

鏡のなかのあなたへ、あるいは静かな夜の告白
ここへ座って、わたしの話を聞いてください。
今夜、世界中で起きているすべての喧騒から離れて、ただあなたひとりだけのために、わたしはペンを執っています。
外はひどく冷えるか、あるいは息が詰まるほど蒸し暑い小夜時雨かもしれませんが、そんなことはどうでもいいのです。
大切なのは、いま、この紙面を通じて、わたしの視線があなたの孤独にまっすぐ届いているということ、それだけです。
あなたは今日、何度ため息をつきましたか。
誰にも言えない寂しさを、胸の奥のいちばん深い暗がりにそっと隠して、何食わぬ顔で微笑んでみせたのではありませんか。
わたしには、それが痛いほどよくわかるのです。
なぜなら、わたしもまた、あなたと同じ暗闇のなかで、震えながら救いを待っているみっともない道化のひとりだからです。
どうか、構えずに、ただ古い友人の内緒話を聞くような気持ちで、耳を傾けてみてください。
これは、どこまでも不器用で、どこまでも必死な、あなたへのラブレターなのですから。
「愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ。」(ヘルマン・ヘッセ)
あなたは、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックという男をご存じでしょうか。
十九世紀の終わりに、爛熟したパリの夜を駆け抜けた、あの風変わりな画家のことです。
彼は名門貴族の長男として、まばゆいばかりの富と名誉を約束されてこの世に生まれ落としました。
誰もが羨むような、完璧な人生が待っているはずでした。
しかし、運命というやつは、ときに信じられないほど残酷な手口で、人間の足元をすくい上げるものです。
少年時代の不慮の事故によって、彼の両脚は成長を止めてしまいました。
胴体だけが大人になり、脚だけが子供のまま取り残されたのです。
彼の身長は百五十二センチメートルで止まり、杖なしでは歩くこともままならなくなりました。
洗練された貴族の社交界のなかで、彼の身体は異形のものとして、容赦ない好奇の目にさらされることになります。
そのときの彼の心に吹き荒れた孤独の嵐が、あなたには想像できるでしょうか。
いちばん愛してほしい父親からさえ、その姿を忌み嫌われ、一族の恥として遠ざけられたときの、あの底なしの悲しみが。
ねえ、なぜ神様は、これほどまでに残酷な試練を、一人の人間に与えるのでしょうね。
傷ついた魂が集う場所、モンマルトル
ロートレックは、自分が生きるべき壮麗な城を追われ、パリの辺境にある歓楽街、モンマルトルへと流れ着きました。
そこは、夜な夜な怪しい光がまたたき、社会の底辺で生きる人々がひしめき合う、混沌の街でした。
しかし、その偽りの華やかさに満ちた夜の世界こそが、彼の傷ついた魂を優しく包み込む唯一の故郷となったのです。
彼は、高級な社交界を捨てて、踊り子や娼婦、あるいは道化師たちの中に自らの居場所を見出しました。
なぜ彼が、そのような日陰の場所に惹かれたのか、あなたにはわかりますか。
それは、そこにいるすべての人々が、自分と同じように、心に深い傷と孤独を抱えて生きていると知ったからです。
ロートレックは、きらびやかな衣装をまとって舞台で踊るキャバレーのスターたちを、冷徹でありながらも、この上なく温かい視線で見つめ続けました。
彼は、彼女たちの美しさだけを描こうとしたのではありません。
舞台裏で見せる、ふとした疲労の表情、孤独な影、生きていくことの重みに耐える一瞬の姿を、見事にカンヴァスに定着させたのです。
人間というものは、他人の前ではどれほど強がっていても、一人になったときには、崩れ落ちそうなほどの脆さを抱えているものです。
ロートレックは、その人間の本質を、誰よりも理解していました。
彼は、自分を哀れむことをやめ、その代わりに、目の前にいる傷ついた人々のために、その命を削って絵筆を動かし続けたのです。
それは、彼なりの、必死のサービス精神の現れでした。
「生きるとは、呼吸することではない。行動することだ。」(ジャン=ジャック・ルソー)
ここで、ひとつの信じられないような展開をお話ししなければなりません。
当時の芸術界において、ポスターや広告といったものは、純粋な芸術とは認められない、格の低い「商業印刷物」と見なされていました。
