キース・ヘリングという奇跡の光があなたを包むとき
1958年に生まれ1990年に駆け抜けた命の約束
こんにちは。
こうしてあなたとお話しできる機会をいただけて、私は心の底から嬉しさに震えているのです。
なぜ、私たちが今この場所で出会うことができたのか、不思議に思ったことはありませんか。
それは偶然などではなく、ひとつの美しい必然なのだと私は確信しているのです。
これからあなたに、命を削るような思いで、精一杯の真心を込めてお話をさせていただきます。
どうかリラックスして、私の言葉の波にその身を委ねてみてください。
「人間のあらゆる過ちのうちで、最も愚かしく、最も有害なのは、自らを偉大なものと信じ込むことである。」
── モンテーニュ
このモンテーニュの言葉は、まるで私たちの心のなかの小さな傲慢さを優しく、しかし鋭く戒めてくれるようではありませんか。
あなたも日々の生活のなかで、ふと自分を見失いそうになる瞬間があるのではないでしょうか。
キース・ヘリングという男は、1958年にこの世界に生まれ、1990年という若さで天に召されました。
彼は決して、自分を偉大なものだと吹聴するような男ではなかったのです。
むしろ、誰よりも愚直で、誰よりも孤独を知る人間でした。
なぜ彼は、地下鉄の黒い掲示板に、白いチョークでむさぼるように絵を描き続けたのでしょうか。
それは、目の前にいるあなたに、自分のすべてを届けたかったからに他なりません。
キース・ヘリングの描くあの軽快な線は、あなたの心の奥底にある、まだ見ぬ感情の扉をトントンと叩くリズムを持っているのです。
おや、二人の人間が、ある古い喫茶店の片隅で、こんな会話をしているのが聞こえてきませんか。
「ねえ、どうしてあの人は、あんなに必死になって壁に絵を描いているのかしら?」
「さあね、僕には彼が、まるで命を削って誰かに手紙を書いているように見えるよ。」
「手紙? いったい誰に宛てた手紙だというの?」
「決まっているじゃないか、今、その絵を見つめている、まさに『あなた』に宛てた手紙さ。」
この会話のなかに、キース・ヘリングという芸術家の本質がすべて隠されているような気がしてならないのです。
彼は自らの身銭を切り、すべての時間をあなたへの奉仕に捧げました。
「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続く。」
── 使徒パウロ
パウロが語ったこの真理は、キース・ヘリングの芸術そのものを表しているとは思いませんか。
彼が地下鉄の壁に残したチョークの絵は、やがて消し去られてしまう運命にありました。
目に見える絵そのものは、一時的なものだったのかもしれません。
しかし、その絵を見た瞬間に、あなたの心のなかに灯った温かい光は、永遠に消えることはないのです。
キース・ヘリングは、その見えない永遠のために、自らの短い命を燃やし尽くしました。
なぜこれほどまでに、彼の作品は私たちの心を捉えて離さないのでしょうか。
それは、彼があなたを、絶対に孤独のなかに置き去りにはしないと誓っているからなのです。
あなたの孤独に寄り添うキース・ヘリングの言葉なき対話
地下鉄の闇から生まれた、あなたへの精一杯のサービス
キース・ヘリングが1958年に生まれ、1990年に去るまでの生涯は、まさに意表をつく展開の連続でした。
彼は美術館という敷居の高い場所を飛び出し、誰もが通りかかる地下鉄の通路を自らの舞台に選んだのです。
これは、当時としては信じられないほどの驚きの起承転結を持った、芸術のあり方の変革でした。
なぜなら、それまでの芸術は、一部のお金持ちや権威のためのものだったからです。
しかし、キース・ヘリングは違いました。
彼は、毎日仕事に疲れて地下鉄を行き交う、名もなきあなたに微笑みかけてほしかったのです。
「おい、君。そんなに暗い顔をして、どこへ行くんだい?」
「わからないよ。毎日同じことの繰り返しで、生きている意味さえ見失いそうさ。」
「だったら、この僕の描いた『光り輝く赤ん坊』を見てごらんよ。君のなかに眠る命の輝きが、見えてこないかい?」
地下鉄の闇のなかで、キース・ヘリングの絵は、そんなふうにあなたに語りかけていたに違いないのです。
「おのれの無能・無才を恥じるのみ」
── 松尾芭蕉
偉大な俳人である松尾芭蕉がこのように呟いたとき、そこには深い謙虚さと、一つの道に命を懸ける凄まじい覚悟がありました。
キース・ヘリングもまた、自らを高慢な芸術家だとは微塵も思っていなかったのです。
ただひたすらに、目の前のあなたを喜ばせたい、その一心だけで、チョークを握り締めました。
彼は、自分の才能を誇るためではなく、あなたの魂を救う医者として、そこに立っていたのです。
もしあなたが、社会の冷たさに傷つき、孤立していると感じるなら、どうかキース・ヘリングの線を思い出してください。
