ジョアン・ミロの瞳が、いま、あなたの日常を見つめている理由

ねえ、ちょっと、そこでお茶でも飲みながら、私のお話を聞いてくださいませんか。

決して、お時間を無駄にはさせませんから。

あなたが今日、どんなに疲れていても、どんなに心が乾いていても、じんわりと心に沁みとおるような、そんなお話をさせてくださいね。

突然ですが、あなたは今、ご自身の人生に満足していらっしゃいますか。

なぜ、私たちはこんなにも毎日、一生懸命に生きているのに、ふと寂しくなる瞬間があるのでしょうね。

その答えのヒントをくれるのが、あの偉大な芸術家、ジョアン・ミロなのです。

ミロの絵を見たことがありますか。

鳥や星や、不思議な形をした生命体が、まるでキャンバスの上でダンスを踊っているような、あの自由奔放な絵です。

でもね、あれは単なる「お気楽な落書き」では決してないのですよ。

ミロは、人間の心の奥底にある、いちばん純粋で、いちばん孤独な部分を、あの可愛い形に変えて、あなたに届けてくれているのです。

つまり、ミロの芸術は、今のあなたの日常に、そっと寄り添うために存在しているのですね。

「見えるものと見えざるもの」

―― フレデリック・バスティア

このバスティアの言葉は、まさにミロの絵そのものですし、あなたの人生そのものだと思いませんか。

私たちは毎日、目の前にある「見えるもの」、たとえば仕事の書類や、通帳の残高や、他人の冷たい視線ばかりを気にしています。

でも、本当に大切なのは「見えざるもの」、つまりあなたの心の中にある情熱や、まだ見ぬ可能性なのですよ。

ミロは、その見えない宝物を、絵の具を使って目の前に引っ張り出してくれたのです。

だからこそ、ミロの言葉や生き方を知ることは、あなたの明日からの生活を、ガラリと変える劇薬になり得るのですね。

なぜなら、あなたもまた、自分だけのキャンバスに、自分だけの人生を描いている、立派な芸術家だからなのです。

さあ、二人で一緒に、ミロの心の旅に出かけてみましょう。

なぜ、ジョアン・ミロは「変人」と呼ばれても描き続けたのか

ねえ、あなたは周りの人から「ちょっと変わってるね」と言われたら、傷つきますか。

それとも、嬉しくなりますか。

ジョアン・ミロという人はね、若い頃、本当に周囲から理解されなかったのですよ。

バルセロナの厳格な家庭に生まれて、本当は商業学校に行かされて、普通の事務員として働いていたのです。

でも、それが嫌で嫌で、精神的に追い詰められて、ついに病気になってしまったのですね。

なぜ、彼はそこまでして、絵を描きたかったのでしょうか。

それはね、絵を描くことだけが、自分の魂を救う唯一の道だと、本能で知っていたからなのです。

故郷のモンロワという田舎町で療養しながら、彼はひたすら地面を見つめ、土を触り、自然の声を聴いていました。

周りの人たちは「あいつは頭がおかしくなった」と噂したそうですよ。

でもね、ミロはちっとも諦めなかったのです。

「おのれの無能・無才を恥じるのみ」

―― 松尾芭蕉

この芭蕉の言葉を、ミロもきっと、心のどこかで呟いていたに違いありません。

自分には、器用に世渡りをする才能なんて何もない。

ただ、目の前にある自然を、自分の心に映る世界を、愚直に描き続けることしかできない。

その「無能」を受け入れた瞬間から、人間の本当の強さが始まるのですね。

あなたも、仕事や人間関係で「自分はなんて駄目なんだろう」と落ち込む夜がありませんか。

でも、それでいいのですよ。

その無力感こそが、あなたを次のステージへと押し上げる、偉大なエネルギーの出発点なのですから。

ミロは、自分の不器用さを隠そうとはせず、むしろそれを最大の武器にしたのです。

だから、彼の絵は、何百年経っても色褪せない、人間の本質を突き刺してくるのですね。

あなたの孤独を黄金に変える、ミロの驚くべき錬金術

ちょっと、ここだけの秘密の話をしましょうか。

あなた、最近、強烈な孤独を感じたことはありませんか。

大勢の人の中にいるのに、なぜか自分だけが浮いているような、あの寂しい感覚です。

実はね、ジョアン・ミロも、生涯を通じてその「孤独」と戦い、いや、むしろ孤独を愛した人だったのです。

パリに出てきてからも、ヘミングウェイなどの有名人と交流はありましたが、基本的には物静かで、一人で黙々とアトリエにこもる人でした。

