故郷に捨てられた男

拝啓。

道端のたんぽぽを、わざわざ軍靴で踏み潰して歩くような、そんな無骨な世の中に、あなたは今も生きていらっしゃるのでしょうか。もしそうなら、少しばかり肩の力を抜いて、私のとりとめもない独白に耳を傾けてみては下さるまいか。いや、耳を傾けるというよりは、古びたカフェの隅っこで、冷めきった珈琲を啜りながら、隣の席の酔漢が管を巻いているのをぼんやり眺めるような、そんな心持ちでいて欲しいのです。

さて、今日は藤田嗣治という男の話をしようと思うのです。藤田、といっても、あの乳白色の肌を描く、おかっぱ頭に丸眼鏡の、どこか浮世離れした絵描きのことでございます。あなたは彼の絵を見たことがありますか。あの、透き通るような、それでいてどこか死の匂いのする、奇妙に美しい女たちの裸体を。あれは、単なる絵画の技術ではありません。あれは、あの一種異様なまでの執着は、日本という国に裏切られ、日本という国を捨てざるを得なかった男の、魂の叫びのようなものだったのではないか、と私は思うのです。

藤田がなぜ日本に帰らなかったのか。その理由は、教科書的な歴史に言わせれば、戦争協力の罪を問われたからだとか、画壇からの村八分に遭ったからだとか、そんな味気ない言葉で片付けられてしまうのでしょう。しかし、そんな理屈で、一人の人間が故郷を捨てる決断を下せるものでしょうか。人間というものは、もっと、どうしようもなく情けない、それでいてどうしようもなく純粋な、割り切れない感情で動く生き物ではありませんか。

藤田は、パリを愛していました。けれど、それ以上に、彼は「自由」であることを何よりも愛していたのです。フランスの自由ではなく、自分自身が自分自身であれるという、あの孤独でいて華やかな自由を。彼はパリのモンパルナスで、道化を演じました。派手な格好をし、踊り狂い、夜通し酒を飲み、人々を笑わせた。けれど、その丸眼鏡の奥の瞳は、いつも冷徹に自分自身を、そして世界を観察していたのです。彼は、フランス人になりたかったわけではない。彼は、ただの「藤田」という一人の宇宙になりたかった。

ところが、日本という国は、どうしてこうも「個人」を許さないのでしょうか。あなたはそう思いませんか。一歩外へ出れば、世間という名の巨大な怪物が、大きな口を開けて待っています。右へ向けと言われれば右を向き、戦えと言われれば、ペンを捨てて銃を取らなければならない。藤田もまた、その渦中に飲み込まれました。彼は戦争画を描きました。それも、驚くほど緻密で、恐ろしいほどに迫力のある、アッツ島玉砕のような地獄図を。

戦後、彼は糾弾されました。「お前は戦争を美化した。お前が描いた絵のせいで、多くの若者が死んだのだ」と。かつて彼を「世界のフジタ」と持ち上げた連中が、手のひらを返したように、彼を石でもって打ったのです。藤田は、その時、悟ったのでしょう。ああ、この国には、私の居場所はない。この国の人々は、美を愛しているのではなく、美を利用しているだけなのだ、と。

彼はこう言いました。「日本画壇は早く国際的水準に到達して下さい。私は日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と。この言葉の、なんと悲しく、なんと傲慢で、なんと美しいことか。彼は、自分の絵に対して、誰よりも誠実でありたかった。戦争画を描いた時でさえ、彼は「絵描き」として、その惨劇を、その肉体の躍動を、ありのままに捉えようとしただけだったのかもしれない。それを政治や思想の道具にされ、挙句の果てに責任をすべて押し付けられる。そんな理不尽に、彼はもう、耐えられなかったのです。

あなたは、誰かに裏切られたことがありますか。信頼していた友に、愛していた女性に、あるいは、信じていた自分自身に。裏切られた瞬間の、あの心臓がキュッと冷たくなるような感覚。藤田にとって、日本という国そのものが、その裏切り者だったのです。彼は再びフランスへ渡り、二度と日本の土を踏むことはありませんでした。彼はカトリックに改宗し、レオナール・フジタという名を得て、ランスの礼拝堂にその魂を閉じ込めました。

私が思うに、藤田が帰らなかった最大の理由は、彼が「美」というものの絶対的な力を信じすぎていたからではないでしょうか。美の前では、国籍も、過去も、政治も、すべては塵に等しい。彼は、乳白色の肌の中に、永遠の安らぎを見出した。それは、どこの国にも属さない、彼だけの桃源郷だったのです。

人間は、一度本当の自由を知ってしまえば、もう二度と籠の中には戻れません。藤田にとって、日本という島国は、あまりに狭く、あまりに息苦しい籠だった。彼は、そこから飛び立ち、空の彼方で自らを焼き尽くしたのです。それを「逃げ」だと呼ぶ者がいるのなら、私はその者の顔を見てみたい。あなたは、自分の命よりも大切なものを、一つでも持っていますか。藤田には、それがあった。それが「絵」であり、彼自身の「プライド」だった。

