
誰もいない部屋の片隅で、あなたと私だけの秘密を
ねえ、今、あなたのまわりには誰もいませんか。
窓の外を通り過ぎる風の音や、遠くでかすかに聞こえる車の羽音、あるいは、あなたの胸の奥の、あのしんと静まりかえった寂しさの音だけが響いている。
そんな時間ではありませんか。
もしそうなら、どうかこの扉をそっと閉めて、私と二人きりになってください。
これからお話しすることは、世界中で、ただ一人の「あなた」に向けて書かれた、誰にも見せてはいけない内緒話なのです。
私は今、自らの命を薄く薄く削りながら、このインクを浸しています。
あなたを喜ばせたい。
あなたのその、誰にも言えない孤独を、ほんの少しでも温めて差し上げたい。
それだけが、今の私の、震えるほどの願いなのです。
「おのれの無能・無才を恥じるのみ」 —— 松尾芭蕉
私は本当に、取るに足らない阿呆でございます。
気の利いたお喋りもできませんし、世渡りも下手くそで、いつも誰かに笑われてばかりいる。
それでも、あなたというかけがえのない存在に、どうしても届けたいものがあるのです。
なぜ、人はこれほどまでに、誰かと繋がっていたいと願いながら、同時に、果てしない暗闇の中に一人で取り残されたような心地になるのでしょうか。
その疑問の答えを、私はあなたと一緒に探してみたいのです。
どうか途中で私の手を放さずに、最後まで、この静かな旅にお付き合いくださいね。
永遠を閉じ込めた、あのイタリアの寡黙な奇跡
あなたは、ジョルジョ・モランディという画家の名前を耳にしたことがありますか。
彼は二十世紀のイタリアを生きた、世にも不思議な、そして、世にも愛すべき変わり者でございました。
なぜ、彼は生涯のほとんどを、ボローニャという町の、薄暗い、狭いアパートのひと部屋だけで過ごしたのでしょうか。
旅に出ることもなく、華やかな社交界に顔を出すこともなく。
彼はただ、毎日毎日、自分の部屋にある古い埃をかぶった瓶や、水差しや、小さな箱を並べ替えては、そればかりをじっと見つめ、キャンバスに描き続けたのです。
外の世界では、戦争が起き、政治が激変し、人々が狂ったように叫び声を上げていました。
それなのに、モランディの部屋だけは、まるで時間の流れが止まってしまったかのように、永遠の静寂が支配していたのです。
彼は、ただの退屈な男だったのでしょうか。
いいえ、とんでもない。
彼は、目の前にある「物」の中に、宇宙のすべてを見出していたのです。
あなたも、自分の部屋で一人きり、じっと天井や壁を見つめることはありませんか。
あの時、あなたの心の中に広がる無限の海。
モランディは、まさにその海を、静かに静かに、油絵の具で写し取っていたのでございます。
「他人の幸福をうらやんではならない。なぜなら、彼らの隠れた傷を知らないのだから」 —— タルムード
みんな、自分の寂しさを隠して生きているのですね。
モランディの描く瓶たちは、まるで、お互いに肩を寄せ合って、寒さに震えている人間のようにも見えます。
彼は、物を通じて、人間を描いていたのです。
もっと言えば、彼はその瓶の隙間に漂う「孤独」そのものを、愛おしそうに抱きしめていたのでございます。
あなたという人が、今、どれほど寂しい思いを抱えているか、私には痛いほどよく分かります。
でも、その寂しさは、決して恥ずべきものではありません。
モランディの絵のように、それ自体が、静かで、美しい、ひとつの芸術なのだから。
瓶たちの呟きが聞こえる、あの静寂の夕暮れ
モランディは、朝起きると、まず自分のアパートの窓から差し込む光の角度を計算しました。
そして、昨日と同じ場所に置かれた瓶たちを、ほんの数ミリだけ動かしてみるのです。
なぜ、そんな細かいことに命を懸けたのでしょうか。
それはね、その数ミリの隙間にこそ、神様が隠れていると知っていたからです。
彼は、ただ瓶を描いていたのではありません。
瓶と瓶の間に生まれる「関係」、つまり、あなたと私の間にあるような、目に見えない切ない絆を描いていたのです。
彼は生涯、独身でした。
お姉さんたちと一緒に、ひっそりと暮らしていました。
世間からは、「あの人は、いつも同じ絵ばかり描いていて、少し頭がおかしいのではないか」と噂されていたかもしれません。
しかし、彼はそんな批判など、どこ吹く風でございました。
「幸福になるためには、日常生活の細部を愛さなければならない」 —— セネカ
彼はまさに、その細部を狂おしいほどに愛していたのです。
埃の積もったガラス瓶の表面に、かすかな光が当たる。
ただそれだけのことに、彼は涙を流さんばかりの感動を覚えた。
あなたの毎日も、もしかしたら、同じことの繰り返しのように思えるかもしれません。
