

「自分には何もないかもしれない」と、不安に思った経験はありませんか?
わたしも同じように悩み、自分の居場所を探し続けてきました。
歴史に名を刻んだ天才芸術家、ミケランジェロはこう語っています。
「最大の危機は、目標が高すぎて失敗することではない。目標が低すぎて達成してしまうことだ」
── ミケランジェロ・ブオナローティ
この言葉は、ただの野心の話ではありません。
あなたの日常や仕事で、無難な道を選びそうになる瞬間に深く関係しています。
安全な場所にとどまることは、一見すると賢い選択に思えるでしょう。
しかし、自分の可能性に蓋をしてしまうことこそが、人生における最大の危機なのです。
わたしが高見沢耳として作品をつくり続けるのも、この言葉が胸にあるからです。
あなたも今日、一歩だけ高い目標に向かって踏み出してみませんか?
葛飾北斎という生き方があなたに教える勇気
葛飾北斎という名前を、あなたも一度は耳にしたことがあるはずです。
あの有名な波の絵を描いた、江戸時代の天才絵師です。
でも、北斎が本当に凄かったのは、絵の巧みさだけではありません。
北斎の生き方そのものが、現代を生きるあなたの人生に素晴らしい勇気を与えてくれます。
北斎は、宝暦10年(1760)に江戸の本所割下水で生まれました。
19歳で勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入りし、翌年には春朗と名乗り、勝川派風の役者絵を発表します。
その後、和漢洋の絵画の各流各派を学び、様々なジャンルの浮世絵を手がけ、独自の画風を確立していきました。
しかし、驚くべきことに、北斎は他の絵師に比べてかなりの遅咲きだったのです。
北斎の名を不動のものとした「富嶽三十六景」を手がけた時、彼はすでに70歳を過ぎていました。
「涙と共にパンを食べた者でなければ、人生の味は分からない」
── ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
あなたも今、自分の人生の進みが遅いと感じて焦ることがありませんか?
周りの人と比べて、自分だけが取り残されているように思える夜はありませんか?
北斎の70歳からの大開花を見れば、焦る必要などどこにもないと分かります。
人生の本当の勝負は、いつだって「これから」始まるのです。
森羅万象あらゆるものの真を描くことに執念を燃やし、老いてなおその制作意欲は衰えませんでした。
90年の生涯で、北斎は数多くの眼を見張るような作品を残したのです。
1999年、米ライフ誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、日本人で唯一選ばれました。
北斎の作品で最も特徴的なのが、あの力強い描線です。
彼の描く線はリズミカルで抑揚があり、その線の強弱こそが作品の「静」や「動」を表す重要な要素となっています。
彫師には、その北斎の筆致の意図を理解し、忠実に彫りあげる高度な技術が要求されました。
北斎は、勝川春章に弟子入りして絵師を目指す前には、彫師として修業を積んだ経験があったそうです。
自らの経験もあってのことか、彼の彫へのこだわりは並々ならぬものだったと言われています。
浮世絵の出来栄えが彫師の腕にかかっていることを、身をもって知っていたのでしょう。
あなたは自分の過去の遠回りや下積みを、「無駄だった」と後悔していませんか?