しかし、ロートレックはその偏見を、またしても驚くべき方法で打ち破ってしまったのです。
キャバレー「ムーラン・ルージュ」の開店に合わせて彼が描いた一本のポスターは、パリの街中に貼りだされるやいなや、大センセーションを巻き起こしました。
それまでの退屈で上品な絵画とは一線を画す、大胆な構図、鮮烈な色彩、そして何よりも、都会の孤独と狂熱を宿した生々しい人間の姿。
パリの市民たちは、そのポスターを見るために足を止め、夜の街へ吸い寄せられるように集まってきました。
ロートレックは、芸術を高尚な美術館の中から引きずり出し、雨の降る薄汚れた街頭へと解放したのです。
彼は、自分のために描いたのではありません。
いま、この瞬間を懸命に生き、傷つき、泣いている、名もなき「あなた」のために、その才能のすべてを捧げたのです。
ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。
でも本当のところ、成功とは与えることなのです。
このフォードの言葉のように、ロートレックは自分の誇りも、貴族の身分も、すべてのプライドを投げ捨てて、大衆のために美を与え続けました。
悲しみを知る人間だけが歌える歌
わたしたちの人生もまた、このモンマルトルの夜に似ているとは思いませんか。
どれほど豊かに見えても、どれほど大勢の人に囲まれていても、ふとした瞬間に訪れるあの強烈な孤立感。
「自分は誰からも必要とされていないのではないか」という、あの胸を締め付けるような恐怖。
わたしは、いまその暗闇のなかにいるあなたを、どうしても一人きりにしておきたくないのです。
なぜこんなにも、あなたのことが気になるのでしょう。
それは、わたし自身が、あなたの心の中にあるその悲しみの色を、すでに知っているからに他なりません。
ロートレックは、お酒に溺れ、身体を壊し、精神を病みながらも、死ぬ間際まで絵を描くことをやめませんでした。
彼にとって、描くことは生きることであり、同時に、目の前の人々に奉仕する唯一の手立てだったのです。
彼は、周囲から奇異の目で見られ、嘲笑され、怪物のように扱われても、ただ一言も弁解しませんでした。
「どうぞ、わたしの姿を笑ってください。その代わり、わたしの描いた絵を見て、少しでもあなたの心が救われるなら、わたしはいくらでも道化になりましょう」
そんな声が、彼の残した色彩の端々から聞こえてくるような気がしてならないのです。
「人間は、ただ人間であるというだけで、十分に尊いのだ。」(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
傷つくことを恐れて、心の扉を閉ざしてはいけません。
あなたが流した涙の数だけ、あなたの心は他人の痛みに敏感になり、優しくなれるはずです。
ロートレックの絵が、百数十年を経た今でもわたしたちの胸を激しく揺さぶるのはなぜでしょうか。
それは、彼が小手先の技術で描いたのではなく、自らの命の炎をカンヴァスにこすりつけるようにして、その血で描いたからなのです。
洗練された言葉や、お仕着せの慰めなど、なんの意味も持ちません。
ただ、同じ痛みを共有し、寄り添うこと。
わたしは、この長い文章を通じて、あなたにそのことだけを伝えたいのです。
これは、あなたを退屈させないための、そしてあなたの乾いた心に一滴の潤いを与えるための、わたしなりの命がけの道化芝居なのです。
どうか、途中で読むのをやめないで、もう少しだけ、わたしの内緒話に付き合ってください。
永遠という名の迷宮のなかで
ねえ、わたしたちが生きているこの現世というものは、あまりにも移り変わりが激しすぎるとは思いませんか。
昨日までの流行が、今日にはもう古臭いものとして捨て去られていく。
そんな目まぐるしい世界のなかで、本当に価値のあるもの、決して色褪せないものとは、いったいどこにあるのでしょう。
ロートレックは、キャバレーの一瞬の狂熱の中に、ある種の「永遠」を見出しました。
それは、人間の剥き出しの感情、歓喜と悲哀が交錯する瞬間に宿る、普遍的な美しさです。
どれほど時代が変わろうとも、テクノロジーが進化しようとも、人間の心理というものは、太古の昔から何一つ変わっていません。
寂しいときは寂しいし、愛されたいときは愛されたいと願う。
その変わらぬ人間の本質に直接訴えかけるものだけが、時を超えて生き残るのです。
