MONTH

2026年5月

ゴヤ スペインが生んだ巨匠

おや、あなた、そんなに眉間に皺を寄せて、一体何を熱心に覗き込んでいるのです。ああ、画集ですか。それもフランシスコ・デ・ゴヤとは、また随分と業の深い、胸の焼けるような劇薬を選び出したものですね。よろしい、お退屈でなければ、少しばかり私の話を聞いてください。何、説教などという野暮な真似はいたしません。ただ、このスペインの老画家の生涯を眺めていると、どうにも他人事とは思えない、滑稽で、それでいて涙の滲む […]

「津軽」 太宰治の最高傑作について

ああ、もう、どうにもならない。この世の中というやつは、どうしてこうも、窮屈で、それでいて、だらしなく、まるでおしろいを塗りすぎた老嬢の微笑のように、薄気味の悪いものでございましょう。私は今、机の前に座って、ただならぬ覚悟でペンを握っております。いえ、覚悟などという勇ましいものではございません。これは、一種の断念であります。あるいは、絶望の果てにふと見つけた、一筋の蜘蛛の糸のような、微かな、あまりに […]

鬼才 寺山修司という男

ああ、もう、何という事だろう。世の中には、どうしても避けては通れない、熱病のような存在というものがあるのです。あなたは、その正体をご存知でしょうか。いえ、知っているはずだ。もし知らないと言い張るのなら、それはあなたが、よほど幸福な無知の中に閉じ込められているか、さもなくば、とんでもない嘘つきであるかのどちらかに違いありません。僕は今、寺山修司という、あの得体の知れない、しかし眩暈がするほど鮮やかな […]

故郷に捨てられた男

拝啓。 道端のたんぽぽを、わざわざ軍靴で踏み潰して歩くような、そんな無骨な世の中に、あなたは今も生きていらっしゃるのでしょうか。もしそうなら、少しばかり肩の力を抜いて、私のとりとめもない独白に耳を傾けてみては下さるまいか。いや、耳を傾けるというよりは、古びたカフェの隅っこで、冷めきった珈琲を啜りながら、隣の席の酔漢が管を巻いているのをぼんやり眺めるような、そんな心持ちでいて欲しいのです。 さて、今 […]

藤田嗣治の孤独

ああ、全く、世の中というものは、どうしてこうも騒がしく、それでいて底知れぬほどに寂しいものなのでしょうね。あなたもそう思いませんか。ふと立ち止まって、自分の影を見つめてごらんなさい。そこには、言葉では言い表せないような、奇妙な虚無が口を開けて待っている。そんな時、人は何かに縋りたくなるものです。酒か、女か、あるいは、たった一枚の絵画か。 今日は、藤田嗣治という男の話をしましょう。いえ、本人の伝記を […]