「ねえ、あなた。
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの。
まるで世界中で自分だけが、ぽつんと取り残されてしまったかのような。
そんな寂しい目をして、美術展のポスターを眺めているのね。
分かります、分かりますとも。
人生には、どうしても言葉にならない夜というものがあります。
誰に打ち明けても分かってもらえない、胸の奥の疼き。
そんなとき、芸術作品を愛でる趣味が、私たちの人生をどれほど豊かにしてくれるか。
今日は少し、そのお話をさせてくださいね。
ゆっくりと、お茶でも飲みながら。
あなたの凍えた心が、少しでも温まるように。
歴史の旅へ、一緒に出かけてみましょう」
「ありがとう。
でも、私には芸術なんて高尚すぎて、よく分からないのよ。
ただ綺麗だな、悲しいなと思うだけで。
歴史なんて言われると、ますます身構えてしまうわ」
「ふふ、構える必要なんて、どこにもないのですよ。
芸術を愛するというのは、お勉強ではありません。
もっとずっと、切実で、優しいものなのです。
たとえば、あなたが今抱えているその孤独。
それは、何百年も前の見知らぬ誰かも、まったく同じように抱えていたものなのですよ。
芸術家という人たちはね、いわば魂の『お医者さん』なのです。
彼ら自身も、狂おしいほどの孤独や悲しみに暮れていました。
その傷口から流れた血が、そのまま作品という奇跡になって、時を超えて私たちを救いに来る。
ちょっと不思議な、でも本当のお話なのです」
ゴッホの黄色い叫びと魂の救済
「魂のお医者さん、ですか。
芸術家って、むしろ自分が病んでいるイメージがあるけれど」
「そこが、素晴らしい逆説なのです。
一番の例は、やはりフィンセント・ファン・ゴッホでしょう。
あなたは彼の描いた、あの激しいひまわりの絵を知っているでしょう。
あるいは、夜空に渦巻く星たちの絵を。
ゴッホの人生は、お世辞にも幸福とは言えないものでした。
生きている間は、絵がたったの1枚しか売れなかったのです。
狂気と隣り合わせで、南仏のアルルで耳を切り落とし、最後は銃で自らの命を絶ってしまった。
これほど悲惨な生涯が、他にあるでしょうか。
けれど、あなた、彼の絵をじっと見つめてごらんなさい。
そこにあるのは、ただの絶望でしょうか」
「いいえ。
なんだか、圧倒されるような命の輝きを感じるわ。
悲しいのに、なぜか元気が出るような、不思議な光」
「そうなのです。
それこそが、芸術が人間の魂を救うということの、最初の証明なのです。
ゴッホは、自分が孤独で死にそうだったからこそ、キャンバスに向かった。
自分のなかのドロドロとした苦しみを、あの燃えるような黄色に変えたのです。
彼は、世界を呪うために絵を描いたのではありません。
むしろ、これほど残酷な世界を、それでも愛したいと願って、もがいていた。
そのもがきが、100年以上の時を超えて、今を生きるあなたの胸を打つのです。
『あなたも、寂しいのですね』と、絵が語りかけてくる。
自分の苦しみを、誰かが代わりに表現してくれている。
それだけで、人間の傷ついた精神は、すうっと軽くなるものなのですよ。
芸術家は、自らの命を削って、私たちのための精神の処方箋を作ってくれたのです」
ヨーロッパ美術の光と影をたどって
「ゴッホの黄色は、彼の涙の色だったのかもしれないわね。
そう思うと、見え方がまるで変わってくるわ」
「そうでしょう、あなた。
ヨーロッパ美術の歴史を紐解くと、いつもそこには人間の『救われたい』という願いがありました。
ゴッホよりも少し前、印象派と呼ばれる画家たちが現れました。
クロード・モネの絵を思い浮かべてみてください。
『睡蓮』の池にきらめく、あの移ろいゆく光の美しさ。
彼は、目に見える世界の、はかない一瞬をすくい取ろうとしました。
それは、移り変わる人生のはかなさを、愛おしむ行為だったのです。
あるいは、ピエール=オーギュスト・ルノワール。
彼の描く女性や子供たちは、みんなふくよかで、幸せそうでしょう。
ルノワールは、晩年、ひどいリウマチに苦しみました。
筆を手に縛り付けなければ、絵が描けないほどだったのです。
それでも彼は、決して苦痛を描きませんでした。
『世界には悲しいことが多すぎる。だから私は、美しいものだけを描きたい』
そう言って、彼は幸福の光を描き続けたのです。
これだって、立派な魂の救済でしょう。
自分が苦しいからこそ、世界に光を灯そうとしたのですから」