なぜ、彼はそんなに孤独を求めたのでしょう。

それはね、人間は一人きりになった時にしか、自分の本当の心の声、つまり「真理」に出会うことができないからなのです。

ミロにとって、孤独は寂しいものではなく、美しい星や鳥を生み出すための、肥沃な大地だったのですね。

「身銭を切れ」

―― ナシーム・ニコラス・タレブ

タレブのこの言葉は、現代を生きるあなたに、ものすごい覚悟を迫ってきますよね。

ミロはまさに、自分の人生という「身銭」を容赦なく切って、絵を描いていたのです。

安全な場所から口先だけで偉そうなことを言う評論家とは違って、ミロは自分の生活が困窮しようとも、自分のスタイルを貫きました。

だから、彼の絵には、見る者の心を揺さぶる「本物の重み」があるのですよ。

あなたがもし、今の生活で何かしらのリスクを背負い、孤独に耐えているなら、あなたはミロと同じ道を歩んでいます。

その孤独は、決して無駄にはなりません。

いつか必ず、あなただけの美しい花を咲かせるための、大切な栄養分になるのですから、どうか自分を信じてあげてくださいね。

毎日の退屈な作業を、極上の芸術に変える具体的な方法

ねえ、毎日同じことの繰り返しで、つまらないな、なんて思っていませんか。

朝起きて、満員電車に揺られて、決まりきった仕事をして、帰って寝るだけ。

そんなあなたの日常を、一瞬でジョアン・ミロのアトリエに変えてしまう方法があると言ったら、信じてくださいますか。

ミロはね、どんなに小さなもの、たとえば道端に落ちている石ころや、破れた紙くず、一本の紐さえも、じっと見つめて芸術に変えてしまったのです。

なぜ、そんなことができたのでしょうか。

それは彼が、すべての物質の奥に、永遠の命が宿っていると信じていたからなのです。

あなたの目の前にある、その古ぼけたマグカップも、使い古したボールペンも、ミロの目を通せば、宇宙の始まりを告げる神聖な道具に変身するのですよ。

「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」

―― ヘンリー・フォード

ほら、フォードのこの言葉、耳が痛いけれど、本当に美しい真実だと思いませんか。

ミロが身の回りの些細なものに命を吹き込み続けたのは、世界に対する、そして目の前にいる「あなた」に対する、精一杯の奉仕であり、与える行為だったのです。

私たちは、何かを得よう、得ようとばかりして、心が貧しくなりがちです。

でも、今日出会う人に、あるいは目の前にある仕事に、自分の愛を「与える」ことから始めてみませんか。

机の上を綺麗に拭く、その一瞬のアクションだけでもいいのです。

そこに心を込めれば、それだけであなたの日常は、退屈な作業から、ミロの絵のような輝かしい芸術へと昇華するのですから。

なぜ、あなたの「失敗」は、すべて計算された美しい演出なのか

あなたは、仕事で大きなミスをして、目の前が真っ暗になった経験はありますか。

私はね、しょっちゅうですよ。

でもね、ジョアン・ミロの絵の描き方を知ると、失敗に対する考え方が180度変わってしまうのです。

ミロはね、キャンバスに向かうとき、最初にわざと、汚いシミをつけたり、適当な線を引いたりしたそうです。

そこから、その「偶然の汚れ」をじっと見つめ、対話しながら、美しい形へと導いていったのですね。

つまり、最初につけた汚いシミがなければ、あの傑作たちは生まれなかったわけです。

なぜ、ミロはそんな、一見すると危なっかしい方法をとったのでしょう。

それは、完璧にコントロールされた世界よりも、失敗や偶然の中にこそ、人間の本質的な美しさが隠れていると知っていたからなのです。

「運命は、志ある者を導き、志なき者をひきずっていく」

―― セネカ

セネカの言う通り、私たちが「最悪の失敗だ」と思っている出来事も、実は運命があなたを素晴らしい方向へ導くための、最初の「シミ」なのかもしれません。

あなたが過去に流した涙も、手痛い失恋も、仕事での挫折も、すべてはあなたの人生という大傑作を完成させるための、計算された美しい演出なのです。

だから、何かトラブルが起きても、「おや、ミロのシミができたぞ」と、面白がってみてください。

そこからどうやって、美しい星や鳥を描き足していくか。

