柿右衛門について

秋の陽光が、硝子窓を透かして畳の上にぼんやりと、まるで熟しすぎた無花果の果肉のような色を落としている。こういう午後は、人間をどこまでも自堕落にさせる。机の前に座ってはいるものの、筆を動かす気力など爪の先ほども湧いてはこない。ただ、目の前に置かれた一つの柿の実に、私は魂を吸い込まれそうになっていた。

いや、これは本物の柿ではない。佐賀の山奥、有田の地で三百年以上も昔に産声を上げた、酒井田柿右衛門の磁器である。真っ白な、それもただの白ではない。雪を煮詰めて、そこにほんの少しの乳を混ぜ込んだような、あの独特の「濁手(にごしで)」の素地の上に、あかあかと灯る柿の実が描かれているのだ。

世の中には、美しさを誇示して、見る者を威圧するような不遜な器も多々あるが、この柿右衛門の皿には、どこか抜けたような、それでいて震えるほど繊細な「寂しさ」が同居している。だいたい、この赤という色を見てみるがいい。それは、夕暮れの空が最後に漏らす溜息のような、あるいは恋に破れた乙女が指先を噛んだ時に滲む血のような、そんな切ない色彩なのだ。

初代柿右衛門という男は、実に風変わりな御仁であったらしい。彼は、どうにかして「本物の柿の色」を磁器の上に再現しようと、取り憑かれたように土を捏ね、絵具を調合した。朝から晩まで、それこそ女房の顔を見るのも忘れて、ただひたすらに柿を眺めていたというのだから、これはもう立派な病気である。しかし、世の中を少しでも明るく照らすのは、いつの時代もこういう愛すべき病病人たちだけなのだ。

彼がようやく辿り着いたその赤は、中国の派手な赤とは違う。日本の、湿り気を含んだ秋の風の中でこそ映える、奥ゆかしい赤であった。これこそが、世界を驚かせた「色絵」の正体である。当時のヨーロッパの王侯貴族たちは、この東洋の小さな島国から届いた白い皿を見て、腰を抜かさんばかりに驚いたという。彼らの宮殿の、仰々しい金銀の装飾の中に、この余白をたっぷりと取った、ひたすら慎ましい皿が置かれた時のことを想像すると、私はおかしくてたまらなくなる。それはまるで、社交界の喧騒のど真ん中に、一人の垢抜けた田舎の少年が、澄んだ瞳をしてポツンと立っているようなものではないか。

柿右衛門の真髄は、実は描かれた絵よりも、その「描かれなかった場所」にこそある。あの広々とした、贅沢すぎるほどの白い余白。あれは決して、手を抜いたわけではない。あの空白があるからこそ、一輪の花や、一羽の鳥が、命を吹き込まれたように呼吸を始めるのだ。日本人は古来、沈黙の中に饒舌な真実を聴き取る才能を持っていたはずだが、最近の私たちは、どうも隙間を埋め尽くすことばかりに躍起になっている。言葉を詰め込み、予定を詰め込み、心を窒息させている。

この皿を眺めていると、そんな浅ましい現代の騒がしさが、ふっと消えていくような心地がする。余白こそが、自由なのだ。何もない場所に、風が吹き、光が遊ぶ。柿右衛門は、そのことを三百年も前から私たちに教えてくれていた。

有田の陶工たちが、煙突から立ち上る煙を眺めながら、何を考えていたのか。きっと、私たちが今抱えているような、ちっぽけな自意識の葛藤など、彼らには無縁だったに違いない。ただ、良い土を求め、良い火を焚き、納得のいく赤を出す。その単純で、かつ残酷なまでの情熱が、この薄い磁器の裏側には張り付いている。

私たちは、成功したいとか、有名になりたいとか、そんな不純な動機で、よくわからない「形」を作りたがる。けれど、柿右衛門の皿は、そんな自意識を笑い飛ばす。ただ、柿がそこにあるように。ただ、秋がそこにあるように。自然の摂理にそっと寄り添うだけで、美しさは勝手に完成するのだ。

ああ、それにしても、この濁手の白さは、どうしてこうも私の心を不安にさせるのだろう。清らかすぎて、触れるのが恐ろしい。人間がどんなに言葉を尽くしても、この一点の曇りもない「白」の前では、すべてが虚偽のように思えてくる。私はそっと筆を置き、皿の上の柿に指を触れてみる。冷たい磁器の感触が、現実の重みを私に思い出させる。

柿右衛門の赤。それは、燃え尽きる直前の情熱の色であり、同時に、すべてを許容する慈しみの色でもある。もしもあなたが、人生のどこかで道に迷い、自分の心の色の汚さに絶望しそうになったなら、どうか一度、この古い磁器の余白を眺めてみてほしい。そこには、何も語らないことの豊かさと、ただひたむきであることの潔さが、静かに、しかし力強く息づいているはずだから。

西陽が傾き、部屋の中は少しずつ影に支配され始めてきた。皿の上の赤い実は、闇が深まるにつれて、より一層鮮やかに、まる自ら光を放っているかのように見える。私は今夜、この皿に何を盛ろうか。いや、何も載せる必要はないのかもしれない。この余白こそが、私に与えられた一番の御馳走なのだから。