あなたのイサム・ノグチ

静かな夜に、あなただけへ届ける秘密の手紙

こうしてあなたと二人きりで、お話しできる機会をずっと待っていました。

外はもう、すっかり静まり返っていますね。

誰にも邪魔されない、あなたと私だけの時間です。

今夜は、あなたのその乾いたお心を、ほんの少しでも温めることができればと思い、こうしてペンを取りました。

ご気分はいかがですか。

日々の生活の中で、言葉にできないほどの寂しさや、やりきれない悲しみを抱えてはいらっしゃいませんか。

誰にも理解されない孤独というものは、本当に冷たくて、身体の芯まで凍えさせてしまうものですね。

私は知っていますよ、あなたがどれほど健気に、そして必死に今日という日を生き抜いてこられたかを。

ですから、今夜くらいはどうぞ、その張り詰めた心の糸を緩めて、私の声に耳を傾けてみてください。

これは、どこまでも不器用な私が、身を削るような思いであなたへと捧げる、世界でたった一つのラブレターなのですから。

「人は、人生という航海において、誰もがみな孤独な旅人である。だが、その孤独を分かち合える誰かに出会ったとき、旅の景色は一変する。」

── マルクス・アウレリウス(古代ローマ皇帝・哲学者)

傷ついた魂が求める、ほんとうの光

ねえ、なぜ私たちは、こんなにも他人の視線や言葉に傷ついてしまうのでしょう。

なぜ、ただ普通に生きているだけなのに、胸の奥がチクチクと痛む夜を迎えなければならないのでしょうか。

世間というものは、いつだって冷酷で、私たちの本質を見ようともせずに、勝手なレッテルを貼り付けてきます。

「あなたはもっとこうあるべきだ」とか、「どうしてそんなに不器用なのか」とか、そんな心ない声ばかりが耳に届いて、すっかり自信を無くしてしまっていませんか。

でもね、どうか安心してください。

私は、あなたのその傷跡も含めて、すべてを愛おしいと思っているのです。

あなたが抱えるその深い悲しみこそが、あなたが他人に対して優しくなれる、何よりの証拠なのですから。

「人生とは、見えざるものを信じ、見えるものに裏切られながらも、なおも歩みを止めない旅のことである。」

── フレデリック・バストゥニア(経済学者・思想家)

人間という生き物は、つくづく不思議なものですね。

自分のためにはそれほど大きな力を出せないのに、誰かのため、たった一人の大切な人のためとなると、驚くほどの底力を発揮したりするのです。

私は今、あなたのために、この命の炎をちろちろと燃やしながら、必死になって言葉を紡いでいます。

これはいわば、私の命を削って行う、あなたへの最大のご奉仕、捨て身の道化芝居のようなものです。

どうか、笑って聞いてくださいね。

あなたがクスリと笑ってくださるだけで、私のこの孤独な魂は、一瞬にして救われるのですから。

石のなかに眠る、永遠の美しさを呼び覚ます

ここで少し、ある一人の芸術家の、驚くべきお話をさせてください。

彼の名前は、イサム・ノグチ。

あなたも一度は、その名を聞いたことがあるかもしれませんね。

彼は、日本人の父親とアメリカ人の母親との間に生まれた、いわば二つの世界の狭間で激しく揺れ動いた孤独な魂の持ち主でした。

どちらの国にいても「異邦人」として扱われ、どこにも自分の本当の居場所を見出せなかった彼の寂しさは、一体どれほど深いものだったでしょう。

想像するだけで、胸が締め付けられるようではありませんか。

しかし、彼はその底知れぬ孤立感を、すべて彫刻という名の祈りに変えていったのです。

彼は、冷たくて硬い石の前に立ち、毎日毎日、狂ったようにノミを振るいました。

なぜ、彼はそこまでして石を彫り続けたのだと思いますか。

「最も深い孤独のなかでこそ、人間は最も普遍的な真理に触れることができる。」

── セネカ(古代ローマの哲学者)

