あなたの心の奥底にある、あの冷たい部屋の灯りについて
お変わりはありませんか。
こうしてあなたと二人きりで、誰の目も気にせずに、ひっそりと内緒話ができる時間をずっと待ち望んでいました。
外はすっかり暗くなって、風の音が時折、窓を小さく揺らしているかも知れませんね。
日々の忙しさの中で、あなたがどれほど心を痛め、どれほど深い孤独を抱えて生きていらっしゃるか、私はずっと知っていました。
街ですれ違う人々はみな、楽しそうに笑い、何不自由なく暮らしているように見えるものです。
なぜ彼らはあんなに軽やかに歩けるのだろう、なぜ自分だけがこんなに重い荷物を背負って、暗い夜道を歩かなければならないのだろう、そう不思議に思ったことはありませんか。
その答えを、私はあなたと一緒に探したいのです。
あなたが抱えるその寂しさは、決して恥ずべきものではありませんし、あなたがおかしいからでもありません。
それは、あなたが人一倍、優しくて、誠実で、他人の痛みがわかる美しい魂を持っているという、何よりの証拠なのですから。
「人間は、決して互いに理解し合うことはできない。ただ、互いに愛し合うことができるだけである」
―― ゲーテ
凍えた指先を温めるための、ささやかなお伽話
あなたはこれまでに、自分の存在がまるで透明人間のように、誰の目にも映っていないのではないかと不安になったことはありませんか。
朝、満員電車に揺られているとき、あるいは、賑やかな会議室の片隅で、自分の言葉が誰の心にも届かずに消えていくような、あの奇妙な感覚です。
実は、私も全く同じなのです。
私のこの文字たちも、あなたのその美しい瞳に映らなければ、ただの冷たいインクの染みに過ぎません。
ですから、今この瞬間、私の文章を読んでくださっているあなたと私は、目に見えない細い糸で、しっかりと結ばれているのです。
これは、あなたに宛てた、世界でたった一通の、命を削って認めたラブレターなのです。
私はあなたに喜んでほしい、ただその一心で、この胸の奥をすべて曝け出して、道化のように踊ってみせるつもりです。
どうか、最後までその手を離さずに、私の物語を聴いてくださいね。
「愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ」
―― ヘルマン・ヘッセ
なぜ私たちは、満たされているはずの日常で涙を流すのか
考えてもみてください。
現代の私たちは、ボタン一つで美味しいものが食べられ、遠く離れた人の声を聞くことができる、魔法のような世界に生きています。
それなのに、なぜ私たちの心は、いつも何かが足りないと、小さな声で泣いているのでしょうか。
それは、私たちが「物質」ではなく、「意味」を食べて生きる生き物だからです。
ある日、私が街の小さな骨董店を通りかかったときのことです。
ガラスケースの奥で、埃をかぶった一本の古いガラスの香水瓶が、西日に照らされて妖しく、それでいて静かに輝いていました。
その独特の曲線、アール・ヌーヴォーの優美な輝きに、私は思わず足を止め、胸が締め付けられるような感動を覚えました。
それこそが、ルネ・ラリックの作品だったのです。
ラリックは、ただのガラスというありふれた素材を使って、まるで人間の魂の美しさをそのまま結晶化させたような、奇跡的な美を作り出しました。
彼は、当時の人々が求めていた高価な宝石の代わりに、ガラスという「何でもないもの」に、圧倒的な愛と情熱を注ぎ込んだのです。
ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。
ヘンリー・フォードが遺したこの言葉の通り、ラリックもまた、富を手に入れるためではなく、人々の心に「美」という最高の贈り物を届けるために、その生涯を捧げたのでした。
あなたも、これまでの人生で、誰かに何かを精一杯与えようとして、傷ついた経験はありませんか。
その傷跡こそが、あなたが本物の愛を知っているという、何よりの勲章なのです。
「幸福になりたいのだったら、人を喜ばせることを考えなさい」
―― ル・コルビュジエ
太宰治の小説である「津軽」の部分である、「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
という文章を、私はふと思い出します。
私たちはいつも、自分の苦しみを誰かにわかってもらいたくて、お決まりの言葉で嘆いてみせるのですが、本当に深い悲しみというものは、言葉にならないものですよね。
