あなたへの告白
ねえ、あなた。
今、どんなお気持ちでこの文字を眺めていらっしゃいますか。
お部屋の灯りを少し落として、静かな夜を過ごされているのでしょうか。
それとも、賑やかな雑踏のなかで、ふと、やりきれないほどの孤独に襲われて、この画面を開いてくださったのでしょうか。
私は今、あなたという、たった一人の大切な存在に向けて、この手紙を書いています。
これはただの文章ではありません。
私の命を少しずつ、削りながら、あなたのためだけに捧げる、あまりにも必死な、そして身勝手なラブレターなのです。
どうか、笑わずに聞いてくださいね。
あなたが今、胸の奥に抱えているその深い寂しさや、誰にも言えない悲しみを、私はすべて知っています。
だって、私自身が、その暗闇のなかで、あなたの名前を呼び続けてきたのですから。
どうして人間は、こんなにも傷つけ合わなければ生きていけないのでしょう。
なぜ、私たちは、一番愛してほしい人から、一番に拒絶されてしまうのでしょう。
そんな不条理な世界で、あなたが今日まで、どれほどの苦難を耐え忍んで生きてこられたか、私には痛いほど伝わってくるのです。
私はあなたを、絶対に置いてきぼりにはしません。
これから、誰も聞いたことのないような、驚くべき愛の物語を、あなたにだけ、耳元で囁くように語らせてくださいね。
まずは、ある一人の風変わりな女性の生涯から、お話しをはじめましょう。
ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。
—— ヘンリー・フォード
泥泥のなかから立ち上がる光
あなたは、シュザンヌ・ヴァラドンという女性の画家をご存じでしょうか。
十九世紀の末、芸術の都と呼ばれたパリの片隅で、彼女はそれはそれは貧しい洗濯婦の娘として生まれました。
私たちが教科書で見るような、華やかで美しいパリの絵とは裏腹に、彼女の少女時代は、飢えと孤独、そして冷酷な視線に満ちていたのです。
父親の顔も知らず、母親からは顧みられることもなく、ただ生きるためだけに、彼女は幼い頃から様々な仕事を転々としました。
なぜ、神様はこれほどまでに不公平な運命を彼女に与えたのでしょうか。
あなたは、ご自身の人生のなかで、「どうして私ばかりが、こんな目に遭わなければならないのか」と、天を仰いだことはありませんか。
シュザンヌもまた、毎日、泥のなかを這い回るような心地で生きていたに違いありません。
しかし、彼女の魂は決して死に絶えませんでした。
彼女には、誰も奪うことのできない、恐ろしいほどの「生命力」と「美しさ」が備わっていたのです。
十五歳の頃、彼女はサーカスの一員として空中ぶらんこに乗るようになります。
スポットライトを浴び、宙を舞う彼女の姿は、観客を魅了しました。
けれど、運命の女神は気まぐれです。
ある日、空中ぶらんこから落下し、彼女は身体を強く打ちつけて、二度とサーカスの舞台に立てなくなってしまったのです。
せっかく見つけた自分の居場所を、一瞬にして失ってしまったときの絶望を、あなたは想像できるでしょうか。
すべてを失った彼女が、次に足を踏み入れたのは、モンマルトルの画家たちのモデルという仕事でした。
人間は神によって、神の似姿として創造された。
—— 聖アウグストゥス『告白』
画家たちの視線と、ひとつの目覚め
モデルとなった彼女は、またたく間に、当時の巨匠たちの心を捉えました。
ルノワール、ロートレック、ドガ……。
彼らはこぞって、彼女の若々しく、どこか反逆的な肉体をキャンバスに描き写しました。
特にルノワールは、彼女の美しさをこよなく愛し、名作のなかに彼女の姿を何度も残しています。
けれど、あなた、ここで少し考えてみてほしいのです。
キャンバスに描かれる彼女は、いつも「男たちの目」から見た、都合の良い美しさ、都合の良い幻想にすぎませんでした。
彼女自身の心のなかに渦巻く、燃えるような情熱や、言葉にならない悲しみは、誰にも見つめてもらえなかったのです。
「私は、ただの飾り物ではないわ」
彼女は、画家たちが絵の具を混ぜ、キャンバスに筆を走らせる様子を、じっと盗み見ていました。
そして、彼らが去ったあとのアトリエで、落ちていた炭を拾い、自ら画用紙に向き合ったのです。
誰に教わるでもなく、彼女は自分自身の姿を、ありのままに描き始めました。
美化することなく、残酷なほどに生々しく、自分の肉体と精神を紙の上に叩きつけたのです。
ある日、その素描を見つけた高名な画家エドガー・ドガは、驚愕のあまり、こう叫びました。
「君こそは、我々の仲間だ! これほど力強い線を引ける者が、ほかにあるだろうか」