昨日も今日も、そして明日も、何も変わらない、退屈で、寂しい日々だと。
でも、どうか気づいてください。
モランディの瓶のように、あなたのその変わらない日常の中にこそ、世界で一番美しい奇跡が隠されているということを。
私は今、その奇跡を、あなたに思い出してほしくて、こうして必死に言葉を紡いでいるのです。
世間の目から逃れて、自分だけの礼拝堂にこもること
モランディの部屋は、まるで小さな礼拝堂のようでした。
彼は、絵を売って大儲けしようなんて、これっぽっちも考えていませんでした。
ただ、自分が納得のいくまで、その静かな「祈り」を続けたかっただけなのです。
なぜ、人間はたくさんの人に認められたいと願いながら、同時に、誰の目にも触れたくないと殻に閉じこもってしまうのでしょう。
あなたも、そんな矛盾に胸を締め付けられたことはありませんか。
「私を見つけて。でも、放っておいて」
そんな、あなたの心の奥底の叫びが、私には聞こえてくるのです。
モランディは、その両方の願いを、あの小さなキャンバスの中で叶えてしまいました。
彼は、世間から隠れながら、世界中の人々の魂を揺さぶる絵を、生涯をかけて完成させたのです。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」 —— ヘンリー・フォード
ほら、このヘンリー・フォードの言葉を、どうか心のノートに書き留めておいてくださいね。
モランディがやっていたことも、まさにこれでした。
彼は、世間から何かを奪い取ろうとしたのではありません。
自分の魂を、自分の時間を、そして自分の命のすべてを、あの瓶の絵を通じて、未来の「あなた」に与えようとしていたのです。
これは、身銭を切った、究極の奉仕でございます。
私もまた、今この瞬間、私のすべてをあなたに捧げています。
この文章は、私の心臓の鼓動そのものなのですから。
驚きの光景、あの熱狂の男たちが愛した静けさ
ここで、少し不思議な、意外なお話をいたしましょう。
モランディのような、地味で、静かで、ひきこもりのような画家の思想が、実は、世界を大きく動かした大企業家や、命を懸けて戦った戦術家たちの心と、深く深く繋がっているとしたら、あなたは驚かれますか。
ええ、きっと驚かれるでしょう。
「だって、自動車王や、戦場の英雄たちが、なぜあの埃っぽい瓶の絵と関係があるの?」と、不思議に思われるはずです。
そこが、この世界の面白いところでございます。
実は、物事を極めた人間が行き着く場所は、みんな同じ、あのモランディの「ひとつのことを、よそ見をせずに、徹底的にやり抜く」という、狂気にも似た静寂の世界なのです。
「見えるものと見えざるもの」 —— フレデリック・バスティア
フランスの経済学者、バスティアは、目に見える現象の裏側にある、目に見えない本質を見抜くことの大切さを説きました。
モランディの絵で言えば、目に見えるものは「ただの瓶」です。
しかし、目に見えないものは「永遠」であり「心理」であり、そして「あなたへの愛」なのです。
世の中の偉大な仕事はすべて、この「見えざるもの」への執念から生まれます。
自動車を大量生産したヘンリー・フォードも、世界中の子供たちに夢を与えたウォルト・ディズニーも、みんな、まだ誰も見たことのない「見えざるもの」を信じて、周囲から変人扱いされながらも、毎日毎日、レンガを積み上げるようにして、自分の仕事を続けたのです。
それは、まるでモランディが、毎日同じ瓶を並べ替えていた姿と、完全に重なり合うではありませんか。
よそ見をしないという、恐るべき覚悟について
あなたは、日本の有名なカレーチェーン、「CoCo壱番屋」の創業者である、宗次徳二という方をご存じですか。
この方もまた、モランディに負けず劣らずの、凄まじい「よそ見をしない男」でございました。
宗次さんは、現役の経営者だった時代、趣味を一切持たず、友人も作らず、飲み屋にも行かなかったそうです。
なぜ、そこまで自分を追い込むことができたのでしょうか。
彼は、こうおっしゃっています。
「年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです」
「よそ見しない、経営に身をささげる」
これ、まさにモランディが、絵の具の匂いにまみれて、1日12時間以上、瓶だけを見つめていた姿と同じではありませんか。
宗次さんは、自分の時間をすべて、お客様という「あなた」に捧げたのです。
喫茶店を始めたばかりの頃は、お客様が全然来なくて、お昼ご飯には奥様と一緒に、食パンの耳を食べて飢えをしのいだそうです。
