
おやおや、皆さん。芸術だの、高尚な精神だのと、あまりに眉間に皺を寄せて構えすぎちゃあ、いけません。もっと肩の力を抜いて、そこらの安酒でも煽りながら、一つ「絵画」という名の、とびきり洒落たペテンの話でもしようじゃありませんか。
今日、私がどうしてもお話ししたいのは、エドゥアール・マネという男についてです。十九世紀のパリに現れた、この驚くべき「不真面目な天才」は、実は現代の僕たちが生きるこの窮屈な世界を、たった一筆でぶち壊してくれた恩人なのですから。
まず、マネという男、これがまた嫌なほどお坊ちゃんなのですよ。法務省の高官の息子として生まれ、身なりはいつもパリの最新流行、ステッキを回して並木道を闊歩する、いわゆる「ダンディ」の極みでした。普通なら、そんな鼻持ちならない金持ちの道楽息子は、適当に綺麗な風景画でも描いて、サロンという権威の門を潜り、お偉方に褒められて一生を終えるはずです。ところが、この男の心臓には、どうにもこうにも、手に負えないほどの「いたずらっ子」が住み着いていたようです。
彼はある日、とんでもない爆弾をパリの街に放り込みました。それが有名な『草上の昼食』です。これがもう、当時の人々からすれば、腰を抜かすどころか、怒りで血圧が急上昇するような代物でした。何しろ、黒いフロックコートを着た紳士たちがピクニックをしている横で、真っ裸の女性が涼しい顔をして座っているのです。しかも、その女性は神話の女神でも何でもない、ただのパリの娘さんです。
「不謹慎だ!」「卑猥だ!」「描き方が雑だ!」と、世間は大騒ぎです。しかし、マネはどこ吹く風。彼は別に、エロチックな嫌がらせをしたかったわけじゃありません。彼はただ、ありのままの「今」を描きたかっただけなのです。それまでの絵画は、歴史やら神話やら、何やらもっともらしい「理由」がなければ、裸を描いちゃいけないという暗黙の了解がありました。マネは、そんな偽善を嘲笑ったのです。「なあ、みんな。本当は裸が見たいんだろう? だったら、理屈抜きで見ればいいじゃないか」と。
さらに彼が仕掛けた最大のいたずらは、その「描き方」にありました。それまでの名画といえば、まるで写真のように滑らかで、筆の跡など微塵も見せないのが常識でした。ところがマネの絵は、なんだかペタペタと平面的で、影のつけ方も強引です。遠近法なんて、どこへやら。お偉い先生方は「下手くそ」だと罵りましたが、これこそが歴史を変えた一撃でした。
マネは気づいてしまったのです。絵画とは、窓の向こうの世界を覗き見ることではなく、キャンバスという平らな布の上に、絵具を置く行為そのものであると。この「平面の発見」こそが、後のモネやルノワール、さらにはピカソへと繋がる、近代絵画の扉を蹴破った瞬間だったのです。マネがもし、空気を読んで優等生な絵を描いていたら、今の僕たちの世界はもっと退屈で、色彩のない場所になっていたに違いありません。
ここで一つ、僕たちのためになる教訓を。世の中には「これが正しい」「こうあるべきだ」という、目に見えない檻がたくさんあります。でも、マネのように、自分の瞳に映る「今」を信じて、少しばかりの勇気と、たっぷりのユーモアを持って、その檻にインクをぶっかけてやればいいのです。批判を恐れることはありません。マネが描いた『オランピア』だって、当時は「死体のような色だ」と叩かれましたが、今ではオルセー美術館で女王のように君臨しています。
結局のところ、真の芸術も、そして幸福な人生も、誰かの決めたルールに従うことではなく、自分の「違和感」を愛することから始まるのかもしれません。マネは、最高に贅沢な服を着て、最高に下品だと言われた絵を描きました。その矛盾こそが、人間というものの愛らしさではないでしょうか。
さあ、今夜は、マネの描いたあの『フォリー・ベルジェールのバー』の女給さんのように、少しばかり虚無的な、それでいてどこか挑発的な瞳で、自分だけの世界を見つめ直してみようじゃありませんか。人生なんて、マネの絵と同じで、近くで見ればただの絵具の塊ですが、少し離れて眺めてみれば、案外、鮮やかで美しいものですよ。