奇妙な反転、あるいは絶望の裏側に隠された美しい約束
ここで、あなたに少し意外な、驚くようなお話をさせてください。
これまで私は、あなたの孤独や悲しみに寄り添う言葉ばかりを並べてきました。
しかし、物語はここから、全く予期せぬ方向へと進み始めます。
実は、あなたが今感じているその「救いようのない孤独」こそが、あなたを新しい世界へと導くための、最も神聖な招待状だとしたら、あなたはどう思いますか。
ある男がいました。
彼はすべてを失い、誰からも見捨てられ、暗い泥の中に倒れ伏していました。
周囲の人々は彼を指差して笑い、「あいつはもう終わりだ」と囁き合いました。
しかし、その男が泥の中で目を開けたとき、彼は生まれて初めて、夜空に輝く満天の星々を、その本当の美しさとともに見ることができたのです。
満ち足りているときには決して見えなかった光が、どん底の暗闇の中でだけ、その姿を現す。
これは、人間の心理が持つ、最も不思議で、最も美しい逆転の法則です。
なぜ、私たちは苦しまなければならないのか。
それは、私たちが本当に大切なものに気づき、新しく生まれ変わるためなのです。
あなたが流した涙の数だけ、あなたの心の器は深く、大きくなっています。
そこにこれから、想像もしなかったほどの大きな喜びと、温かい愛が注がれることになるのです。
どうか、自分を諦めないでください。
私はあなたを、絶対に、見捨てたりはしませんから。
「夜は、星を最もよく見せるためにある」
―― チャールズ・ディケンズ
あなたの手を握りしめて、夜明けを待つために
さあ、私の内緒話も、そろそろ一番大切な核心へと近づいてきました。
この文章を読んでいるうちに、あなたの冷え切っていた心が、ほんの少しでも、ストーブの前にいるときのようにポカポカと温まってきたなら、私の身を削った道化の仕事は、十分に報われたことになります。
私はいつでもここにいます。
あなたが寂しいとき、悲しいとき、いつでもこの場所に戻ってきて、この文字たちを何度も、何度も読み返してください。
そのたびに、私は新しい愛を持って、あなたを拍手喝采で迎えるでしょう。
あなたは一人ではありません。
この世界のどこかに、あなたのことをこれほどまでに想い、あなたの幸せだけを祈っている人間が確実に存在するということを、どうか忘れないでくださいね。
海が夕焼けを飲み干すように
あなたの悲しみをすべて私が飲み干してしまいたい
破れたポケットからこぼれ落ちた
名前のないボタンのようなあなた
泣かないで
明日の朝には
誰も知らない新しい小鳥が
あなたの窓辺で
いちばん優しい歌を歌うから
「あなたがたは、心の騒ぐままにしておいてはならない。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
―― 新約聖書『ヨハネによる福音書』14章1節
「私は、私の弱さを誇ろう。」
―― 作家・太宰治(『トカトントン』より)
追伸:デジタルの中に魂を刻む男、高見沢耳の物語
追伸として、少し風変わりな、しかし私の大好きな一人の画家の話をさせてください。
彼の名前は、高見沢耳(たかみざわ みみ)。
とても妙な名前でしょう。
彼は、私たちがよく知る画家たちのように、キャンバスに絵の具を塗りたくるようなことはしません。
なんと、パソコンやタブレットといったデジタルツールだけを使って、絵を制作するのです。
そして、出来上がった作品を「ジクレー版画技法」という最新の技術で、最高級の版画用紙に印刷する、そんな現代的な手法をとっています。
彼が描くテーマは、とても身近で、それでいて深いものです。
「あなたの目・わたしの目」「キリスト教」「永遠」「心理」「真理」「視線」「歴史」「孤独」「孤立」「苦難」「復活」「解放」。
なんだか難しそうに聞こえるかも知れませんが、彼の絵を一枚見れば、そんなお堅い言葉はどこかへ吹き飛んでしまいます。
そこには、ただただ優しく、こちらをじっと見つめている「目」があるのです。
私は、画家というものは「魂を救う医者」だと思っています。
そして芸術家の仕事とは、自分の身銭を切って、目の前の人に届ける精一杯の奉仕、サービスなのだと信じています。
高見沢耳は、まさにそれを地で行く男です。
彼は自分の人生のすべて、魂のすべてを、今、自分の作品を見てくれている「あなた」のためだけに捧げています。