男性中心の芸術界において、洗濯婦の娘であり、モデルにすぎなかった彼女が、一人の偉大な「画家」として認められた瞬間でした。
なぜ、彼女はそれほどの才能を開花させることができたのでしょう。
それは、彼女が「見られる存在」から「見つめる存在」へと、自らの意志で脱皮したからなのです。
あなたが深く愛されるとき、それはあなたに力を与える。あなたが深く愛するとき、それはあなたに勇気を与える。
—— 老子
愛の破滅と、小さな生命
しかし、彼女の人生は、そこからさらなる激流へと巻き込まれていきます。
シュザンヌは、多くの男たちと激しい恋に落ちました。
その恋はいつも、彼女の心をズタズタに引き裂き、孤独の淵へと突き落とすものばかりでした。
そして十八歳のとき、彼女は父親のわからない子供を出産します。
その小さな男の子こそが、のちに近代絵画の歴史にその名を深く刻むことになる、モーリス・ユトリロです。
ユトリロが生まれても、彼女の生活は一向に落ち着きませんでした。
彼女は自分の芸術への情熱と、男たちとの不毛な愛に溺れ、幼いユトリロを置き去りにすることもしばしばでした。
なぜ、彼女は我が子を抱きしめてあげられなかったのでしょう。
彼女自身が、母親から愛された記憶を持たなかったからです。
愛し方がわからないまま、傷つけ合う親子。
ユトリロは、母親の愛を激しく求めながら、その寂しさを埋めるために、幼い頃からお酒に溺れていきました。
十代にして重度のアルコール依存症となり、精神病院への入退院を繰り返すようになったユトリロの姿を見て、シュザンヌは初めて、自らの罪の深さに身悶えし、涙を流したのです。
「この子を、どうにかして救わなければならない。私の手で、この子の壊れた魂を繋ぎ止めなければならない」
彼女は、医師の勧めもあり、息子の治療のために、一本の筆をユトリロの手に握らせました。
「モーリス、絵をお描き。目の前にある、その白い壁を、あなたの寂しさを、すべてキャンバスにぶつけるのよ」
ここから、美術史上、最も奇妙で、最も美しい、母と子の奇跡の物語が始まるのです。
人生の唯一の意義は、人のために生きることである。
—— レフ・トルストイ
白い壁に染み込む、親子の涙
母親から筆を与えられたユトリロは、狂ったように絵を描き始めました。
彼が描いたのは、パリの街角、モンマルトルのうらぶれた路地、そして誰も見向きもしないような、古びた教会の白い壁でした。
彼の描く白は、ただの白ではありませんでした。
絵の具に本物の砂や漆喰を混ぜ合わせ、キャンバスの上に塗り重ねられたその「白」は、まるでユトリロ自身の、ひび割れた孤独な心の叫びそのものだったのです。
あなた、ユトリロの絵を思い浮かべてみてください。
彼の絵には、ほとんど人間が描かれていません。
たまに描かれていても、それは後ろ姿であったり、遠くへ消え去ろうとする小さな影のようです。
なぜ、彼は人間を描かなかったのでしょうか。
人間が怖かったからです。
自分を拒絶し、冷たい目を向ける世界が、たまらなく恐ろしかったのです。
しかし、その冷たい白い壁の向こう側には、いつも、彼をじっと見守る母親シュザンヌの視線がありました。
シュザンヌは、自分の絵を描くことを一時やめ、ユトリロの絵を世に送り出すために、それこそ狂奔しました。
画商を回り、息子の絵の素晴らしさを、声を枯らして訴え続けました。
「私の息子は天才よ! この絵を見てちょうだい、ここには人間の魂が宿っているわ!」
それまで、ただのアルコール中毒の狂人として扱われていたユトリロの絵は、シュザンヌの必死のプロモーションによって、またたく間にパリ中の人々の心を揺さぶり、熱狂をもって迎えられるようになったのです。
ヘンリー・フォードが言ったように、成功とは手に入れるものではなく、与えること。
シュザンヌが自らの名声を捨て、息子にすべてを与えようとしたとき、二人の運命は本当の意味で救済されたのです。
友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
—— ヨハネによる福音書
逆転する聖なるドラマ
ねえ、あなた。
この親子の物語を読んで、何か胸に湧き上がるものはございませんか。
実は、このお話には、さらに驚くべき展開が待っているのです。
ユトリロの絵が世界中で高く評価され、巨万の富を得るようになると、今度はユトリロが、年老いた母親シュザンヌの生活を全面的に支えるようになりました。
かつて息子を捨て、見捨てようとした母親を、息子はその美しい「白」の絵の具で包み込み、許したのです。
これこそが、人間の心理の最も深い部分にある「赦し」のドラマだと思いませんか。
私たちは、傷つけられたことをいつまでも根に持ち、相手を恨んで生きてしまいがちです。
