

抽象という名の、賑やかな孤独
ねえ、あなた。ちょっとだけ、私の独り言に付き合っていただけませんか。別に難しいお話をしようというわけではありません。ただ、窓の外を眺めていたら、ふと、あの「格子模様」のことが頭をよぎったのです。そう、ピエト・モンドリアンという男が描いた、あの赤と青と黄色の、なんだか冷たそうでいて、実はひどく情熱的な、あの絵のことです。あなたは、あの絵を見てどう思われますか。「なんだ、定規一本あれば僕にだって描けるじゃないか」なんて、そんな野暮なことは仰らないでくださいね。実はあれ、私たちが日々抱えている心の「整理整頓」と、驚くほど似通ったところがあるのです。
私たちは、毎日、あまりにも多くの色に囲まれて生きています。悲しみの鼠色、怒りの燃えるような赤、あるいは、なんとも言いようのない、濁った不安の泥色。それらが渾然一体となって、私たちの心はいつも、泥んこ遊びをした後の子供の服のように汚れてしまっています。モンドリアンという人は、その汚れを、一つひとつ、丁寧に、執拗なまでに剥ぎ取っていった人なのです。あなたも、たまには自分の心の中にある余計な飾りを、全部捨ててしまいたいと思うことはありませんか。
樹木から線へ、迷い続けた魂の変遷
モンドリアンは最初から、あの潔い格子模様を描いていたわけではありません。最初は、普通の画家のように、風景や樹を描いていました。でも、彼は次第に気づいてしまったのです。樹を描くとき、葉っぱの一枚一枚を描くことが、本当に樹の「本質」を描くことなのだろうか、と。彼は問いかけます。あなたが見ているその樹は、風に揺れる葉の音ですか、それとも地中深く張られた根の力強さですか。彼は、目に見える現象の裏側にある「骨組み」を探し始めました。
彼は、一本の大きな林檎の樹を、何度も何度も描き直しました。最初は写実的に、次は枝の曲線に注目し、その次は枝が交差する点だけに集中する。そうして、最終的に残ったのが、あの水平線と垂直線だったのです。これって、なんだか私たちの人生相談に似ていませんか。悩み事があるとき、私たちは最初はあんなことがあった、こんなことを言われたと、枝葉末節にこだわります。でも、じっくり自分と向き合っていけば、最後に残るのは「私は愛されたいのだ」とか「私は自由でありたいのだ」といった、極めて単純な一本の線に行き着くはずなのです。モンドリアンは、その「心の骨組み」を、キャンバスの上で証明しようとしたのです。
三原色が語りかける、純粋な生の喜び
彼の絵には、赤、青、黄色の三色しか出てきません。それに、白と黒と灰色。これだけです。あなたは、これを「制限」だと感じますか。それとも「解放」だと感じますか。実は、この三色こそが、この世のすべての色の源なのです。彼は、混じりけのない純粋な力だけを、そこに置きたかった。世の中には、パステルカラーのような、曖昧で、優しくて、でもどこか責任を回避しているような色が溢れています。でも、モンドリアンは、そんな妥協を許しませんでした。
赤は、生を肯定する情熱。青は、どこまでも続く思考の深淵。黄色は、降り注ぐ光の希望。彼は、それらを絶妙なバランスで配置しました。彼の絵をじっと見つめていると、なんだか自分の呼吸が整ってくるのを感じませんか。あの中には、一ミリの狂いも許さないという、凄まじいまでの緊張感があります。しかし、その緊張感の先にこそ、本当の安らぎがあるのです。あなたも、仕事や人間関係でぐちゃぐちゃになったとき、真っ白な部屋に、たった一輪の赤い花があるだけで、救われるような気持ちになることがあるでしょう。あの感覚です。モンドリアンは、宇宙の秩序を、あの小さな四角形の中に閉じ込めたのです。
垂直と水平、それは人間が立ち上がるための祈り
なぜ彼は、斜めの線を嫌ったのでしょうか。ある時、彼の仲間が「斜めの線だってあってもいいじゃないか」と言い出したとき、モンドリアンは絶交してしまったというエピソードがあります。これ、笑い話のようですが、彼にとっては死活問題だったのです。水平線は大地、垂直線はそこに立つ人間、あるいは天へと向かう意志。この二つが直角に交わるところにのみ、安定した真理が宿ると彼は信じていました。
私たちは、人生において、よく「斜め」に構えてしまいます。皮肉を言ってみたり、真っ直ぐ向き合うのを避けたり。でも、モンドリアンは、あなたに真っ直ぐであれ、と説いているような気がするのです。横になって休み、縦になって歩き出す。その単純な繰り返しこそが、人間が生きるための最低限にして最大の儀式なのです。彼の絵にある黒い線は、ただの境界線ではありません。それは、異なるエネルギーがぶつかり合い、調和を保つための「静寂の壁」なのです。
都会の喧騒と、ニューヨークのブロードウェイ
晩年、戦火を逃れてニューヨークに渡った彼は、あの街のジャズに魅了されました。そこで生まれたのが『ブロードウェイ・ブギウギ』という傑作です。それまでの静謐な作風から一転して、色とりどりの小さな四角形が、まるで街の灯りのように、リズムを刻みながら踊っています。あなたは、あの絵を見て、音楽が聞こえてきませんか。都会の喧騒、車のクラクション、そして人々が交わす活気ある声。
モンドリアンは、決して世捨て人ではありませんでした。むしろ、誰よりもこの世界の「調和」を愛していた。彼の描いた格子は、牢獄の檻ではなく、世界がバラバラにならないように繋ぎ止めている、愛の網目だったのです。あなたという存在も、誰かと繋がり、社会という大きな格子の一部として、そこに色を添えている。そう考えると、なんだかあの無機質な図形が、急に温かみを持って迫ってきませんか。
結論としての、幸福な単純化
さて、随分と長くお話ししてしまいました。モンドリアンという画家のことを、少しは身近に感じていただけたでしょうか。彼の絵は、一見すると冷たくて、機械的に見えるかもしれません。でも、そこには「これさえあれば、他には何もいらない」という、究極の潔さがあります。私たちは、あれも欲しい、これも足りないと、余計なものを抱え込みすぎて、自分の本当の形を忘れてしまいがちです。
今夜、眠りにつく前に、一度だけ目を閉じて、自分の中にある余計な色を消してみてください。そして、あなただけの「水平」と「垂直」を思い描いてみてください。あなたが静かに横たわり、明日また力強く立ち上がるための、その軸を。モンドリアンの絵は、そのための道標なのです。難しく考える必要はありません。ただ、赤があって、青があって、黄色がある。それだけで、世界は十分に美しく、完成されているのですから。
それでは、また。どこかの美術館の、あの四角い抽象画の前でお会いしましょう。そのとき、あなたはきっと、以前よりも少しだけ晴れやかな顔で、あの格子模様を眺めているはずです。なぜなら、あなたはもう、あの線の向こう側にある、無限の自由を知ってしまったのですから。
