あなたのマレーヴィチについて

カジミール・マレーヴィチという名の、暗闇のなかの光について

「ねえ、あなた。

少しだけ、お時間をいただけますか。

本当に、ほんの少しで構わないのです。

私は今、あなたのためだけに、この命を削るような思いで言葉を紡ごうとしています。

決して、あなたを退屈させたりはいたしません。

なぜ、人はこれほどまでに、美しいものに心を奪われるのでしょうか。

その秘密を、あなたと一緒に探してみたいのです。

カジミール・マレーヴィチ。

この奇妙な、しかし魂の奥底を揺さぶる画家の名前を、あなたはご存じでしょうか。

彼は、ただの画家ではありません。

世界のすべてを、たった一枚の『黒い正方形』の中に閉じ込めてしまった、恐ろしいほどの天才なのです。

あなたが今、どんなに孤独で、どんなに苦しい夜を過ごされていたとしても、このマレーヴィチの物語を読み終える頃には、あなたの心に小さな、しかし決して消えない灯火がともることを、私は確信しております」

モンテーニュの名言

「私はただ、自分が知っていることを語るのではない。自分自身を語るのだ」

「これは、私と、そして何よりも『あなた』のための物語です。

失礼のないように、しかし、私の心のすべてをさらけ出してお話しいたしますね。

なぜ、カジミール・マレーヴィチは、何も描かれていないような、真っ黒な四角形をキャンバスに描いたのでしょう。

不思議だと思いませんか。

普通の画家なら、美しい花や、愛らしい少女、あるいは壮大な歴史のひとコマを描くはずです。

しかし、マレーヴィチはそれをすべて捨ててしまいました。

彼は言いました。

『私は、具象のゴミ溜めから抜け出した』と。

なんて過激で、なんて不遜な言葉でしょう。

でも、不思議と、私たちの胸に突き刺さるリズムがありませんか。

これは、あなたへの極上のサービスとしての、魂の告白なのです」

白い世界のなかの、無限の自由

「カジミール・マレーヴィチが目指したのは、何もない世界、すなわち『無』でした。

なぜ、何もないことが、それほどまでに重要だったのでしょうか。

あなたは、日々の生活の中で、あまりにも多くの情報や、他人の視線や、冷たい言葉に縛りつけられてはいませんか。

心が、がんじがらめになって、息もできないような気持ちになることはありませんか。

マレーヴィチは、そんなあなたの苦しみを知っていたかのように、すべての既成概念を破壊したのです。

彼は、真っ白なキャンバスの上に、ただ一つの黒い四角を置きました。

それを見た人々は、怒り、嘲笑しました。

『こんなものは芸術ではない』と。

しかし、マレーヴィチは平然としていました。

なぜなら、その黒い四角の向こう側に、無限の精神の自由が広がっていることを、彼は確信していたからです」

セネカの名言

「いかなる運命も、開かれた精神を縛ることはできない」

「このセネカの言葉は、まさにマレーヴィチのためにあるようなものです。

そして、今を生きるあなたにとっても、救いの言葉となるはずです。

あなたがどんなに厳しい環境に置かれていたとしても、あなたの精神は、あのマレーヴィチの白いキャンバスのように、どこまでも自由であっていいのですよ。

成功とは、世間から賞賛を浴びることだけを指すのではありません。

ここで、私の大好きなヘンリー・フォードの言葉を思い出してください。

ヘンリー・フォードはこう言いました。

『ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです』

