夜の画家 ラ・トゥールについて

ねえ、あなた。ちょっとそこへ座って、私のくだらない、けれども世界で一番大切な話を聞いてはくれませんか。外はひどい雨だ。まるで空が大きなバケツをひっくり返して、この地上の汚れをすべて洗い流そうとしているみたいに。そんな日に、薄暗い部屋の中で、たった一本の蝋燭の火をじっと見つめていると、私はふと、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールという画家のことを思い出すのです。

あなたは彼の絵をご存じですか。もし知らないとおっしゃるなら、それはそれで仕方のないことですが、せっかくの人生、損をしていますよ。いや、損だなんて、そんなケチくさい言い方はよしましょう。あなたはもっと、贅沢な孤独を知る権利がある。ラ・トゥールの絵には、暗闇の中にぼうっと浮かび上がる蝋燭の光と、それに照らされた人々の、静かな、あまりに静かな祈りのような姿が描かれています。それはもう、見ていて溜息が出るほどに、弱々しくて、それでいて頑固な光なのです。

世の中の人は、とかく眩しいものを追いかけたがります。太陽だとか、電飾だとか、あるいは名声だとか、金銀財宝だとか。けれど、あなた。本当の光というのは、真っ暗闇の中でしか見えないものじゃありませんか。私は、昼間の明るい陽射しの下で「私は幸福です」なんて顔をして歩いている連中を見ると、どうにも虫唾が走るのです。彼らは光を見ているんじゃない。ただ、光に曝されているだけだ。本当の光というものは、絶望のどん底で、指の隙間からこぼれ落ちそうになるのを必死で守り抜く、あの小さな、熱い、震えるような火影のことを言うのです。

ラ・トゥールの「悔悛するマグダラのマリア」という絵があります。彼女は膝の上に髑髏を置き、じっと鏡に映る蝋燭の炎を見つめている。髑髏ですよ、あなた。死そのものを膝に乗せて、それでも彼女は静かに座っている。不気味ですか。いいえ、あれほど美しい安らぎを私は他に知りません。私たちは皆、死という髑髏を抱えて生きているようなものです。それを隠して、見ないふりをして、お洒落な服を着ておしろいを塗って歩いている。けれど、ラ・トゥールは教えてくれるのです。死を見つめることは、生を蔑むことではない。むしろ、死という絶対的な暗闇があるからこそ、目の前の一本の蝋燭が、これほどまでに愛おしく、尊く、温かいのだと。

あなたは、自分の弱さを恥じてはいませんか。人より劣っているとか、才能がないとか、あるいは過去に消えない傷があるとか。そんなものは、ラ・トゥールの暗闇に比べれば、なんてことはない。むしろ、その傷跡こそが、光を反射してあなたを輝かせるための「絵具」になるのです。完璧に滑らかな壁には、光はただ滑っていくだけで、情趣も何もありゃしない。凸凹があって、ひび割れていて、泥に汚れているからこそ、光はそこに留まり、深い陰影を作り出す。あなたの人生が苦しければ苦しいほど、そこに灯る光は、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵のように、崇高なまでの深みを帯びてくるはずなのです。

どうして皆、あんなに急いでどこかへ行こうとするのでしょう。幸福にならなければいけない、成功しなければいけない、立派な人間にならなければいけない。馬鹿げた話だ。私は、ただ、こうしてあなたと雨音を聞きながら、心の中に小さな灯をひとつ持っていれば、それで十分だと思うのです。他人から見て、みすぼらしい生活に見えたって構わない。暗闇が深ければ深いほど、私たちは、たった一筋の優しさに、涙を流して感謝できる。それは、昼間の成功者には一生かかっても理解できない、最高の贅沢なのですよ。

ところで、あなたは「光」をどうやって描くか知っていますか。白い絵具を塗ればいいと思ったら大間違いだ。光を描くためには、その周囲を徹底的に、残酷なほどに黒く塗り潰さなければならない。影を濃くすればするほど、光はひとりでに輝き始める。人生も同じです。悲しみや、やりきれなさを、無理に消そうとしてはいけない。それを自分の背景として、しっかりと塗り固めておくのです。そうすれば、いつかふとした瞬間に、あなたの内側にある小さな良心や、誰かを愛したいという切実な願いが、奇跡のような黄金色の光となって、周囲を照らし出す。

