エゴン・シーレについて

ねえ、あなた。あなたという人は、どうしてそんなに魂の置き所に困ったような顔をしているのですか。よして下さい。そんな顔をされると、こちらまで自分の影を指先でなぞりたくなってしまいます。今日は少し、あなたのために、そしてあなたという魂の震えのために、ある一人の画家の話をしましょう。エゴン・シーレという男です。名前くらいは、あなたもどこかで耳にしたことがあるでしょう。けれど、彼を単なる「早逝の天才」だとか「耽美的なエロスの表現者」だとか、そんな辞書に載っているような、いかにもあなたらしくない退屈な言葉で片付けてはいけません。

彼は二十八歳で死にました。今のあなたから見て、それはあまりにも早いと感じるでしょうか。それとも、もう十分だとうなずくでしょうか。彼は自分の肉体を削って、その削りかすをキャンバスに叩きつけたような絵を描きました。あなたのその細い指先や、鏡を見るたびに少しだけ嫌いになる自分の顎のライン、それを彼は執拗に、かつ残酷なまでに美しく描き出しました。

あなた、想像してみて下さい。ウィーンという街の、どんよりと重たい空気を。そこには美しさが飽和し、腐敗の匂いが微かに漂っていました。シーレはそこで、自分の全存在をかけて「自分」というものを凝視し続けたのです。彼が描く自画像を見てごらんなさい。どれもこれも、ひどく歪んで、骨張っていて、まるで皮を剥がされた剥製のように生々しい。けれど、その震えるような線の一本一本が、あなたに問いかけてはきませんか。「お前は、本当にお前なのか」と。

あなたはときどき、自分が透明人間になったような気がすることはありませんか。誰かと笑い合っていても、心の奥底では、自分という存在がどこにも根を張っていないような、あのひりひりとした孤独。シーレは、その孤独を極彩色で塗りつぶしたのです。彼の描く体は、どれも関節が不自然に折れ曲がっています。まるで、この窮屈な世界の中でどうにかして自分の居場所を見つけようと、もがいているみたいに。あなたもそうでしょう。社会という冷たい檻の中で、自分を無理に折り畳んで、どうにか形を保っている。シーレは、その歪みこそが人間の真実の姿だと見抜いていたのです。

彼はエロティックだと言われます。確かに、彼の描く裸体は剥き出しです。けれど、それは決して享楽的なものではない。むしろ、絶望的なまでの清潔さがあります。あなた、自分をさらけ出すということは、裸になることよりもずっと勇気がいることだと思いませんか。彼は自分の内側にあるドロドロとした欲望も、死への恐怖も、すべてを線にしてさらけ出した。そこには見栄も外聞もありません。ただ、ひたすらに「私はここにいる」という叫びだけがあるのです。

あなたの日常を思い出して下さい。あなたは毎日、誰かのために微笑み、誰かのために言葉を選び、そうして少しずつ、あなた自身の輪郭を失っています。それは仕方のないことかもしれません。生きていくというのは、そういうことですから。けれど、たまにはシーレの絵の前に立って、その鋭い眼差しと対峙してみるべきです。彼は、あなたが隠し持っている一番醜くて、一番愛おしい部分を、じっと見つめてくれます。

シーレには、師と仰ぐ人物がいました。グスタフ・クリムトです。クリムトは金箔を使い、絢爛豪華に、官能を夢のように描きました。けれどシーレは、その師の華やかさを受け継ぎながらも、その奥にある「死」の匂いをより強く嗅ぎ取りました。金色の夢から覚めた後の、冷たい朝の空気。あなたが徹夜で何かを考え込み、窓の外が白み始めたときに感じる、あの言いようのない虚無感。シーレの絵には、その朝の冷たさが宿っています。

あなた、シーレが投獄されたことがあるのを知っていますか。彼の描く絵が「わいせつ」だと断じられたためです。けれど彼は、獄中でも絵を描き続けました。彼にとって、描くことは息をすることと同じでした。周囲が何と言おうと、権力が彼を縛ろうと、彼の筆先だけは自由だった。あなたの心の中にも、誰にも触れさせたくない、誰にも汚させたくない聖域があるはずです。シーレは、その聖域を命がけで守り抜いた男でした。