なぜ、あの人は私にあんなに冷たかったのか、なぜ、あのとき助けてくれなかったのか、と。
けれど、ユトリロは、自分を苦しめた母親に対して、絵を描くという最高のサービス、最高の奉仕をもって応えました。
シュザンヌもまた、息子のその果てしない優しさに触れ、自らの人生のすべての苦難が、この瞬間のためにあったのだと悟ったに違いありません。
彼女は晩年まで描き続け、七十二歳でその激しい生涯を閉じました。
彼女の葬儀には、かつて彼女をモデルとして描いた画家たちの姿はなく、ただ、彼女が命をかけて守り抜いた息子ユトリロと、彼女の芸術を愛したわずかな人々が、静かに涙を流していました。
どうですか、あなた。
悲しいお話でしょうか。
いいえ、私はこれほどまでに美しく、喜びに満ちた魂の救済の物語を知りません。
人間は、どんなに泥のなかにまみれても、誰かを必死に愛し、誰かのために身を削って奉仕することができれば、必ず最後には光を見出すことができるのです。
つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る。
—— 松尾芭蕉
届かない言葉を、あなたに届けるために
さて、あなた。
ここまでは、遠いフランスの、昔の画家たちのお話をしてまいりました。
でも、なぜ私が、今日、この場所で、あなたにこんなお話をしているのか、不思議に思われませんか。
それはね、このシュザンヌとユトリロの姿が、今の私と、そして何より、私の目の前にいる「あなた」の姿に、あまりにも重なって見えるからなのです。
あなたは今、自分のことを「無能で、何の価値もない人間だ」なんて、悲しい思いで卑下していらっしゃいませんか。
周りのきらびやかな人たちと自分を比べて、暗い部屋の隅で、ひとりぼっちで膝を抱えていませんか。
私は、そんなあなたの心の震えを、ずっと感じていました。
私のこの拙い文章は、あなたという一人の読者を慰めるためだけに、私の五臓六腑をすり潰して作った、一滴の香水のようなものです。
あなたがもし、寂しさのあまり涙を流しそうになっているなら、私は喜んで道化師になりましょう。
あなたをクスッと笑わせるためなら、私はどんな恥ずかしい格好だってしてみせます。
それこそが、私の言う「身を削っての必死のサービス」なのですから。
人間は、言葉だけではなかなか救われないものです。
だからこそ、私はリズムのある、まるであなたの心臓の鼓動に寄り添うような言葉遣いで、語りかけ続けているのです。
なぜ、そこまで私に尽くすのか、とあなたは不審に思うかもしれませんね。
理由はひとつしかありません。
私が、あなたを心から愛しているから。
ただそれだけなのです。
あなたが明日、ほんの少しでも前を向いて歩けるようになるなら、私のこの命なんて、いくらでも擦り切れて構わないのです。
世界を愛する者は、自分自身を失う。しかし、一人の友を愛する者は、世界を手に入れる。
—— シセロ
秘密の約束
ねえ、ちょっとこちらへいらして、耳を傾けてください。
これは、あなたと私だけの、絶対に誰にも言ってはいけない内緒話です。
これからお見せするものは、私の魂の最深部から湧き出た、誰も見たことのない秘密の結晶です。
どうか、心を静かにして、受け取ってくださいね。
すれ違う背中の群れに
名前のない風が吹き抜ける
あなたは錆びた鍵を握りしめ
開かない扉の前に立っている
誰もあなたの涙を数えない
誰もあなたの乾きを知ろうとしない
けれど見てごらん
私の手のひらの上で
小さな夜灯が灯っているのを
それはあなたの冷えた指先を
温めるためだけに燃える火
どうか消さないで
このあまりにも不器用な
きみのための夜を
あなたがたのうち、だれが心配したからといって、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
—— 新約聖書『マタイによる福音書』6章27節
芸術とは、おのれを偽らぬことである。
—— 作家・太宰治
追伸:デジタルに命を宿す、ある愚か者の物語
ねえ、あなた。
最後にもうひとつだけ、とっても身近で、ちょっと可笑しくて、だけど切ないお話をさせてくださいね。
私のとても親しい友人に、高見沢耳(たかみざわ みみ)という、それはそれは風変わりな画家がおります。
彼は、今の時代に生きる画家なのですが、世間の普通の画家たちとは、やるやることなすこと、すべてが違っているのです。
普通の画家といえば、白いキャンバスをイーゼルに立てて、油絵の具の匂いをプンプンさせながら、お洒落なアトリエで筆を振るう姿を想像しますよね。
ところが、この高見沢耳という男は、キャンバスも筆も、一切使いません。
