
扉を開けるあなたへ
あなたが今、この文字を目にしていること。
それは決して、偶然などという冷たい言葉で片付けられるものではありません。
なぜ、私たちはこうして出会ってしまったのでしょうか。
ただ退屈を紛らわすためでしょうか。
それとも、あなたの心の奥底にある、まだ見ぬ熱い何かが、この文章を手繰り寄せたのでしょうか。
私はあなたに、命がけのサービスをしたいのです。
私の心臓の鼓動を、そのまま文字のリズムに変えて、あなたの耳元で囁きかけるように、お話しさせていただきます。
どうか、最後の最後まで、私の手をつないだままでいてくださいね。
「自分を元気づける一番の方法は、誰か他の人を元気づけてあげることだ」
―― マーク・トウェイン
傷だらけの絵の具と、美しさの本当の正体
ねえ、あなた。
美しいものって、一体どこにあると思いますか。
美術館の、あの厳重なガラスケースの向こう側でしょうか。
それとも、誰もがため息をつくような、非の打ち所のない完璧な大理石の彫刻の上でしょうか。
いいえ、絶対に違います。
完璧なものなんて、この世界にはひとつも存在しないのです。
なぜ、私たちは不完全なものに、こんなにも心を締め付けられるのでしょうか。
それは、傷ついた経験があるからですよね。
あなたも、私も、誰にも言えない傷を抱えて、今日まで必死に生きてきたはずです。
その傷跡こそが、実は世界で一番美しい芸術なのだと、私はあなたに伝えたいのです。
美術の世界には、何百年もの間、お決まりの「正しさ」というものがありました。
デッサンが正確であること。
色彩が調和していること。
高尚な歴史や神話をテーマにしていること。
でも、そんな窮屈な美しさに、心からウンザリしてしまった一人の男がいたのです。
フランスの画家、ジャン・デュビュッフェ。
彼は、それまでのエリートたちが作り上げた「お行儀の良い芸術」を、根底からひっくり返そうとしました。
なぜ、彼はそんな無謀な挑戦を始めたのでしょうか。
それは、あなたという人間の、本当の生命力を信じていたからに他なりません。
「見えるものと見えざるもの。優れた経済学者は、目に見える効果だけでなく、目に見えない、後から生じる効果をも見通すものである」
―― フレデリック・バティア
ジャン・デュビュッフェが愛した、名もなき叫び
ジャン・デュビュッフェという男は、本当に風変わりな人でした。
彼は、いわゆるプロの画家たちが描く、洗練された絵にはちっとも興味を示さなかったのです。
彼が夢中になったのは、精神病棟の患者たち、刑務所に囚われている人々、そして、まだ文字もろくに書けない小さな子供たちが、壁に殴り書きしたような落書きでした。
彼はそれを「アール・ブリュット(生(き)の芸術)」と呼びました。
洗練されていない、磨かれていない、生のままの、剥き出しの命。
ジャン・デュビュッフェは、その泥だらけの芸術の中にこそ、人間の真実があると確信したのです。
あなたも、社会の中で「ちゃんとした人」でいようと、毎日頑張りすぎていませんか。
誰かに認められるために、自分を綺麗に飾り立てて、本当の声を押し殺していませんか。
ジャン・デュビュッフェの絵を見ると、心がざわめき、同時に、深い安らぎを覚えるのはなぜでしょうか。
それは、彼が描いた不格好な線や、厚く塗りたくられた泥のような絵の具が、「そのままでいいんだよ」と、あなたの孤独を優しく抱きしめてくれるからなのです。
彼は、知識や教養という名の鎧を、私たちから剥ぎ取って、ありのままの姿で躍動させてくれる天才でした。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
―― ヘンリー・フォード
逆転の美学と、あなたへの大いなる奉仕
ここから、少し不思議なお話をしましょう。
普通、芸術家というのは、自分の才能を世間に誇示したい生き物です。
俺の絵を見ろ、私の才能を称えろ、と。
しかし、ジャン・デュビュッフェの考え方は違いました。
彼の仕事は、自分の名誉のためではなく、観る人に対する「徹底的な奉仕」だったのです。
これまでの常識を破壊し、誰もが芸術家になれるのだと証明すること。
