
おや、あなた、そんなに目を丸くして私の顔を眺めたりして、一体どうしたというのです。よほど私の話しぶりが、どこかの誰かさんの真似事に聞こえたのではありませんか。いえ、言わなくても分かります。私には、あなたの心の底に溜まった澱のような疑念が、透き通る硝子細工の向こう側を見るように、実にはっきりと見えてしまうのですから。まあ、そう身構えないでください。私はただの、少しばかりお喋りが過ぎる友人。それも、あなたの退屈な午後に、一滴の香水のような潤いをもたらしたいと願っている、しがない案内人に過ぎないのです。
さて、今日という日は、どうにも空が青すぎて、人間が真面目に働くには少々、不向きな気配が漂っています。こういう日には、机の前に座って数字を数えたり、重苦しい哲学に耽ったりするのは、神様に対する冒涜というものです。それよりも、もっと軽やかに、もっと鮮やかに、それでいて私たちの魂を根底から震わせてくれるような、美しい「青」の話をしませんか。江戸の昔、この国に一人の風変わりな男がいました。その名を、鈴木其一と言います。
其一。なんと響きの良い名前ではありませんか。彼は酒井抱一という、それはそれは高貴で、おまけに洒落たお師匠様について絵を学んだ、いわば「江戸琳派」のサラブレッドなのです。けれど、この其一という男、ただの優等生で終わるような、つまらない魂の持ち主ではありませんでした。彼は師匠の雅な伝統を受け継ぎながら、その実、心の奥底には、私たち現代人にも通じるような、激しい狂気と、冷徹なまでの観察眼を隠し持っていたのです。
あなたがもし、彼の代表作である「朝顔図屏風」を目の当たりにしたなら、きっと言葉を失うに違いありません。それは、ただの朝顔の絵ではないのです。金色の背景という、この世の贅を尽くした虚無の海の中に、これでもかというほどに深い、どこまでも深い群青の朝顔が、まるで生き物のように、あるいは執念深い幽霊のように、のたうち回っているのです。
普通、朝顔と言えば、爽やかな朝の象徴ではありませんか。早起きした子供が竹の支柱に水をやる、あの健気で慎ましい風景。けれど其一の描く朝顔には、そんなお上品な情緒など、これっぽっちもありません。そこに描かれているのは、命の爆発です。あるいは、美という名の暴力と言ってもいい。青い花弁の一つ一つが、まるで叫びを上げているかのように見え、緑の蔓は、まるで獲物を締め上げようとする蛇のように、複雑に、そして緻密に絡み合っています。
私は時々、思うのです。其一はこの絵を描いている間、一体、どんな表情をしていたのだろうかと。おそらく、にこりとも笑ってはいなかったでしょう。彼はただ、一心不乱に、その青を塗り重ねていたはずです。この青は「ラピスラズリ」という宝石を砕いて作った贅沢な絵具なのですが、彼はそれを惜しげもなく使い、この世のものとは思えない色彩を創り出しました。
あなたは、自分の内側に、誰にも見せられないような激しい感情を隠し持ったことはありませんか。普段は澄ましてお洒落をして、世間並みの挨拶を交わしていても、夜、一人で布団に入った時、心のどこかで「自分は本当は、もっと凄まじい存在なのではないか」と、震えるような高揚感を覚えることはありませんか。其一の朝顔は、まさにその「隠された内面」が、金屏風という舞台の上で一斉にダンスを始めたようなものなのです。

彼の絵は、江戸という時代が終わりを迎えようとしていた、あの爛熟した空気感を孕んでいます。洗練され尽くした結果、美しさが毒に変わってしまう、あの瞬間。其一は、師匠である抱一が持っていた「粋」や「雅」という殻を、内側から食い破ってしまったのです。彼は本質的に、アヴァンギャルドな芸術家でした。
例えば、彼が描く植物の茎や葉を見てごらんなさい。そこには、自然界の法則を無視したような、奇妙な幾何学模様が潜んでいます。写実的であるようでいて、実は徹底的にデフォルメされている。その歪みこそが、見る者の不安を煽り、同時に抗いがたい魅力を放つのです。これこそが、其一という男の正体です。彼は世界をそのまま写すのではなく、自分の脳内にある「より真実な世界」を、無理やり現世に引き摺り下ろしてきたのです。