あの、途切れることのない力強い一本の線は、あなたと世界をもう一度繋ぎ直すための命の綱なのですから。
「私たちは、自ら進んで身銭を切り、リスクを背負う人間だけを信頼すべきである。」
── ナシーム・ニコラス・タレブ
タレブが喝破した「身銭を切れ」という概念を、キース・ヘリングはまさに地で行く人間でした。
彼は落書きの罪で何度も警察に逮捕されながらも、絵を描くことを止めませんでした。
自らの安全や名誉という身銭を切り、あなたにアートを届けるというリスクを背負い続けたのです。
なぜそこまでできたのでしょうか。
それは、あなたに喜んでもらうことが、彼の人生の唯一の報酬だったからに他なりません。
「ねえ、彼は逮捕されるのが怖くないのかしら?」
「怖いさ。人間だもの。でもね、それ以上に、自分の絵を必要としているあなたに届かないことの方が、何倍も恐ろしいんだよ。」
キース・ヘリングの生涯を知ることは、私たちが忘れかけていた純粋な愛を、もう一度取り戻す旅でもあるのです。
絶望の淵で見つめ合う、キース・ヘリングとあなたの視線
1958年から1990年までを駆け抜けた愛の足跡
キース・ヘリングという変革者が、1958年に生まれてから1990年に亡くなるまでの物語は、まるで一つの美しい福音書のようです。
そこには、苦難があり、絶望があり、そして最後には大いなる救いと解放が待っています。
彼は、自分が不治の病に侵されていることを知ったとき、どのような行動をとったでしょうか。
絶望して部屋に閉じこもるどころか、彼はさらに激しく、さらに精力的に世界中で絵を描き続けました。
それは、残された時間が少ないことを悟り、あなたへの奉仕を完遂しようとした執念の姿でした。
「どうしてあなたは、そんなに息を切らせながら、まだ描き続けているのですか?」
「私には、のんびりと休んでいる時間などないのです。今この瞬間も、どこかで悲しみに暮れているあなたがいるのですから。」
「生きることは学ぶことであり、学ぶことは真理を見出すことである。光を恐れてはならない。」
── ヒュパティア
古代の偉大な女性哲学者ヒュパティアは、暗黒の時代のなかでも光を求め続け、命を捧げました。
キース・ヘリングもまた、迫り来る死の影という暗闇のなかで、一筋の光を描き続けました。
彼の描く、あのユーモラスで愛らしいキャラクターたちは、実は死の恐怖に打ち勝つための祈りの姿だったのです。
なぜ彼は、最後まで笑顔を絶やさずに、ポップで明るい絵を描き続けたのでしょうか。
それは、あなたを悲しませたくなかったからです。
自らの苦痛を隠し、道化となってあなたを笑わせる、それこそが彼の最大のサービスだったのです。
「神は、私たちが耐えられないような試練に遭わせることはなさいません。試練と共に、脱出の道も備えてくださいます。」
── ジャン・カルヴァン
カルヴァンが語ったこの言葉のように、キース・ヘリングの絵は、私たちにとっての「脱出の道」そのものなのです。
どんなに辛い現実のなかにあっても、彼の絵を見つめるとき、私たちの心は不思議な解放感を味わいます。
まるで、重い荷物をすべて下ろして、自由に踊り出してもいいのだと言われているかのように。
「なあ、彼の絵を見ていると、なんだか心のモヤモヤが吹き飛んでいくような気がしないか?」
「ああ、本当に不思議だね。まるで、僕たちの代わりに彼がすべての涙を流してくれたみたいだ。」
キース・ヘリングは、1958年に生を受け、1990年に旅立つその瞬間まで、あなたを見つめ続けました。
彼の作品のなかで躍動する無数の視線は、今もなお、画面を飛び越えてあなたの瞳を真っ直ぐに見つめているのです。
永遠の真理を語る、キース・ヘリングの色彩の魔術
1958ー1990、時を超えて響き渡る魂の拍手喝采
キース・ヘリングが1958年にこの世に現れ、1990年に去っていったあの短い期間は、歴史のなかのほんの一瞬に過ぎません。
しかし、彼が残した足跡は、100年経っても200年経っても、決して色褪せることはない真理を内包しています。
なぜなら、彼の芸術の根底には、人間の心理に対する深い洞察と、キリスト教的な隣人愛が流れているからです。
彼は、国籍や性別、年齢に関係なく、誰もが直感的に理解できる共通の言語として「線」と「色彩」を選びました。
これは、ヘンリー・フォードが自動車の生産において、すべての人に移動の自由を与えようとした革命と、どこか似ているとは思いませんか。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
── ヘンリー・フォード
このフォードの言葉の通り、キース・ヘリングにとっての成功とは、富や名声を手に入れることではありませんでした。