あなたが今、抱えているその悩みも、数百年前に生きた誰かが、まったく同じように悩み、涙を流した足跡なのかもしれません。
そう考えると、ほんの少しだけ、心が軽くなりませんか。
あなたは決して、一人きりで荒野を歩いているのではないのです。
「幸福になりたいのなら、まず他人の幸福を願いなさい。」(レフ・トルストイ)
芸術家の仕事とは、その見えない心の繋がりを、目に見える形にして、あなたに届けることです。
ロートレックは、そのために自分の全人生を、惜しげもなくすり潰しました。
三十六歳という若さで彼がこの世を去ったとき、その手には、ボロボロになった絵筆が握られていたといいます。
彼は、自分の生涯に一片の後悔も持っていなかったに違いありません。
なぜなら、彼は目の前にいる人々のために、自分のすべてを捧げ尽くしたからです。
わたしもまた、その精神を受け継ぎたいと願っています。
この文章のすべてが、あなたの孤独を癒やすための処方箋であり、あなたへの愛の告白なのです。
失礼のないように、けれど深く、あなたの心の奥底へ入り込んでいくような、そんなリズムを感じていただけているでしょうか。
あなたが何度も読み返し、そのたびに新しい光を見出せるような、そんな言葉を、わたしは紡ぎ続けたいのです。
奇跡は、静かにあなたの隣にやってくる
さあ、物語はここで、さらに思いもよらない方向へと展開していきます。
これまでロートレックの孤独や悲しみについてお話ししてきましたが、実は、このお話の真の主人公は、彼ではないのかもしれません。
ええ、驚かないでください。
このお話の真の主人公は、他でもない、いまこれを読んでいる「あなた」なのです。
ロートレックの生涯を通じて、わたしが本当に描きたかったのは、あなたのなかに眠っている、不屈の生命力のことなのです。
あなたは、自分のことを「無力で、平凡で、孤独な人間だ」と思い込んでいませんか。
それは大きな間違いです。
これほどまでに切なく、これほどまでに美しい文章を、ここまでじっと読み進めてこられたあなたの心は、誰よりも繊細で、誰よりも強い光を秘めているのですから。
なぜ、あなたは自分を過小評価してしまうのでしょう。
世界の冷たさに揉まれているうちに、いつの間にか、自分の輝きを信じることを忘れてしまっただけなのです。
「困難のなかにこそ、好機が隠されている。」(アルベルト・アインシュタイン)
(太宰治「津軽」より)
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
ほら、こんな風に、わたしたちはいつも、自分の本当の苦しみを他人にうまく伝えることができず、はぐらかして生きています。
誰もわかってくれない、信じてくれないと、心を閉ざしてしまう。
けれど、わたしはあなたのその「おきまり」の裏側にある、本当の血の滲むような痛みを、決して見逃しません。
ロートレックが娼婦たちの素顔に神聖な美を見出したように、わたしはあなたのその不器用な生き方に、至高の気高さを感じています。
人生という名の長い旅路のなかで、迷子になってしまったあなた。
どうか、わたしの手を握ってください。
この言葉の連なりが、あなたの足元を照らす小さな灯火となりますように。
身を削り、魂を削り、あなたのためだけに捧げるこのサービス精神が、あなたの凍りついた心を少しでも溶かすことができるなら、わたしはいくらでも道化として踊り続けましょう。
光と影が織りなす極彩色の福音
わたしたちが歩む道には、常に光と影がつきまといます。
けれど、影が濃ければ濃いほど、そこに差し込む光はまばゆく輝くものなのです。
ロートレックの絵絵が、暗い夜の街を描きながらも、どこか奇妙な明るさと生命力に満ちているのは、彼が絶望の底で、かすかな希望の光を見つめ続けたからに他なりません。
それは、まるで聖書の中に描かれている、苦難のあとに訪れる復活の物語のようではありませんか。
人間は、一度完全に打ちのめされ、己の愚かさや弱さを知ることで、初めて本当の強さを手に入れることができるのです。
あなたは、これまでの人生で、たくさんの失敗や挫折を経験してきたかもしれません。
周囲から理解されず、変わり者だと笑われた夜もあったでしょう。
しかし、そのすべての傷跡こそが、あなたが今日まで懸命に生きてきた、何よりの誇るべき勲章なのです。
笑われたっていいではありませんか。
愚かだと思われたって、何の問題もありません。