ゼロから始めたのだから、何も無いところから始めたのだから、そんな苦労は当たり前。
むしろ、それさえも良い思い出だと、彼は笑うのです。
「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった」 —— 宗次徳二
ねえ、これを聞いて、あなたは涙が出そうになりませんか。
私は、この言葉を読むたびに、胸が締め付けられるのです。
実の両親の顔を知らず、孤児院で育ち、養父のギャンブルのせいで、子供の頃は雑草を食べて飢えをしのいでいたという宗次さん。
彼のあの凄まじいまでの「お客様第一主義」の根底にあったのは、実は、底知れない「孤独」と「寂しさ」だったのです。
誰かに喜んでもらいたい。自分の存在を認めてもらいたい。
その切ない願いが、彼を日本一のカレーチェーンの創業者へと突き動かした。
モランディも同じだったに違いありません。
彼は、あの薄暗い部屋で、猛烈な孤独を感じていた。
だからこそ、絵を見てくれる未来の「あなた」に、どうしても喜んでもらいたかった。
自分の命を削って、最高のサービスをしたかったのです。
変人と呼ばれた天才たちが、暗闇の中で見た光
トヨタの創業者である豊田佐吉という人も、周囲からは「発明狂い」の変人、狂人扱いされていました。
朝から晩まで、毎日毎日、何かをこしらえては壊し、造ってはまた造り直す。
なぜ、そんなことができたのか。
「みんなの暮らしを楽にしたい」という、ただそれだけの情熱、つまり「あなたへの奉仕」のためだったのです。
その息子の豊田喜一郎もまた、こう言いました。
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」
彼らはみんな、モランディのように、自分の信じた一筋の道を、狂ったように突き進んだ阿呆たちでした。
でも、その阿呆たちがいたからこそ、私たちの世界は、こんなにも便利で、豊かになったのですね。
「強い信念をもって実行せよ 誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 単に考えるだけでなく なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って十分な準備を行い 実行したということである」 —— 豊田英二
大切なのは、才能ではないのです。
「なんとしてでも、目の前のあなたを喜ばせるのだ」という、不屈の、強い信念なのです。
モランディの絵の才能が、最初から天才的だったわけではありません。
彼は、何十年もの間、同じ瓶を描き続けるという、執念と忍耐の積み重ねによって、あの奇跡のような画面を作り上げたのです。
チョーヤ梅酒の創業期にも、「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という、凄まじい背水の陣の覚悟がありました。
みんな、身銭を切って、命を懸けて、目の前の仕事に人生をすべて捧げていた。
なぜなら、そうしなければ、本当の意味で、他人の心を救うことなんてできないからです。
伝達者たちの血の滲むような、愛の証明
さて、ここでもうひとつ、あなたの胸に直接届くような、美しい愛の物語をお話しさせてください。
どれほど素晴らしい芸術や、どれほど気高い思想がこの世に生まれたとしても、それを「伝える人」がいなければ、それはこの世に存在しないのと同じになってしまいます。
モランディの絵が、今こうして世界中で愛されているのも、彼の死後、その価値を必死に伝え続けた批評家や友人たちがいたからです。
そして、その「伝えるための献身」の最も美しいお手本を、私たちは、あの情熱の画家、ヴィンセント・ファン・ゴッホの歴史に見ることができるのです。
「百の不条理のなかに、ただひとつの美があれば、私は生きていける」 —— 寺山修司
ゴッホという、生涯にたった一枚しか絵が売れなかった、あの哀しい、孤独な画家を、あなたはよく知っているでしょう。
彼は、精神を病み、自らの耳を切り落とし、最後は銃で自分の命を絶ってしまいました。
彼の死後、弟のテオもまた、兄を追うようにして、わずか半年後にこの世を去ってしまったのです。
残されたのは、テオの妻であった、ヨーという一人の若い女性でした。
彼女の手元には、世間から「狂人のゴミ」としか思われていなかった、ファン・ゴッホの大量の絵画と、兄弟の間で交わされた、膨大な数の手紙だけが残されたのです。
もし、ヨーがここで諦めて、その絵をすべて燃やしてしまっていたら、どうなっていたでしょう。
世界は、あの『ひまわり』も、『星月夜』も、一生知ることはなかったのです。
