

あなたの孤独に、一番近い場所で
ねえ、あなた。こうして二人きりでお話しできる時間を、私はどれほど待ちわびていたことでしょう。この広い、がらんとした世界の中で、あなただけが私の言葉を真っ直ぐに受け止めてくださる。そう信じて、私は今、指先が震えるほどの緊張と、そして言いようのない悦びに震えながら、この手紙を綴っております。
あなたは、夜、ふと目が覚めたときに、天井の木目が恐ろしい怪物の顔に見えたり、あるいは、あまりにも静かすぎて、自分の心臓の音が時計の秒針よりも大きく響いて、やりきれない不安に襲われたことはありませんか。どうして、私たちはこんなに孤独なのでしょう。どうして、誰かと手をつないでいても、心のどこかでは「これは本当の私ではない」と、冷めた溜息をついてしまうのでしょうか。
私は、あなたのその「寂しさ」を、決して否定いたしません。むしろ、それを抱きしめたい。その、誰にも言えない、喉の奥に刺さった魚の骨のような悲しみを、私は分かち合いたいのです。これは、私の命を削り、魂を磨り潰して、あなたという唯一無二の存在に捧げる、最初で最後のご奉仕、いいえ、混じりけのないラブレターでございます。
「孤独とは、港を離れ、海を漂う孤舟のようなものだ。しかし、その舟に灯る小さな明かりこそが、真実の自己を見出す光となる。」(セネカ)
傲慢なまでの写実、クールベという男
さて、あなた。今日は少し不思議なお話をいたしましょう。ある一人の画家の物語です。ギュスターヴ・クールベという男をご存知でしょうか。十九世紀のフランスで、そのあまりの厚かましさと、そして誰よりも繊細な写実への情熱で、世界を敵に回した男です。
彼は言いました。「天使を描けというなら、まず私の前に天使を連れてこい。見たことがないものは描けない」と。どうして、彼はそこまで頑固だったのでしょうか。目に見えるものしか信じない。それは一見、ひどく冷たい、散文的な生き方に見えます。でも、あなた、本当は逆なのです。彼は、目に見えるこの泥臭い現実、醜い日常、そして名もなき労働者の汚れきった手の中にこそ、神様が隠れていると信じていたのです。
クールベは、当時の流行だった「綺麗なだけの神話」や「着飾った貴婦人の肖像」を、唾を吐きかけるようにして拒絶しました。彼は、自分の背丈ほどもある大きなキャンバスに、ただの村の葬式を、まるで歴史上の大事件であるかのように堂々と描き出しました。それが、有名な『オルナンの埋葬』です。人々は怒りました。「なんて下品な絵だ!」「こんな汚い農民の顔を、どうしてこんなに大きく描く必要があるのか!」と。
でもね、あなた。クールベは笑っていたはずです。だって、彼は知っていたのですから。歴史を作るのは、空の上の神様や、きらびやかな宮廷の人々ではなく、今、この地面を踏みしめて、泥にまみれて生きている、あなたのような、私のような、孤独な個人なのだということを。
「我々は皆、泥沼の中にいる。しかし、そこから星を見上げている者もいるのだ。」(オスカー・ワイルド)
あなたの瞳に映る、真実という名の刃
あなたは、自分の顔を鏡でじっと見つめることができますか。私は、それが怖くて仕方がありません。鏡の中にいる自分は、どこか他人を演じているようで、本当の自分はもっと、情けなくて、卑屈で、それでいてひどく傲慢な怪物の姿をしているのではないか、そう思ってしまうのです。
クールベは違いました。彼は、驚くほど多くの自画像を残しています。それも、ただの自画像ではありません。ある時は、絶望に目を見開き、髪をかきむしる狂人のような姿で。またある時は、負傷して倒れ込み、今にも息絶えそうな若者の姿で。どうして、彼はあんなにも自分を晒け出すことができたのでしょうか。
それは、彼が自分自身の孤独を、徹底的に「観察」することに決めたからです。自分の醜さも、弱さも、そして誰かに愛されたいという強烈な飢えも、すべてを等価な「現実」として、キャンバスに叩きつけた。彼にとって、絵を描くことは自分を救う儀式であり、同時に世界に対する最大の反逆だったのです。
ねえ、あなた。あなたも、自分を飾る必要なんてないのですよ。あなたが今、抱えているその「死にたくなるような恥ずかしさ」も、私にとっては、どんな宝石よりも美しい、あなただけの真実なのです。クールベが描いたあの分厚い絵の具の層のように、あなたの悲しみには、確かな手触りと、重みがある。私はその重みを、私の両手で、そっと受け止めたい。
「汝自身の魂を、他人の基準で測ってはならない。汝の孤独を、汝自身の誇りとせよ。」(フリードリヒ・ニーチェ)
海の叫びと、絶望のその先
クールベは、海を愛しました。それも、穏やかな昼下がりの海ではなく、嵐の前の、あるいは波が荒れ狂う、今にも飲み込まれそうな海です。彼は、押し寄せる波の圧倒的なエネルギーを、パレットナイフで力強く描き出しました。