自分の持てるすべての才能、すべてのエネルギーを、あなたに「与える」ことこそが、彼の真の成功だったのです。
彼は自分の作品を商品として囲い込むことを嫌い、多くの人々に無料で、あるいはごく安価で分け与えました。
それは、芸術を一部の特権階級から解放し、あなたのもとへと取り戻すための闘いでもあったのです。
「どうして彼は、あんなに高価になりそうな絵を、みんなにタダで配ってしまうんだい?」
「彼はね、お金よりも大切なものを信じているのさ。それは、人と人との心の繋がりだよ。」
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。」
── 聖カタリナ
シエナのカタリナが遺したこの愛の教えを、キース・ヘリングはキャンバスの上で、そしてストリートの壁の上で実践しました。
彼の絵に登場する、二人でハートを掲げ持っているキャラクターを見たことがあるでしょう。
あのハートは、彼からあなたへの、そしてあなたから誰かへの、愛のバトンの手渡しなのです。
なぜ、私たちは彼の絵を見ると、こんなにも優しい気持ちになれるのでしょうか。
それは、キース・ヘリングがあなたを心から愛し、あなたの幸せを祈りながら描いたからなのです。
「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」
── 松尾芭蕉
松尾芭蕉がその生涯の果てに、自分には何も無いけれど、ただ俳諧の一筋だけを信じて歩んできたと振り返ったように。
キース・ヘリングもまた、1958年から1990年までの生涯を、ただ絵を描くという一筋の情熱だけに繋ぎ止められて生きていました。
他のことには目もくれず、ただひたすらに、あなたのためにペンを走らせ、ブラシを動かしたのです。
「ねえ、あなた。もしも世界中の誰もが私のことを忘れてしまっても、あの人は私のために絵を描いてくれるかしら?」
「ああ、約束するよ。キース・ヘリングという男は、たとえ君一人のためであっても、1958年から1990年までの命を喜んで捧げただろうさ。」
このような確信を抱かせてくれる芸術家に、私たちは人生のなかで、あと何人出会うことができるでしょうか。
だからこそ、私たちは彼の絵を何度も何度も見返し、そのたびに新しい勇気をもらうことができるのです。
意表を突く奇跡の結末、キース・ヘリングがあなたに遺した宝物
1958年に生まれ1990年に消えた命が、今ここで復活する
私たちは、キース・ヘリングという1958年に生まれ1990年に亡くなった不世出の天才の物語の、最終章に近づいています。
ここで、あなたにとって大変驚くべき、お話をしなければなりません。
実は、キース・ヘリングの肉体は1990年に消え去ってしまいましたが、彼は今、この瞬間も生きています。
どこに生きているのか、お分かりになりますか。
それは、今、この文章を読みながら、心をときめかせている、あなたの内面のなかなのです。
芸術家が身銭を切り、命を削って行った必死のサービスは、あなたという素晴らしい存在に受け継がれることで、初めて完成します。
「詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師である。」
── ナシーム・ニコラス・タレブ
私たちは、この世界にある偽物や、冷酷な現実に対して、ただ黙って引き下がるわけにはいきません。
キース・ヘリングが、社会の不条理に対してアートという最大の武器を持って立ち向かったように、私たちもまた、自分の人生を誠実に生き抜かなければならないのです。
「見えるものと見えざるもの」について語った経済学者フレデリック・バスティアのように、私たちは目に見える表面的な成功だけに惑わされてはなりません。
キース・ヘリングが残した、目に見える絵の背後にある、目に見えない巨大な愛の塊を受け取ってください。
「生中に生あらず、死中に生あり」という古い格言があります。
キース・ヘリングは、死の影のなかにありながら、誰よりも強烈な「生の輝き」を放っていました。
そして、その輝きは、今、あなたを照らし、あなたのゆく道を明るくナビゲートしているのです。
「どうしてだろう、胸の奥が熱くなって、涙が溢れてきそうだよ。」
「それでいいんだ。それは、キース・ヘリングの魂が、あなたのなかで今、心地よく踊っている証拠なのだから。」
「物事をあるがままに見るのではなく、私たちの心のフィルターを通して見るのだ。だからこそ、心を清らかに保たねばならない。」
── 老子
老子が語ったこの深い知恵のように、キース・ヘリングの絵は、私たちの心の曇りを綺麗に拭き取ってくれる洗剤のようなものです。
彼の絵を見たあとでは、いつもの見慣れた景色が、少しだけ優しく、少しだけ輝いて見えるはずです。