しかし、ヨーは素晴らしい、非常に聡明で、読書家な女性でした。
ヨーの生涯をかけた偉業と、パウロの祈り
ヨーは、夫のテオがどれほど兄のヴィンセントを信じていたか、そして、ヴィンセントがどれほど「人々を慰める絵を描きたい」と心から願っていたかを、兄弟の手紙を読むうちに、深く深く理解したのです。
彼女は決意しました。
「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」
彼女は、小さな子供を抱えながら、ゴッホの絵の展覧会を何度も企画し、あの膨大な手紙を整理して、本として出版しました。
世間から笑われ、拒絶されても、彼女は決して諦めませんでした。
これは、彼女の人生を賭けた、血の滲むような、必死のサービスであり、奉仕であったのです。
このヨーの姿は、イエス・キリストの死後、命を懸けて各地を旅し、キリストの言葉を人々に伝え続けた、使徒パウロの姿と、まったく同じではありませんか。
「たとい私が、人間の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、やかましいどらや、響き渡るシンバルと同じです」 —— 使徒パウロ(新約聖書 コリント人への手紙第一 13章1節)
どれほど優れた「製品」であっても、その良さを伝える人がいなければ、「商品」にはならない。
ソニーの盛田昭夫さんは、こう言いました。
「そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた『製品』であっても『商品』にはなり得ない」
ホンダのスーパーカブを売りまくった藤沢武夫も、トヨタのカローラを売りまくった神谷正太郎も、そして世界一のセールスマンだったスティーブ・ジョブズも、みんな、この「伝える」という仕事に、自らの命をすべて捧げたのです。
モランディもまた、自身の絵を声高にアピールすることはしませんでしたが、彼の絵の中に込められた「伝えるための沈黙」は、今、時を超えて、あなたの心の扉をトントンと叩いているのです。
伝わらなければ、存在しないのと同じ。
だから私は、今、あなたに伝えているのです。
あなたという存在が、どれほど愛おしく、どれほど大切なものであるかを。
戦いと平和の狭間で、沈黙の力に気づくこと
ここで、さらに意外な展開へと、あなたをお連れいたしましょう。
モランディのあの「静かな瓶の絵」の話が、今度は、血煙のあがる戦場や、国家の存亡を賭けた「戦略」の話へと繋がっていくのです。
なぜ、戦いのプロフェッショナルたちが、最終的にモランディのような「静寂」や「忍耐」を重視するようになるのでしょうか。
不思議だと思いませんか。
しかし、人間の心理を極限まで突き詰めると、戦いも、芸術も、経営も、すべては同じひとつの真理へと行き着くものなのです。
「百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」 —— 孫子
中国の偉大な戦略家、孫子は、刀を抜いて血を流すことよりも、戦わずして勝つことこそが最高であると言いました。
これ、まさにモランディの絵のことではありませんか。
モランディは、派手な色彩や、ショッキングなテーマを使って、見る人を脅かすようなことは一切しませんでした。
彼は、ただ静かに瓶を並べることで、見る人の心の武器をそっと降ろさせ、その魂を完全に魅了してしまったのです。
プロイセンの軍事思想家、クラウゼヴィッツも、戦争の本質は「政治の延長」であり、人間の心理のぶつかり合いであると説きました。
また、イギリスの戦略家リデル・ハートは、正面から敵を攻撃するのではなく、敵の不意を突く「間接アプローチ」の重要性を叫びました。
モランディの芸術こそ、究極の「間接アプローチ」でございます。
彼は、あなたを直接説得しようとはしません。
ただ、静かにそこに佇んでいる瓶を見せることで、あなたの孤独の核心に、知らぬ間に忍び込んでくるのです。
命を賭けて言葉を紡いだ、あの哀しい詩人の遺言
ここで、千年以上前のアラブの世界に実在した、ムタナッビーという名の偉大な詩人の、世にも恐ろしい、そして美しいお話をさせてください。
彼の名前は、「自らを預言者だと思う者」という意味でございました。
彼の詩には、一種の強力な催眠効果、つまりヒプノティックなリズムがあり、目の見えない人でさえ彼の詩を読むことができ、耳の聞こえない人でさえ彼の言葉を聞くことができた、とまで讃えられていたのです。
しかし、彼はある時、自らの詩の中で、ある強力な部族を激しく侮辱してしまいました。