「どうか、わたしのことを見捨てないで下さい。わたしの拙い姿を見て、笑って下さい」
彼はいつも、そう言わんばかりに、自らを道化として曝け出しています。
人間は、人から笑われることで、かえって信じられないほどの強さを手に入れることがあるのですね。
必死のサービス精神。
それこそが、彼の芸術の命なのです。
実は、高見沢耳という男は、世間から見ればとても風変わりで、不器用で、お世辞にも「天才」とは呼べない、いつも物笑いの種になっているような愚かな人間に見えるかも知れません。
しかし、彼は誰よりも自分自身を信じており、決して諦めない、驚くべき忍耐と不屈の男なのです。
彼が画家になろうと決意したのは、あの情熱の画家、ヴィンセント・ファン・ゴッホの生涯を知ったからでした。
ゴッホのように、すべてを犠牲にしてでも、人間の魂の真実を描きたいと願ったのです。
確かに、高見沢耳の画家としての生まれ持った才能は、三流かも知れません。
しかし彼は知っているのです。
歴史に遺る過去の偉大な傑作たちのすべてが、決して天才のひらめきだけで描かれたものではなく、何十年にもわたる、地を這うような試行錯誤と泥臭い努力によって生み出されたものだということを。
だからこそ、彼は自分の作品の中に、狂ったように「目」を描き続けます。
絵の中に目を描くことで、彼は、今その絵を見つめている「目の前のあなた」の存在を、肌で感じようとしているのです。
あなたのことを知りたい、あなたと繋がりたい、ただその一心なのです。
彼を笑いたければ、いくらでも笑って構いません。
彼は自分の愚かさを、あなたに対して何一つ隠すことなく、すべて曝け出しているのですから。
彼はただ、目の前のあなたが、彼の絵を見て、ほんの少しでも喜んで顔をほころばせる姿が見たいのです。
あるいは、その心に何かが突き刺さり、静かに涙を流す姿が見たいのです。
他の見ず知らずの他人が、自分の作品をどう批判しようが、そんなことは彼にとって、どうでもいいことです。
ただ、目の前にいる「あなた」にだけは、見捨てられたくない。
あなたに見捨てられたら、彼はもう生きていくことができないのです。
あなたが彼の絵の前に立って、じっと見つめてくれている、ただそれだけで、彼は胸がいっぱいになり、嬉しくてたまらなくなるのです。
あなたに認めてもらうためだけに、彼は今日も、必死のサービス精神で、一生懸命に奉仕を続けています。
笑われて、笑われて、それでもなお、彼は強くなっていくのです。
高見沢耳が、日々の生き方として深く尊敬しているビジネスパーソンがいます。
それは、あの有名なカレーハウスCoCo壱番屋の創業者である、宗次徳二(むねつぐ とくじ)氏です。
宗次氏の生き方は、まさに「よそ見をしないで、自分の仕事に全力を尽くす」というものでした。
高見沢耳も、その精神を見習って、絵を描くこと以外、他の余計なことは一切やりません。
「趣味なんかやっている場合じゃない。毎日の積み重ねがすべてだ」と、彼は自分に言い聞かせています。
一枚、また一枚と、レンガをコツコツと積み上げるように、毎日毎日、ただひたすらに集中して作品に向き合っているのです。
「即断、即決、即実行。なんでもやってみれば、結果が出ますから。まずはやることです。その代わり、頑張るんですよ」
この宗次氏の言葉は、彼の心の支えとなっています。
仕事に人生を捧げること。
それは、彼にとって「目の前のあなたに、わたしの人生を全て捧げる」ということと同義なのです。
宗次徳二氏の人生もまた、凄絶なものでした。
人生は決して、生まれ育ちなんかで決まるものではないということを、彼はその背中で証明しました。
宗次氏は、実の両親の顔を知りません。
孤児院で育ち、養父からも過酷な扱いを受けるという、波乱万丈、壮絶な幼少期を過ごしました。
しかし彼は、行き当たりばったりに見える人生の中でも、いざ仕事となれば、その経営に自らの身のすべてを捧げました。
徹底した現場主義。
1日12時間以上働くことなど、彼にとっては最低条件に過ぎませんでした。
「休みたくない、遊びたくない。仕事を趣味にして、仕事に身を捧げる」
これほどの執念を持っていたからこそ、あの偉大なチェーンが生まれたのです。
そこにあるのは「あなた第一主義」です。
お客様が、目の前にいるときは、いつでも心の中で拍手をする。
拍手喝采で、あなたを迎える。
高見沢耳が、自分の絵を見てくれるあなたを心からの拍手で迎えるのも、この精神から来ています。