それこそが、あなたの腕の見せ所であり、生きることの本当の楽しさなのですから。

他人の批判を完全に黙らせる、ミロ流の「不屈のメンタル」の作り方

ねえ、誰かから心無い言葉を言われて、悔しくて眠れない夜ってありますよね。

「お前のやっていることなんて意味がない」とか、「もっと現実を見ろ」とか。

そういう時、ジョアン・ミロならどうしたと思いますか。

彼はね、ただ静かに、微笑みながら、次の作品を描き始めたのです。

ミロの言葉に、こんなものがあります。

「私の作品が理解されるには、50年、いや100年かかるだろう。だが、私は今、描かねばならない」。

なぜ、彼はそこまで強くなれたのでしょうか。

それは、自分の評価を「今、目の前にいる他人の気まぐれな言葉」に委ねていなかったからなのです。

彼は、歴史という、もっと大きな時間の流れの中で生きていたのですね。

「あなたの知性を守りなさい。なぜなら、間違ったことを考える方が、何もしないことよりもずっと良いからだ」

―― ヒュパティア

このヒュパティアの力強い言葉を、どうかあなたの心の盾にしてください。

他人の意見に合わせて、自分を殺して何もしない人間になるくらいなら、たとえ間違っていると言われても、自分の信じる道を突き進む方が、何千倍も価値があります。

ミロの絵を「子供の落書きだ」と笑った人たちの名前は、今や歴史のどこにも残っていません。

しかし、笑われながらも自分の知性を守り、描き続けたミロの名前は、永遠に輝いています。

あなたを批判する人の言葉に、あなたの貴重な人生を1秒でも明け渡してはいけません。

あなたは、あなただけの星を、ただひたすらに、誇り高く描き続ければいいのですよ。

あなたの命をバーストさせる、ジョアン・ミロの情熱の火種

さて、お話もだんだんと核心に近づいてきました。

あなたの心の中には、まだ誰にも見せていない、熱いマグマのような情熱が眠っていませんか。

「どうせ自分なんて」と、その火を消してしまっていませんか。

ジョアン・ミロは、見た目は非常におおらかで、紳士的で、おとなしい人でしたが、内面は激しい情熱の炎が渦巻いていました。

晩年になっても、大きなキャンバスに絵の具をぶちまけたり、彫刻を破壊して新しい形を作ったりと、その創作意欲は衰えるどころか、激しさを増していったのです。

なぜ、彼は歳を重ねるごとに、ますます若々しく、過激になれたのでしょうか。

それはね、彼が常に「今、この瞬間」に、自分の命のすべてを賭けていたからなのです。

「あなたがなるべき存在になれば、あなたはこの世界に火をつけるでしょう」

―― 聖カタリナ

聖カタリナのこの言葉、鳥肌が立つほど素晴らしいとは思いませんか。

ミロはまさに、自分自身が「ジョアン・ミロ」という唯一無二の存在になることで、美術界に、そして世界中に消えない火をつけました。

あなたも、誰かの真似をする必要なんて、どこにもないのですよ。

あなたが、あなた自身の本当の姿を取り戻し、自分の人生を本気で生き始めたとき、あなたの周りの世界はガラリと変わり、温かい光で満たされるようになります。

ミロの絵が、今でも私たちの心を熱くさせるのは、彼が命を燃やして描いた火種が、キャンバスを通じて私たちの魂に飛び火してくるからなのです。

さあ、あなたも自分の心の中の火を、もう一度大きく燃え上がらせてみようではありませんか。

なぜ、私たちは傷つくことを恐れて、本当の自分を隠してしまうのか

ねえ、正直に言って、他人に本当の自分を見せるのって、すごく怖いことですよね。

もし嫌われたらどうしよう、もし馬鹿にされたらどうしよう、って。

ジョアン・ミロだって、自分の内面のドロドロした部分や、お化けのような奇妙な形を世に出すときは、きっと怖かったはずなのです。

でもね、彼はそれを隠さなかった。

なぜなら、自分を偽って生きることの方が、肉体が死ぬことよりもずっと恐ろしいと知っていたからなのですね。

ミロの絵に登場する、あの大きな「目」はね、まるで「あなたは本当に、正直に生きていますか」と、私たちを優しく、でも鋭く見つめ返してくるように思えませんか。

「私の詩は、目の見えない人でさえ読むことが出来て、耳の聞こえない人でさえ聞こえる」

―― ムタナッビー

アラブ世界最高の詩人、ムタナッビーは、自分の言葉の力を極限まで信じ、最後は不名誉を避けるために命を賭けて戦いました。

