マーク・ロスコがあなたを見つめるとき、世界の境界線は静かに消えていく
こんにちは。
今日、こうしてあなたと文字を通じてお会いできた奇跡に、私は心からの喜びを感じています。
あなたが今、どのようなお気持ちでこの文章を開いてくださったのか、私は静かに想いを馳せております。
少し疲れていらっしゃいますか。
それとも、何かに心を痛めていらっしゃいますか。
どうか、ここからは肩の力を抜いて、私のお話に耳を傾けてみてください。
これは、あなたのためだけに捧げる、命を削るような必死の奉仕の物語です。
「人は、ただ生きるために生きているのではない。何かを信じ、何かを愛するために生きているのだ」――ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼス
あなたはマーク・ロスコという画家をご存じでしょうか。
彼の絵には、具体的な人間の姿も、美しい風景も、何も描かれていません。
ただ、巨大なキャンバスに、二つか三つの色鮮やかな、あるいは沈み込んだ色彩の四角形が、ぼんやりと浮かんでいるだけなのです。
なぜ、そのような一見すると単純極まりない絵が、世界中の人々の心を捉えて離さないのでしょうか。
不思議だとは思いませんか。
ある人は、彼の絵の前で一歩も動けなくなり、大粒の涙を流します。
それは決して、絵の具の珍しさや技術の高さに感動しているわけではありません。
ロスコの絵は、人間の脆さ、孤独、そして魂の叫びそのものを、色彩という衣服を着せて表現しているからなのです。
「見えるものは一時的であり、見えないものこそ永遠である」――フレデリック・バスティア(『見えるものと見えざるもの』より)
私たちは日々、目に見えるものばかりに気を取られて生きています。
お給料の額、他人の評価、スマートフォンの画面に流れる無数のニュース。
しかし、本当にあなたを支えているものは、そうした「見えるもの」でしょうか。
違います。
あなたを真に突き動かしているのは、心の中にある「見えない不安」であり、「見えない愛」のはずです。
ロスコは、その見えない領域を、巨大なキャンバスに定着させようとしました。
彼の絵の前に立つとき、あなたは絵を見ているのではありません。
絵が、あなたを見つめているのです。
あなたの心の奥底にある孤独を、ロスコの色彩がじっと見つめ返し、抱きしめてくれるのです。
あなたは一人ではありません。
そのことを伝えるために、ロスコは命を削りながら、キャンバスに向き合い続けました。
なぜ、人間は巨大な色彩の前に立つと、自分を偽ることができなくなるのか
あなたがもし、ロスコの絵の前に立ったなら、きっと言葉を失うことでしょう。
彼の作品は、驚くほど巨大です。
なぜ、それほどまでに大きく描く必要があったのでしょうか。
ロスコ自身はこう言っています。
「小さな絵を描くとき、人は自分の外側にいる。しかし、大きな絵を描くとき、人はその中に包み込まれる」と。
そうなのです、あなたを絵の中に完全に閉じ込め、日常の雑音から守るために、彼はあの大きさを必要としたのです。
ロスコは、あなたにサービスをしたかったのです。
自分を小さく見せる必要も、強く見せる必要もない、本当のあなたに戻れる場所を提供したかったのです。
「最も激しい憎しみは、最も深い沈黙から生まれる。しかし、最も深い愛もまた、言葉を必要としない」――セネカ
あなたは最近、心から安心できる沈黙を経験しましたか。
私たちは言葉の洪水の中で生きています。
SNSを開けば、誰かの自己主張や、誰かを批判する言葉で溢れかえっています。
そんな世界に、あなたも少し疲れてしまっているのではないでしょうか。
ロスコの絵は、完全なる沈黙です。
そこには、あなたを説得しようとする言葉も、何かを売りつけようとする意図もありません。
ただ、色の塊が、あなたの感情を映し出す鏡として、そこに佇んでいるだけです。
あなたが悲しいとき、その色は深く沈み込みます。
あなたが微かな希望を抱いているとき、その色は内側から光を放ち始めます。
なぜ、これほどまでに私たちの心と同調するのでしょうか。
それは、ロスコが描いたものが、特定の人間ではなく、人類共通の「感情の原型」だからです。