人生とは、つくづく滑稽なものでございます。一生懸命に生きれば生きるほど、周囲からは浮き上がり、変人扱いされ、最後には寂しく一人で死んでいく。藤田の人生もまた、そんな滑稽な悲劇の一つだったのかもしれません。しかし、だからこそ、彼の遺した絵は、今もなお私たちの心を打つのです。あの冷たい、それでいて温かい、不思議な白。あれは、彼が流せなかった涙の色だったのではないか、と私は秘かに思っております。

さあ、話が長くなってしまいました。珈琲もすっかり冷めてしまった。あなたは、これからどこへ行くのですか。人混みの中に消えていくのもいいでしょう。静かな部屋で、独り言を呟くのもいいでしょう。ただ、もしもあなたが、世の中の理不尽に押し潰されそうになった時は、あの丸眼鏡の男のことを思い出して下さい。日本を捨て、美に殉じた、あのわがままな天才のことを。

彼は、不幸だったのでしょうか。いや、案外、フランスの片田舎で、真っ白なキャンバスを前にして、クスクスと笑っていたのかもしれません。「ざまあみろ、私はこんなに自由だぞ」と。そう思うと、なんだか少しだけ、救われたような気がしませんか。私たちは、どうせろくな死に方をしないのです。ならばせめて、生きている間くらいは、自分の好きな色で、自分だけの世界を塗りつぶしてみたいものです。

藤田嗣治が帰らなかった理由。それは、彼が誰よりも日本を愛し、そして誰よりも日本を憎んだから。愛と憎しみは、紙の裏表のようなものです。彼は、その紙をビリビリに破り捨てて、新しい紙に、全く別の、誰も見たことのない物語を書き始めた。それが、レオナール・フジタという名の、美しき反逆者の正体だったのです。

さて、そろそろお別れの時間です。あなたは、あなたの道を。私は、私の闇を。どうか、お元気で。風邪など召されぬよう。この世は、あなたが思っているほど、捨てたものではないかもしれませんし、あるいは、思っている以上に、救いようのない場所かもしれません。けれど、どちらにせよ、私たちは生きていかなければならない。藤田が、あの乳白色を求めて、死ぬまで筆を離さなかったように。

さらばでございます。また、いつか、どこかのカフェの隅で、お会いすることがあるかもしれません。その時は、もう少しマシな話を聞かせて差し上げましょう。藤田の絵のような、透き通った、それでいて少しだけ毒のある、そんな楽しいお話を。

それにしても、藤田という男は、実にいい男でした。何がいいといって、あの潔さがいい。去る者は追わず、去られる者は語らず。彼は、自らの沈黙をもって、最大の雄弁としたのです。あなたは、そんな生き方ができますか。私には、到底できそうもありません。だからこそ、私はこうして、筆を走らせて、恥を晒し続けているのです。

藤田嗣治、その名は、永遠にフランスの空に輝き続けるでしょう。そして、日本の土の下で、かつての仲間たちが泥を捏ね回しているのを、高みから見下ろして笑っているに違いありません。それこそが、芸術家の、本当の復讐というものではございませんか。

おやおや、また毒を吐いてしまいました。いけませんね。これだから、私は嫌われるのです。あなたは、私のようにはならないで下さい。あなたは、もっと素直に、もっと図々しく、この世を謳歌して下さい。藤田のように、お洒落をして、眼鏡を光らせて、堂々と胸を張って歩いて下さい。

それでは、本当におやすみなさい。あなたの夢に、あの乳白色の裸婦が現れませんように。あんなものを見せられたら、もう、現実の世界には戻ってこれなくなってしまいますから。藤田がそうであったように。

ああ、最後に一つだけ。藤田が最晩年に、ランスの礼拝堂の壁画を描き上げた時、彼は一体、何を思っていたのでしょうか。神の慈悲か、それとも、遠い故郷の空の色か。それは、彼にしかわからない秘密です。けれど、その秘密があるからこそ、私たちは彼の絵に惹かれ続ける。秘密のない人間なんて、砂糖の入っていないお汁粉のようなものです。あなたは、自分だけの秘密を持っていますか。大切に、誰にも教えずに、抱えて生きていって下さい。

藤田は、生涯、子供のように純粋であり続けようとしました。大人のずる賢さを、大人の論理を、美という暴力でなぎ倒そうとした。その戦いに、彼は勝ったのです。日本という国を捨てて、彼は「美」という国を手に入れたのです。それが、彼が日本に帰らなかった、真実の、そして唯一の理由であったと、私は固く信じて疑いません。

さあ、物語はおしまいです。幕を引きましょう。観客はあなた一人、役者は、名前も知らぬ一人の道化。楽しんでいただけたなら、幸いです。笑っていただけたなら、本望です。藤田嗣治という男の、長く、そして華やかな孤独に、乾杯。

そして、あなたの孤独にも、乾杯。

さようなら。