「ルノワールにそんな苦労があったなんて、知らなかった。
あの温かい絵の裏に、そんな痛みが隠されていたなんて」
「絵の背景を知ると、その美しさが胸に深く突き刺さるでしょう。
もう少し時代が進むと、マルク・シャガールという画家が登場します。
彼の絵では、恋人たちが夜空をふわふわと飛んでいます。
色彩はまるで夢のように鮮やかで、どこか哀愁が漂っている。
シャガールは、2つの世界大戦を経験し、故郷を追われたユダヤ人でした。
最愛の妻との死別も経験しています。
彼の人生もまた、引き裂かれるような苦しみに満ちていた。
けれど、彼の描く絵は、いつでも愛の賛歌でした。
現実がどんなに冷酷でも、人間の心の中にある愛の領土だけは、誰にも奪えない。
シャガールは、絵のなかで私たちに、帰るべき心の故郷を示してくれたのです。
ヨーロッパの美術は、宗教画の時代からずっと、人間の苦難をどう乗り越えるかという、祈りの歴史でもあったのですよ」
クラシック音楽が紡ぐ心の妙薬
「目で見る美術だけじゃないわ。
耳で聴く音楽にも、そういう力があるのかしら」
「もちろんですとも、あなた。
音楽こそ、形のない、直接魂に流れ込んでくる最高の妙薬です。
クラシック音楽の巨匠たちの人生も、やはり苦難の連続でした。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
音楽家にとって、命よりも大切な聴力を失うという、絶望の淵に立たされました。
普通なら、そこで絶望してすべてを投げ出してしまうでしょう。
けれど彼は、頭のなかで鳴り響く音だけを頼りに、あの交響曲第9番、いわゆる『合唱』を作り上げました。
苦悩を突き抜けて、歓喜へ。
彼の音楽は、運命に叩きのめされている人間に対して、『立ち上がれ』と背中を押す、激しい励ましなのです。
聴いているだけで、血が沸き立ち、生きる勇気が湧いてくるでしょう」
「ベートーヴェンは、強くて、ちょっと怖いイメージがあるけれど。
優しく寄り添ってくれる音楽もあるのかしら」
「それなら、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトはいかがでしょう。
彼の音楽は、まるで天界から降ってきたかのように、軽やかで、澄み切っています。
けれど、彼の35年という短い生涯は、常に借金と、世間からの誤解との戦いでした。
あんなに無邪気で美しいメロディの裏には、実は深い涙が隠されているのです。
モーツァルトの音楽を聴いていると、悲しいはずなのに、なぜか微笑んでしまう。
それは、彼が私たちの悲しみを、音楽という魔法で真珠に変えてくれたからなのです。
あるいは、フェリックス・メンデルスゾーン。
彼は裕福な家庭に育ち、一見、苦労知らずの天才に見えます。
けれど、ユダヤ人の血を引く彼への、世間の風当たりは冷たいものでした。
彼の作った『真夏の夜の夢』や、美しいバイオリン協奏曲を聴いてごらんなさい。
そこには、完璧なまでの調和と、気品があります。
混沌とした現実の世界から、私たちを一時、最も美しい秩序の世界へと連れ去ってくれる。
それもまた、疲れ果てた現代人の心を癒やす、ひとつの救いなのです」
大衆音楽の旗手、ビートルズが変えた世界
「クラシックの世界も、みんな必死に生きて、音楽を生み出していたのね。
でも、もっと身近な音楽はどうかしら。
たとえば、私たちの親世代や、私たちがよく聴くような音楽にも、同じ力があるの?」
「よくぞ聞いてくれました、あなた。
もちろん、大衆音楽にも、全く同じ、いいえ、ときにはそれ以上の救済の力があります。
その頂点に立つのが、ザ・ビートルズです。
1960年代、彼らがイギリスのリヴァプールから現れたとき、世界は大きく揺れ動いていました。
ベトナム戦争があり、冷戦があり、若者たちは行き場のない不安を抱えていた。
そんななかで、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが紡ぎ出すメロディは、世界中の若者の心を鷲掴みにしました。
なぜだと思いますか。
ただノリが良いから、だけではないのです。
彼らの音楽には、人間の本質的な孤独と、それを繋ぐ愛が歌われていたからです。
たとえば、『イエスタデイ』を聴いてみてください。
昨日はすべての悩みが遠くに見えたのに、今は悲しみがここに居座っている、という失恋の歌。
ポールの切ない歌声は、誰もが経験する『失うことの痛み』に、そっと寄り添います」