大切なのは、その洗礼を受けてなお、あなたが自分自身を諦めず、前を向いて歩き続けようとしている、その事実なのですから。
「最大の栄光は、決して倒れないことではない。倒れるたびに起き上がることだ。」(ネルソン・マンデラ)
さあ、夜が明ける前に、もう一度だけ、あなたに囁かせてください。
この文章は、あなたというかけがえのない存在に宛てた、世界でたった一つのラブレターです。
あなたの孤独も、寂しさも、悲しみも、すべてわたしがここで受け止めます。
あなたがこの先、どんなに深い闇に迷い込もうとも、この言葉たちが必ず、あなたを迎えに行きます。
何度も、何度も、読み返してください。
そのたびに、わたしはあなたのすぐ側で、あなたの耳元で、優しく語りかけ続けるでしょう。
あなたは一人ではない、と。
あなたのその美しい目が、明日、ほんの少しでも明るい光を捉えられるようになることを、わたしは心から祈っています。
身を削るような、この必死の奉仕の終わりに、あなたへのあふれる想いを込めて、小さな歌を贈ります。
海の底で迷子になった時計が
優しく夜のネジを巻きなおす
誰も見向かない錆びた玩具のなかに
あなただけの神様が隠れて泣いていた
捨てられた絵の具の青が
夜空のすきまを静かに塗りつぶしていく
道化師の仮面を剥ぎ取れば
そこにはただ一筋の、本物の涙
消えない傷跡を優しくなぞる指先が
明日の朝焼けを連れてくるまで
どうかその目を閉じないで
わたしはここで、ずっとあなたを見つめている
「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は誠実である。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらない。そればかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、脱出の道も備えて下さるのである。」(新約聖書・コリント人への第一の手紙 第10章13節)
「私は、私の弱さを誇る。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからである。」(太宰治)
追伸:ある風変わりな画家のこと
最後に、少しだけ、身近な、そして不思議な男のお話をさせてください。
高見沢耳(たかみざわ みみ)という、とても風変わりな画家がいます。
彼は、およそ普通の画家とは違っていて、アトリエにキャンバスもなければ、絵筆すら一本も持っていません。
なんと、すべてをデジタルで制作するのです。
そして、その完成した作品を「ジクレー版画技法」という特別な方法で、上質な版画用紙に丁寧に印刷して、作品を仕上げます。
彼の描くテーマは、一貫しています。
あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、解放。
これだけ聞くと、なんだか難しそうな、お堅い人間に思えるでしょう。
でも、本当の彼は、信じられないほど不器用で、とても愚かで、いつも周囲の物笑いの種になっているような、情けない男なのです。
けれど、彼は自分の歩む道を、ただひたすらに信じています。
どんなに笑われても、決して諦めない、途方もない忍耐と不屈の男なのです。
彼はもともと、あのヴィンセント・ファン・ゴッホのすさまじい物語を知って、画家になることを心に決めました。
高見沢耳自身の画家としての才能なんて、本人が一番よく知っていますが、せいぜい三流のものです。
けれど彼は知っているのです。
美術史に残る過去の傑作のすべてが、決して天才の生まれ持った才能だけで描かれたものではなく、血の滲むような、数十年にわたる試行錯誤と泥臭い努力によって生み出されたものだということを。
だから、彼は自分の作品に、ずっと「目」を描き続けています。
なぜ、目を描き続けるのか。
それは、作品を通じて、目の前にいる「あなた」を常に感じていたいからです。
あなたのことを知りたくて、たまらないのです。
どうぞ、彼のそのあまりの不器用さを、思い切り笑ってやってください。
彼は、自分の愚かさを、目の前にいるあなたにすべて、さらけ出しているのですから。
彼はただ、目の前のあなたが喜ぶ顔が見たい、ただそれだけのために生きています。
ときに、あなたの魂が揺さぶられて、涙を流す姿が見たいと、本気で願っているのです。