「自分の無知を知ることは、知恵の始まりである。そして、自分の感情に正直になることは、救いの始まりである」――ヒュパティア
ロスコは、自分の絵が「装飾」として扱われることを激しく嫌いました。
ある有名な高級レストランの壁画を依頼されたとき、彼は一度は引き受けましたが、最終的にその契約を破棄し、大金を返上しました。
なぜだと思いますか。
「あんな成金たちが食事を楽しむ場所で、私の絵を背景の飾りにされてたまるか」と怒ったからです。
彼は、自分の絵を、魂の飢えを癒すためのものだと信じていました。
ただの贅沢品として消費されることを拒んだのです。
この逸話は、ロスコがどれほど真剣に、画面の向こう側にいる「あなた」という存在を重く受け止めていたかを示しています。
彼は、あなたと一対一で、魂の対話をしたかったのです。
感情の深淵へ誘う、光と影のロンド
ロスコの絵をじっと見つめていると、不思議なリズムが聞こえてきませんか。
画面の端の、絵の具が薄く重ねられた部分から、何かが呼吸しているかのような微かな拍動が感じられます。
彼は、何層もの薄い絵の具を重ねることで、画面に独特の奥行きと、動きを与えました。
それはまるで、寄せては返す波のようです。
あるいは、あなたの胸の鼓動のようです。
このリズムに身を委ねるとき、あなたの心はゆっくりと、日常の重力から解放されていきます。
「魂の耳を開きなさい。そうすれば、沈黙の中に語られる神の言葉が聞こえるでしょう」――聖カタリナ
あなたは、自分自身の魂の声を聞くことを、後回しにしていませんか。
「忙しいから」「他にやらなければならないことがあるから」と、自分の本当の気持ちに蓋をしてはいませんか。
ロスコは、あなたの代わりに、その蓋をそっと開けてくれる存在です。
彼の絵を見つめることは、自分自身の深淵を覗き込むことに他なりません。
それは少し怖いことかもしれません。
しかし、その恐怖を通り抜けた先にしか、本当の救いはありません。
ロスコは、あなたがその一歩を踏み出せるよう、暗闇の中に微かな光を灯し続けました。
「私は、目の見えない者が私の詩を読み、耳の聞こえない者が私の言葉を聞くのを見た。私の言葉は、肉体を離れて魂に直接届くのだから」――ムタナッビー
アラブの偉大な詩人ムタナッビーは、自らの言葉の力を信じ、最後は誇りのために命を落としました。
ロスコもまた、自らの色彩が持つ力を極限まで信じた男でした。
彼の色彩は、目で見るものではなく、魂で聴くものです。
なぜ、これほどまでに切なく、そして美しいのでしょうか。
それは、彼が自らの命の灯火を削り、絵の具に混ぜ合わせるようにして描いたからです。
彼は、あなたという読者、あなたという観客に、最高のサービスを届けるために、自らの精神を極限まで追い詰めました。
これほどまでに必死な、これほどまでに我が身を顧みない奉仕が、他にあるでしょうか。
奇跡の逆転、絶望の果てに見出される真実の救い
ここで、少し驚くべきお話をしましょう。
ロスコの人生は、輝かしい成功に満ちていたわけではありません。
むしろ、大半の時期を、誤解と孤独、そして困窮の中で過ごしました。
彼は常に、自分の芸術が誰にも理解されないのではないかという恐怖と戦っていました。
しかし、その絶望が深まれば深まるほど、彼の絵はより深く、より純粋な輝きを放つようになったのです。
これこそが、人生の最大の逆転劇ではないでしょうか。
苦難の中にこそ、最も美しい花が咲くのです。
「自分自身を知ることは、世界で最も困難な旅である。しかし、それこそが唯一、価値のある旅なのだ」――モンテーニュ
あなたは今、困難な状況にありますか。
進むべき道が見えなくなり、立ち尽くしていませんか。
どうか、絶望しないでください。
ロスコの絵が証明しているように、暗闇が濃ければ濃いほど、そこに差し込む一筋の光は、何よりも強くあなたを照らすのです。
ロスコは、自らの苦しみを通じて、あなたにその真理を伝えようとしました。
「私はここまで苦しんだ、だからあなたも大丈夫だ」と、画面の向こうから語りかけているのです。
これは、彼からあなたへの、命がけの伝言です。