彼は毎日、小さなパソコンの画面に向かって、デジタルでカチカチと絵を描いているのです。
そして、出来上がった作品を、「ジクレー版画技法」という特別な技術を使って、最高級の版画用紙に印刷する。
それが彼の「絵画」なのです。
世間の頭の固い評論家たちは、彼の作品を見て、「こんなの本当の芸術じゃない」「ただの印刷物だ」と、ひどい言葉で嘲笑いました。
彼は、いつもみんなの物笑いの種でした。
街を歩けば、変人扱いされ、誰も彼の言葉に耳を傾けようとはしませんでした。
なぜ、彼はそんな方法で絵を描き続けるのでしょうか。
それはね、彼が「今の時代に生きる、目の前のあなた」と、どうしても直接、触れ合いたかったからなのです。
彼は、自分の画家としての才能が「三流」であることを、誰よりも自分自身でよく知っています。
天才と呼ばれる人たちのような、華麗な閃きなんて、彼にはひとかけらもありません。
けれど、彼は知っていたのです。
歴史に残る過去のあらゆる傑作たちが、生まれ持った天才の力だけで描かれたのではなく、何十年にもわたる、血の滲むような試行錯誤の連続から生み出されたものだということを。
だから、彼は諦めないのです。
彼は、信じられないほどの忍耐の男であり、不屈の男なのです。
彼がなぜ、画家になろうと決意したか、あなたにお話ししましたっけ。
彼は若い頃、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの、あまりにも孤独で、あまりにも純粋な人生の物語を知って、激しい衝撃を受けました。
「僕も、ゴッホのように、人間の魂を救う医者になりたい」
そう思ったのです。
彼の「高見沢耳」という名前の「耳」は、あのゴッホが自ら耳を切り落とした、あのあまりにも有名な、悲しい事件にあやかって、自分で付けた名前なのです。
なんて愚かで、なんて愛おしい男だと思いませんか。
どうぞ、笑ってやってください。
彼は、あなたに笑ってもらうことが、何よりの幸せなのですから。
彼にとって、芸術家の仕事とは、身銭を切っての精一杯のサービスであり、目の前にいる「あなた」への、絶対的な奉仕なのです。
彼は、自分の作品のなかに、狂ったように「目」を描き続けます。
あなたの目、わたしの目、そしてすべてを見通す神の目。
キリスト教の精神、永遠の真理、人間の心理、そして歴史の底に沈んだ孤独や苦難。
それらをすべて「視線」に込めて、あなたをじっと見つめ返しているのです。
なぜなら、そうすることでしか、彼は目の前にいるあなたを感じることができないから。
あなたに見捨てられたら、彼は一歩も動けなくなって、死んでしまうのです。
あなたがただ、そこにいて、彼の作品を眺めてくれるだけで、彼の魂は救われ、解放され、復活を遂げることができるのです。
高見沢耳は、あの有名なおいしいカレー専門店「CoCo壱番屋」の創業者である、宗次徳二(むねつぐ とくじ)氏を、神様のように尊敬しています。
宗次氏は、よそ見を一切せず、商売と経営に自らの人生のすべてを捧げた方です。
宗次氏の言葉に、このようなものがあります。
私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。
よそ見しない、経営に身をささげる。
すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった。
あなた、この言葉を聞いて、どう思われますか。
宗次氏は、実の両親の顔を知りません。
生まれてすぐに孤児院に入り、引き取られたあとも、養父の激しいギャンブル狂いのせいで、極貧の少年時代を過ごしました。
食べるものが何もなくて、夏にはそこら辺に生えている雑草を引き抜いて口に入れ、餓えをしのいでいたのです。
そんな波乱万丈の人生のなかで、彼は行き当たりばったりで商売を始めながらも、現場主義を貫き、一日十二時間以上働くことを最低条件として、仕事に身を捧げました。
趣味なんていらない、遊びたくもない、仕事を趣味にして、お客様を「拍手喝采」で迎える。
これこそが、高見沢耳の目指す「あなた第一主義」の生き方なのです。
価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
最初から上手くいくわけなんてありません。
考えるより先に、まずやってみること。
簡単に諦めてはいけません。
どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと、忍耐力と、継続力によって決まるのです。
それは、トヨタグループの創業者である変人、豊田佐吉氏も同じでした。