あなたは不思議に思いませんか。なぜ、これほどまでに激しい絵が、今もなお私たちの心を掴んで離さないのか。それは、其一が「美しさは、正気だけでは届かない場所にある」ということを知っていたからに他なりません。人間、あまりに真面目に生きすぎると、心の潤いが枯れて、カサカサの砂漠のようになってしまいます。けれど、其一の朝顔のような、あの過剰なまでの色彩と生命力に触れると、私たちの乾いた心には、一気に冷たい水が流れ込んでくるような心地がするのです。
彼はまた、非常に器用な男でもありました。鳥を描けば羽の毛一本一本までが呼吸しているようですし、川を描けば、その水の流れは、まるで凍りついた時間の断片のように結晶化しています。けれど、その器用さの裏側には、常にどこか冷ややかな視線がある。彼は、対象を慈しんで描くというよりは、対象を徹底的に分解し、再構築することに喜びを感じていたのではないか。私は、彼のそんな冷徹なプロフェッショナリズムに、激しい共感を覚えずにはいられないのです。
江戸時代の絵師というと、どこか職人気質で、古臭いイメージを持たれるかもしれませんが、其一に限っては、その感覚は驚くほどモダンです。もし彼が今の時代に生きていたなら、きっと最高に尖ったデザイナーか、あるいは人々を熱狂させる映画監督にでもなっていたことでしょう。彼は、見る者をどうやって驚かせ、どうやって自分の迷宮に引き摺り込むかを、完璧に計算していた確信犯なのです。
ああ、なんだか少し、喋りすぎて喉が渇いてしまいました。あなたは私の話を、呆れ半分、面白半分で聞いてくださっていますが、それだけで私は、今日という日をやり直した甲斐があったというものです。其一の朝顔が、なぜ青いのか。それは空の色を写したからではありません。それは、人間が最も純粋に「美しい」と叫びたい時に、心の奥底で燃え上がる炎の色が、実は青いからではないでしょうか。
赤い炎は、すぐに燃え尽きて灰になります。けれど、其一が描いたあの青い炎は、百年経っても、二百年経っても、少しも温度を下げることがありません。金色の砂漠の中で、永遠に咲き誇り、永遠に私たちを誘い続けているのです。あなたが次に美術館を訪れ、もし其一の名を見かけたら、どうか思い出してください。そこには、江戸の街で誰よりも孤独に、そして誰よりも奔放に、美の深淵を覗き込んだ男の魂が、今もなお鮮やかに息づいていることを。
どうです。少しは、其一という男に興味が湧いてきたでしょう。あなたのその瞳に、今、小さな青い朝顔が咲いたのが見えましたよ。それは錯覚かもしれませんし、私の願望かもしれませんが、どちらにせよ、世界がほんの少しだけ、先ほどよりも輝いて見えるようになったのなら、これ以上、嬉しいことはありません。
さあ、そろそろこの辺りで、長すぎる幕を引くことにしましょう。お喋りは、腹八分目で止めておくのが、江戸っ子の、いえ、大人の嗜みというものですから。あなたはあなたの道を、私は私の迷路を、それぞれに歩んでいきましょう。けれど、もしあなたが道端で、一輪の朝顔を見かけたら、その時はふっと、この奇妙な午後の話を思い出してくださいね。それでは、ごきげんよう。あなたの明日に、其一の青にも負けないほどの、鮮やかな驚きがありますように。
それにしても、其一という男は、実に罪作りな絵師です。彼を知ってしまったら、もう、ただの大人しい朝顔では満足できなくなってしまうのですから。美というものは、実に恐ろしい麻薬のようなものですね。あなたは、その毒を食らう覚悟ができていますか。私は、とっくの昔に諦めました。この美しき毒に浸されて、溺れていくことこそが、人生における唯一の、そして最高の贅沢なのですから。
ふふ、あなたのその、困ったような、それでいて少し楽しそうな顔。実に良い。やはり、其一の話をして正解でした。人間、たまには自分の許容量を超えた美しさに触れて、脳みそをひっくり返されるような経験をしなければ、本当の意味で生きているとは言えません。あなたは、今日、その一歩を踏み出したのです。おめでとう、と言わせてください。
もう、これ以上は何も言いません。言葉は、時として美しさを汚す汚れ役にしかなりませんから。静寂の中に、あの青い朝顔を浮かべてみてください。あなたの瞼の裏側に、今、金色の風が吹き抜けていったはずです。それこそが、其一があなたに贈った、時代を超えたラブレターなのです。さようなら。また、いつか、どこか、美しさが暴走する場所でお会いしましょう。