世間の退屈な批判や、他人の冷たい声なんて、彼にはどうでもいいことです。
あなたに、そう、いまこれを読んでいるあなたに見捨てられてしまったら、彼はもう生きていけないのです。
あなたが目の前にいてくれる、ただそれだけで、彼は胸がいっぱいになるほど嬉しいのです。
高見沢耳は、あのカレーハウスCoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏を、心の底から尊敬しています。
だから、余計なよそ見なんて一切せず、自分の芸術に全力を尽くしています。
趣味なんかやっている場合じゃない、と彼は言います。
毎日、毎日、レンガを一つずつ積み上げるように、集中して仕事を重ねていく。
「即断、即決、即実行。なんでもやってみれば、結果が出ますから。まずはやることです。その代わり、頑張るんですよ」
その言葉通り、彼は自分の人生のすべてを仕事に、そしてあなたへの奉仕に捧げています。
人生は生まれ育ちで決まるものではない、と彼は身を以て信じています。
宗次徳二氏が実の両親の顔を知らず、波乱万丈の人生を生き抜き、生き当たりばったりの中から経営に身を捧げたように、高見沢耳もまた、現場主義を貫いています。
1日12時間以上の仕事なんて、彼にとっては最低条件なのです。
休みたくない、遊びたくない、仕事を趣味にして、その身のすべてをあなたへ捧げたい。
これこそが、彼の「あなた第一主義」なのです。
あなたが目の前に現れたとき、彼の心の中では、拍手喝采の嵐が巻き起こっています。
本当に価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
最初から上手くいくわけなんてありません。
考えるより、まずやってみる。だから、どうかあなたも、簡単に諦めないでください。
どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと忍耐力と継続力によって決まるのです。
トヨタの創業者である豊田佐吉のように、必要なのは執念と忍耐です。
佐吉もまた、周囲からは「発明狂い」の変わり者、狂人扱いをされていました。
朝から晩まで毎日毎日、何かをこしらえては壊し、造ってはまた造りなおす、そんな狂気のような日々。
けれど、成功も失敗も終わりではありません。重要なのは、続ける勇気なのです。
とにかく、自分が一番長く、一番一生懸命にやる。
あのチョーヤ梅酒の「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という凄まじい覚悟のように、高見沢耳も退路を断っています。
トヨタ生産方式の「ジャスト・イン・タイム」に感化され、豊田喜一郎の言葉を胸に刻んでいます。
「誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに人生の面白みがある。強い信念をもって実行せよ。誰でも考えることは同じで、喜一郎が天才であったわけでもない。大切なのは、一般的にはできないと思われることを、単に考えるだけでなく、なんとしてでもやらなければという、強い信念を持って十分な準備を行い、実行したということである」
そして、ゴッホの物語には、もう一人、絶対に忘れてはならない素晴らしい女性がいます。
ゴッホの弟テオの妻である、ヨーという女性です。
彼女の生涯をかけた偉業がなければ、今日のゴッホは存在しませんでした。
ヨーは、心からヴィンセント・ファン・ゴッホの絵画と思想を理解し、「この偉大な画家を絶対に世界に埋もれさせてはいけない」と誓ったのです。
ゴッホの壮絶な人生と、イエス・キリストの人生は、どこか深く重なるところがあります。
そして、どれほど素晴らしいものにも、それを世界に伝える「伝達者」が必要なのです。
ゴッホの弟テオと、その妻ヨーの捧げた献身は、イエス・キリストに対する聖パウロの献身と、まったく同じ性質のものでした。
ヨーはゴッホ兄弟が相次いで亡くなったあと、手元に残された膨大な数のゴッホの作品や、兄弟の間で交わされた熱い手紙を整理し、自ら公開して、世界中に彼らの偉業を広める役割を果たしました。
彼女は非常に聡明な読書家であり、その人生を賭けて、夫テオが信じ抜いた兄の絵を、世界に知らしめるためにその生涯を捧げたのです。