北斎が彫師として過ごした時間も、後に最高の絵師になるための大切な遠回りでした。
あなたの過去の苦労も、これからの人生で必ず強力な武器に変わります。
諦めない心が切り拓く新しい道
1778年、北斎は19歳で役者似顔絵の第一人者・勝川春章に入門し、翌年には「勝川春朗」を名乗ります。
勝川派らしい役者絵や美人画を中心に描いた「春朗期」は、北斎の絵師としてのスタートでした。
師・勝川春章の死後、北斎は勝川派を去ることになります。
その後、1794年頃に琳派の流れを汲む「俵屋宗理」を襲名し、優美な画風を手がけるようになりました。
1798年、「北斎辰政」と改号した北斎は、独立した絵師として再出発します。
1800年代初頭からは錦絵の制作を始め、西洋の透視遠近法に学んだ洋風風景画を多く手がけました。
1805年、46歳から北斎は「葛飾北斎」の画号を用います。
この頃の北斎は、曲亭馬琴や柳亭種彦らの読本への挿絵に最も力を注ぎました。
錦絵でも名所絵の揃物や戯画、洗練された摺物、妖艶な肉筆美人画など、多彩な作例を残しています。
「生きているのは、主の恵みによって滅び去らないからだ。その慈しみは絶えることがない」
── 新約聖書『哀歌』3章22節(※旧約聖書『哀歌』)
どんなに状況が変わっても、あなたを守る慈しみや希望が消えることはありません。
悲しみの暗闇の中にいる時こそ、新しい光が差し込む準備が進んでいるのです。
「人間は、悲劇のなかでこそ、真実の自分を発見するのだと思う」
── 太宰治
北斎もまた、流派を追われ、名を何度も変え、苦難の中で自分の真の画風を見つけ出しました。
あなたがいま直面している苦しい変化も、あなたという人間を磨き上げる大切なプロセスなのです。
1810年ごろから、北斎は「載斗」を号し、絵手本の制作に傾注するようになります。
近年注目の集まる『北斎漫画』は、この頃の作品です。
『北斎漫画』は当時から大変な人気で、北斎没後まで刊行が続きました。
1820年、61歳から北斎は「為一」号を名名乗っています。
60代後半から70代前半までのわずかな期間、北斎は錦絵の制作に没頭し、「富嶽三十六景」をはじめとする代表作を多く残しました。
その関心は風景画だけでなく、花鳥画や武者絵、歴史・古典の登場人物など、あらゆる対象に向けられています。
「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」
── 松尾芭蕉
俳聖と呼ばれた松尾芭蕉も、自分には他に何の取り柄もなく、ただ俳諧の一筋に生きてきたと振り返りました。
北斎もまったく同じです。
不器用に、ただ絵を描くことだけに自分の命を注ぎ込みました。
あなたも器用に生きる必要なんてありません。
自分が「好き」だと思える一つのことを大切に抱えて歩むだけで、人生は十分に輝きます。
試練と負担の先にある眼を見張るような変化
1834年、数々の富士山の名画を生み出してきた北斎は、集大成となる絵本『富嶽百景』を刊行します。
そこで「画狂老人卍」の号を初めて用い、巻末にはさらなる画技の向上への意欲を表明しました。
最晩年の北斎は、風俗画の枠組みにとらわれず、動植物などの自然や宗教的なモチーフを多く描きました。
死の間際まで画技を磨き続けることを望み、終生真の画家となることを追求したのです。
北斎のこの恐ろしいほどの執念は、一体どこから湧き出ていたのでしょうか?
それは、「もっと上手くなりたい、もっと人の心を動かしたい」という愚直な情熱でした。
「機会というものは、いつも初めは、一つの危機として来るか、あるいは一つの負担として現れた」
── 相馬愛蔵
新宿中村屋の創業者である相馬愛蔵は、チャンスの正体をこう見破りました。
あなたの目の前に現れる面倒な仕事や、予期せぬトラブルはありませんか?
一見すると苦しい危機に見えるそれらこそが、実はあなたの人生を劇的に変える特別な機会なのです。
北斎にとっても、流派の孤立や貧困という危機こそが、独自の表現を生み出す最高の機会でした。
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」
── 豊田喜一郎
トヨタ自動車の礎を築いた豊田喜一郎のこの言葉も、北斎の生き方と重なります。
誰もが諦めるような過酷な状況で、「自分だからこそできる」と立ち上がる阿呆になること。
それが、時代を超える新しい価値を生み出す唯一の方法なのです。
あなたの中にいる「真面目で愚直な自分」を、絶対に否定しないでください。
世間からどう見られようと、あなたが自分の道に熱中することは、最高に誇らしいことです。
芸術があなたの悩みを打ち消す理由
ここで、わたし自身の話をさせてください。
わたしにも、夜も眠れないほどの大きな不安や疑問がありました。
「自分のつくる作品や仕事は、本当に誰かの役に立っているのだろうか?」
「自分が消えてしまった後、この世界に何か良いものを残せるのだろうか?」
このような孤独な悩みに押しつぶされそうになる日が、何度もありました。
あなたも、ふと自分の存在理由や将来への恐怖を感じて、胸が締め付けられることはありませんか?
何のために毎日満員電車に揺られ、苦しい仕事を耐えているのか分からなくなる瞬間はありませんか?
