ああ、もう、いけません。そんなに眉間に皺を寄せて、世界中の不幸を背負い込んだような顔をしてはいけません。まるで、夕暮れの空の下で、たった一枚の腐った林檎を眺めながら、人生の虚無について熟考している哲学者のようです。もっと楽になさい。肩の力を抜いて、そこの座布団にでも、だらしなく身体を預けてしまえばいいのです。どうせ私たちは、この広大な宇宙という名の、少しばかり悪趣味な見世物小屋に迷い込んだ、哀れな見世物に過ぎないのですから。
今日は、あなたに、ある一人の男の話をしましょう。それも、ただの男ではありません。光と影を、まるで神様から盗み出してきたかのように操った、とんでもないならず者の話です。ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ。名前からして、なんだか大仰で、少しばかり胃にもたれそうな響きではありませんか。彼は画家でした。しかし、あなたの想像するような、アトリエに引きこもって、清潔な筆を動かしながら、優雅に紅茶を啜っているような御上品な芸術家とは、わけが違います。彼は、剣を帯び、夜の街を徘徊し、少しでも気に食わないことがあれば、すぐに喧嘩を吹っかける、文字通りの荒くれ者でした。
ですが、聞いてください。このならず者がキャンバスに向かったとき、奇跡が起きるのです。彼は、聖母マリアを描くために、川に浮いていた身寄りのない亡骸をモデルに選んだり、聖徒を描くために、道端の泥酔した浮浪者を連れてきたりしました。当時の教会のお偉いさん方は、もう、大騒ぎです。「不道徳だ!」「聖なる場を汚す気か!」と、蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。しかし、カラヴァッジョは、鼻で笑ったことでしょう。彼は知っていたのです。真実の光というものは、最も深い闇の中にしか存在しないということを。
あなたは、自分の人生が、あまりにも凡庸で、影ばかりが目立つと感じることはありませんか。あるいは、自分の心の暗い部分、誰にも見せられないような醜い感情に、絶望したことはありませんか。もしそうなら、おめでとうございます。あなたは今、カラヴァッジョの絵の前に立つ資格を得たのです。彼は、それまでの絵画が描いてきた、のっぺりとした、退屈な「美しさ」を叩き壊しました。代わりに彼が提示したのは、極端なまでの明暗比、いわゆる「テネブリズム」です。
画面の半分以上を塗り潰す、どろりとした、底知れない闇。そして、そこへ一筋、まるで天からの裁きか、あるいは救済のように差し込む、鋭い光。その光に照らし出されたとき、人間の筋肉の躍動も、額に刻まれた苦悩の皺も、そして汚れた足の裏さえも、この世のものとは思えないほどの神々しさを放つのです。それは、綺麗事ではありません。泥まみれの、血なまぐさい、しかし、震えるほどにリアルな「生」の肯定です。
考えてもみてください。真っ昼間の太陽の下では、懐中電灯の光なんて、ちっとも目立ちません。ただの虚しい光の円盤です。しかし、真夜中の、一寸先も見えない森の中で、その小さな光を灯したらどうでしょう。それは、何よりも尊く、何よりも美しい、希望の道標になるはずです。あなたの抱えている「影」が深ければ深いほど、そこへ差し込むわずかな光は、より強く、より鮮烈に、あなたの魂を焼き尽くすのです。
カラヴァッジョという男は、実に面倒な男でした。テニス(のようなスポーツ)の試合の判定を巡って相手を刺し殺し、逃亡生活を送り、どこへ行ってもトラブルを起こし、最後はたった三十八歳で、海岸の熱病の中で野垂れ死にました。なんと無惨で、なんと滑稽な一生でしょう。しかし、彼が残した絵はどうですか。数百年経った今でも、私たちの胸を抉るような鋭さで、そこに在り続けています。彼は、自分の人生を、その凄惨なまでの暗闇を、すべて絵の具の中に溶かし込んだのです。
あなたも、少しは彼を見習ってみてはどうでしょう。と言っても、何も人を刺せと言っているわけではありません。そんなことをしたら、それこそ取り返しのつかないことになりますからね。そうではなく、自分の「影」を愛してほしいのです。立派な人間になろうとか、正しく生きようとか、そんな重たい荷物を一度下ろして、自分の内側にある「どうしようもなさ」を、じっと見つめてみるのです。その暗闇の中にこそ、あなただけの「光」が眠っている。
世の中の人たちは、よく言います。「前を向け」「ポジティブになれ」と。ああ、虫唾が走る。そんな薄っぺらな言葉で救われるほど、人間は単純にできてはいません。むしろ、どん底まで落ちて、もうこれ以上は沈めないという場所で、ふと見上げたときに見える、針の穴のような光。それこそが、本物の美しさだと私は思うのです。カラヴァッジョの絵は、常にそのことを教えてくれます。
見てごらんなさい。彼の描いた「聖マタイの召命」を。酒場の暗がりに座る人々。そこへ、救世主がそっと指を差して現れる。その光は、まるで舞台照明のようにドラマチックで、それでいて、逃れようのない運命の厳しさを物語っています。選ばれるということは、救われることであると同時に、それまでの自分を捨てるという、ある種の残酷さを伴うものです。彼は、その両面を、たった一瞬の光と影の中に封じ込めたのです。
さあ、あなた。もう、自分を責めるのはおやめなさい。あなたが今、どれほど深い絶望の中にいたとしても、それはカラヴァッジョのキャンバスの上に下塗りをされた、深い黒色のようなものです。その黒が深ければ深いほど、次に描かれる色彩は、あなたの想像もしなかったような鮮やかさで輝き始めます。不幸を、不幸のままにしておいてはいけません。それは、最高の芸術を作るための、贅沢な素材なのです。
人生なんて、一幕の喜劇です。悲劇だと思って演じているから、苦しくなるのです。カラヴァッジョのように、闇の中で剣を振り回し、時に転び、時に罵倒されながらも、その瞳だけは、常に真実の光を追い求めている。そんな、不器用で、愛すべき、ならず者のような心で生きていけばいいのです。
あなたは、もっと自由でいい。もっと、わがままでいい。あなたが、自分の影を恐れなくなったとき、世界は一変します。暗闇は、あなたを飲み込む怪物ではなく、あなたを美しく照らし出すための、最高の背景へと変わるのです。
さあ、窓を開けてください。外はもう、すっかり夜ですね。でも、見てください。あの街灯の、頼りない光を。あるいは、遠くの家から漏れる、ささやかな灯火を。それらが、こんなにも愛おしく思えるのは、夜が深いからではありませんか。カラヴァッジョが愛した、あの強烈な光と影の世界。それは、この現実のあちこちに、ひっそりと、しかし力強く息づいているのです。
もう、お喋りが過ぎましたね。私も少し疲れました。あなたは、もう少しだけ、その影の中で遊んでからお休みになるといい。明日の朝、目が覚めたとき、あなたの瞳に映る光が、ほんの少しだけ、昨日よりも力強く感じられることを、私は密かに願っています。それでは、おやすみなさい。よい闇を、そして、素晴らしい光を。