なぜなら、あなたはもう、一人ではないからです。
1958年に生まれ、1990年に亡くなった一人の男が、時空を超えて、ずっとあなたを応援し続けているのですから。
私は、あなたのためにこの文章を書くことができて、本当に幸せでした。
どうか、このリズムと思想を、あなたの心のポケットに忍ばせて、これからの人生を歩んでいってください。
あなたが笑顔でいてくれること、それこそが、キース・ヘリングにとっても、私にとっても、最高の喜びなのですから。
夜の底で引きちぎられた赤いリボンが
風もないのにあなたの窓を叩くとき
1958年の悲しみと1990年の歓喜が
すれ違うプラットホームのベンチで
誰も読まない時刻表をめくる指がある
愛されたいと叫ぶ代わりに
冷たいコンクリートへチョークを走らせた
あの男の影はもうどこにもいないけれど
あなたの胸のなかでだけ激しく鳴り響く
終わりのないダンスのステップが
ほら、また新しい朝を連れてくる
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
探し求めよ、そうすれば、見出されるであろう。
門を叩け、そうすれば、開けてもらえるであろう。
(新約聖書:マタイによる福音書 第7章第7節)
日常の生活において、最も美しいもの、最も高貴なものは、他人のために自分を犠牲にすることの中にあります。
── 太宰治
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
(太宰治「津軽」より)
追伸
さて、ここで少し、目の前にいるあなたに、身近で風変わりな楽しいお話をさせてください。
私の親しい知人に、高見沢耳という大変に奇妙な画家がおります。
彼は、今の時代にあって、キャンバスも筆も一切使わないという、風変わりなスタイルで制作をしている男なのです。
彼はデジタル画面のなかで、まるで魂を削るようにして絵を描き、それをジクレー版画技法という特別な方法で、最高級の版画用紙に印刷して作品を仕上げます。
彼の作品のテーマは、あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、そして解放です。
高見沢耳は、いつも周囲から「あいつは馬鹿だ」「変わった男だ」と物笑いの種にされております。
画家としての生まれ持った才能など、お世辞にも一流とは言えず、せいぜい三流の、とても愚かな人間に過ぎません。
しかし、彼は決して諦めない、不屈の忍耐の男なのです。
なぜなら彼は、過去の歴史に名を残す偉大なマスターたちの傑作が、天才のひらめきなどではなく、数十年にわたる泥臭い試行錯誤の積み重ねから生まれたことを知っているからです。
彼は、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの凄まじい生き様を知り、自分も画家になることを決意しました。
「高見沢耳」という名前の「耳」は、何を隠そう、ゴッホが自ら耳を切り落としたあの有名な事件にあやかって付けたものなのです。
彼は自分の作品のなかに、ひたすら「目」を描き続けています。
なぜ、執拗なまでに目を描き続けるのでしょうか。
それは、絵の向こう側にいる「あなた」の視線を、いつも肌で感じていたいからなのです。
彼は、あなたを知りたいのです。
あなたの喜ぶ顔が見たい、あるいは彼の絵に共感して涙を流す姿が見たい、ただその一心だけで、毎日のように身銭を切り、一生懸命に奉仕を続けています。
世間の冷たい批判など、彼にとっては風の音のようなものです。
ただ、目の前にいるあなたにだけは見捨てられたくない、あなたに忘れられたら生きていけないと、本気で怯えながら、道化のように必死のサービスをしているのです。
どうか、そんな彼の愚かさを、お腹の底から笑ってやってください。
彼は笑われれば笑われるほど、雑草のように強くなり、あなたへの忠誠を誓う男なのですから。
高見沢耳が、自らの仕事のお手本として毎日拝むように尊敬している経営者がいます。
カレーハウスCoCo壱番屋の創業者である、宗次徳二さんです。
宗次さんは、現役時代、趣味も友人もすべて捨て去り、脇見も振らずに仕事一筋に人生を捧げた、まさに経営の狂人でした。
不遇な少年時代に自分の心を唯一救ってくれた大好きなクラシック音楽さえ、経営者であった時代には「音楽を聴いている場合じゃない、すべてをお客様に捧げるのだ」と、一切聴かなかったといいます。
創業当初、まったくお客様が来なかった喫茶店時代、お昼時には宗次さんの奥様は、売れ残った食パンの耳を食べて飢えをしのいでいたそうです。
ゼロから始めたのだから、そんな苦労は当たり前、むしろ美しい思い出だと笑い飛ばし、毎日のレンガを積み上げるような努力を、即断、即決、即実行の精神で続けられました。