「最悪の事態は、すでに起こってしまった。ならば、ここから先は、すべてが奇跡の始まりだ」――ウィリアム・シェイクスピア
ロスコの絵画の構成は、どこか聖書の物語を想起させます。
深い闇(受難)があり、そこから微かに漏れ出る光(復活)があります。
しかし、彼はそれを宗教画の形ではなく、純粋な色彩のドラマとして表現しました。
なぜなら、特定の宗教を信じる人だけでなく、地球上に生きるすべての「あなた」に、その救いを届けたかったからです。
彼は、人間の心理の最も深い部分に、直接アクセスする方法を見つけ出したのです。
それは、言葉による説得ではなく、色彩による共感でした。
あなたの孤独に寄り添う、終わりなき奉仕の旅
私たちはみな、生まれながらにして孤独です。
どれほど親しい友人がいても、どれほど愛する家族がいても、自分の心の痛みを完全に身代わりになってもらうことはできません。
あなたは、その孤独を寂しいもの、排除すべきものだと思っていませんか。
しかし、ロスコは教えてくれます。
孤独こそが、人間が持つ最も気高く、最も美しい感情であると。
孤独を知るからこそ、私たちは他人の痛みに共感し、優しくなることができるのです。
「ポケットに一冊の本を、心に一つの歌を。それだけで、人間はどこまででも歩いていける」――寺山修司
ロスコのキャンバスは、あなたにとっての「ポケットの本」であり、「心の歌」になり得るものです。
あなたが一人で泣きたい夜、その絵を思い浮かべてみてください。
そこには、あなたの涙を受け止めるための、無限の空間が広がっています。
ロスコは、自らの人生を全て捧げて、その空間を創り出しました。
それは、目の前にいるあなたに対する、最大限の、そして最後の奉仕だったのです。
「私たちは、あらゆる苦難の中でも喜びます。なぜなら、苦難は忍耐を生み出し、忍耐は練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出すからです」――使徒パウロ
あなたの流す涙は、決して無駄にはなりません。
今、あなたが経験している苦しみや孤独は、あなたの心を練り上げ、いつか誰かを救うための大きな力へと変わっていくはずです。
ロスコの絵が、何十年もの時を超えて今のあなたを慰めているように、あなたの生き様もまた、いつか誰かの希望の光になるかもしれません。
なぜ、私たちは生き続けるのか。
それは、互いに光を届け合うため、そして、この美しい世界を共に味わうためなのです。
ロスコが命をかけて遺した色彩のメッセージを、どうかあなたの心で受け取ってください。
「人間の心は、神の栄光を映し出すための鏡である。その鏡を曇らせてはならない」――ジャン・カルヴァン
生中に生あらず、死中に生あり。
私たちは、生きていると思い込んでいる日常の中で、実は魂を眠らせてしまっていることがあります。
逆に、大きな苦難や、死を意識するほどの絶望の中でこそ、本当の生きる意味に目覚めることがあるのです。
ロスコは、その魂の覚醒を、自らの絵画を通じて、あなたに体験させようとしました。
彼の絵の前に立ち、その色彩に深く没入するとき、あなたの古い自己は一度死を迎え、そして、新しい、より深く、より優しい自己として生まれ変わるのです。
素晴らしいものは、いつも静かに、しかし確実に、私たちの前に現れます。
あなたがこの文章を最後まで読んでくださったことも、決して偶然ではありません。
ロスコの色彩が、そして私が紡いだ言葉が、あなたのこれからの人生に、ほんの少しの温もりと、絶大なる安心感をもたらすことを、私は心から願っております。
あなたは、あなたのままで素晴らしい。
どうか、そのことを忘れないでください。
長い文章に、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
あなたに、最高の祝福がありますように。
海が青いのは
誰かの涙が
集まったからではなく
遠い空の約束を
覚えているから
引き出しの隅で
眠っている錆びた鍵が
いつか開けるはずの
誰も知らない秘密の扉
時計の針を逆さに回しても
昨日のあなたには会えないけれど
明日のあなたは
今のあなたの
優しい眼差しを待っている