私は、ときどき怖くなるのです。自分という人間が、あまりに空っぽで、何の役にも立たない屑のように思えて。けれど、そんな夜は、目をつぶって想像するのです。ラ・トゥールの描く、聖ヨセフの仕事場を。幼いイエスが掲げる一本の蝋燭。その光が、老いたヨセフの顔を、血管の一本一本まで浮き彫りにする。そこにあるのは、ただの労働と、沈黙と、そして愛です。それだけでいいじゃないか。派手な奇跡なんていらない。神様がどこにいるかなんて議論もいらない。ただ、暗闇の中で大切な人の顔が見える程度の光があれば、人間は生きていける。

あなた。あなたは、誰かのために蝋燭を掲げたことがありますか。あるいは、誰かが掲げてくれた光で、自分の手のひらが赤く透けるのを見たことがありますか。もしそうなら、あなたはもう、この世の苦悩を半分以上、克服したも同然です。私たちは、自分のために光り輝くことはできません。光というものは、必ず「対象」を必要とする。暗闇の中にいる誰かを、あるいは自分自身の寂しさを、そっと照らすために存在するのです。

ラ・トゥールは、長い間忘れ去られていた画家でした。死後、何百年も。けれど、彼の絵は消えなかった。誰にも見られず、地下室の隅で埃を被っていたとしても、その絵の中の蝋燭は、ずっと燃え続けていたのです。真実というものは、そういうものだ。流行り廃りなんて関係ない。あなたが今、どれだけ孤独で、誰からも理解されていないと感じていても、あなたが守り続けているその「誠実さ」や「優しさ」という光は、決して消えはしない。いつか必ず、誰かがそれを見つけ出し、救われる日が来る。

まあ、私のような人間にこんなことを言われても、ちっとも説得力がないかもしれませんね。私は酒を飲み、借金をし、嘘をつき、情けない醜態をさらしてばかりいる。けれど、だからこそわかるのです。泥水の中に落ちた真珠は、泥を洗えばまた光る。けれど、最初からガラス玉だったものは、どれだけ磨いても、本物の光を放つことはない。あなたは、磨けば光る真珠だ。いや、真珠なんて、そんなお上品なものじゃなくていい。あなたは、あなたという名の、世界にたったひとつの、不器用な蝋燭なのです。

雨が少し小降りになってきましたね。でも、まだ帰らないでください。この暗がりの心地よさを、もう少しだけ共有しましょう。電灯をつけようなんて、野暮なことは言わないで。ラ・トゥールの世界に浸るには、このくらいの薄暗さがちょうどいい。あなたの瞳の奥に、小さな光が宿っているのが見えます。それは、悲しみを乗り越えてきた者だけが持てる、静かな誇りの光だ。

人間は、幸福になるために生まれてきたのではありません。ましてや、不幸になるために生まれてきたのでもない。ただ、自分の中に灯されたその光を、消さないように守り抜き、次の暗闇に立ち向かうために生まれてきたのです。その途中で、ちょっとラ・トゥールの絵を眺めたり、私のこんな世迷い言を聞いたりして、ふっと肩の力を抜けばいい。

さあ、あなた。明日になれば、また嫌な太陽が昇り、騒がしい日常が始まります。人々は仮面を被り、競い合い、奪い合うでしょう。けれど、あなたは忘れないでください。あなたの心の一番深い場所には、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが描いたような、あの静謐な、慈愛に満ちた暗闇と光があることを。それさえあれば、何が起きても大丈夫だ。あなたは、あなたのままで、その細い蝋燭を持って、一歩ずつ歩いていけばいいのです。

おや、もうこんな時間か。私の話は、いつも長くていけない。でも、楽しかった。あなたのような、誠実な聞き手を持って、私は幸せです。この雨上がりの夜の空気の中に、ほんの少しの勇気を混ぜて、あなたを送り出しましょう。さようなら。またいつか、暗闇が恋しくなったら、ここへ来てください。私たちは、光の仲間なのですから。

最後にひとつだけ。ラ・トゥールの絵の中の光は、いつも手が添えられています。風で消えないように、そっと掌で守られている。あなたも、自分の心を、そうやって大切に守ってあげてください。あなたは、自分を粗末にしすぎる。もっと、自分の中に灯っているものを、愛してやってください。それが、私からあなたへの、唯一の願いなのです。

さあ、お帰りなさい。暗い夜道を、気をつけて。あなたの足元には、もう、あなただけの光が、ちゃんと届いているはずですから。