鬼才 寺山修司という男

ああ、もう、何という事だろう。世の中には、どうしても避けては通れない、熱病のような存在というものがあるのです。あなたは、その正体をご存知でしょうか。いえ、知っているはずだ。もし知らないと言い張るのなら、それはあなたが、よほど幸福な無知の中に閉じ込められているか、さもなくば、とんでもない嘘つきであるかのどちらかに違いありません。僕は今、寺山修司という、あの得体の知れない、しかし眩暈がするほど鮮やかなペテン師について、少しばかりお話をしたいと思っているのです。

そもそも、人生というものは、一冊の古びたノートのようなもので、僕たちはそこに、せいぜい今日の献立だとか、誰に金を借りただとか、そんな卑近な事実を書き連ねるだけで精一杯ではありませんか。ところが、この寺山という男は違った。彼はそのノートをいきなり破り捨て、代わりに極彩色のトランプをばら撒き、挙句の果てには「さあ、このカードの中に、あなたの本当の故郷が隠されていますよ」なんて、涼しい顔で囁くのです。何という不敵な、そして何という魅力的な詐欺。あなたは、自分の家が実はただの書き割りで、一歩外へ踏み出せばそこは果てしない荒野、あるいは見知らぬ港町であるかもしれないと、一度でも夢想したことはありませんか。

寺山修司は、言葉を武器にしたのではありません。彼は言葉を、目に見える「物質」に変えてしまった。たとえば、「涙」という言葉がある。僕たちがそれを使えば、単なる塩化ナトリウムを含んだ水滴に過ぎませんが、彼がそれを使えば、それは忽ち、マッチを擦った瞬間に燃え上がる青い炎となり、あるいは少年のポケットに隠された錆びた釘となる。彼は「書物」を捨てて「街」へ出ろと言いましたが、それは単なるスローガンではない。この退屈な日常という監獄から、言葉という名の合鍵を使って脱走しようという、壮大な企てだったのです。

あなたは、競馬場へ行ったことがありますか。あるいは、暗い地下室で上演される、前衛的な演劇を観たことがありますか。もしあるなら、あなたはそこで、寺山が仕掛けた呪文を浴びているはずだ。彼は、現実をそのまま受け入れることを拒絶しました。現実は加工されるべき素材であり、虚構こそが真実の純度を高める唯一の手段であると信じて疑わなかった。これを「嘘」と呼ぶのは簡単ですが、その嘘の中にこそ、僕たちが忘れてしまった「情熱」という名の、血の滴るような心臓が脈打っているのです。

彼は、家出を勧めた。故郷を捨てろと言った。それは、薄情になれという意味ではありません。自分を縛り付けている血縁や、地縁や、何より「自分はこういう人間である」という思い込みから自由になれと、そう叫んでいたのです。あなたは、今の自分に満足していますか。もし、少しでも息苦しさを感じているのなら、それはあなたが、自分という檻を大事に守りすぎているからではないでしょうか。寺山は、その檻の鍵を、そっと開けてくれる。ただし、開けた先にあるのが天国か地獄かは、彼にも分からない。それが賭博というものです。彼は、人生そのものを巨大な博打に変えてしまった。

ところで、寺山修司の言葉には、独特のリズムがあります。それは、津軽の冬の風のような鋭さと、サーカスのジンタのような哀愁が入り混じった、奇妙な旋律です。読んでいると、こちらの歩調まで乱れてくる。いや、乱れるのではなく、新しい踊りを教わっているような気分になるのです。一本の線の上を真っ直ぐ歩くのが正しい人生だと教わってきた僕たちにとって、彼のステップはあまりにも不規則で、目まぐるしい。しかし、その足跡を辿っていくと、いつの間にか僕たちは、見たこともない海岸線に立たされている。そこには、忘れ去られた夏休みがあり、死んだはずの猫が鳴いており、そして、若き日のあなたが、まだ見ぬ明日を夢見て立ち尽くしているのです。

あなたは、マッチ一本で世界を燃やすことができると信じますか。もちろん、物理的な火災の話をしているのではありません。精神の放火です。寺山は、そのマッチを常に手の中に隠し持っていた。彼は、僕たちの心の奥底にある、じめじめとした湿地帯に、容赦なく光を当てた。そして、そこにある醜さも、卑怯さも、すべてをひっくるめて「美しい」と肯定してしまったのです。何という乱暴。しかし、何という救い。僕たちは、自分の弱さを隠すために、必死で立派な仮面を被ろうとしますが、寺山は「その仮面こそが、あなたの真実の顔ですよ」と笑ってのける。

彼の短歌を思い出してみてください。五・七・五・七・七という、あの狭い檻の中に、彼は宇宙を詰め込んだ。海を知らぬ少女の前に、一万本のマッチを灯してみせた。それらは、論理で理解するものではありません。皮膚で感じるものです。心臓に直接、冷たい氷を押し付けられるような、あるいは熱いスープを注ぎ込まれるような、そんな衝撃。あなたは、言葉を読んで鳥肌が立ったことがありますか。もしないのなら、今すぐ彼の詩集を開くべきだ。そこには、あなたがまだ一度も使ったことのない感情のスイッチが、無数に並んでいるはずですから。