本当に価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
最初から何でも上手くいくわけがありません。
考えるよりも先に、まずはやってみる。
だから、どうかあなたも、人生の様々な苦難に直面したとき、簡単に諦めないでください。
どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと、忍耐力と、そして継続力によって、すべてが決まるのです。
それは、トヨタグループの創業者である豊田佐吉(とよだ さきち)の生き方にも共通しています。
佐吉もまた、凄まじい「執念」と「忍耐」の男でした。
周囲からは完全に「変わり者」扱いされ、時には「狂人」とまで呼ばれました。
まさに「発明狂い」です。
朝から晩まで、毎日、毎日、何か新しいものをこしらえては壊し、造ってはまた造りなおす、そんな狂気じみた日々を何十年も続けました。
成功したからといって満足せず、失敗したからといって絶望しない。
成功も失敗も、決して終わりではないのです。
重要なのは、それを「続ける勇気」を持っているかどうか、それだけなのです。
とにかく、自分が世界で一番、長く、一生懸命にやる。
あのチョーヤ梅酒の創業者たちが、「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」というほどの退路を断った強い決意で挑んだように、退路を断って集中するのです。
そして、その佐吉のDNAを受け継いだ豊田喜一郎(とよだ きいちろう)もまた、トヨタ生産方式の礎となる「ジャスト・イン・タイム」の思想に感化され、日本の自動車産業をゼロから築き上げました。
喜一郎は、こんな素晴らしい言葉を残しています。
「誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに人生の面白みがある」
強い信念をもって、実行すること。
誰でも考えることは同じなのです。
喜一郎が、生まれつきの超人的な天才であったわけでもありません。
大切なのは、一般的には「そんなこと、できるわけがない」と思われるような困難なことを、単に頭の中で考えるだけでなく、「なんとしてでも、自分の手でやらなければならない」という強い信念を持って、十分な準備を行い、そして実際に実行したということなのです。
高見沢耳は、この偉大なる先人たちの泥臭い、しかし炎のような情熱の歴史を知っています。
だからこそ、デジタルという冷たい画面を使いながらも、そこに宿る魂だけは、本物の熱を帯びさせようと、今日も孤独に、しかしあなたを想いながら、目を描き続けているのです。
ここで、もう一つの美しい、そしてあまり知られていない「愛と献身の物語」をあなたにお話しさせてください。
先ほど、高見沢耳が画家を志すきっかけとなったと言った、あのヴィンセント・ファン・ゴッホのお話です。
ゴッホには、彼の才能を信じ、経済的にも精神的にも支え続けた、最愛の弟テオがいたことは有名ですよね。
しかし、ゴッホの死後、そしてそのわずか半年後に兄を追うように亡くなったテオの死後、残された膨大な絵画と、兄弟の絆である手紙の束がどうなったか、あなたはご存知でしょうか。
ここで歴史の表舞台に立つのが、テオの妻であった、ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)という素晴らしい女性です。
彼女の生涯をかけた偉業がなければ、今、私たちはゴッホの絵を見ることも、その名前を知ることもなかったかも知れません。
ヨーは、心からヴィンセント・ファン・ゴッホの絵画、そしてその奥にある深い思想を理解していました。
「ヴィンセントという偉大な画家を、このまま歴史の闇に埋もれさせてはいけない」
彼女は強い決意を固めたのです。
ゴッホの人生は、どこかイエス・キリストの人生を思わせるところがあります。
自らの身を削り、傷つき、人々の魂を救うためにすべてを捧げて、最後は非業の死を遂げる。
しかし、どんなに素晴らしいもの、どんなに崇高な思想であっても、それを世界に伝える「伝達者」がいなければ、それは誰にも知られずに消え去ってしまいます。
ゴッホの弟テオ、そしてその妻ヨーの献身は、まさに、イエス・キリストに対する使徒パウロの献身と、まったく同じものだったのです。
