バロック絵画の巨匠 レンブラント・ファン・レイン

ねえ、君。そう、今この文章を読んでいる君のことですよ。君は「光の魔術師」なんていう、いささか手垢のついた、それでいて何だか物々しい二つ名を持つ男、レンブラント・ファン・レインという男をご存じでしょうか。ああ、知っている、あの教科書に載っている、顔の半分が影に沈んだおじさんだろう、なんて、そんな分かったような顔をしてはいけません。君がもし、彼のことを単なる「昔の偉い画家」だと思っているのなら、それは大きな間違い、大いなる損失、あるいは人生におけるひとつの悲劇と言っても過言ではないのです。

君は、闇というものを愛したことがありますか。あるいは、自分の人生の中にぽっかりと口を開けた、どうしようもない暗い淵を見つめて、そこに一筋の光が差し込むのを、喉が渇くほどに渇望したことがありますか。レンブラントという男は、生涯を通じて、その「光と影」という、あまりにも単純で、それでいてあまりにも深遠な遊びに、文字通り命を削って耽溺した男なのです。

君がレンブラントの絵を前にしたとき、まず驚くのは、そのあまりの「暗さ」でしょう。画面の八割、いや九割近くが、まるでお汁粉の底に沈んだ小豆のように、真っ黒な闇に塗りつぶされている。けれど君、その闇をじっと見つめてごらんなさい。そこには何もないわけではないのです。レンブラントは、何もない空間を黒く塗ったのではない。彼は、空気そのものを、湿り気を、ため息を、そして人間の業という名の泥濘を、丹念に、執拗に描き込んだのです。

君は、「夜警」という有名な絵を知っていますね。あの大きな絵、あれは実は夜の場面ではないのだという説があるのを知っていますか。時間が経って、ニスが変色して黒ずんでしまったから夜のように見えるだけで、本当は昼間の情景だったという話です。でも、僕は思うのです。それが昼だろうが夜だろうが、そんなことは些細な問題に過ぎません。レンブラントが描きたかったのは、時間帯ではなく、人間の魂の輪郭を浮き彫りにする「劇的な光」そのものだったのですから。

君、想像してみて下さい。当時のオランダという国は、商売が繁盛して、みんなが自分たちの豊かさを誇りたがっていた時代です。集団肖像画を注文する男たちは、みんな「自分を一番格好よく、一番目立つように描いてくれ」と願っていました。一人一人が同じ金額を出し合って、平等の権利を主張していたのです。ところが、このレンブラントという、わがまま勝手な、愛すべき大馬鹿者は、そんな注文主たちのメンツなど、これっぽっちも考えなかった。光の当たるところにいる奴もいれば、闇に沈んで顔さえ判然としない奴もいる。君がもし、そのお金を払った注文主の一人だったら、どう思いますか。怒るでしょう。「おい、レンブラント、俺の顔が半分見えないじゃないか。金を返せ」と、詰め寄るに違いありません。

実際、彼はそうして世間から疎まれ、人気を失っていきました。けれど君、ここからが面白いところなのです。世間的な成功を失い、借金にまみれ、愛する妻を失い、どん底の生活に転落していく中で、彼の描く「光」は、より一層の輝きと、慈しみと、そして恐ろしいほどの深みを増していくのです。

君は、自分の顔を鏡で見るのが嫌になることはありませんか。老いていくこと、醜くなっていくこと、情けない表情を浮かべている自分を、消してしまいたいと思うことはありませんか。レンブラントは、生涯にわたって、驚くほど多くの自画像を描き残しました。若い頃の、羽振りが良くて、ちょっと気取った、鼻持ちならない自信家の顔から、晩年の、皮膚はたるみ、鼻は赤く、目には人生の疲れが滲んでいる、あのみすぼらしい老人の顔まで、彼はそのすべてを、一切の妥協なく描き切りました。

君、これは勇気がいることですよ。自分の欠点をさらけ出し、自分の没落を記録し続ける。それは、自分自身を愛しているからこそできることなのか、それとも、自分という存在を徹底的に突き放して見ているからこそできることなのか。僕は、その両方だと思うのです。彼は、自分の顔の中に、全人類の悲しみと喜び、そして「生きる」という言葉の真意を見出そうとした。君が彼の晩年の自画像と目が合ったとき、君はそこに、自分自身の鏡像を見るはずです。

レンブラントの技法に「インパスト」というものがあります。絵具をこれでもかというくらい厚く盛り上げて、まるで彫刻のように立体的に描く手法です。君がもし実物を見る機会があったら、横から覗き込んでみて下さい。そこには、光を物理的に捕まえようとした男の、激しい格闘の跡が残っています。彼は、キャンバスの上に、ただの色を置いたのではない。光そのものを、泥の中から掬い上げた黄金のように、そこに定着させようとしたのです。