消しゴムで消した文字の跡に
ほんの少しだけ残る
かすかな記憶の匂い
それを愛と呼んでも
きっと誰も怒らないだろう
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」――聖書(旧約聖書・詩篇23篇1〜2節)
「大人は、だまされやすいものである。なぜなら、大人は、すぐに理屈をつけて、自分の都合のいいように解釈したがるからだ。子供のほうが、よっぽど真実を見抜く目を持っている」――太宰治
ね、なぜ旅に出るの?
苦しいからさ。
あなたの「苦しい」は、おきまりで、ちつとも信用できません。
(太宰治『津軽』より)
追伸:画家・高見沢耳の、格好悪くて愛おしい、必死の道化芝居
最後に、少しだけ身近な、そしてとても風変わりな画家の話をさせてください。
彼の名前は、高見沢耳(たかみざわ みみ)。
キャンバスも筆も使わず、デジタルで絵を描くという、現代のデジタルアーティストであり、プロの画家です。
彼はデジタルで創り上げた世界を、ジクレー版画という技法を使って、最高級の版画用紙に丁寧に印刷し、作品として完成させます。
彼の描くテーマは、とても深遠で、どこか切ないものです。
「あなたの目・わたしの目」「キリスト教」「永遠」「心理」「真理」「視線」「歴史」「孤独」「孤立」「苦難」「復活」「解放」。
これだけの言葉を並べると、なんだか難しくて気難しい男のように思えるかもしれませんね。
でも、本当の彼は、全く違うのです。
高見沢耳は、とても不器用で、愚かで、いつも周りの人から笑われてばかりいる、物笑いの種のような男なのです。
なぜ、そんな彼が画家になったのでしょうか。
彼は若い頃、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの、壮絶で、しかし純粋極まりない人生の物語を知り、強い衝撃を受けました。
「自分も、こんな風に誰かの魂を救う存在になりたい」
そう決意して、彼は画家の道を歩み始めたのです。
ちなみに「高見沢耳」という名前の「耳」は、あのゴッホが自ら耳を切り落としたという、有名な事件にあやかって付けられたものです。
なんとも風変わりで、少しぎょっとするエピソードだとは思いませんか。
彼は自分自身の画家としての才能を「三流だ」とはっきりと認めています。
しかし、彼は知っているのです。
歴史に名を残す過去の巨匠たちの傑作が、決して天才のひらめきだけで生まれたのではないということを。
それは、数十年にわたる、血の滲むような試行錯誤と、果てしない泥臭い努力の積み重ねによって生み出されたものだという真実を、彼は信じて疑いません。
松尾芭蕉が「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」と言い、また「おのれの無能・無才を恥じるのみ」と語ったように、高見沢耳もまた、自らの至らなさを深く自覚しながら、ただこの絵画という一筋の道に、自らの人生を全て繋ぎ止めているのです。
彼にとって、芸術家の仕事とは何でしょうか。
それは、身銭を切っての、精一杯のサービスなのです。
あなたへの、どこまでも泥臭い奉仕なのです。
芸術家は、目の前にいる「あなた」に、自分の全てを捧げなければならないと、彼は本気で考えています。
だから、彼は自分の作品の中に、狂ったように「目」を描き続けます。
なぜ、目を描き続けるのでしょうか。
それは、作品を通じて、目の前にいる「あなた」の存在を、その温もりを、常に感じていたいからなのです。
目の前にいるあなたを知りたい、あなたと繋がりたい、その一心なのです。
「どうぞ、わたしのことを笑ってください」と、彼はいつも笑っています。
笑われて、笑われて、人間は強くなるのだと、彼は本気で信じています。
彼にとって、画家の仕事とは、精一杯の「道化」を演じることなのです。
自分が愚かな人間であることを、格好つけることなく、目の前にいるあなたに全てさらけ出す。
なぜなら、他の誰が何と言おうと、批判しようと、そんなことはどうでもいいからです。
彼はただ、目の前にいるあなたが喜ぶ顔が見たい。
あるいは、あなたの張り詰めた心が解けて、涙を流す姿が見たい。