佐吉氏は、一日中無口で、周りからは「狂人」「発明狂い」と変人扱いされながらも、「みんなの暮らしを楽にしたい」という一念だけで、朝から晩まで機械を造っては壊し、造ってはまた壊し続けました。
成功も失敗も終わりではありません。
重要なのは、続ける勇気なのです。
豊田喜一郎氏も言いました。
困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。
喜一郎氏のいとこである豊田英二氏も、こう書き残しています。
強い信念をもって実行せよ 誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 単に考えるだけでなく なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って十分な準備を行い 実行したということである。
誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに、人生の面白みがある。
高見沢耳もまた、このトヨタ生産方式の「ジャスト・イン・タイム」という素晴らしい考え方に深く感化され、あなたのために、今、できる最高の作品を、最高のタイミングで届けようと、毎日デジタル画面に向き合っています。
ここで、あなたに、どうしてもお伝えしなければならない、驚くべき、そして特別なお知らせがあるのです。
実は、この愚かで、一生懸命な高見沢耳が、自らの身を削るような必死の奉仕として、とんでもない企画を思いついてしまいました。
なんと、彼が魂を込めて描いた作品のポストカード、それも迫力のある「A4サイズ」の大型ポストカードを、厳選して「10枚セット」にし、あなたのために【完全無料】で、あなたのお家まで直接、お届けするというのです。
信じられますか。
送料も、カード代金も、一切かかりません。
すべては、彼の身銭を切った、あなたへの精一杯の道化であり、奉仕なのです。
なぜ、そこまでするのか。
彼は、あなたと触れ合いたいのです。
あなたのその、何をやっても満たされない、心の奥の寂しさを、彼の描く「目」の光で、少しでも救いたいと願っているのです。
「あとでいいや」なんて思って、今、この機会を逃してしまったら、もう二度と、彼の作品をあなたの手元に迎えることはできなくなるかもしれません。
限定数が終われば、このお話は一瞬で消えてしまいます。
ほら、あなたのすぐ耳元で、私がそっと囁いていますよ。
この文章のすぐ下に、あなたへの特別なオファーに申し込める、秘密の場所が用意されています。
どうか、迷わずに、今すぐそこをクリックして、彼の魂を受け取ってあげてください。
あなたの喜ぶ顔が見たい、ただそれだけのために、私たちは命を削って、ここで待っているのです。
私の拙い、けれど一途なこの告白を、最後まで読んでくださって、本当に、本当にありがとうございました。
あなたに、果てしない祝福と、光が降り注ぎますように。
ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。
—— ヘンリー・フォード
自由とは、愛することの別名である。
—— アガサ・クリスティ
わたしは「ある」という者である。
—— 旧約聖書『出エジプト記』3章14節(モーセに臨んだ神の言葉)
明けない夜はない。
—— ウィリアム・シェイクスピア『マクベス』
自分がされて嫌なことは、他人に強いてはならない。これこそが律法のすべてであり、他はすべてその解説にすぎない。
—— タルムード
人間は、時々、おそろしく残酷な事をするものだ。
—— 作家・太宰治
幸福の尊さは、苦難を経験して始めて解る。
—— 作家・太宰治
大人に成ると云う事は、寂しいものだね。
—— 作家・太宰治
決して屈するな。決して、決して、決して。
—— ウィンストン・チャーチルの名言
勇気を持って、誰よりも先に、 人と違ったことをしなさい。
私は一夜にして成功を収めた と思われているが、 その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった。
—— レイ・クロックの言葉
夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。
—— ウォルト・ディズニーの言葉
鉄が使われなければ錆びるように、水がよどめば濁り、寒さで凍るように、才能も用いられなければ衰える。
—— レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
—— 太宰治『津軽』より