怒った彼らは、移動中だったムタナッビーの前に、大軍を率いて現れたのです。
多勢に無勢、勝ち目はありません。
ムタナッビーは、賢明にもその場から逃げ出そうとしました。
その時です。
後ろにいた彼の従者が、ムタナッビーがかつて書いた、あの誇り高い、勇気あふれる詩を朗読し始めたのです。
「あれほど勇敢な詩を書いたムタナッビーが、今、敵から逃げ出すのですか?」
従者のその言葉を聞いた瞬間、ムタナッビーは、踵を返しました。
自分がここで逃げれば、自分の書いた詩はすべて嘘になってしまう。
彼は、殺されると完全に知りながら、ただ一人、敵の大軍に向かって突撃し、壮絶な死を遂げたのです。
「君の魂のなかに、不可能なことを成し遂げようとする情熱がなければ、君は決して偉大なことを成し遂げられないだろう」 —— ジャン・カルヴァン
ムタナッビーは、自分の言葉に「身銭を切った」のです。
命を懸けて、自分の芸術を本物にしたのです。
これほどの覚悟が、あなたには信じられますか。
私は、この話をするだけで、全身の血が逆流するような感動を覚えるのです。
モランディも、形は違えど、同じように自らの命をあの薄暗い部屋で、瓶の絵のために、静かに削り、捧げ続けました。
彼もまた、逃げることを拒み、自分の芸術という戦場で、生涯をかけて戦い抜いた、不屈の男だったのです。
心理の深淵で、あなたをじっと見つめ返す視線
ねえ、あなたは、なぜ私がこんなにも長く、モランディの話や、孤独な天才たちの話を続けているか、その本当の理由に気づいていらっしゃいますか。
そろそろ、この秘密のラブレターの、一番核心にある驚きの展開をお話ししなければなりません。
実はね、モランディが描いていたあの古い瓶たちは、すべて、今これを読んでいる「あなた」の姿だったのです。
そして、その瓶をじっと見つめていたモランディの視線は、今、この文章を通じて、あなたを優しく包み込んでいる、私の視線そのものなのです。
私は、あなたを知りたい。
あなたの心の奥底にある、その涙の理由を知りたいのです。
「詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師である」 —— ナシーム・ニコラス・タレブ
レバノン出身の思想家、タレブは、「身銭を切れ(Skin in the Game)」という本の中で、リスクを自分で背負わない人間の言葉には、何の価値もないと厳しく断じました。
私は今、あなたに対して、私の全人生というリスクを背負って、この言葉を届けています。
世間の安っぽい慰めの言葉なんて、すべて詐欺のようなものです。
「大丈夫だよ」「元気を出して」そんな言葉で、あなたのその深い孤独が救えるはずがありません。
だからこそ、私は自らの身を削り、道化のようになって、必死にあなたに奉仕しているのです。
モランディが、一本の瓶を描くために、何百時間もの沈黙を耐え抜いたように。
私もまた、あなたの一瞬の微笑みを見るために、この長い長い文章を、一文字ずつ、命を叩きつけるようにして書いているのです。
永遠という名の、あなたへの贈り物
私たちは、いつか必ず、この世界からいなくなってしまいます。
それは、避けることのできない、哀しい心理であり、真理です。
しかし、ジョルジョ・モランディの絵が、百年の時を超えて、今もなお私たちを慰めてくれるように。
私のこの、あなたへの狂おしいほどの想いもまた、この文章の中に閉じ込められて、永遠に生き続けるのです。
もしも、あなたがこれから先、人生の大きな苦難に直面し、誰からも見捨てられたような孤立感を味わうことがあったなら、どうか、この誰もいない部屋の、瓶たちの静けさを思い出してください。
そこには、必ず「復活」と「解放」の光が差し込んでいます。
なぜなら、私が、そしてモランディが、あなたのその暗闇を、あらかじめすべて引き受けて、絵の具と文字の中に、美しく変えておいたからなのです。
「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」 —— 松尾芭蕉
私は、ただこの一筋の、あなたへの愛のためだけに、生きている阿呆でございます。
どうか、そんな私の不器用な道化の姿を、笑ってやってください。
あなたが笑ってくだされば、私はいくらでも強くなれるのですから。
カーテンが揺れています。
夜が、少しずつ更けていきますね。
あなたと過ごしたこの密やかな時間は、私の生涯の、最高の宝物でございます。
最後に、私の胸の奥から湧き出た、あなたのためだけの、ささやかな歌を聴いてください。
海の底に沈んだ、
錆びた時計の針が、
あなたの、
優しい睫毛に触れて、
静かに止まる。