実は、この深い悩みや疑問を解決してくれたのが、ほかでもない「芸術」だったのです。
北斎の絵をじっくりと眺めていると、時空を超えて200年前の北斎の息遣いが伝わってきます。
北斎がキャンバスや紙に向かって放った情熱と愛情は、時を超えて今、あなたの心を揺さぶります。
芸術とは、人間が生きている証であり、孤独な魂と魂を繋ぐ架け橋なのです。
作品を通じてあなたと繋がり、あなたの心を少しでも温めることができたなら、わたしの悩みは消え去ります。
芸術は、形のない不安を消し去り、生きている喜びをダイレクトに実感させてくれる強力な薬です。
人間の一生には時折、苦しみや悲しみが訪れます。
そんな時、あなたに寄り添うのが高見沢耳の芸術です。
あなたの心を悲しみから、喜びに変化させるのが、わたしの使命です。
この言葉に、偽りはありません。
あなたがどんなに傷つき、孤独を感じている時でも、作品は無言であなたを抱きしめます。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
── ヘンリー・フォード
自動車の父ヘンリー・フォードが語った通り、本当の成功とは「どれだけ人に与えられたか」です。
北斎は生涯で数万点もの絵を描き、世界中の人々に勇気と感動を与え続けました。
自分のためだけに生きるのではなく、目の前にいる「あなた」のために何ができるか。
それを考え抜いて行動することこそが、悲しみを喜びに変える唯一の鍵なのです。
執念と忍耐が作り出す一流の価値
ここで、日本のモノづくりを支えた偉人たちの驚くべき物語をご紹介しましょう。
トヨタの創業者である豊田佐吉という男がいました。
彼は「変人」「発明狂い」と周囲から笑われ、無口で変わり者扱いをされた人物です。
「母や村のみんなの織物仕事の苦労を、発明によって楽にしてあげたい」
その一心で、朝から晩まで毎日毎日何かをこしらえては壊し、造ってはまた造り直しました。
成功も失敗も終わりではありません。重要なのは、続ける勇気です。
とにかく、自分が一番長く一生懸命にやる。
北斎が90歳まで筆を握り続けたように、佐吉もまた圧倒的な執念と忍耐で世界を変えました。
ホンダの本田宗一郎と、彼を支えた参謀の藤沢武夫の関係も同じです。
本田宗一郎が技術に狂奔し、幾度もの破綻の危機に瀕した時、藤沢武夫は経営の泥をすべてかぶりました。
トヨタの販売の神様と呼ばれた神谷正太郎や、頑固一徹で会社を守り抜いた石田退三もそうです。
彼らはみんな、周囲から「そこまでやるか」と呆れられるほどの狂気と執念を持っていました。
「チョーヤ梅酒」の創業者が「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」と自らを追い詰めた覚悟も同じです。
何事も、中途半端な気持ちでは人の心に届きません。
良いものを、伝えることが大事なのです。
伝わらなければ、存在しないのと同じだからです。
「そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた『製品』であっても『商品』にはなり得ない」
── 盛田昭夫
ソニーの創業者である盛田昭夫のこの言葉は、芸術やビジネスの本質を鋭く突いています。
いくら良いものをつくっても、あなたにその価値が伝わらなければ意味がありません。
だからこそ、わたしはこうして言葉を尽くし、手紙を書くようにあなたに語りかけているのです。
アップルをつくったスティーブ・ジョブズも、こう言いました。
「質(クオリティ)は永遠に記憶される。価格は忘れられる」
── スティーブ・ジョブズ
妥協してつくられた安物は、すぐに忘れ去られます。
しかし、北斎の浮世絵のように、魂を削って作られた一流のクオリティは百年先も人の心を打ちます。
どんな優れたマーケティングを使っても、駄作をヒットさせることはできません。
本物だけが、あなたの人生に残り続けるのです。
あなたの日常を劇的に高める芸術収集の趣味
芸術作品を自分の身近に置くことは、単なる贅沢や気取りではありません。
それは、あなた自身の人生のクオリティを飛躍的に引き上げる、強力な投資なのです。
なぜなら、毎日目にするものが、あなたの思考と感情をつくっているからです。
殺風景な部屋で慌ただしい日常に追われていると、心はどんどんすり減っていきます。
しかし、そこに一枚の北斎の絵や、情熱の宿ったアートがあるだけで、空間の気が一変します。
朝起きた時、ふと絵に目をやる。
夜疲れ果てて帰宅した時、作品の深い色彩に心を沈める。
それだけで、あなたの脳は深いリラックス状態に入り、忘れかけていた情熱を取り戻すことができます。
「でも、絵を飾るなんて自分に関係があるのだろうか?」
そう思うかもしれません。
大いに関係があります。
一流の芸術に日常的に触れている人は、ストレスに強く、新しいアイデアを生み出す力に長けています。
なぜなら、芸術は「常識にとらわれない視点」をあなたに与えてくれるからです。
北斎の突き抜けた構図を見るたびに、あなたの潜在意識は刺激されます。
「自分の悩みなんて、この広い世界に比べたらちっぽけなものだ」
「北斎が70歳から挑戦したのだから、自分だってまだまだこれからだ」
そう思えるようになることが、芸術を所有する本当のメリットなのです。
北斎の絵を収集した過去の人々も、絵を通じて北斎の「諦めないエネルギー」を買っていたのです。
あなたも、部屋に一枚のエネルギーを取り入れてみませんか?