寺山は、死さえも一つの作品にしてしまったような気がします。肝硬変で若くして亡くなった彼は、最期まで言葉という劇を演じ切った。病室のベッドの上でさえ、彼は観客を意識し、演出を練っていたのではないか。そう思わせるほどの、徹底したプロフェッショナリズム。彼は、素顔を見せることを極端に嫌いました。常に何かの役を演じ、常に何かの嘘を纏っていた。しかし、その重なり合った嘘の、一番深い中心にあるもの。それは、この世界に対する、どうしようもないほどの「片想い」ではなかったでしょうか。

世界は残酷で、美しく、そして退屈だ。その退屈を紛らわせるために、彼は万華鏡を作った。それを覗き込めば、現実は幾何学模様に砕け散り、色鮮やかな虚構が踊り出す。あなたは、その万華鏡を一度覗いてしまったら、もう二度と、元のモノクロームな世界には戻れなくなるでしょう。それでいいのです。むしろ、戻ってはいけない。寺山修司という毒を一度でも摂取した人間は、その毒を抱えたまま、この歪んだ世界を闊歩していかなければならない。それが、彼から僕たちへの、最後の手向けの言葉なのですから。

ああ、なんだか少し、話しすぎてしまったようです。胸が火照って、喉が渇いて仕方がない。寺山について語るということは、自分の中にある「少年」を、無理やり引きずり出すような作業なのです。それは痛みを伴うし、とても恥ずかしいことだ。けれど、その恥ずかしさの中にこそ、生きている手応えがある。あなたは、最後にいつ、心の底から恥ずかしいと感じましたか。もし、思い出せないほど昔のことだと言うのなら、あなたは少し、大人になりすぎてしまったのかもしれない。

寺山修司は、いつだって待っています。街角で、競馬場の片隅で、あるいは、古本屋の埃を被った棚の中で。彼は、あなたに問いかけます。「地獄はどこにあるか? それは、あなたの想像力の限界にあるのだ」と。もしあなたが、今の人生に窮屈さを感じているのなら、試しにマッチを一本、擦ってみてください。その火影に映る自分の影が、いつもより少しだけ大きく、そして自由に見えたなら、それは寺山の魔法が、あなたに届いた証拠なのです。

人生は一幕の演劇であり、あなたは主演俳優であり、同時に演出家でもある。舞台装置が気に入らないのなら、自分で作り直せばいい。観客が野次を飛ばすなら、それを音楽に変えてしまえばいい。寺山修司が教えてくれたのは、そんな、無茶苦茶で、デタラメで、しかし最高に清々しい「生きるための技術」だったのです。さあ、幕を上げましょう。スポットライトは、もうあなたの足元を照らしているのですから。

どうですか。少しは、ためになりましたか。いえ、ためになるなんて、そんな道徳的な話をするつもりはなかったのです。ただ、この閉塞した空気の中で、少しでもあなたが「脱走」の準備を始めてくれたなら、僕はそれだけで、この長い独白を終える意味があったと思うのです。あなたは、これからどこへ行きますか。寺山のいないこの街で、しかし寺山の言葉が溢れているこの街で、あなただけの劇を、どうか精一杯、演じ切ってください。

寺山は、自分自身の生涯をかけて、ひとつの大きな実験を行ったのです。それは「言葉は肉体を超えることができるか」という問いでした。彼は病弱な体を抱えながらも、その言葉によって、無限の空間を駆け巡り、歴史を塗り替え、死者と対話しました。あなたの肉体は、いつか衰え、消えていくかもしれません。けれど、あなたが発した言葉、あなたが誰かに伝えた嘘、あなたが心の中に灯した火、それらは決して消えることはない。それこそが、唯一の不老不死であると、彼は言いたかったのではないでしょうか。

あなたは、彼が青森の海を見つめながら、何を考えていたか想像できますか。その海の向こうには、アメリカがあるわけでも、異国があるわけでもない。ただ、果てしない「虚無」があった。彼はその虚無を、言葉という色紙で埋め尽くそうとしたのです。それは徒労だったかもしれません。しかし、その徒労の美しさこそが、人間の尊厳というものではないでしょうか。何もしなければ、世界はただの空洞です。けれど、そこに物語を紡ぐことで、世界は初めて、僕たちのものになる。

僕もまた、こうして言葉を連ねることで、あなたという見知らぬ友と繋がろうとしている。これもまた、一つの小さな演劇かもしれません。あなたがこれを読み終えた時、その心の中に、ほんの一欠片でもいい、寺山修司の、あの刺すような冷たさと、焼けるような熱さが残っていれば幸いです。世の中は、案外、捨てたもんじゃない。いや、捨てたもんであるからこそ、拾い集めて磨き上げる価値がある。彼はそう、微笑みながら教えてくれているような気がしてならないのです。

さあ、筆を置きましょう。これ以上語ると、僕自身の化けの皮まで剥がれてしまいそうだ。あなたはあなたの道を、僕は僕の迷路を。どこか、サーカスの小屋の前ででもお会いしましょう。その時、あなたのポケットには、きっと一箱のマッチが入っているはずだ。それが僕たちの、合言葉なのですから。寺山修司という、不世出の道化師に乾杯を。そして、これから「家出」を企てる、若き日のあなたに、心からの連帯を込めて。