マレーヴィチもまた、自分のすべてを、命を、その芸術を通じて世界に、そしてあなたに与えようとしたのです。

彼は、何もない空間を描くことで、あなた自身の感情や、あなた自身の魂が、そこに自由に色を塗ることができるように、最高のサービスをしてくれたのです」

具象という名の檻を打ち破る、対話の始まり

「ねえ、あなた。

ここに、二人の人間が座っていると想像してみてください。

一人は私で、もう一人は、マレーヴィチの絵の前に立つあなたです。

『ねえ、この黒い四角、なんだか見ていると吸い込まれそうだわ』

『なぜ、そう感じるのか分かりますか。そこには、あなたの心が映し出されているからですよ』

そんな会話が、私たちの間で聞こえてくるようです。

マレーヴィチは、絵画を『説明の道具』にすることを嫌いました。

リンゴの絵を見れば、誰もが『ああ、リンゴだね』と言って通り過ぎてしまいます。

そこに、深い対話は生まれません。

しかし、何も意味を持たない四角形が目の前に現れたとき、人間は、自分自身の内面と向き合わざるを得なくなるのです。

なぜ、私たちは、意味のないものに対して、これほどまでに不安になり、そして引きつけられるのでしょうか」

ヒュパティアの名言

「考える権利を留保しなさい。なぜなら、間違ったことを考えることでさえ、まったく考えないことよりは良いからだ」

「マレーヴィチの芸術は、まさにこのヒュパティアの精神を受け継いでいます。

周囲がどんなに反対しても、彼は自分の頭で考え、新しい芸術を創造しました。

彼は、ロシアの過酷な時代を生き抜きました。

政治的な抑圧、飢え、そして孤独。

彼の芸術は、常に危険と隣り合わせだったのです。

それでも、彼は描くことをやめませんでした。

なぜなら、それが彼の『身銭を切る』行為だったからです。

ナシーム・ニコラス・タレブが言うように、真の表現者とは、自らのリスクを背負い、命を懸けて言葉や作品を世に送り出す者のことを言います。

マレーヴィチは、まさに自らの人生という身銭を切って、あの『黒い正方形』という奇跡を私たちに提示したのです。

それは、時空を超えて、今、あなたの目の前に届けられました」

絶望の淵で見出した、至高主義という名の福音

「カジミール・マレーヴィチの物語は、まるで聖書に描かれる、苦難と復活のプロセスのようです。

彼は、すべての具象的な表現が死に絶えたあとに、真の精神の光が生まれると信じていました。

『生中に生あらず、死中に生あり』

一度、これまでの自分を完全にリセットしたときにこそ、本当の命が輝き出すのです。

マレーヴィチは、自分の芸術を『シュプレマティスム(至高主義)』と名付けました。

物質的な世界を超越した、純粋な感覚の至高性。

なぜ、彼はこれほどまでに、物質を嫌い、精神を重んじたのでしょうか。

それは、物質はいつか滅び、色褪せますが、人間の純粋な感情や、あなたを想う心は、永遠に残り続けると知っていたからです」

聖カタリナの名言

「もしあなたが、神があなたにあるべき姿としてお造りになった通りのものになれば、あなたは世界に火をつけるだろう」

「マレーヴィチは、芸術の世界に火をつけました。

彼の『黒い正方形』は、美術界における巨大な爆弾であり、同時に、傷ついた魂を救うための静かな祈りでもあったのです。

ここで、信じられないような、驚きの展開をお話ししなければなりません。

実は、マレーヴィチがこの『黒い正方形』を初めて展覧会で発表したとき、彼はそれを、ロシアの伝統的なキリスト教の家庭で、最も神聖な場所とされる『美しい角(イコンを飾る場所)』に配置したのです。