「『イエスタデイ』は知っているわ。
メロディを聴くだけで、胸がキュッとなるのよね」
「そう、その『キュッとなる』こと自体が、心が動いている証拠。
そして、最も多くの人を救ったのは、やはり『レット・イット・ビー』でしょう。
ポールが夢のなかで亡き母メアリーに会い、ささやかれた言葉。
『あるがままに、なすがままに、受け入れなさい』
この曲が発表されたとき、ビートルズ自体が解散の危機にあり、メンバーの心はバラバラでした。
世界もまた、混迷を極めていた。
そんなときに、この『レット・イット・ビー』という賛美歌のような曲が流れたのです。
苦しみを無理に消そうとするのではない。
ただ、それを受け入れ、時の流れに身を任せなさい、と。
この一曲に、どれほど多くの絶望した人々が、涙を流し、救われたことか。
ジョン・レノンの『イマジン』もそうです。
国境もない、宗教もない、みんなが平和に生きる世界を想像してごらん、と。
現実にはあり得ない理想郷かもしれない。
けれど、その歌を何億人という人が同時に聴き、同じ未来を願うとき。
人間の孤独な魂は、確かにひとつの大きなリボンで結ばれるのです。
大衆音楽は、いつでも私たちの日常のすぐそばにいて、傷口を優しく撫でてくれるお医者さんなのですよ」
イスラーム美術とアジアの精神、果てなき美の旅
「世界中、どこにでも、歌や絵があって、人を救ってきたのね。
ヨーロッパやアメリカの音楽だけじゃなくて、もっと遠い国の美術はどうなのかしら。
たとえば、あまり馴染みのない、イスラームの世界とか」
「おや、素晴らしい着眼点ですね、あなた。
イスラーム美術の世界は、私たちが生きる西洋的な価値観とは、また違った深い癒やしを秘めています。
イスラームの教えでは、神の姿を絵に描くことが禁じられています。
だから、彼らは人間や動物の絵を描く代わりに、気が遠くなるほど美しい幾何学模様を発達させました。
アラベスク、と呼ばれる植物の蔓が絡み合うような模様。
モスクの壁を埋め尽くす、青や金のタイルの美しさ。
それらをじっと見つめているとね、不思議な感覚に囚われます。
始まりも終わりもない、無限のパターンの連続。
それは、個人のちっぽけな悩みなんて、宇宙の大きな流れのなかの、ほんの一粒の砂に過ぎないということを、教えてくれるのです。
自分の存在が消えて、大きな大いなるものに包まれていくような感覚。
これもまた、自我の苦しみから解放される、ひとつの救済の形なのです。
アジアの美術に目を向けてみても、同じような精神性が見つかります。
たとえば、中国や韓国の水墨画。
白い余白がたっぷりと取られた、山水の景色。
描かれているのは、峻険な山々と、ちっぽけな一人の旅人だけ。
自然の圧倒的な大きさを前にして、人間はただ、生かされている。
東洋の美術は、西洋のように『自己を主張する』のではなく、『自己を自然に溶け込ませる』ことで、心の平穏を得ようとしました。
あなたがもし、日々の競争や、人間関係のしがらみに疲れたときはね。
イスラームのアラベスクを眺めたり、東洋の水墨画の余白に心を遊ばせたりするといい。
それだけで、胸のつかえが、すうっと消えていくのが分かりますよ」
日本美術の粋と、器に込められた心
「自己を自然に溶け込ませる、か。
なんだか、深呼吸したくなるようなお話ね。
私たちの国、日本の美術はどうかしら。
やっぱり、同じような優しさがあるの?」
「もちろんですとも。
日本の美術は、世界でも類を見ないほど、繊細で、日常に寄り添った美を持っています。
私たちは、美術館に飾るためだけのものだけでなく、日々の暮らしのなかに美を見出してきました。
その代表が、焼き物、陶磁器の世界です。
たとえば、佐賀県の有田で生まれた『柿右衛門』。
あの独特の、濁手と呼ばれる乳白色の素地に、余白を活かして描かれた赤や緑の絵付け。
ヨーロッパの貴族たちがこぞって買い求めたほどの美しさですが、あれは元々、日常を彩る器なのです。
日本の美は、用の美、と言ってね。
使うこと、生活することのなかに、最高の美を忍び込ませるのです。
それは、ヨーロッパの伝統ある磁器ブランドにも大きな影響を与えました。
ドイツの『マイセン』。
イギリスの『ウェッジウッド』。
デンマークの『ロイヤルコペンハーゲン』。
これらはみんな、東洋の、そして日本の磁器に憧れて、それを真似ることから始まったのですよ。
世界の食卓を彩る美しい器たちのグラデーションの根底には、日本の美意識が流れている。