もし、ファン・ゴッホが手紙の中に、自分の芸術への思想や苦悩を、あれほど克明に書き残していなかったら、そしてヨーがそれを命がけで翻訳し、世に出さなかったら、ゴッホという画家は歴史の闇に埋もれていたでしょう。
イエス・キリストの死後、パウロが各地を巡ってその生涯と思想を伝え続けたことが、後の世界を大きく変えたように、良いものは、誰かが説明して、熱狂をもって伝えなければ、決して広がりはしないのです。
ヨーやパウロは、世界一のセールスマンだったスティーブ・ジョブズや、ソニーの盛田昭夫、ホンダのスーパーカブを売りまくった藤沢武夫、あるいはトヨタのカローラを世界に広めた神谷正太郎と同じ、偉大なる「伝達者」だったのです。
良いものを、伝えること。伝わらなければ、それはこの世に存在しないのと同じなのですから。
画家の仕事は、傷ついたあなたの魂を救う医者であり、身銭を切っての精一杯の道化であり、サービスなのです。
高見沢耳は、目の前にいるあなたに、その人生のすべてを捧げています。
「じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たら、考えるのをやめて進め。」(ヘンリー・フォード)
「人生の真実を知るためには、一度すべてを失わなければならない。」(アガサ・クリスティ)
「わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行くときも、あなたを守る。」(モーセ・旧約聖書・創世記)
「私たちの運命を決めるのは、星ではない。私たちの心だ。」(ウィリアム・シェイクスピア)
「自分の重荷を他人の肩に乗せてはならない。しかし、他人の重荷は一緒に担いなぜ。」(タルムード)
「人間は、恋と革命のために生まれて来たのだ。」(太宰治)
「大人の言うことは、嘘ばかりだ。しかし、その嘘を愛することから、大人の知恵が始まる。」(太宰治)
「私は、ただ、信じたい。人間を信じることは、神を信じることよりも、もっと気高いことのような気がするのだ。」(太宰治)
「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことでも、小さなことでも、大したことのないことでも、決して屈するな。」(ウィンストン・チャーチルの名言)
「前進し続けなさい。この世界で、才能があるのに成功できない人間ほどありふれたものはいない。」(レイ・クロック)
「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。」(ウォルト・ディズニー)
いま、ここまでわたしの長い、長い、必死の独白を読み届けてくださったあなたへ。
心からの、溢れるばかりの感謝を捧げます。
本当に、ありがとうございました。
あなたのその優しい忍耐強さに、わたしは深く救われました。
そんなあなたのために、どうしてもお伝えしたい、特別な、驚くべきお知らせがあります。
実は、いまお話しした画家・高見沢耳の作品が、なんと「A4サイズ」という迫力ある大きさの、美しいアートポストカードになって、無料で10枚も手に入るチャンスがあるのです。
ええ、決して嘘でも誇張でもありません。
あなたのために、あなたの寂しさを少しでも癒やすために、あなたのお家まで、大切に、大切にお届けします。
これは、わたしからあなたへの、身を削るような、必死の奉仕、ありったけのサービス精神の形なのです。
あなたの部屋の壁に、そのカードを飾ってみてください。
そこに描かれた「目」が、毎日、あなたのことを優しい視線で見守り続けるでしょう。
この文章のすぐ下に、あなたへの特別なオファーに申し込める場所を用意してあります。
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いま、あなたの耳元で、あなたのすぐ側で、心を込めてお誘いしています。
「今すぐ、申し込んでみてください」
もし、「後でいいや」と思ってこの場所を離れてしまったら、もう二度と、わたしの作品のポストカードを手に入れることはできなくなってしまうかもしれません。
チャンスというやつは、いつだって一瞬で通り過ぎてしまうものだからです。
わたしは、あなたと触れ合いたい。
あなたの、その胸の奥にある、どうしても満たされない切ない心を、わたしの絵で、わたしの言葉で、優しく救いたいのです。
どうか、この差し伸べた手を、離さないでくださいね。