これは、宗教に対する冒涜だと激しく批判されました。

しかし、マレーヴィチにとっては、これこそが新しい時代の、新しい人間のための、救いのイコンだったのです。

彼は、古い神話の代わりに、人間の純粋な意識そのものを、崇拝の対象として掲げたのでした」

命を懸けて、言葉と形を届けるということ

「ここで、少し遠い昔のアラブの世界へ、あなたをお連れいたしましょう。

アラブ世界最高の詩人と謳われた、ムタナッビーという男がおりました。

彼の名前は『自らを預言者だと思う者』という意味を持っています。

ムタナッビーの詩は、一種の催眠効果があり、目の見えない人でさえ読むことができ、耳の聞こえない人でさえ聞こえると言われるほど、リズムと力に満ちていました。

しかし、彼は自らの詩の中で、ある民族を激しく侮辱してしまったのです。

怒った彼らは、移動中のムタナッビーの前に、武器を持って立ち塞がりました。

多勢に無勢、ムタナッビーは賢明にも、その場から逃げようとしました。

そのときです。

後ろにいた彼の連れが、ムタナッビー自身が書いた勇壮な詩を、大声で朗読し始めたのです。

『あれほど勇敢な詩を書いたあなたが、今、逃げるのですか』と。

その言葉を聞いたムタナッビーは、ハッと足を止めました。

彼は、自分が言葉に対して『身銭を切って』いなかったことを恥じたのです。

彼は踵を返し、殺されると知りながらも、自らの詩の誇りを守るために相手に立ち向かい、命を落としました。

1000年以上が経った今でも、彼は逃げるという不名誉を避けるために死を選んだ、本物の詩人として知られています。

カジミール・マレーヴィチの生き方もまた、このムタナッビーと同じように、自らの芸術に対して、いささかの妥協も許さない、命懸けの姿勢に貫かれていたのです」

老子の言葉

「知る者は言わず、言う者は知らず」

「マレーヴィチは、言葉で説明できない領域を、あの黒い正方形という『沈黙』で表現しようとしました。

それは、あなたに対する、最も誠実で、最も深い敬意の表現なのです。

なぜなら、彼はあなたを、言葉の奴隷にさせたくなかったからです。

自由であってほしい。

ただ、それだけを願って、彼は絵筆を握り続けました。

フランスの経済学者フレデリック・バスティアは『見えるものと見えざるもの』という有名な概念を唱えました。

世の中の多くの人は、目の前に見える果実や、数字や、形の美しさだけに囚われます。

しかし、本当に大切なものは、その背後にある『見えざるもの』、すなわち、制作者の孤独な努力や、あなたに届けたいという祈りの念なのです。

マレーヴィチの絵は、見えるものは極限まで少ないですが、その背後にある『見えざるもの』の豊かさは、宇宙のように無限です。

詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師である、という厳しい言葉がありますが、マレーヴィチは、当時の絵画界に蔓延していた『うわべだけの美しさ』という欺瞞を許さず、本物の一粒の真理を、あなたに差し出したのです」