それは、慌ただしい日常の中で自分を取り戻すための、最も手軽で特別な保証付きの処方箋です。
奇跡を起こす人間味あふれる歩み
人生は、決して計算通りにはいきません。
予期せぬトラブルや失敗が起きた時、あなたはどう行動しますか?
老子はこう言っています。
「曲なれば則ち全し」
── 老子
まっすぐに突っ張る竹は強風で折れますが、しなやかに曲がる柳は嵐をやり過ごします。
一見すると遠回りに思える柔軟さこそが、自分自身を全うする道なのです。
また、宗教改革を行ったジャン・カルヴァンも、忍耐の重要性を説きました。
「希望を持たない者は、忍耐を持つことができない」
── ジャン・カルヴァン
あなたの中に希望があるからこそ、いまの苦しい忍耐に耐えることができます。
そして、キリスト教の使徒パウロはこう語っています。
「苦難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み、錬達は希望を生み出す」
── 使徒パウロ(ローマの信徒への手紙 5章3-4節)
苦しみはあなたを打ちのめすために来るのではなく、あなたを強く深く磨き上げるために訪れます。
古くから「生中に生あらず、死中に生あり」と言われます。
安全な場所にぬくぬくと留まっている時には本当の生はなく、死に物狂いの苦境の中にこそ奇跡のような生が宿るのです。
あなたも、崖っぷちに立たされたと感じた瞬間こそ、新しい自分が生まれるチャンスだと信じてください。
あなたにとってのメリットは、この歴史の真理を知ることで、どんな逆境も怖くなくなることです。
今この瞬間から始まるあなたの新しい物語
あなたとこうして語り合えたことは、決して偶然ではありません。
特別な他とは違うご縁が、あなたとわたしの間に結ばれたのです。
急を要する毎日の中で、ほんの少し立ち止まり、自分の心と向き合う時間を持つこと。
それが、あなたの明日を何倍も素敵なものに変えていきます。
一刻も早く、あなた自身を労わってあげてください。
「自分はよく頑張っている」と、自分自身に拍手喝采を送ってあげてください。
他人の評価ばかりを気にして、自分の心の声を無視していませんか?