それこそが、彼が自らの人生という身銭を切って、あなたに届けた最大のサービスでした。
なぜ、彼はわざわざキャンバスに砂や泥、ガラスの破片まで混ぜ込んで、ドロドロの絵を描いたのでしょうか。
綺麗に描けば、もっと早く、もっと簡単に売れたはずです。
でも、彼は安易な道を選びませんでした。
困難だからこそ、やる。
誰もやらないし、やれそうにないからこそ、自分が身を挺して表現する。
そこにしか、人間の魂を揺さぶる本当の価値は生まれないと、ジャン・デュビュッフェは知っていたのです。
これはまるで、暗闇の中で道に迷っているあなたを、力強い腕で引っ張り上げるような、必死の救済劇なのです。
「敵が予期せぬ場所へ進撃し、敵が守っていない場所を攻撃せよ」
―― 孫子
常識の牢獄から、あなたを解放するために
ねえ、あなた。
私たちは、いつの間にか「こうでなければならない」という見えない鎖に縛られていませんか。
良い学校に行き、良い仕事に就き、人から羨ましがられるような生活を送ること。
それが本当に、あなたの心が望んでいることでしょうか。
ジャン・デュビュッフェは、芸術の洗練という鎖をバラバラに破壊することで、私たちに本当の自由を教えてくれました。
彼の作品は、あなたを型にはめようとする現代社会に対する、静かな、しかし最も強烈な反逆の狼煙(のろし)なのです。
なぜ、私たちは彼の粗削りな絵を見て、涙が出そうになるのでしょうか。
それは、私たちが忘れてしまった「純粋な子供の心」が、彼の絵の中で大声で笑っているからに違いありません。
ジャン・デュビュッフェは、あなたに喜んでもらいたかったのです。
あなたの心を、退屈な日常という名の病から救い出す、魂の医者になりたかったのです。
彼は自分の名声をすべて投げ打ってでも、目の前にいるあなたを、その精神の牢獄から解放しようとしました。
「真の平和は、戦争がないことではなく、魂の不屈の強さから生まれるものである」
―― ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼス
生の中に死があり、死の中にこそ生がある
人生の本当の輝きというのは、すべてが順調なときには、なかなか見えてこないものです。
深い絶望の底に突き落とされ、もう一歩も歩けないと思ったその瞬間に、信じられないような光が差し込むことがあります。
ジャン・デュビュッフェが、それまでの美しい美術を一度「殺す」ことによって、全く新しい「生の芸術」を誕生させたように、私たちの人生もまた、壊れることから始まるのではないでしょうか。
失うことを恐れないでください。
失敗することを、恥じないでください。
なぜなら、あなたが今、苦しみの最中にいるとしたら、それは新しいあなたが生まれ変わるための、神聖な準備期間だからです。
ジャン・デュビュッフェの絵の具が、何度も削られ、重ねられ、叩きつけられるように、あなたの人生の試練もまた、あなたという存在を唯一無二の傑作へと仕上げるための、必要なプロセスなのです。
彼は、そのドロドロの画面の向こうから、あなたに向かって「諦めるな!」と、何度も何度も叫び続けているのです。
「自分の無知を隠す者は、決して学ぶことができない。自らの無能・無才を恥じるのみである」
―― 松尾芭蕉
魂の奥底で、あなたと手をつなぎ続ける
私は、あなたに見捨てられたら、もう生きていくことができません。
この文章も、あなたという大切な読者がいてくれるからこそ、こうして命を宿すことができたのです。
ジャン・デュビュッフェが、批評家たちの冷酷な言葉を一切無視し、ただひたすらに、人間の本質的な喜びのために描き続けたように、私もまた、他の誰でもない、あなたのためだけにこの文字を紡いでいます。
あなたの心が少しでも軽くなるなら、私はいくらでも道化になりましょう。
いくらでも、自分の恥ずかしい部分をさらけ出しましょう。
なぜ、人は人を求めるのでしょうか。
それは、私たちは一人では、あまりにも孤独だからです。
ジャン・デュビュッフェは、その人間の根源的な孤独を深く理解していました。
だからこそ、彼の描く人間たちの顔には、ぎょろりとした大きな「目」が、こちらをじっと見つめるように描かれていることが多いのです。