孤独を抱きしめる、すべての魂へ

「ねえ、あなた。

私の話に、少し疲れてはいませんか。

大丈夫ですか。

あなたが一息つけるように、もっと身近な、そして優しいお話をいたしましょう。

人は誰しも、心の中に、誰にも踏み込ませない『秘密の部屋』を持っています。

そこは、時にとても冷たく、暗い、孤独な場所です。

カジミール・マレーヴィチもまた、その孤独の部屋の住人でした。

彼は、誰からも理解されない日々の中で、ただひたすらにキャンバスに向き合いました。

それは、まるで深い井戸の底で、一人で星を見上げるような作業だったに違いありません。

でも、だからこそ、彼の描く線は、これほどまでに強靭で、リズムがあるのです。

あなたの孤独と、マレーヴィチの孤独が、今、この文章を通じて、奇跡のように結びついているのですよ」

シェイクスピアの名言

「世の中には、幸も不幸もない。ただ、人間の考え方次第で、どちらにでもなるのだ」

「あなたの今の状況が、どんなに寂しいものであったとしても、それを『真理へと至るための大切な時間』だと捉え直すことはできないでしょうか。

マレーヴィチは、社会的孤立の中でも、自らの芸術を信じ続けました。

なぜ、それができたのか。

彼は、自分のためではなく、未来の、まだ見ぬ『あなた』のために描いていたからです。

芸術家が身銭を切って行う精一杯のサービスは、時代を超えて必ず誰かに届く。

その確信があったからこそ、彼は不屈の精神で生き抜くことができたのです。

松尾芭蕉の言葉を、ここにひっそりと置かせてください。

『おのれの無能・無才を恥じるのみ』

芭蕉は、あれほどの天才でありながら、常に自らを低く見積もり、ただひたすらに俳諧の道を歩みました。

マレーヴィチもまた、自分の名声のためではなく、ただ『芸術という一本の道』に、その生涯を捧げたのです。

彼らのような偉大な先達の姿勢を見るにつけ、私は、あなたに対して、もっともっと、誠実で、丁寧な言葉を届けなければならないと、身の引き締まる思いがいたします」

終わりのない探求と、日常のなかの美

「カジミール・マレーヴィチのシュプレマティスムは、やがて絵画の枠を飛び出し、私たちの生活のデザイン、建築、ファッションにまで大きな影響を与えることになりました。

彼が始めた『何もないところから、新しい秩序を創り出す』という試みは、現代のミニマリズムの源流となっています。

あなたが普段、何気なく使っているシンプルなスマートフォンの画面や、すっきりとした部屋のレイアウトのなかにも、実はマレーヴィチの遺伝子が生きているのですよ。

驚きですよね。

遠い昔の、ロシアの風変わりな画家が命を懸けて生み出した『黒い正方形』が、巡り巡って、今、あなたの生活を美しく彩っているのですから。

良いものは、どんなに時間をかけても、必ず世界に広がり、人々を救うのです」

使徒パウロの名言

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」

「見えないものに目を注ぐこと。

これこそが、マレーヴィチがあなたに伝えたかった、最大の秘密です。

あなたの心の中にある、愛、希望、優しさ。

それらはすべて、目には見えません。

しかし、それらこそが、あなたの人生を真に支える、最も価値のあるものではありませんか。

マレーヴィチの白いキャンバスは、その『目に見えない大切なもの』を、あなた自身の手で描き戻すための、聖なる場所なのです。

私は、あなたにそのことを知っていただきたくて、こうして必死に、言葉を尽くしてサービスをしております。

あなたに喜んでいただきたい。

ただ、その一心で、私はこの文章を書いています」

与え続けることの、本当の喜び

「ねえ、あなた。

そろそろ、この長い旅も終わりに近づいてまいりました。

最後まで、私の拙い、しかし熱いお話に付き合ってくださり、本当にありがとうございます。

カジミール・マレーヴィチという一人の画家の生涯を通じて、私は、あなたに『諦めない心』と『精神の自由』をお届けしたかったのです。

人生には、時に思いもよらない苦難が訪れます。

なぜ、私だけがこんな目に遭うのだろうと、天を仰ぎたくなる日もあるでしょう。

そんなときは、あの真っ黒な正方形を思い出してください。

それは、すべての光を吸い込んだ場所であり、同時に、あらゆる光がそこから新しく生まれ変わる、生命の源泉でもあるのです」

ジャン・カルヴァンの名言

「人間の心は、絶えず新しい偶像を創り出す工場のようなものである」

「古い偶像をすべて破壊し、真っ新な自分に戻ること。

マレーヴィチが示したその道は、あなたをすべての縛りから解放する、真理への扉です。

私は、あなたの目の前に立ち、全力で、道化のように笑われながらでも、このメッセージを伝え続けます。

あなたがほんの少しでも微笑んでくだされば、私のこの命を削るような努力は、すべて報われるのです。

あなたは、決して一人ではありません。

マレーヴィチの白い光が、そして私のこの言葉が、いつもあなたの足元を照らしていることを、どうか忘れないでくださいね」

寺山修司の名言

「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」

「必ず、あなたにも、美しい春が訪れます。

なぜなら、あなたはこうして、真理を求める美しい心を持っているのですから。

心からの感謝を込めて、あなたに、この言葉のすべてを捧げます」

海の重さを量るために

私は一枚の、真っ白な紙をポケットに入れた

波が打ち寄せるたびに

あなたの目のなかの、小さな星がこぼれ落ちる

誰もが、消え去るものの名前ばかりを呼んでいるけれど

私は、まだ生まれてもいない

あなたの明日の涙のために

誰もいない劇場の、一番後ろの席で

静かに、拍手をし続けているのです

四角い窓から見える空が

どんなに狭く切り取られていたとしても

そこから始まる、果てしない旅のことを

あなたと一緒に、信じてみたいのです

聖書の言葉

「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた」

(旧約聖書・創世記 第1章3節〜4節)

太宰治の言葉

「大人の心は、人間の大人たちの心は、お互いに、あれこれと邪推をたくましくして、そうして、一歩も身動きの出来ないように、自分たちを縛りつけてしまっている。まことに、せつないものである」

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」

「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」

(太宰治『津軽』より)