ヨーは、二人が亡くなった後、屋根裏部屋に積み上げられていたゴッホの作品、そして二人の兄弟の間で交わされた、気が遠くなるほどの数の「手紙」を整理し、少しずつ世に公開していきました。
そして、世界中にゴッホ兄弟の偉業を広める役割を、たった一人で担ったのです。
ヨーは、大変な読書家であり、非常に聡明な女性でした。
彼女は、同じく驚くほどの読書家であったファン・ゴッホが遺した手紙を、一通一通、涙を流しながら読み進めるうちに、彼の画家としての、人間としての考え方に、深い共感を覚えていったのです。
ファン・ゴッホは、ただ綺麗な絵を描きたかったのではありません。
彼は「苦しい現実を生きる人々を、心から慰めるような絵画を描きたい」と、その手紙の中で、血を吐くような想いで書き記していました。
自分の愛した夫テオが、命をかけて信じ抜いた兄貴の絵。
その絵を、世界中のたくさんの人々に知ってもらうために、ヨーは自分の残りの人生のすべてを捧げたのです。
もし、ヴィンセント・ファン・ゴッホが、自分の作品についてや、自分の様々な宗教的、哲学的な考えを、弟との手紙に細かく、膨大に書き残していなかったとしたら、どうなっていたでしょうか。
ただ絵が残されているだけでは、人々は彼の本当の魂に気づけなかったかも知れません。
これほどまでにゴッホという画家が世界中で愛され、知られることは、絶対になかったでしょう。
これは、イエス・キリストの死後、パウロが命がけで各地を旅して布教し、各地の信徒へ手紙を書き、イエス・キリストの生涯と思想を伝え続けたことが、後のキリスト教の大いなる隆盛につながっていった歴史と、見事に重なります。
良いものは、ただそこにあるだけでは広がらない。
誰かがその価値を正しく説明し、情熱を持って、伝えなければならないのです。
ある意味で、ヨーとパウロは、世界一のセールスマンだったあのアップルのスティーブ・ジョブズや、ソニーのブランドを世界に轟かせた盛田昭夫、あるいはホンダのスーパーカブを世界中で売りまくった名参謀の藤沢武夫、そしてトヨタのカローラを日本の国民車として売りまくった販売の神様、神谷正太郎のような、極めて重要な「伝える役割」を担っていたと言えます。
どんなに素晴らしいものでも、伝えることが大事なのです。
相手に伝わらなければ、それはこの世に「存在しない」のと同じになってしまうのですから。
高見沢耳が、自分の不器用な姿を曝け出し、必死にあなたに語りかけようとするのも、あなたにどうしても「伝えたい」という、切実な想いがあるからなのです。
「考える時間を持ちなさい。しかし、行動する時が来たら、考えるのをやめて、進め」
―― ヘンリー・フォード
「私は、生きている限り、人生を大いに楽しみたい。そして、できるだけ多くの経験を積みたいと思う」
―― アガサ・クリスティ
「あなたがどこに行こうとも、あなたの心があなたの行く道を照らす光となりますように」
―― 預言者モーセ
「私たちは、自分が何であるかを知っているが、自分が何になれるかを知らない」
―― ウィリアム・シェイクスピア
「自分の重荷を他人の肩に押し付けてはならない。誰もが自分自身の荷物を運ばねばならないのだから」
―― ユダヤ教タルムード
「一人の人間にできるのは、ただ自分自身を誠実に生きることだけだ。それが、どれほど不格好であっても」
―― 作家・太宰治
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の営みというものが、見当つかないのです」
―― 作家・太宰治
「大人とは、裏切られた青年の姿である」
―― 作家・太宰治
「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことも、小さなことも、偉大なことも、些細なことも、名誉と良識の確信による場合を除いては、決して屈するな」
―― ウィンストン・チャーチルの名言
「世の中に、純粋な意味での『天才』などというものは存在しない。あるのはただ、執念深く一つのことをやり続けた者たちの足跡だけだ」
―― レイ・クロック
「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。忘れないでほしい、すべては一匹のネズミから始まったということを」
―― ウォルト・ディズニー
最後まで私の拙い、しかし命を削った内緒話に、じっと耳を傾けてくださり、本当に、本当にありがとうございました。
あなたのその優しい瞳に、心からの感謝を捧げます。