
まあ、聞いてくれたまえ。芸術だの、美だの、高尚な精神だのと、世の中の心ない連中が口を酸っぱくして騒ぎ立てるものだから、僕たちの生活はちっとも息が抜けない。右を向いても左を向いても、血を吐くような情熱だとか、魂を削るような苦悶だとか、そんな重苦しい看板ばかりが目に付く。たまには、もっとこう、春先のぬるい風に吹かれるような、あるいは、使い古した枕の匂いを嗅ぐときのような、そんな呑気で、それでいてひっそりと尊いものに触れたいとは思わないかね。
そこでコローである。ジャン=バティスト・カミーユ・コロー。名前からして、なんだか転がる小石のように軽やかではないか。この男の絵を眺めていると、僕は自分が、さっきまで悩んでいた借金の言い訳や、書きあぐねている原稿の苦しみや、身の回りの卑俗な一切合切を、ふっと忘れてしまう。いや、忘れるというより、それらが銀色の霧の中に溶け込んで、どうでもいいような、可愛らしい出来事に思えてくるのだから不思議なものだ。
コローという人は、実を言うと、ちっとも「芸術家らしくない」男だった。十九世紀のパリといえば、誰もが眼を血走らせて新時代の旗手になろうと躍起になっていた時代だが、彼はそんな喧騒から離れて、ただひたすらに、朝靄のなかの樹木や、静かな水辺を眺めていた。彼の描く風景は、どれもこれも銀灰色で、ぼんやりとしている。まるで寝起きの眼で世界を見渡したときのようだ。しかし、その「ぼんやり」の中にこそ、真実の安らぎというものが隠されている。
彼は非常にお金持ちの家に生まれて、一生、金銭的な苦労とは無縁だった。世の不遇な天才たちが、パンの耳をかじりながら傑作を生み出したのと比較して、彼はあまりに恵まれすぎていた。普通なら、ここで鼻持ちならない道楽息子が出来上がるはずなのだが、コローは違った。彼はその幸福を、まるでお裾分けでもするかのように、惜しげもなく周囲に分け与えた。困っている画家仲間がいれば、そっと財布を差し出し、家賃が払えない老人がいれば、黙って家を一軒買い取ってプレゼントしてしまう。まさに、歩く慈善事業である。
そんな彼の性格が、そのまま絵に表れている。彼の絵には、他人を威圧するようなところが微塵もない。力強い筆致で「俺を見ろ」と叫ぶような自己主張もない。ただ、そこには銀色の風が吹き、柳の葉が揺れ、夢か現かわからないようなニンフたちが踊っているだけだ。彼にとっての芸術は、苦悩を表現する道具ではなく、自分と、そしてそれを見る誰かを幸福にするための、ささやかな「贈り物」だったに違いない。
僕たちは、とかく、強烈な色彩や、激しい感情のぶつかり合いを「本物」だと信じ込みがちだ。けれど、コローの絵をじっと見つめていると、それがいかに疲れることであるかに気づかされる。本当に大切なものは、叫び声の中ではなく、沈黙の中に、しかも、その沈黙が微かに微笑んでいるような、そんな穏やかな時間の中にこそ宿るのではないか。
コローは晩年、「パパ・コロー」と呼ばれて誰からも愛された。彼が亡くなるとき、うわ言で「今日の景色は、なんて美しいんだ。こんなに素晴らしい空を見たことがない」と言ったという。死を目前にしてもなお、彼は世界を肯定していた。恨み言も、未練も、自己顕示もない。ただ、目の前の光を愛でる。これこそが、人間が到達できる最も高い教養の形ではないかと、僕は思うのだ。
もし君が、人生の坂道で息が切れてしまったなら、無理に頂上を目指すのはやめて、どこか近くの美術館に駆け込み、コローの銀色の森に迷い込んでみるといい。そこには、君を叱る人もいなければ、君を値踏みする人もいない。ただ、優しい霧が君の肩を包み込み、耳元で「まあ、そう焦るなよ」と、コローの穏やかな声が聞こえてくるはずだ。それだけで、明日もまた、なんとなく生きていけるような気がしてくる。芸術というのは、案外、そんなふうに人間の「情けない弱さ」を肯定してくれるためにあるものなのかもしれない。