その波の絵を見ていると、私はあなたの心を思い出します。あなたの心の中にも、時折、手が付けられないほどの激しい感情の波が押し寄せることがあるでしょう。孤独という名の深い霧が立ち込め、どちらへ進めばいいのか分からず、ただ波に身を任せるしかないような、そんな夜があるでしょう。
クールベは、その荒れ狂う波の中に、自分を投影していました。彼は、ナポレオン三世から贈られるはずだった勲章を、平然と断り、「私は自由でありたいのだ」と言い放ちました。そのために、彼は晩年、政治的な騒乱に巻き込まれ、故郷を追われ、スイスで寂しく息を引き取ることになります。
どうして、彼はそこまでして、己を貫いたのでしょうか。安らぎを選び、権力に屈すれば、もっと楽に生きられたはずなのに。でも、あなた。本当の自由というのは、安全な港にいることではなく、嵐の海の中で「私はここにいる!」と叫び続けることなのではないでしょうか。たった一人になっても、世界中のすべてが敵になっても、自分の「本物」を捨てない。クールベの波は、その覚悟の結晶なのです。
「人間は自由という刑に処せられている。なぜなら、一度世に投げ出されたからには、自分のすることすべてに責任があるからだ。」(ジャン=ポール・サルトル)
あなたへの、尽きることのない献身
私は今、あなたの耳元で、内緒話をするようにこの言葉を紡いでいます。私の胸の鼓動が、あなたに聞こえているでしょうか。私は、あなたに飽きられたくない。あなたに、もっと私の言葉を、私の魂を、食べてほしいのです。
クールベが、絵の具を何層にも重ねて、その実在感を強めていったように、私も言葉を重ねて、あなたの心の隙間を埋めていきたい。あなたが明日、目覚めたときに、「ああ、昨日のあの人の言葉が、まだ温かく残っている」と、そう思っていただけるように。
サービス、という言葉があります。それは、自分の身を削ってでも、相手に喜びを与えること。私は、あなたというたった一人の読者のために、私の命の灯火をすべて使って、この暗闇を照らしたいのです。あなたが、もう二度と「自分は一人だ」と泣かないように。もし泣きたくなったら、この文章を何度でも読み返してください。ここには、私がいます。あなたのことを、誰よりも理解し、誰よりも愛おしく思っている私が、この文字の影に隠れて、ずっとあなたを見守っています。
どうして、こんなにもあなたを愛してしまうのでしょうか。それは、あなたが私自身だからです。あなたの孤独は私の孤独であり、あなたの涙は私の血潮なのです。私たちは、別々の肉体を持ちながら、この「言葉」という不思議な糸で、今、確かに一つに結ばれている。
「愛されることより、愛することを。理解されることより、理解することを。私はそれを願う。」(聖フランシスコ)
永遠という名の一瞬、そして別れ
お話は、そろそろ終わりに近づいてまいりました。寂しいですね。でも、お別れではありません。この文章が終わっても、私があなたに捧げた熱情は、あなたの血の巡りの中に溶け込み、あなたの骨の一部となることでしょう。
クールベは、最期までキャンバスに向かい続けました。彼の描いた石割人たちの、泥にまみれた背中は、今もなお、私たちの心に「生きることの尊厳」を訴えかけます。彼は消えても、彼の遺した「真実」は消えない。それと同じように、私のこの必死のサービスも、あなたの心の中で、永遠に拍動し続けるはずです。
あなた、どうか自分を責めないでください。あなたの弱さを、宝石のように大切にしてください。あなたがその弱さを抱えたまま、この冷たい世界を歩いていく姿こそが、何よりも美しい「芸術」なのですから。
私は、あなたのすべてを肯定します。あなたの過去も、現在も、そしてまだ見ぬ不安な未来も。この手紙が、あなたの枕元で、静かに子守唄を歌い続けることを願っています。
さようなら。いいえ、また後ほど。夢の中で、あるいはこの文章をもう一度読み返してくださる、その瞬間に、私たちは再び出会うのです。
「人生は短く、術(わざ)は長い。機会は逃げやすく、経験は危うく、判断は困難である。」(ヒポクラテス)
海辺に置かれた壊れた椅子が
あなたのいない午後を数えている
波の音は消えたはずなのに
あなたの名前だけが
砂の文字になって
私の指を濡らすのです
死んだのは私ではなく
あなたを忘れた世界の方でした
石を割る男の背中に雨が降り
情熱という名の火傷を抱いて
誰もいない鏡の前で
独りごとのような恋文を
銀の糸で綴る夜
波寄せて
返す心は
石のごと
汝を愛すと
描くキャンパス
雨に濡れ
クールベの海
吼ゆる夜
独り居の間に
君を想へば
風吹けば
写実の鬼の
筆の跡
孤独を抱きて
波に消えゆく