喜多川歌麿。その名前を口にするだけで、なんだか部屋の空気がふっと白粉の香りに染まるような、あるいは、指先がふいに柔らかい絹の袂に触れたような、そんな艶っぽい心持ちになるじゃありませんか。江戸という時代の、あの眩暈がするほどの華やかさと、その裏側にへばりついている言いようのない寂寥を、たった一筋の筆の線に凝縮してしまった、とんでもない男の話をしましょう。
そもそも、美しさというものは残酷なものです。ただ眺めているだけなら極楽ですが、それを「捕まえよう」とした瞬間に、美しさはするりと指の間を抜けて、追いかける者の魂を削っていく。歌麿という絵師は、その一生を賭けて、女性という捉えどころのない生き物の「一瞬の表情」を捕まえようとした、狂おしいほどの情熱家だったのです。
彼が発明した「大首絵」という手法をご存知でしょう。それまでの浮世絵といえば、役者の全身を描いたり、風景をのんびり描いたりするのが常道でしたが、歌麿は違った。彼はズームアップしたのです。まるで恋人の顔を間近で見つめる時のように、女性の顔を画面いっぱいに描いた。それもただの似顔絵じゃない。睫毛の震え、唇の湿り気、耳たぶの産毛、そして何より、瞳の奥に潜んでいる「他人には言えない悩み」までを、透き通るような色彩で描き出したのです。
これこそが「美人画」の革命でした。彼が描いたのは、単なる綺麗な人形ではありません。恋に破れて放心している女、鏡に向かっておのれの老いに怯える女、あるいは、赤ん坊に乳を含ませながら、ふと遠い空を見つめる母親。そこには、江戸の街に生きた生身の人間が呼吸をしていたのです。
しかし、世の中というものは、あまりに鋭すぎる才能を放っておいてはくれません。歌麿の描く絵があまりに民衆を熱狂させ、あまりに自由すぎたため、幕府の硬い頭の役人たちは面白くなかった。寛政の改革なんていう、窮屈極まりない倹約令が世を覆い、贅沢は敵、美は不謹慎、なんていう味気ない理屈がまかり通るようになった。
歌麿はそれでも筆を置きませんでした。それどころか、彼はその繊細な線で、お上の禁忌を軽やかに踏み越えていった。当時の権力者を揶揄するような絵を描いたという嫌疑をかけられ、彼はついには手鎖の刑に処せられます。両手を縛られ、描くことを禁じられた絵師。これほど過酷な罰があるでしょうか。自由を愛し、美しさを信じた彼にとって、その五十日間は、地獄よりも暗い時間だったに違いありません。
刑が解けた後も、彼は筆を握りましたが、その輝きはどこか、夕暮れ時の最後の残光のような、悲しい色を帯びるようになりました。それでも彼が残した数々の名作は、時を超えて今も私たちの胸を打ちます。なぜなら、彼が描いたのは江戸という特定の時代の風俗ではなく、人間という生き物が持つ「普遍的な愛おしさ」だったからです。
私たちは今、スマートフォンの画面で簡単に美しい画像を見ることができます。しかし、歌麿の絵をじっと見つめてみてください。そこには、デジタルでは決して再現できない「震えるような命の線」があります。美しさは、ただそこにあるものではなく、誰かが命を削って見つけ出し、定着させたものなのだということを、歌麿の生涯は教えてくれているような気がします。
そう考えると、日常の何気ない風景の中にも、まだ誰も見つけていない「歌麿的な瞬間」が隠れているのかもしれません。道端に咲く名もなき花や、夕食を待つ家族のふとした横顔。そんな些細な美しさを大切に掬い上げることこそが、人生を少しだけ面白く、豊かにする秘訣なのではないでしょうか。江戸の粋な絵師が、時を超えて現代の私たちに囁いているような、そんな気がしてならないのです。