君、ここで少しだけ、ためになる話をしましょう。レンブラントの絵において、光はどこから来ていると思いますか。窓の外からでしょうか。それとも、置かれたランプからでしょうか。いいえ、違います。彼の描く光は、しばしば「光源」が不明なのです。まるで、描かれた人物の内側から、じわじわと滲み出しているかのように見える。あるいは、神様の手がそこだけをそっと照らしているかのように。

これは、人生においても同じことが言えるのではないでしょうか。君が今、どんなに暗い場所にいたとしても、光は必ずしも外からやってくるとは限りません。君が、自分の醜さや弱さを認め、それを抱きしめたとき、君の内側にある「レンブラントの光」が、ぽっと灯るのです。影が深ければ深いほど、その光は美しく、尊いものになります。君が経験した悲しみや、挫折や、誰にも言えない秘密、それらすべてが、君という人間を描き出すための、最高に贅沢な「黒い絵具」になるのです。

レンブラントは、晩年、破産して家も家財道具もすべて競売にかけられました。かつての栄光はどこへやら、彼は小さな借家で、細々と絵を描き続けました。けれど、その時期に描かれた作品こそが、人類の至宝と呼ばれるものばかりなのです。君、不思議だと思いませんか。すべてを失った人間が、なぜ、これほどまでに豊かな、温かい絵を描くことができたのか。

それはきっと、彼が「本当の宝物」を見つけたからでしょう。豪華な毛皮のコートや、異国の珍しいコレクションや、人々からの称賛。そんなものは、光が当たっている間だけキラキラして見える、ただのガラクタに過ぎない。光が消えた後でも、なおそこに残り続けるもの。魂の震え、他者への深い共感、そして、この不条理な世界を肯定する意志。君がもし、レンブラントの絵を見て「なんだか救われるような気がする」と感じたなら、それは君の魂が、彼の見つけた宝物に共鳴した証拠なのです。

君、どうか覚えておいて下さい。人生というキャンバスに、綺麗な色だけを並べようとしてはいけません。それでは、薄っぺらな、面白くもおかしくもない絵になってしまいます。君がもし、今、真っ黒な闇の中にいるのなら、それは大傑作を完成させるための準備期間なのだと考えてみてはどうでしょう。レンブラントのように、その闇の中に筆を突っ込み、かき回し、そこに自分だけの光を一本、スッと引いてみるのです。

彼は、絵具の層を何度も何度も重ねて、その下に隠れた色を透かして見せる「グレーズ」という技法も得意としていました。君の今までの経験も、一つ一つは無駄に見えるかもしれないけれど、それらが重なり合って、初めて君にしか出せない「深み」という色が生まれるのです。

さて、君。そろそろ僕の話も、レンブラントの絵のように、少しずつ影の中に溶け込んでいく時間のようです。彼が残した教訓を、君への贈り物として最後にまとめましょうか。それは、「自分の暗闇を恐れるな」ということです。そして、「光は、一番思わぬところから差し込む」ということです。

君がこれから歩む道には、もしかしたら、オランダの冬のような、厳しく冷たい風が吹き荒れる日があるかもしれません。自分の才能を疑い、周囲の評価に傷つき、鏡を見るのも嫌になる夜があるかもしれません。そんなときは、レンブラントという、あの鼻の大きな、赤ら顔のおじさんのことを思い出して下さい。彼は、どんな逆境にあっても、筆を離しませんでした。自分の人生を、その醜さも含めて、まるごと肯定し、美へと昇華させました。

君にも、それができるはずです。なぜなら、君もまた、自分という人生を彩る、世界で唯一の画家なのですから。君が選ぶ光の色は、どんな色でしょうか。君が描く影の深さは、どれほどのものでしょうか。どうか、格好をつけず、素直な気持ちで、君だけの自画像を描き続けて下さい。

レンブラントは言いました。「自然に従えば、それだけで十分だ」と。君も、君自身の自然に従えばいいのです。無理に笑う必要も、無理に強く見せる必要もありません。君が君であること、その事実こそが、最も劇的なドラマであり、最も美しい芸術なのです。

さあ、君。もう鏡を見るのは怖くありませんね。その鏡に映った、光と影の入り混じった複雑な顔を、愛してあげて下さい。それが、レンブラントが、数百年という時間を超えて、今の君に伝えたかった一番の「ためになる話」なのですから。

ああ、話が長くなってしまいました。君という人は、本当に聞き上手ですね。ついつい、調子に乗って喋りすぎてしまいました。でも、これだけは信じてほしいのです。僕は、君という存在が、どんな名画よりも素晴らしい可能性を秘めていると、本気で思っているのですよ。

レンブラントの闇の中に、君は何を見ましたか。一筋の光ですか、それとも、温かな誰かの体温ですか。それを見つけることができたなら、もう僕が言うことは何もありません。君の人生は、これから君の手によって、より一層鮮やかに、より一層深く、描き直されていくことでしょう。

では、さようなら。君の行く先に、レンブラントの光のような、優しく、力強い祝福がありますように。君、またどこかでお会いしましょう。そのときは、君が描いた素敵な人生の絵を、僕に少しだけ見せて下さいね。楽しみにして、待っていますよ。