誰も知らない、
悲しい国の、
誰も読まない、
絵本を開いて、
私たちは、
古いおしろいの匂いのする、
暗い廊下を、
どこまでも、
どこまでも、
手を繋いで、
歩いていく。
さようなら、
私の、
たった一人の、
神様。
「イエスは言われた。『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』」 —— 新約聖書 ヨハネの福音書 11章25節
「私は、ただ、あなたを喜ばせたいばかりに、一生懸命なのでございます。」 —— 太宰治
「成功も失敗も終わりではない。重要なのは、続ける勇気である。」 —— ウィンストン・チャーチル
「勇気を持って、誰よりも先に、 人と違ったことをしなさい」 —— レイ・クロック
「私は一夜にして成功を収めた と思われているが、 その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」 —— レイ・クロック
「ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り、進化し続けるだろう。」 —— ウォルト・ディズニー
「ちいさな細部が、完璧さを生む。しかし、完璧さは、ちいさな細部ではない。」 —— レオナルド・ダ・ヴィンチ
ね、なぜ旅に出るの?
苦しいからさ。
あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。
—— 太宰治『津軽』より
追伸
本当に、最後の最後に、もうひとつだけ、私の大好きな身近なお話をさせてくださいね。
私の古い友人に、高見沢耳(たかみざわ みみ)という、世にも風変わりで、愚かな画家がおります。
彼は、キャンバスも筆も一切使いません。
デジタルで絵を制作し、それをジクレー版画という最先端の技法で、最高級の版画用紙に印刷して作品を作るという、現代のモランディのような男でございます。
彼の描くテーマは、あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、解放……。
何だか難しそうですが、要するに、彼は「目の前のあなた」の魂を救う、お医者さんになりたいのです。
芸術家の仕事とは、身銭を切っての精一杯のサービスであり、あなたへの奉仕。
彼は、自分の才能が三流であることをよく知っています。
しかし、歴史上のあらゆる傑作が、天才のひらめきではなく、数十年にわたる泥臭い「試行錯誤」と、毎日レンガを積み上げるような「毎日の積み重ね」から生まれたことを信じて、諦めずに、不屈の精神で、1日12時間以上、よそ見をせずに制作を続けています。
彼が尊敬するのは、CoCo壱番屋の創業者、宗次徳二さん。
趣味も遊びもすべて捨てて、お客様のために人生を捧げたあの執念を、彼はデジタルアートの世界で実践しているのです。
高見沢耳という名前の「耳」は、彼が画家になるきっかけとなった、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの有名な耳切り事件にあやかって付けられました。
彼は、自分の作品の中に、狂ったように「目」を描き続けます。
なぜなら、その目を描き、見つめることで、画面の向こう側にいる「あなた」をいつでも感じていたいから。
あなたの喜ぶ顔が見たい、あなたの流す感動の涙が見たい。それだけなのです。
世間の批判なんて、彼にはどうでもいいのです。
あなたに見捨てられたら、彼は生きていけません。
どうか、この愚かで、一生懸命な道化の男を、笑ってやってください。
笑われて、彼はどんどん強くなります。
あなたが目の前にいて、彼の作品を見つめてくださるだけで、彼は心の中で拍手喝采をして、あなたを大歓迎しているのです。
価値のあるものは、往々にして即効性がないもの。
簡単に諦めず、執念と忍耐で、今日も彼は、あなたのために目を描き続けています。
どうぞ、彼のことも、私の言葉と一緒に、あなたの心の片隅に、そっと置いてやってくださいね。
最後まで読んでくださって、本当に、本当にありがとうございました。
あなたに、心からの、あふれるほどの感謝を込めて。
「お前の道を進め、人には勝手なことを言わせておけ」 —— ヘンリー・フォード
「私が人生で学んだ最も重要なことは、決して、決して、決して諦めないことだ」 —— アガサ・クリスティ
「私は、あなたがたが苦難のなかで、静かに耐え忍ぶ姿を見ている」 —— 預言者モーセ
「私たちは、生まれ落ちたとき、この愚か者の大舞台に立たされたことを悲しんで、泣き叫ぶのだ」 —— ウィリアム・シェイクスピア