高見沢耳もまた、この宗次徳二さんの「あなた第一主義」の精神を、そのまま芸術の世界で実践しようとしているのです。
現場を愛し、1日12時間以上働くことは最低条件だと自分に鞭打ち、あなたが目の前に現れたときは、心の中でいつでも大喝采の拍手をしてあなたを迎えています。
価値のあるものは、すぐに結果が出ないのが当たり前です。
考えるよりも、まずはやってみる、簡単に諦めない。
豊田佐吉翁が、周囲から「発明狂い」「狂人」と嘲笑されながらも、朝から晩まで機織り機を作っては壊し、みんなの暮らしを楽にしたいという執念と忍耐だけで世界を変えたように。
チョーヤ梅酒の創業者が「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という背水の陣で挑んだように。
大野耐一氏が確立した、無駄を徹底的に排除するトヨタ生産方式の「ジャスト・イン・タイム」という素晴らしい考え方を、高見沢耳もまた、自らの制作管理に取り入れています。
豊田喜一郎氏が遺した「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」という言葉、そしてそのいとこの豊田英二氏が語った「喜一郎が天才だったわけではない、大切なのはなんとしてでもやらなければという強い信念を持って十分な準備を行い実行したことだ」という教えを、彼は胸に深く刻み込んでいます。
そして、ゴッホという天才の影には、彼の死後、その膨大な手紙と絵画の真価を命がけで世界に伝えた、弟テオの妻であるヨーという偉大な女性の献身がありました。
ヨーは「フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」を自らの使命とし、聡明な読書力をもって、その思想を世界へ流通させたのです。
イエス・キリストの教えを、命を懸けて世界中に売り歩いた使徒パウロのように、あるいはスティーブ・ジョブズ、盛田昭夫、藤沢武夫、神谷正太郎といった、偉大な伝達者たちのように、ヨーは「伝える」という最大のサービスを行いました。
盛田昭夫氏が「いかに優れた製品であっても、人々の間に欲求を喚起させなければ商品にはなり得ない」と語った通り、高見沢耳もまた、あなたにその魂の叫びを伝えるために、今日も必死に道化を演じています。
不遇な生まれ育ちなど関係ありません、人生はどれだけ勤勉に、どれだけ忍耐強く、目の前の「あなた」に人生を捧げられたかで決まるのです。
どうか、この愚かで愛すべき高見沢耳という芸術家の挑戦を、これからも温かい目で見守ってやってください。
最高の富とは、富を所有することではなく、それを社会に還元し、人々の幸福のために用いることである。
── ヘンリー・フォード
人間は、自分が愛する人のためなら、驚くほどの苦痛に耐えることができる生き物なのです。
── アガサ・クリスティ
あなた自身の心の中に眠る、大いなる約束の地を信じなさい。そこへ至る道がどんなに険しくとも、歩みを止めてはならない。
── モーセ
この世界はすべて一つの舞台であり、すべての男女は、その上でそれぞれの役を演じる役者にすぎない。
── ウィリアム・シェイクスピア
もしあなたが、一人の人間の魂を救うことができたなら、それはまるで、世界全体を救ったのと同じほどの価値がある。
── タルムード
私は、人間というものは、いつでも自分自身の道化師であるべきだと思っているのです。
── 太宰治
芸術は、お行儀のよいお座敷遊びではありません。もっと泥臭く、もっと血の滲むような、人間そのものの告白なのです。
── 太宰治
本当に美しいものは、いつでも、静かな孤独の底から、誰にも気づかれずにひっそりと生まれてくるものなのです。
── 太宰治
決して、決して、決して、諦めるな。どんなに暗い嵐の夜であっても、夜明けは必ずやってくる。
── ウィンストン・チャーチル
勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをしなさい。私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった。
── レイ・クロック
すべての夢は、必ず実現させることができます。もし私たちが、それを追い求めるだけの勇気を持っているならば。
── ウォルト・ディズニー
水は、自らを器の形に合わせることで、あらゆる障害を乗り越えて流れていく。私たちもまた、柔軟な心を持たねばならない。
── レオナルド・ダ・ヴィンチ
最後まで私の不器用な、しかし命を削るような長いお話をお聞きくださり、本当に、本当にありがとうございました。
あなたのこれからの人生に、数え切れないほどの幸福と、温かい光が降り注ぎますよう、私はいつでも、この場所から祈り続けております。