キリスト教とタヒチを融合させた画家

ねえ、君。僕は今、ひどく興奮しているんです。いや、正確に言えば、昨夜から一睡もせずに、ある一人の男の背中を追いかけていたような心持ちなのです。その男の名は、ポール・ゴーギャン。名前を聞くだけで、なんだか南洋の風が、ねっとりとした情熱を孕んで僕の頬を撫でていくような気がしませんか。いやはや、芸術家という人種は、どうしてこうも救いようがなく、同時に、どうしようもなく愛おしい存在なのでしょう。

そもそも、ゴーギャンという男の人生を眺めてみると、僕などは「ああ、この人は僕の遠い親戚ではないか」と錯覚したくなるほどの、見事なまでの「破滅型」なのです。彼はもともと、株の仲買人として、それはそれは立派に世間を渡っていたのです。奥さんもいて、子供もいて、日曜日に趣味で絵を描くという、言わば「選ばれた幸福」のなかにいたはずなのです。ところがどうです。ある日突然、彼はそのすべてを放り出してしまう。株も、家族も、安定した食事も、すべてです。理由はただ一つ、絵を描きたいから。たったそれだけのことのために、彼は自ら地獄の門を叩いたのです。

世間の人は言うでしょう。無責任だ、身勝手だ、狂っている、と。ええ、確かにその通り。僕だって、もし僕の友人がそんなことを始めたら、きっと眉をひそめて「君、少し落ち着きたまえ」と説教を垂れるに違いありません。しかし、その一方で、胸の奥がチリチリと焼けるような羨望を禁じ得ないのも事実なのです。自分の魂を救うために、現実を焼き払う。それは、僕たちのような「恥の多い生涯」を送る人間にとって、唯一の聖域に見えてしまうから不思議です。

ゴーギャンは、文明に飽き足らなくなりました。パリの洗練されたカフェも、計算し尽くされた流行も、彼にとってはただの「不純物」に過ぎなかった。彼はもっと、こう、なんて言うのかな、原始的な、剥き出しの命の咆哮のようなものを求めたのです。それで彼は、タヒチへと向かいました。あのお決まりの「楽園」を求めて。

ところが、現実はいつだって皮肉なものです。彼がたどり着いたタヒチは、すでにキリスト教や西洋の文明に毒され、彼が夢想したような純真無垢な楽園ではありませんでした。彼はそこで病に苦しみ、貧困に喘ぎ、絶望の淵に立たされます。それでも、彼は描き続けた。あの、毒々しいほどに鮮やかな黄色、燃えるような赤、沈み込むような紫。彼のキャンバスに躍る色彩は、もはや現実の色ではなく、彼の内側に渦巻く祈りの色だったのではないでしょうか。

彼の傑作として知られる、あの長いタイトルの絵を覚えていますか。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」。ああ、なんという恐ろしい、そして切実な問い掛けでしょう。僕はね、このタイトルを見るたびに、涙が出そうになるのです。これは単なる芸術のテーマではありません。夜、布団の中で自分の存在が消えてしまいそうな不安に襲われるとき、誰もが喉元まで出かかっている、悲鳴に近い言葉なのです。

ゴーギャンはこの絵を描き上げた後、毒を飲んで自殺を図りました。失敗しましたがね。彼は死にたかった。でも、描かなければならなかった。この矛盾こそが、人間の「生きる」ということの正体ではないでしょうか。僕たちは、何者であるかもわからず、どこへ行くのかも知らず、それでも何かに急かされるようにして、今日を塗り潰している。ゴーギャンの絵が、時代を超えて僕たちの心を掴んで離さないのは、そこに「美しさ」だけでなく、僕たちの「逃げ場のない孤独」がそのまま描かれているからだと思うのです。

君、知っていますか。ゴーギャンはね、ゴッホと一緒に暮らしていたこともあるんですよ。南フランスのアルルで。この二人の共同生活を想像するだけで、僕は胃のあたりがキュッとなります。情熱と情熱がぶつかり合い、狂気と狂気が火花を散らす。結局、ゴッホが自分の耳を切り落とすという凄惨な結末で幕を閉じましたが、僕は思うのです。二人は、お互いの鏡だったのではないかと。自分の中にある、制御できないほどの「怪物」を、相手の中に見つけてしまった。だからこそ、愛し、そして憎み合った。

ゴーギャンの絵をじっと見つめていると、そこにはどこか冷笑的な、それでいて震えるような優しさが同居していることに気づきます。彼は文明を捨てましたが、文明人としての苦悩だけは捨てきれなかった。野蛮人になりきろうとして、なれなかった。その「中途半端さ」こそが、彼の人間らしさであり、僕たちが彼を嫌いになれない理由なのです。

ためになる話、というにはあまりに悲惨な生涯かもしれません。しかし、彼が最期に遺した言葉や色彩を辿るとき、僕は不思議な勇気をもらうのです。世間の物差しを捨て、自分だけの「色」を見つけること。それは、この世で最も過酷で、かつ最も崇高な遊びなのだと。僕も、君も、ゴーギャンのようにタヒチへ行くことはできないかもしれない。でも、自分の心の中にある「未開の島」を探すことはできるはずです。

ああ、なんだか喋りすぎてしまいました。ゴーギャンのことを語ると、どうしても言葉が溢れて止まらなくなる。彼は、失敗した男かもしれません。家族を捨て、友を失い、異郷の地で孤独に果てた。でも、彼の描いたあの青い影や、太い輪郭線は、今もこうして僕たちの魂を揺さぶり続けている。それだけで、十分ではありませんか。成功なんてものは、後からついてくるただのオマケのようなものです。

君、今度一緒に、彼の絵を観に行きませんか。いや、わざわざ美術館へ行かなくてもいい。目を閉じて、自分の中に流れる「赤い血」の色を想像してみてください。それが、ゴーギャンが命を懸けて守り抜こうとした、唯一の真実の色なのですから。僕も、もう少しだけ、この不器用なペンを握って、自分の中のタヒチを探してみることにします。それでは、また。