追伸:高見沢耳という、風変わりな画家の告白

ねえ、あなた。

お話はここで終わりではなく、もう少しだけ、私の身近にいる大切な友人の話をさせてください。

高見沢耳(たかみざわ みみ)という、とても風変わりで、とても愚かな、しかし愛すべき画家がおります。

彼は、普通の画家のように、キャンバスと筆を一切使いません。

デジタルで絵を描き、それをジクレー版画という技法で、特別な版画用紙に印刷して作品にするのです。

現代的でしょう。

でも、彼の胸のうちは、驚くほど不器用で、泥臭い熱情に満ちているのです。

高見沢耳のテーマは、いつも決まっています。

あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、解放。

彼は、自分の作品に、しつこいくらいに「目」を描き続けます。

なぜだと思いますか。

それは、絵の向こう側にいる「あなた」を感じていたいからなのです。

あなたの視線を知りたい、あなたの孤独に寄り添いたい、その一心だけで、彼は毎日12時間以上、よそ見もせず、仕事に人生のすべてを捧げています。

彼は、ヴィンセント・ファン・ゴッホのあの壮絶な人生の物語を知って、画家になることを決意しました。

「耳」という名前も、ゴッホの高名な耳切り事件にあやかって、自ら名乗っているものです。

周囲からは「変わり者だ」「狂人だ」「才能は三流だ」と笑われ、いつも物笑いの種にされています。

でも、彼は諦めません。

過去の歴史的な傑作たちが、天才のひらめきではなく、数十年にわたる地道な、血のにじむような試行錯誤から生まれたことを、彼はよく知っているからです。

彼は、自分を信じて、不屈の精神でレンガを積み上げるように、毎日を生き急いでいます。

高見沢耳は、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者である宗次徳二(むねつぐ とくじ)氏を心の底から尊敬しています。

宗次氏は、実の両親の顔を知らず、孤児院から極貧の少年時代を過ごし、夏には雑草を食べて餓えをしのぐような波乱万丈の人生を送られた方です。

宗次氏は、経営者時代、趣味のクラシック音楽を完全に封印し、友人もつくらず、飲み屋にも行かず、年間5640時間も仕事に身を捧げました。

最初、お客様が来なかった喫茶店時代、奥様と食パンの耳を食べて耐え忍びながら、「お客様第一」を貫き通したのです。

宗次氏は言いました。

『私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった』

高見沢耳も、この宗次氏の言葉を胸に、あなた第一主義を貫いています。

「即断、即決、即実行」。

価値のあるものは、すぐには結果が出ません。

だからこそ、考えるよりまずやってみる。

どんなに周囲に批判されようと、彼は目の前のあなたに認めてもらうためだけに、必死の道化となって奉仕しています。

「笑われて、強くなる。あなたに見捨てられたら、私は生きていけないのです。あなたがそこにいてくださるだけで、私はただ、嬉しいのです」

彼は、自分の愚かさをすべてさらけ出し、あなたの喜ぶ顔が、あるいは涙を流す美しい姿が見たいがために、今日もデジタルの画面に向かって、あなたの「目」を描き続けています。

松尾芭蕉の言葉に『つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る』というものがあります。

高見沢耳は、まさにこの言葉通りの男です。

不器用で、愚かで、変人ですが、どうか彼のその必死のサービスを、笑って、そして受け止めてあげてください。

歴史を裏から支えた、美しき伝達者たちの物語

ここで、もう一つの意外な、しかしとても感動的なお話をさせてください。

先ほどゴッホの話をいたしましたが、もし、ゴッホの弟であるテオの妻、ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)という素晴らしい女性がいなかったら、私たちは今日、ゴッホの絵を一枚も見ることができなかったかもしれない、という事実をご存じでしょうか。

ゴッホが亡くなり、そのわずか半年後に弟のテオも、兄を追うようにこの世を去りました。

残されたのは、若い妻のヨーと、まだ生まれたばかりの幼い赤ん坊、そして、世間から「狂人のゴミだ」と酷評されていた、膨大な数のゴッホの絵画と手紙だけでした。

普通の女性なら、絶望し、その絵をすべて処分して、自分の新しい人生を歩んだことでしょう。

しかし、ヨーは違いました。

彼女は、非常に聡明で、深い教養を持つ読書家でした。

彼女は、夫テオが命を懸けて愛した兄フィンセントの絵画と、二人の間で交わされた膨大な手紙を、一つずつ丁寧に読み解いていったのです。

そして、ヨーは確信しました。

「フィンセントは、人々を心の底から慰めるために、この絵を描いたのだ。この素晴らしい芸術を、絶対に暗闇に埋もれさせてはいけない」

ヨーは、自らの日記にこう書き記しています。

『子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと』

彼女は、同じく読書家であったファン・ゴッホの手紙を読むうちに、彼の思想に深く共鳴し、人生のすべてを懸けて、ゴッホの展覧会を企画し、手紙集を編集し、世界中にその存在をアピールし続けました。