北斎のように、自分が信じた道を愚直に歩んでいきましょう。
最初はうまくいくかわからなくても、まずは行動してみることです。
何故なら、動くことでしか運命の歯車は回り始めないからです。
あなたの人生の主役は、他の誰でもない、あなた自身なのですから。
追伸
高見沢耳(たかみざわ みみ)という画家について、少しだけお話しさせてください。
高見沢耳は、伝統的なキャンバスと筆を使いません。
デジタルで精緻に制作し、ジクレー版画技法を使って最高級の版画用紙に印刷します。
テーマは、あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、解放です。
身近な話題で、楽しい話をお届けしたいと思っています。
画家は、魂を救う医者だと信じています。
芸術家の仕事は、身銭を切っての精一杯のサービスです。
あなたへの奉仕なのです。
芸術家は、目の前のあなたに全てを捧げます。
どうぞ見捨てないでください。
わたしのことを、笑ってください。
笑われて強くなる。
必死のサービスです。
芸術家の仕事は、精一杯の道化なのです。
忍耐の男です、不屈の男です、諦めません。
ヴィンセント・ファン・ゴッホの物語を知って、画家になることを決意しました。
高見沢耳という名前の「耳」は、ゴッホのあの有名な耳切り事件にあやかったものです。
「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」
── ヴィンセント・ファン・ゴッホ
このゴッホの名言は、真実素晴らしいと思います。
何かを表現しているのに、誰の心も感激させられない、慰めることの出来ない仕事や作品には価値がありません。
過去の傑作の全てが、生まれ持った才能だけで描かれたものではなく、数十年にわたる試行錯誤によって生み出されたものだと知っています。
高見沢耳は自分の作品に目を描き続けることで、目の前にいるあなたを感じ続けているのです。
目の前のあなたを知りたいのです。
高見沢耳は、CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二(むねつぐ とくじ)氏を心から尊敬し、よそ見をしないで仕事に全力を尽くしています。
宗次徳二氏は、仕事一筋で他のことはやりませんでした。
「趣味なんかやっている場合じゃない」と言い切りました。
不遇な少年時代の宗次氏を救ったクラシック音楽ですが、CoCo壱番屋の経営者を引退してから自ら音楽ホールを建てて経営するほど大好きな音楽を、現役経営者時代には全く聴かなかったのです。
もう、音楽を聴いている場合じゃなかったからです。
趣味をやっている場合じゃなかったのです。
自らの時間を、全てお客様に捧げるためでした。
CoCo壱番屋の前身である喫茶店の経営時、最初はお客様がなかなか来てくださりませんでした。
お昼になると宗次夫妻は、食パンの耳食べてしのいだそうです。
喫茶店で出していたサンドイッチで使わないパンの耳を食べていたのです。
ゼロから始めたのだからそんなことは当たり前で、何も無いところから始めたのだからむしろ良い思い出だと笑います。
今は来てくださらなくても、お客様第一を貫けばきっと良くなると信じて、毎日毎日仕事を重ねました。
レンガを積み上げるように、毎日集中してやる。
即断、即決、即実行です。
なんでもやってみれば、結果が出ます。
まずはやることです。
その代わり、必死で頑張るのです。
仕事に人生を捧げる。
目の前のあなたに、わたしの人生を全て捧げる。
宗次徳二氏はこう語っています。
「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです」
── 宗次徳二
「よそ見しない、経営に身をささげる」
── 宗次徳二
「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった」
── 宗次徳二
人生は生まれ育ちで決まるものではありません。
宗次氏は実の両親の顔を知りません。
生まれてすぐに孤児院に入り、養父母に引き取られた後も、養父のギャンブル狂いのために極貧の少年時代を送りました。
夏には雑草を食べて餓えをしのいだほどの、波乱万丈の人生です。
行き当たりばったりでやる代わり、現場に身を捧げる。
1日12時間以上の仕事は最低条件です。
休みたくない、遊びたくない。
仕事を趣味にして、あなた第一主義を貫く。
あなたが目の前にいる時は、心の中で拍手喝采をしてあなたを迎えます。
価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
最初からうまくいくわけではありません。
考えるより、まずやってみることです。
簡単に諦めないでください。
どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと忍耐力と継続力によって決まります。
人間の一生には時折、苦しみや悲しみが訪れます。
そんな時、あなたに寄り添うのが高見沢耳の芸術です。
あなたの心を悲しみから、喜びに変化させるのが、わたしの使命です。
最後になりますが、ゴッホを支え続けた弟テオの妻、ヨー(ヨハンナ)の言葉を贈ります。
「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」
── ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル
そして、トーマス・エジソンの名言です。
「我々の最大の弱点は諦めることにある。成功するための最も確実な方法は、常にもう一度だけ試みることだ」
── トーマス・エジソン
「多くの失敗者は、諦めたとき自分がどれほど成功に近かったかに気づいていない」
── トーマス・エジソン
「私の成功の秘訣は他の人が諦めた後も続けることだ」
── トーマス・エジソン
わたしが尊敬するヘンリー・フォードの言葉で、この手紙を締めくくりたいと思います。
「障害とは、目標から目を離したときに見える、恐ろしいもののことだ」
── ヘンリー・フォード
どうぞ目を逸らさず、あなた自身の素晴らしい人生を歩んでいってください。
わたしはいつでも、作品を通してあなたのすぐそばにいます。