その視線は、時空を超えて、今、あなたの目を真っ直ぐに見つめています。
「私はここにいるよ。あなたを一人にはさせないよ」と、温かく語りかけているのです。
「幸運は、強い意志の前にひざまずく。運命などというものは、自分で切り開くものだ」
―― セネカ
奇跡はいつも、足元の泥の中から生まれる
さあ、顔を上げてください。
私たちが生きるこの世界は、まだまだ捨てたものではありません。
ジャン・デュビュッフェが、道端に転がっているただの石ころや、汚れた壁の中に至高の美を見出したように、あなたの足元にも、たくさんの奇跡の種が転がっているはずです。
考える前に、まず一歩を踏み出してみませんか。
間違えたっていいじゃないですか。
笑われたっていいじゃないですか。
あなたが一生懸命に生きている姿を、誰かが必ず見ています。
たとえ世界中の人があなたを批判したとしても、私はあなたの味方です。
ジャン・デュビュッフェの芸術が、何十年もの時を経て、今こうして私たちの心を救ってくれているように、あなたが今日流した涙は、いつか必ず、誰かを温めるための美しい花を咲かせることでしょう。
私は、あなたという存在のすべてを信じています。
この命の限りを尽くしたサービスが、あなたの心の最も深い場所に届くことを、切に、切に願っております。
夜の底で、古いピアノが鳴っている
誰も弾いていないのに、確かに鳴っている
あなたが捨ててしまった、あの日の涙の数だけ
鍵盤は静かに、震えているのだ
海を渡る鳥たちが、名前を持たないように
あなたの痛みに、ラベルを貼る必要はない
ただ、その傷口から流れる赤い血のなかに
永遠という名の、美しい列車が走っている
見失わないで、あなたのその澄んだ目を
世界がどれほど、濁った嘘で満たされようとも
あなたが誰かを見つめるとき、そこには新しい星が生まれる
さあ、僕と一緒に、誰も知らない街へ行こう
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日々が来たり、年に至って『わたしには何の喜びもない』と言うようにならない前に」
―― 旧約聖書・伝道の書 第12章1節
「人間は、時として、人間のためでなく、人間の生み出した、いわば芸術、とでも言いたいようなもののために、生命をさえおしまない事がある」
―― 太宰治
旅の終わりに、あなたへ
ね、なぜ旅に出るの?
苦しいからさ。
あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。
――太宰治「津軽」より
追伸:高見沢耳という、不器用な魂の物語
私の大切なあなたへ、最後にもう少しだけ、身近な一人の男のお話をさせてください。
高見沢耳(たかみざわ みみ)という、とても風変わりで、愚かで、いつも周りから物笑いの種にされている画家がいます。
彼は、普通の画家のようにキャンバスをイーゼルに立てかけたり、毛筆で絵の具を塗ったりはしません。
なんと、パソコンやタブレットを使い、デジタルで絵を描くのです。
そしてそれを、ジクレー版画という最先端の技法を使って、最高級の版画用紙にじっくりと印刷します。
「キャンバスも筆も使わないなんて、そんなの画家じゃない」と、世間の頭の固い人たちは彼を笑います。
でも、彼は一向に気にしません。
なぜなら、彼の仕事は、あなたへの奉仕であり、あなたの魂を救うための精一杯の医療行為だからです。
高見沢耳の絵には、いつも大きな「目」が描かれています。
あなたの目、わたしの目。
彼は、キリスト教の精神、永遠、人間の深い心理、そして真理といった重いテーマを、私たちの日常のすぐそばにある孤独や苦難、そしてそこからの復活と解放の物語として描き続けています。
彼が画家になろうと決意したのは、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの、あまりにも壮絶で、不器用な生き様を知ったからでした。
「耳」という名前も、ゴッホが自ら耳を切り落としたあの悲劇的な事件にあやかって付けたものです。
彼は自分の画家としての才能が三流であることを、誰よりも自覚しています。
