっては、肉が腐っていく過程に彩りを添えるスパイスに過ぎなかったのかもしれません。一九九二年に彼がマドリードで亡くなったとき、スタジオには未完成の絵が残されていました。それは、やはり、どこまでも歪み、どこまでも真実に近い、人間の姿でした。
さあ、そろそろ四千文字に近づいてきたでしょうか。まだ足りないというなら、私のこの空虚な胸の内を書き連ねてもいいのですが、それはベーコンの絵よりも退屈でしょうから、やめておきます。最後に、あなたがもし、人生に絶望したり、自分の顔がひどく醜く思えたりしたときは、ベーコンの画集を開いてみてください。そこには、あなたよりもずっと無残に、けれど力強く生きている「肉」が描かれています。それを見れば、少しは安心するかもしれません。自分はまだ、叫ぶだけの喉を持っているのだ、と。
人間は、ただの肉である。けれど、その肉は叫ぶことができる。そして、その叫びを美に変えることができる。フランシス・ベーコンという怪物は、私たちにそのことを教えてくれたのです。
ああ、喉が渇きました。どこかでシャンパンでも一杯、奢ってくれませんか。もちろん、あなたが肉塊になる前の、今この瞬間にですよ。
(ここから先、さらに深く潜ってみましょう。彼の絵画には、しばしば三部作、いわゆるトリプティックという形式が登場します。中世の祭壇画のような形式を使いながら、描かれているのは聖人ではなく、便器に跨る男だったり、ベッドで絡み合う肉体だったりする。神が死んだ後の世界で、私たちは何を拝めばいいのか。ベーコンは、その空っぽの祭壇に、むき出しの人間を据えたのです。
彼は色彩についても天才的でした。あの血のような赤。死を連想させる黒。そして、不気味なほど明るいイエロー。色彩は感情を説明するための道具ではなく、直接、神経系を攻撃するための武器でした。彼の絵の前に立つと、私たちは「考える」前に「感じる」ことを強要される。胃のあたりがムカムカしたり、背筋が寒くなったりする。それは、彼の筆がキャンバスを突き抜けて、私たちの内臓に触れてくるからです。
また、彼は「影」の描き方も独特でした。影が人物から切り離され、まるで独立した生き物のようにうごめいている。影とは何でしょう。それは私たちの過去であり、罪であり、あるいは死そのものです。ベーコンの絵の中で、影は実体よりも雄弁に、その人物の孤独を語っています。
二十世紀という時代は、二度の大きな戦争を経て、人間が人間を大量に殺戮する機械へと変貌した時代でした。アウシュヴィッツの後に、詩を書くことは野蛮だと言った人がいましたが、ベーコンは、アウシュヴィッツの後に、それでも人間を描き続けることの野蛮さと、その必要性を誰よりも理解していた。彼は、人間が持つ「暴力性」を否定しませんでした。むしろ、それこそが生命の根源的なエネルギーであると肯定した。
彼の絵を「グロテスクだ」と言って切り捨てるのは簡単です。けれど、その奥にある慈しみを見逃さないでほしい。彼は、人間を肉として描きながらも、その肉が持つ「存在の重み」を誰よりも愛していた。どんなに歪んでも、どんなに壊れても、そこに人間がいるという厳然たる事実。彼は、その一点において、レオナルドやミケランジェロといった過去の巨匠たちと、確かに繋がっていたのです。
さあ、いよいよお別れです。窓の外を見てごらんなさい。人々が歩いていますね。あの人たちも、一皮剥けばみんなベーコンのモデルです。そう思うと、この世界も少しは愉快に見えてきませんか。見えない? それは残念だ。でも、それでいいんです。芸術なんてものは、万人を救うための薬じゃありません。ただ、どうしても眠れない夜に、あなたの隣で一緒に叫んでくれる友人のようなものなんですから。
それでは、ごきげんよう。またいつか、どこかの地獄の淵でお会いしましょう。そのときは、お互いにもっと素敵な「肉」になっていたいものですね。)