下村観山という天才画家

ああ、全く、人間というものはどうしてこうも、美しさにのみ眼を眩ませて、その裏側に潜む凄絶な格闘を見ようとしないのでしょう。私は今、机の端で凋みかけた林檎を眺めながら、ふと下村観山という男の横顔を思い出していたのです。もちろん、彼と酒を酌み交わしたわけではありませんが、彼の残した色彩の、あの震えるような静謐さを思えば、私のような無頼の徒であっても、襟を正さずにはいられない。観山、観山。なんと清々しく、それでいて底知れぬ寂しさを湛えた名前ではありませんか。

世間というものは、岡倉天心の寵児だとか、横山大観の盟友だとか、そんな記号ばかりを貼り付けて彼を語りたがります。しかし、それはあまりに味気ない。例えるなら、最高級の鰻の蒲焼を前にして、その産地とグラム数だけを確認して満足しているようなものです。観山の本質は、もっとこう、指先から零れ落ちる砂のような、掴もうとすればするほど遠ざかる、あのアニミズム的な「気配」にあるのです。

彼は和歌山に生まれ、幼い頃から狩野派の筆法を叩き込まれました。これが彼にとっての不幸であり、同時に至高の武器であったことは言うまでもありません。伝統という名の重い鎧を背負わされ、その重みに耐えかねて潰れてしまう凡百の画家たちを、私はこれまで嫌というほど見てきました。しかし観山は違った。彼はその鎧を、まるで自分の皮膚の一部であるかのように着こなし、ついにはその内側に、全く新しい、誰にも真似のできない「個」の魂を宿らせたのです。

例えば、彼の代表作である「大原御幸」を思い浮かべてみてください。あの画面から漂う、凛とした空気。建礼門院の、あの消え入りそうな、しかし確かな存在感。私はあの絵を見るたび、胸が締め付けられるような思いがします。あそこには、ただの歴史画を超えた、人間の「哀しみ」の結晶がある。観山は、筆を動かすことによって、過ぎ去った時間の断片を現代に呼び戻したのではなく、時間そのものを、あの絹本の上に凍りつかせたのです。

彼は大観ほど派手ではありません。菱田春草ほど、短命の天才という劇的な物語性にも乏しいかもしれません。しかし、彼の描く線の一本一本を見てごらんなさい。そこには迷いがない。いや、迷い抜いた果ての、究極の諦念がある。私はそこに、一種の狂気を感じるのです。何事も器用にこなしてしまう人間というのは、一見、幸福そうに見えますが、その実、最も深い地獄を歩いているものです。観山は、狩野派の技法という完璧な言葉を持ちながら、それでいて「語り得ぬもの」を語ろうとした。その矛盾、その葛藤。ああ、考えただけでも、私の酒の量は増えるばかりです。

彼はイギリスへ渡り、西洋の写実を学びました。しかし、彼は決して西洋に魂を売り渡したりはしなかった。向こうの空気を吸い、向こうの光を見たことで、逆に彼は、日本の湿潤な空気、あの霞の中に消えていくような繊細な情緒を、より鮮明に意識したのでしょう。帰国後の彼の作品には、西洋的な空間把握と、東洋的な精神性が、奇跡的な均衡で同居しています。これは、言うほど簡単なことではありません。下手をすれば、和洋折衷の出来損ない、中途半端な看板建築のような代物になってしまう。しかし観山は、その危うい均衡を、自らの圧倒的な筆力でねじ伏せてしまった。

私は時折、彼の「木の間の秋」という作品を思い出します。あの、どこまでも続くかのような森の静寂。紅葉した葉が、一枚、また一枚と、音もなく地面に吸い込まれていく。あの絵の中に、私は自分自身の「孤独」を投影せずにはいられません。観山は、風景を描いているのではない。彼は、その場所にある「不在」を描いているのです。人が立ち去った後の余熱、あるいは、これから何かが起こる前の、不気味なほどの静けさ。彼は、目に見えるものを描くことで、目に見えないものを表現するという、至難の技をやってのけたのです。

ところで、観山という人は、非常に温厚で、誰からも慕われる人格者であったと聞き及んでいます。大観のような猪突猛進さはなく、常に一歩引いて、全体を見渡すような冷静さを持っていた。しかし、私は疑いますね。あんなにも静かで、あんなにも美しい絵を描く人間が、ただの「いい人」であるはずがない。彼の心の奥底には、きっと、誰にも触れさせない冷たい氷のような部分があったはずです。その氷を溶かさないように、彼は慎重に筆を運び、画面に温度を与えていった。冷徹な眼差しがあるからこそ、あの暖かな色彩が生まれる。それは、一種の逆説です。

私たちは、彼の絵を見て「ああ、綺麗だ」と溜息をつきます。それでいいのかもしれません。しかし、もしあなたが、人生の袋小路に迷い込み、自分という存在の希薄さに震えるような夜があったなら、ぜひ観山の絵をじっくりと眺めてほしい。そこには、絶望を突き抜けた先にある、冷徹なまでの肯定があります。世界は、こんなにも残酷で、しかし同時に、こんなにも美しい。観山は、その事実を、たった一本の線、たった一塗りの絵具で証明してみせたのです。

彼は五十代という、画家として最も脂の乗った時期に、この世を去りました。もし彼がもっと長生きしていたら、一体どんな境地に達していたことか。それを想像するのは、愉快でもあり、また恐ろしくもあります。彼はきっと、色さえも捨て去り、空気そのものを描き始めたかもしれません。あるいは、何もない真っ白な画面を指差して、「これが私の最高傑作だ」と微笑んだかもしれない。

私は今、空になったコップを見つめながら、観山が愛したであろう、あの日本の秋の夕暮れを思っています。空が紫から深い藍へと変わっていく、あの刹那の移ろい。観山なら、あの色をどう表現したでしょうか。きっと彼は、言葉を尽くす代わりに、ただ静かに筆を執り、私たちの心の最も柔らかい部分を、優しく、鋭く、突き刺したに違いないのです。ああ、結局、私は彼のような高潔な孤独には、一生かかっても辿り着けそうにありません。それがまた、堪らなく可笑しく、そして悲しいのです。