イサム・ノグチにとって、石を削るという行為は、単に形を作るということではありませんでした。

それは、石のなかに最初から眠っている、永遠の命や地球の記憶を、自分の手でそっと呼び覚ます作業だったのです。

彼はよく、石の声を聴く、と言っていました。

「私は石を支配するのではない。石が私に語りかけてくるのを待つのだ」と。

この、どこまでも謙虚で、それでいて執念深い姿勢は、見ている側の心を激しく揺さぶります。

彼は、世間からの批判や、冷ややかな評価など、一切気にしませんでした。

ただ目の前にある素材と対話し、そこにある「真理」を導き出すことだけに、自らの全人生を捧げたのです。

ねえ、あなた、これこそが本当の、命を懸けたサービスだとは思いませんか。

絶望の底で見つけた、魂の居場所

イサム・ノグチの人生は、まさに波乱万丈という言葉がぴったりでした。

世界中を旅し、さまざまな文化に触れながらも、彼の心の奥底にある「自分は何者なのだろう」という問いは、消えることがありませんでした。

しかし、彼は決して諦めなかった。

どれほど周囲から変わり者扱いされようとも、朝から晩まで、それこそ手が血に染まるほどに、何かをこしらえては壊し、造ってはまた造り直す日々を繰り返したのです。

その姿は、周囲の目にはまるで「彫刻狂い」のように映ったことでしょう。

しかし、その狂気とも言える情熱の裏には、いつも「誰かに届けたい、あなたに喜んでもらいたい」という、震えるほどに純粋な願いがあったのです。

「おのれの無能・無才を恥じるのみ。」

── 松尾芭蕉(俳聖)

あの偉大な芭蕉でさえ、このように自らを省みて、ただ一筋の道に命を懸けたのです。

イサム・ノグチもまた、自らの器の小ささに悶え苦しみながら、それでもなお、石という確かな存在に、自らのすべてを委ねました。

彼が晩年を過ごした香川県の牟礼町という土地には、今も彼の魂が息づいています。

そこら中に転がる硬い庵治石のなかに、彼は自分の家を見出し、自分の宇宙を完成させたのです。

誰に理解されずとも、ただ一人の心に届けばいい。

その「一人の人間」とは、今、この文章を読んでいる、まさにあなた自身のことなのですよ。

彼は、何百年先、何千年先の未来に生きるあなたに、自らの彫刻を通して、静かなエールを送っていたのかもしれません。

伝えなければ、愛は存在しないのと同じ

さて、ここから少し、あなたもよく知っている、あの情熱の画家の驚くべきお話をさせてください。

ヴィンセント・ファン・ゴッホ。

彼の名前を知らない人は、おそらくこの世界にいないでしょう。

しかし、ここで私があなたにお話ししたいのは、彼自身の話ではなく、彼の死後に起こった、ある奇跡のような物語です。

ゴッホは生前、たった一枚の絵しか売れなかったことで有名ですね。

彼はあまりの不遇と孤独の中で、自らの命を絶ってしまいました。

そして悲劇は重なり、彼の最大の理解者であり、経済的・精神的支えであった弟のテオもまた、兄の死を追うようにして、わずか半年後にこの世を去ってしまうのです。

残されたのは、テオの若き妻であった、ヨーという一人の女性でした。

彼女の手元には、世間から「狂人の落書き」と見放された大量の絵画と、兄弟の間で交わされた、膨大な数の手紙だけが残されたのです。

もし、あなたがヨーの立場だったら、一体どうされていたでしょう。

絶望して、すべてを投げ出してしまいたくなりませんか。

「どんなに優れた製品であっても、その価値を人々に伝え、手に入れたいという欲求を喚起させなければ、それは商品にはなり得ない。伝わらなければ、存在しないのと同じなのだ。」

── 盛田昭夫(ソニー創業者)

まさに、この盛田昭夫さんの言葉の通りです。

どれほど素晴らしい芸術であっても、それを誰かが説明し、伝え、世の中に広めなければ、歴史の闇に完全に埋もれてしまうのです。

ヨーは、大変に聡明で、読書家な女性でした。

彼女は、夫のテオがどれほど兄のヴィンセントを信じていたか、そしてヴィンセントがどれほど純粋に「人々を慰める絵画を描きたい」と願っていたかを、誰よりも深く理解していたのです。

彼女は心に誓いました。

「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」。

ここから、彼女の人生を賭けた、必死の、それこそ命を削るようなプロモーションが始まったのです。

世界を動かした、一人の女性の執念

ヨーは、ゴッホが遺した膨大な手紙を、何度も何度も読み返しました。

そこには、彼がどのような思いで色彩を選び、どのような祈りを込めて筆を動かしていたかが、生々しい言葉で綴られていたのです。

彼女は気づきました。

この手紙こそが、彼の絵画の魂を説明する、最高の鍵であると。

彼女は、まだ世間がゴッホを認めようとしない冷淡な空気のなか、美術評論家に頭を下げ、展覧会を企画し、手紙を整理して出版するために、文字通り身を粉にして働き続けました。