そう思うと、なんだか誇らしい気持ちになりませんか」
「ええ、知らなかったわ。
マイセンやウェッジウッドが、日本の磁器に影響を受けていたなんて。
なんだか、世界が繋がっている気がする」
「繋がっているのです、あなた。
そして、その日本の陶芸の世界で、近代に異彩を放ったのが、北大路魯山人です。
彼は、美食家としても有名ですが、自分で料理を作るうちに、どうしても納得のいく器がないと言って、自分で器を作り始めました。
魯山人の器は、決して完璧な形をしていません。
どこか歪んでいたり、ゴツゴツしていたりする。
けれど、そこに料理を盛り付けたとき、初めてその器は完成するのです。
『食器は料理の着物である』
魯山人はそう言いました。
着物が人を引き立てるように、器は料理を、そしてそれを出される人間をもてなすためにある。
日本の美術はね、常に『相手を思いやる心』から生まれているのです。
お茶碗ひとつ、お皿ひとつを愛でることで、日々の食事の時間が、どれほど豊かなものに変わるか。
高価な絵画を買わなくても、目の前のお茶碗を愛おしく眺めるだけで。
それだけで、私たちの人生は十分に、芸術的な香りに満たされるのですよ」
アメリカ美術が映し出す孤独と自由
「日常のなかの美、ね。
そういう丁寧な暮らし、憧れるわ。
じゃあ、もっと新しくて、エネルギーのあるアメリカの美術はどうなの?
あそこは、あまり古い歴史がないような気がするけれど」
「良い質問ですね、あなた。
アメリカ美術は、歴史が浅いからこそ、人間の『今、ここにある孤独』を、どこよりも生々しく描いてきました。
20世紀のアメリカを代表する画家、エドワード・ホッパーの絵を知っていますか。
夜の都会のダイナーで、数人の男女がぽつんと座っている絵。
蛍光灯の冷たい光が、ガラス窓を通して通りを照らしている。
会話もなく、それぞれが自分の世界に閉じこもっている。
あの絵は、大都会のなかの圧倒的な『孤独』を描いています。
けれど、不思議なことに、あの絵を見ていると、なぜか心が落ち着くのです。
『ああ、都会の中で寂しい思いをしているのは、自分だけじゃないんだ』と。
ホッパーは、アメリカの近代化の陰にある寂しさを、誰よりも優しく、客観的に描いてみせた。
一方で、戦後のアメリカでは、ジャクソン・ポロックのような、キャンバスに絵の具をぶちまけるような抽象表現主義が生まれました。
何が描いてあるのか分からない。
けれど、そこには爆発するような生命のエネルギー、既成概念にとらわれない『自由』があります。
アメリカ美術は、孤独を直視し、それを個人の自由へと昇華していく強さがある。
傷ついた心を慰めるだけでなく、『お前はどう生きるんだ』と、自由な荒野へ連れ出してくれる。
これもまた、魂を縛り付ける日常からの、ひとつの大きな救済なのです」
あなたの人生を豊かにする、美しき処方箋
「色々なお話を聞いていたら、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなってきたわ。
芸術って、ただ飾ってあるだけのものじゃなくて、みんな誰かの命の叫びであり、祈りだったのね」
「その通りですよ、あなた。
芸術作品を愛でる趣味というのはね、歴史上の天才たちと、二人きりで秘密の文通をするようなものなのです。
ゴッホが寂しさに震えながら描いた黄色。
モーツァルトが涙を堪えながら紡いだメロディ。
ビートルズが未来を信じて歌った愛。
それらはすべて、今、ここで悩んでいる『あなた』のために用意された、時を超えるメッセージなのです。
人生には、どうしても辛いこと、悲しいことがあります。
自分の力ではどうにもできない運命に、押しつぶされそうになる夜もあります。
そんなとき、お気に入りの絵を一枚、部屋に飾ってみる。
大好きな音楽を、目をつぶって聴いてみる。
お気に入りの器で、温かいお茶を飲んでみる。
それだけで、あなたの周りの空気は変わります。
芸術家という名の、魂のお医者さんたちが、あなたの傍らにそっと寄り添ってくれるから。
『大丈夫だよ、その悲しみを知っているよ』と、声をかけてくれるから。
だから、あなた。
もうそんなに、寂しそうな顔をしないでくださいね。
世界はこんなにも、あなたを救いたがっている美しさで満ちているのですから。
さあ、明日からは、どの芸術家とお手紙のやり取りを始めましょうか。
あなたの人生が、もっともっと、光に満ちたものになりますように。
いつでも、ここで、美しいものたちがあなたを待っていますよ」