彼はまた、風景画も描きました。けれどそれは、私たちが旅行先で眺めるような長閑な景色ではありません。死んでいるような家々、枯れ果てた木々。それらはすべて、彼自身の自画像でもあったのです。家は肉体であり、窓は目であり、道は血管である。あなたが見る景色も、実はあなたの心の色に染まっているのではないでしょうか。あなたが悲しいとき、太陽はあまりにも残酷に輝き、あなたが嬉しいとき、雨は優しくあなたを包む。シーレは、世界を自分の魂の鏡として描いたのです。

二十八歳という若さで彼を連れ去ったのは、当時流行したスペイン風邪でした。身重の妻を亡くし、その数日後に彼もまた、後を追うように逝きました。死の直前まで、彼は亡き妻の姿を描き留めようとしていたといいます。なんて哀しく、そしてなんて身勝手で美しい執着でしょう。あなたは、死の間際に何を描きたいと思うでしょうか。何を、この世に刻みつけたいと願うでしょうか。

あなたに、これだけは覚えておいてほしいのです。シーレの絵が、なぜこれほどまでに現代の私たちの心を打つのか。それは、彼が「美しさ」の定義を書き換えたからです。整った顔立ちや、豊かな肉体だけが美しいのではない。傷つき、震え、今にも壊れそうな人間の魂そのものが、何よりも崇高で美しいのだと、彼は証明したのです。

あなたという存在は、この世界にたった一人しかいません。それは使い古された言葉かもしれませんが、シーレの絵を見れば、それがどれほど切実な真実であるかが分かります。あなたの指の曲がり方、あなたの視線の彷徨い方、あなたの心の揺らぎ。そのすべてが、あなただけの表現なのです。恥じることはありません。もっと自分をさらけ出して、もっと自分を愛してあげて下さい。たとえそれが、他人から見てどれほど不格好であっても。

シーレは言いました。「芸術を否定する者は、殺人に等しい」と。それは、自分自身を否定することは、自分の魂を殺すことだという意味でもあります。あなたは、自分を殺していませんか。誰かの期待に応えるために、自分の本当の声を押し殺してはいませんか。もしそうなら、今すぐシーレの絵を見て、その激しい筆致に自分を重ねてみて下さい。彼はあなたに、生きるための毒と、生きるための薬を同時に与えてくれるはずです。

さあ、あなた。そろそろ顔を上げて下さい。シーレの描いた線のように、力強く、そして繊細に、明日を歩き始めて下さい。あなたの人生というキャンバスに、あなただけの極彩色を塗りたくってやるのです。失敗してもいい。色が混ざり合って、真っ黒になってもいい。その黒の中にこそ、あなただけの真実が隠されているのですから。

どうですか。少しは心が軽くなりましたか。それとも、余計に重たくなってしまいましたか。もし重たくなったのなら、それはあなたが自分自身と向き合い始めた証拠です。その重みを大切にして下さい。それは、あなたが生きているという確かな手応えなのですから。

あなたという人は、本当に。どうしてこれほどまでに魅力的なのでしょう。あなたが自分の弱さを認め、その弱さを抱えたまま立っている姿は、どのシーレの自画像よりも、私の目には眩しく映ります。あなたは、あなたのままでいい。いえ、あなたのままでなければならないのです。

シーレが短い生涯で駆け抜けたあの情熱を、あなたもほんの少しだけ、その胸に灯してみて下さい。世界がどれほど冷たく、暗く見えたとしても、あなたの内側にある炎だけは、誰にも消すことはできません。あなたのその瞳が、いつか自分自身の本当の美しさを見出すことを、私は切に願っています。

さて、お話はこれでおしまいです。あなた、夜風が冷たくなってきましたね。温かいお茶でも飲んで、ゆっくりと休んで下さい。夢の中で、もしシーレに会ったなら、伝えてあげて下さい。「あなたの描いた孤独を、今も大切に抱きしめている人がいる」と。それは他ならぬ、あなた自身のことなのです。

さようなら。また、あなたが自分を見失いそうになったとき、いつでもお話ししましょう。あなたという、かけがえのない魂のために。