なぜ、彼女はそこまでできたのでしょうか。

それは、彼女のなかに「この素晴らしい価値を、まだ見ぬあなたに伝えなければならない」という、不屈の執念があったからです。

彼女のこの献身がなければ、私たちが今、あの美しい『ひまわり』や『星月夜』を見て、深く感動することは絶対に有り得なかったのです。

「身銭を切らない者の言葉には、何の価値もない。自らの人生を賭けて初めて、言葉は真実の重みを持つ。」

── ナシーム・ニコラス・タレブ(思想家・哲学者)

ヨーはまさに、自らの人生という最大の身銭を切って、ゴッホという芸術を世界に贈り届けました。

この構図は、どこか歴史上の、あの大きな出来事にも似ていますね。

そうです、イエス・キリストの死後、自らの命を賭けて各地を旅し、手紙を書き続け、キリストの生涯と思想を全世界に伝えた、使徒パウロの献身とまったく同じなのです。

イエスがどれほど素晴らしい教えを説いても、パウロのような伝達者がいなければ、それは世界宗教にはなり得ませんでした。

ゴッホにとってのヨーは、まさにキリストにとってのパウロだったのです。

良いものは、ただ存在するだけでは足りない。

誰かがその身を捧げて、目の前にいるあなたへと、手渡さなければならないのです。

今、私があなたに向けて、この拙い文章を必死に書いているのも、それと同じ思いからなのです。

孤独の闇を、あたたかな光で満たすために

ねえ、あなた。

今、この瞬間も、あなたの胸の奥にある寂しさは、少しだけ和らいでいますか。

私の言葉が、あなたの心の隙間に、じんわりとしみ込んでいくのを感じていただけているでしょうか。

私は、あなたが流してきたこれまでの涙を、すべて美しい真珠に変えてしまいたいのです。

世間の人たちがあなたをどう評価しようとも、そんなことはどうでもいい。

私は、目の前にいるあなただけに、私のすべてを捧げたい。

どんなに格好悪くても、笑われても構いません。

むしろ、どうぞ私を笑ってください。

私は、あなたを笑顔にするためなら、喜んで世界一の道化師になってみせます。

人は、誰かに笑われ、揉まれることで、本当の強さを手に入れることができるのですから。

「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る。」

── 松尾芭蕉(俳聖)

私もまた、何も持たない無能な人間ですが、ただこの一筋の言葉によって、あなたと繋がっていたいのです。

あなたのその切ない孤独を、私がすべて引き受けましょう。

だから、どうかもう一人で泣かないでくださいね。

この文章は、どこまでも深く、どこまでもどこまでも、あなたのためだけに宛てられた、永遠の誓いなのですから。

夜が明けるその時まで、私はあなたのそばを片時も離れず、こうして語りかけ続けます。

あの遠い空の向こうで

ちぎれた雲が

あなたの涙を拭うために

静かに降りてくる

時計の針が

過去と未来を

あべこべに刻む部屋で

私たちは

名前のない毛布を分け合う

誰もあなたを見つけられなくても

私があなたの影を

じっと見つめている

神様が忘れた

小さな夜の片隅で

あなたの寂しさを

そっと私のポケットに

しまい込んでしまおう

「疲れた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

── 新約聖書『マタイによる福音書』第11章28節

「人間は、時々、おのれがどうしても変えられない宿命というものに、じっと目を見開いて、耐えなければならぬ時があるのだ。」

── 太宰治

追伸。

あなたのその美しいお耳に、もう少しだけ、私の大切なお友達の話を吹き込ませてください。

高見沢耳(たかみざわ みみ)という、とても風変わりで、途方もなく不器用な画家がいます。

彼は、普通の画家のようにキャンバスや筆を一切使いません。

最新のデジタル技術を使って、パソコンの画面上で、それこそ何十時間も、何百時間もかけて、じっと絵を描くのです。

そして、その完成した作品を、特別な「ジクレー版画」という技法を使って、最高級の版画用紙に印刷するのですね。

なぜ、そんな独特な方法をとるのか、不思議に思いませんか。

それは、彼が「100年、200年先の人々の心にも、変わらぬ色彩を届けたい」と、本気で願っているからなのです。

彼の描くテーマは、いつだって決まっています。

あなたの目、わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、そして、あなたが抱える孤独や苦難、そこからの復活と解放。

彼は、ゴッホのあの有名な「耳切り事件」の物語を知り、激しい衝撃を受けて画家になることを決意しました。

「耳」という彼の名前も、そのゴッホの執念にあやかって付けたものなのです。

彼はいつも自嘲気味に、「僕の画家としての才能なんて、せいぜい三流さ」と笑います。

しかし、彼は知っているのです。

歴史上のあらゆる傑作が、天才のひらめきなんかではなく、血の滲むような数十年の試行錯誤から生まれたということを。

彼は、CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二さんを心から尊敬していて、趣味も友人も持たず、ただ仕事一筋に人生を捧げています。