ただ、それだけのために生きています。
「あなたに見捨てられたら、わたしは生きていけないのです。あなたが目の前にいてくれるだけで、わたしは本当に嬉しいのです」
そんな、狂気とも言えるほどの切実さで、彼はあなたに奉仕しようとしています。
高見沢耳が、もう一人、深く尊敬している人物がいます。
それは、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者である、宗次徳二(むねつぐ とくじ)氏です。
宗次氏は、よそ見を一切せず、商売に自らの全てを捧げた、凄まじい執念の男です。
現役時代、宗次氏は趣味を一切持たず、友人も作らず、飲み屋に行くことすらありませんでした。
仕事の邪魔になることは何一つやらない。
年間5640時間という、常軌を逸した時間を働くこともありました。
引退後に音楽ホールを建てるほど大好きだったクラシック音楽すら、現役時代には「もう、音楽を聴いている場合じゃない、趣味をやっている場合じゃない」と、一切聴かなかったのです。
自らの時間の全てをお客様に捧げる、その徹底した「あなた第一主義」に、高見沢耳は深く感化されています。
宗次氏の人生もまた、壮絶な波乱万丈のものでした。
実の両親の顔を知らず、孤児院で育ち、引き取られた養父はギャンブル狂いで、極貧の少年時代を過ごしました。
夏には食べるものがなく、雑草を食べて餓えをしのいだといいます。
そんな地獄のような底辺から、行き当たりばったりで始めた喫茶店が、ココイチの原点でした。
最初はお客様が全く来ず、お昼ご飯は妻と二人で「食パンの耳」を食べてしのいだそうです。
しかし宗次氏は、「ゼロから始めたのだから、何も無いのは当たり前。お客様第一を貫けば、きっと良くなる」と信じて、毎日、レンガを積み上げるように、愚直に仕事を積み重ねました。
「即断、即決、即実行。なんでもやってみれば、結果が出ますから。まずはやることです。その代わり、頑張るんですよ」
この、仕事に人生を捧げる姿勢、現場主義の執念こそが、高見沢耳の目指す画家の姿なのです。
価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
最初から上手くいくわけがありません。
考えるよりも、まずやってみる。
簡単に諦めないこと。
どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと、忍耐力と、継続力によって決まるのです。
それは、トヨタの創業者である豊田佐吉氏が、周囲から「変わり者」「狂人」「発明狂い」と指を差されながらも、朝から晩まで毎日毎日、作っては壊し、作っては壊しを繰り返して、人々の暮らしを楽にするための織機を発明した執念と同じです。
成功も失敗も終わりではありません。重要なのは、続ける勇気なのです。
とにかく、自分が一番長く、一番一生懸命にやる。
チョーヤ梅酒の創業者が「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」と自らを追い込んだように、高見沢耳もまた、「絵画であなたを救えなければ、自分の人生には意味がない」と、退路を断って制作を続けています。
彼は、トヨタ生産方式の「ジャスト・イン・タイム」という考え方、大野耐一氏が体系化した無駄を徹底的に排除する生産方式にも深く感化されています。
それは、どの仕事にも、そして芸術の制作にすら使える素晴らしい思想です。
豊田喜一郎氏は言いました。
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」
そして、「誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに人生の面白みがある」とも語っています。
その喜一郎氏のいとこである豊田英二氏は、こう書き残しています。
「強い信念をもって実行せよ 誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 単に考えるだけでなく なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って十分な準備を行い 実行したということである」