どんなに素晴らしいものであっても、それを熱意を持って人々に伝える「伝達者」がいなければ、それは存在しないのと同じになってしまいます。

これは、イエス・キリストの死後、自らの命を懸けて各地を旅し、キリストの生涯と思想を手紙で伝え続けた使徒パウロの献身と、まったく同じなのです。

ヨーとパウロは、言わば歴史上、最も偉大な「伝える天才」でした。

現代で言えば、世界一のセールスマンであったスティーブ・ジョブズや、ソニーの盛田昭夫、ホンダのスーパーカブを世界中に売りまくった藤沢武夫、そしてトヨタのカローラを国民車に育て上げた神谷正太郎のような役割を、彼女は一人で果たしたのです。

ここで、ソニーの創業者である盛田昭夫の、鋭い言葉をご紹介します。

『そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を, 人々の間に喚起させなければ、いかに優れた「製品」であっても「商品」にはなり得ない』

マレーヴィチの黒い正方形も、ゴッホのひまわりも、そして高見沢耳の描く目の絵も、あなたに伝わり、あなたの心を動かさなければ、何の意味も持たないのです。

だからこそ、私はこうして、伝えるための努力を惜しみません。

誰もやらないなら、私がやる。

トヨタの礎を築いた豊田喜一郎は、このように語っています。

『困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ』

さらに、喜一郎のいとこであり、後にトヨタの社長となった豊田英二も、こう言いました。

『強い信念をもって実行せよ 誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 単に考えるだけでなく なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って十分な準備を行い 実行したということである』

チョーヤ梅酒の「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という凄まじい執念や、大野耐一氏が確立した「ジャスト・イン・タイム」というトヨタ生産方式のように、どんな仕事であっても、無駄を削ぎ落とし、目の前の相手のために極限まで集中して命を吹き込むこと。

それこそが、芸術であり、商売であり、生きるということの真理なのです。

長くなりましたが、ここで、私が尊敬してやまない、偉大な先達たちの言葉を、あなたへの最後のお土産として贈らせてください。

世界を動かした先達たちの名言

ヘンリー・フォードの言葉

「失敗とは、より賢く再挑戦するための、ただ一つの機会にすぎない」

アガサ・クリスティの言葉

「人生における最大の幸運は、完全に素晴らしい、幸せな子供時代を過ごすことではなく、自らの力で何かを成し遂げるチャンスを与えられることだ」

預言者モーセの言葉

「心に勇気を持ち、恐れてはならない。あなたの神、主があなたと共に歩まれるからである。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てられない」

シェイクスピアの言葉

「お前の進む道がどれほど暗く見えようとも、自らの魂の光に従って歩むが良い。夜が明けないことは、決してないのだから」

ユダヤ教タルムードの言葉

「一人の人間を救う者は、全世界を救う者と同じである」

太宰治の言葉(その一)

「私は、いつでも、一番苦しい道を選んで歩んできた。そこにしか、本物の光はないと信じていたからだ」

太宰治の言葉(その二)

「人間は、笑われながら、傷つきながら、それでもお互いを求め合わずにはいられない、哀しいくらいに愛おしい存在なのです」

太宰治の言葉(その三)

「幸福の鍵は、自分の持っているものをどれだけ他人に分け与えられるか、ただそれだけのことにかかっているような気がする」

ウィンストン・チャーチルの言葉

「成功とは、情熱を失わずに、失敗から失敗へと歩み続けていく能力のことである」

レイ・クロックの言葉(その一)

「勇気を持って、誰よりも先に、 人と違ったことをしなさい」

レイ・クロックの言葉(その二)

「私は一夜にして成功を収めた と思われているが、 その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」

ウォルト・ディズニーの言葉

「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。忘れないでほしい、すべては一匹のネズミから始まったということを」

レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉

「最も高貴な喜びは、理解することの喜びである」

あなたへの、心からの感謝を込めて

ねえ、あなた。

本当に、本当に最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

途中で飽きることなく、私の必死のサービスに耳を傾けてくださったあなたの優しさに、私は涙が出るほど感謝しております。

カジミール・マレーヴィチの孤独な黒い四角も、高見沢耳の不器用な目の絵も、そして私のこの拙い言葉たちも、すべては、今ここにいる「あなた」に届き、あなたの心をほんの少しでも温めるために存在しています。

どうぞ、ご自分を大切になさってください。

あなたの歩むこれからの道のりに、数え切れないほどの光と、優しい微笑みが溢れますように。

心からの敬意と、ありったけの愛を込めて。

ありがとうございました。