宗次さんは、極貧の少年時代に雑草を食べて飢えをしのぎ、実の両親の顔も知らずに育ちながらも、お客様のために年間5640時間も働き、現役時代は大好きなクラシック音楽さえ完全に断ち切って、すべてをお客様への奉仕に捧げました。

最初の頃、お客さんが全く来なかった喫茶店時代、奥様と二人で食パンの耳を食べてしのいだ日々を、宗次さんは「何も無いところから始めたのだから、むしろ良い思い出」と振り返ります。

毎日、レンガを一つずつ積み上げるように、即断、即決、即実行。

高見沢耳もまた、その徹底的な「あなた第一主義」を受け継いでいるのです。

周囲から「変わり者」だの「発明狂い」だのと狂人扱いされながらも、みんなの暮らしを楽にしたい一心で、毎日朝から晩まで機織り機を造っては壊し続けた、トヨタの創業者・豊田佐吉のように。

あるいは、チョーヤ梅酒の「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という、退路を断った不屈の精神のように。

高見沢耳は、大野耐一さんが確立した「トヨタ生産方式(ジャスト・イン・タイム)」の、無駄を徹底的に排除する美しい考え方を、自らのデジタル制作にも取り入れています。

豊田喜一郎さんは言いました。

「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」と。

また、そのいとこの豊田英二さんも、「大切なのは、一般的にはできないと思われることを、なんとしてでもやらなければという強い信念を持って実行したということである」と言い残しています。

高見沢耳は、まさにそんな「信念の阿呆」なのです。

彼は、自分の作品のなかに、ただひたすらに「目」を描き続けます。

なぜなら、絵のなかに目を描き込むことで、画面の向こう側にいる「あなた」の存在を、いつでも肌で感じていたいからなのです。

彼は、目の前にいるあなたのことを、もっと知りたい。

あなたの喜ぶ顔が見たい、あなたの魂を救いたい。

そのためなら、世間からどれほど愚かだと笑われても、変人だと蔑まれても、一向に構わないのだと言います。

「僕は、目の前にいるあなたに見捨てられたら、もう生きていけない人間なんだ。だから、笑われても、その分だけ強くなって、あなたに必死のサービスを届けるよ」

彼は、そう言って今日も、孤独な部屋で画面に向き合っています。

価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。

どうか、簡単に諦めないでください。

どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと、忍耐力と、継続力によって決まるのですから。

「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです。」

── ヘンリー・フォード

「財産を失うことは小さく、名誉を失うことは大きい。しかし、勇気を失うことは、すべてを失うことだ。」

── アガサ・クリスティ

「見よ、わたしはあなたと共にあり、あなたがどこへ行くときも、あなたを守り、必ずこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない。」

── 預言者モーセ(旧約聖書『創世記』より)

「世の中には幸も不幸もない。ただ、人間の考え方次第でどちらにでもなるのだ。」

── ウィリアム・シェイクスピア

「一人の人間を救う者は、全世界を救うのと同じである。」

── ユダヤ教『タルムード』

「美を求める心は、常に孤独のなかで育まれる。」

── 太宰治

「私たちは、みな泥まみれの溝の中にいるが、私たちの何人かは星を見上げている。」

── オスカー・ワイルド(※太宰治が深く愛した言葉)

「大いなる苦悩こそが、大いなる魂を創り出す。」

── 太宰治

「決して屈するな。決して、決して、決して。いかなる大きな困難であれ、小さな困難であれ、名誉と良心の信条による場合以外には、絶対に屈するな。」

── ウィンストン・チャーチル

「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをしなさい。」

── レイ・クロック

「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった。」

── レイ・クロック

「逆境の中で咲く花は、どの花よりも貴重で、どの花よりも美しい。」

── ウォルト・ディズニー

「ちいさな一歩を毎日積み重ねること、それだけが、気がつけばとてつもない高みへと自分を運んでくれる唯一の方法である。」

── レオナルド・ダ・ヴィンチ

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」

「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」

── 太宰治『津軽』より

今夜は、私の長い内緒話に最後まで付き合ってくださって、本当にありがとうございました。

あなたという存在が、今、この世界にいてくれるだけで、私はそれだけで、言葉にできないほど救われているのですよ。

どうぞ、今夜は温かくして、安らかな眠りについてくださいね。

心からの感謝を込めて。