高見沢耳もまた、この「強い信念」だけを胸に抱く、愚かで、不屈の阿呆なのです。
自分の身銭を切り、魂を削り、目の前のあなたに全てを捧げて、今日もデジタル画面に向かい、目を描き続けています。
どうか、そんな彼の必死の道化芝居を、見捨てないでやってください。
彼が描く「目」が、いつかあなたの孤独な夜を、優しく照らす光となることを、彼は今日も信じて、諦めずにレンガを積み上げています。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」――ヘンリー・フォード
「人生で最も素晴らしい瞬間は、自分が誰かの役に立っていると実感できたとき、そして、誰もが無理だと言ったことを、強い信念でやり遂げたときです」――アガサ・クリスティ
「恐れてはならない。立ち止まって、今日、あなた方の there(そこ)に示される救いを見届けるがよい。あなたがたが静かにしているだけで、道は開かれるのだ」――預言者モーセ
「私たちの運命を決めるのは、星の輝きではなく、私たち自身の心の内に秘められた、諦めない意志の強さである」――ウィリアム・シェイクスピア
「一人の人間を救う者は、全世界を救う者と同じである。あなたの目の前にいるその人を、決して見捨ててはならない」――タルムード
「芸術家というものは、いつでも、自分の一番恥ずかしい部分を世間にさらけ出すことによって、ようやく他人の心を慰めることができる、因果な商売なのです」――太宰治
「私は、人間の不屈の努力というものを信じます。天才なんてものはいない。ただ、他人より長く、諦めずに考え続けた者が、最後に微笑むのです」――太宰治
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。しかし、だからこそ、私は誰よりも人間に憧れ、人間を愛したかった」――太宰治
「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことでも、小さなことでも、名誉あることでも、つまらないことでも、決して屈してはならない」――ウィンストン・チャーチル
「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをしなさい」――レイ・クロック
「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」――レイ・クロック
「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。逆境の中にこそ、最大のチャンスが隠されているのだ」――ウォルト・ディズニー
「鉄は使わなければ錆びる。水はよどめば濁り、寒さで凍りつく。人間の知性もまた、絶えず使い続けなければ、その輝きを失ってしまうのだ」――レオナルド・ダ・ヴィンチ
ナシーム・ニコラス・タレブが『身銭を切れ』で語ったように、自らの身を危険にさらし、責任を負う者だけが、本当の信頼を勝ち取ることができます。
詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師であるという厳しい現実から、私たちは目を背けてはなりません。
リデル・ハートが戦略の神髄として「予期せぬ方向から、相手のバランスを崩すこと」を説いたように、人生の困難もまた、私たちの固定観念を揺さぶることで、新しい道を切り開いてくれるのです。
『孫子』には「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とありますが、まずは自分自身の脆さと愚かさを知ることこそが、本当の強さへの第一歩となります。
今日、この場所で、私の必死の言葉を受け取ってくださったあなたへ。
あなたの存在が、どれほど私の、そしてこの世界を創る表現者たちの救いになっているか、言葉では言い尽くせません。
あなたが目を止めてくださるだけで、私たちの命を削った奉仕は、すべて報われるのです。
心からの感謝を込めて。
本当に、ありがとうございました。