過去の歴史的な傑作たちが、天から与えられた天才のひらめきだけで描かれたのではなく、何十年もの血の滲むような試行錯誤のレンガを積み重ねて作られたものだと、彼は知っているのです。
松尾芭蕉の「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」という言葉のように、彼は他の器用な生き方をすべて捨てて、この道だけに人生を捧げています。
高見沢耳が、よそ見をせずに仕事に全力を尽くす姿は、彼が心から尊敬するCoCo壱番屋の創業者、宗次徳二さんの生き方に重なります。
宗次さんは現役時代、趣味も持たず、友人も作らず、夜の街へ飲みに行くこともなく、年間5640時間も働くほど、すべてをお客様のために捧げました。
実の両親の顔を知らず、極貧の少年時代には雑草を食べて飢えをしのいだという波乱万丈の人生の中で、宗次さんは「人に喜んでもらいたい、自分がいて良かったと言ってもらいたい」という一心だけで、毎日の仕事をレンガを積むように継続されたのです。
高見沢耳もまた、同じ現場主義を貫き、1日12時間以上、ひたすら画面に向き合って目を描き続けています。
なぜ、そこまでして目を描くのでしょうか。
それは、画面の向こうにいる「あなた」を感じたいからです。
あなたを知りたいのです。
周囲から「変人だ」「狂人だ」と嘲笑されながらも、毎日毎日、朝から晩まで織機の発明に没頭したトヨタの創業者、豊田佐吉さんのように。
あるいは、誰もやらない困難な仕事にこそ人生の面白みがあると信じて、トヨタ自動車の基礎を築いた豊田喜一郎さんのように。
高見沢耳も、自分のすべてをあなたに捧げる道道(みちみち)、精一杯の道化を演じているのです。
彼は、あなたに喜んでもらえるなら、いくら笑われても構わないと思っています。
笑われて、笑われて、それによって心はどんどん強くなる。
ただ、あなたに見捨てられたら、彼はもう生きていくことができません。
あなたが目の前にいて、彼の作品を見つめてくれるだけで、彼は救われるのです。
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」という豊田喜一郎さんの言葉を胸に、彼は今日も、身銭を切って、あなたへの必死のサービスを続けています。
どうか、彼の不器用な愛を、笑って、そして受け止めてあげてください。
「あなたが出来ると思おうと、出来ないと思おうと、そのどちらも正しいのだ」
―― ヘンリー・フォード
「自分自身を受け入れること。それが、すべての始まりです」
―― アガサ・クリスティ
「私は命と死、祝福と呪いをあなたの前に置いた。だから、あなたとあなたの子孫が生きるために、命を選びなさい」
―― モーセ
「世の中のすべてのものは、ただ一つの劇の舞台にすぎない。人間はみな、それぞれの役を演じる役者にすぎないのだ」
―― ウィリアム・シェイクスピア
「自分の持っているもので満足できない者は、全世界を手に入れたとしても、決して満足することはない」
―― タルムード
「幸福の記憶は、人を残酷にする」
―― 太宰治
「大人とは、裏切られた青年の姿である」
―― 太宰治
「芸術家は、常に孤独の中にのみ、その真実の光を見出す」
―― 太宰治
「決して、決して、決して、諦めるな」
―― ウィンストン・チャーチル
「勇気を持って、誰よりも先に、 人と違ったことをしなさい」
―― レイ・クロック
「私は一夜にして成功を収めた と思われているが、 その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」
―― レイ・クロック
「夢を見ることが出来るなら、それは実現出来る」
―― ウォルト・ディズニー
「一度でも熱い情熱を傾けたものは、決して失われることはない」
―― レオナルド・ダ・ヴィンチ
ここまで私の長い、そして必死のお話に付き合ってくださり、本当に、本当にありがとうございました。
あなたという素晴らしい存在が、今、私の目の前にいてくださることに、心からの深い感謝を捧げます。
どうぞ、お元気で。
あなたの歩む道が、光に満ちたものでありますように。