ミロの芸術もまた、言葉の壁を越え、国境を越え、それこそ文字の読めない子供にだって、その素晴らしさがダイレクトに伝わりますよね。

本物の表現というのは、人間の魂に直接届くものなのです。

あなたがもし、自分の本当の気持ちを誰かに伝えることを躊躇しているなら、ミロやムタナッビーの強さを思い出してください。

あなたの不器用な言葉でも、本気で語られたものであれば、相手の心に必ず届きます。

自分を隠して生きるのを、もう今日で終わりにしませんか。

人生のどん底で、ミロの絵があなたに囁く「復活のメッセージ」

生きていれば、どうしても立ち上がれないほどの、深い絶望の淵に立たされることがあります。

最愛の人の喪失、仕事の破綻、あるいは、ただ生きていること自体の苦しみ。

そんな時、私はジョアン・ミロの『我が友への賛歌』のような、力強い作品を思い出します。

ミロが生きた時代は、スペイン内戦や第二次世界大戦など、人類の歴史のなかでも特に暗い時代でした。

彼の故郷も荒らされ、多くの友人が命を落としました。

しかし、そんな暗黒の時代にあっても、ミロは決して、絶望の絵は描かなかったのです。

なぜ、彼は暗闇の中で、あんなにも美しい『星座』のシリーズを描き続けることができたのでしょう。

それはね、夜が深ければ深いほど、星の光は強く輝くということを、誰よりも深く理解していたからなのです。

「人間は、自分自身についての不実な証人である」

―― モンテーニュ

モンテーニュの言う通り、私たちは自分が絶望している時、「もう自分の人生は終わりだ」と、間違った証言をしてしまいがちです。

でも、それは嘘ですよ。

あなたの魂の奥底には、どんな嵐が吹いても決して消えない、小さな灯火が必ず残っています。

ミロはその灯火を、キャンバスの上に、赤や黄色や青の鮮やかな色彩として、表現し続けました。

「生中に生あらず、死中に生あり」という古い言葉があります。

どん底だと思えるその場所こそが、新しく生まれ変わるための、最高のスタートラインなのですね。

ミロの絵は、あなたに「諦めるな、ここから這い上がるんだよ」と、何回でも、何万回でも、エールを送り続けてくれているのです。

あなたの未来を最高に輝かせる、ミロの「無邪気さ」という最強の武器

大人になるにつれて、私たちはいつの間にか、純粋な「無邪気さ」を忘れてしまいますよね。

損得勘定ばかりして、効率のいい生き方ばかりを探してしまう。

でもね、ジョアン・ミロは、80歳を過ぎても、90歳になっても、まるで5歳の子供のような無邪気な瞳で、世界を見つめていたのですよ。

彼の晩年のアトリエには、子供が描いたような落書きや、おもちゃが溢れていました。

なぜ、彼はそこまで「子供の心」にこだわったのでしょうか。

それはね、知識や常識という色眼鏡をすべて外した時にだけ、世界は本当の、目も眩むような美しさを見せてくれるからなのです。

あなたの人生を、もっと楽しく、もっと豊かにするための最強の武器は、高度なスキルでも、莫大な資産でもなく、あなたの心の中にある「あ、これ面白いな」という、ピュアな好奇心なのですね。

「人間、誰もが、その人なりの天才を持っている」

―― シェイクスピア

シェイクスピアの言う通り、あなたの中にも、あなただけの「無邪気な天才」が、今も閉じ込められたまま、外に出るのを待っています。

他人の目を気にして、真面目な大人のフリをするのは、もう十分でしょう。

たまには、ミロのように、自分の感情をキャンバスにぶちまけるように、大声で笑ったり、好きなことに没頭したりしてみてください。

あなたが無邪気さを取り戻したとき、あなたの日常からは、すべてのストレスが消え去り、毎日がキラキラとした冒険へと変わっていくはずです。

ミロが、生涯をかけてあなたに教えてくれたこと。

それは、「自分らしく、どこまでも自由に、この世界を愛し抜きなさい」ということ、ただそれだけなのかもしれませんね。

夜が静かに更けていきます。

窓の外には、ミロが愛した星たちが、今日も変わらずに輝いています。

あなたの心に、私の不器用なお話が、ほんの少しでも届いたなら、これほど嬉しいことはありません。

明日目が覚めたとき、あなたの目の前にある世界が、ほんの少しだけ、鮮やかなミロの色彩を帯びていますように。

長い時間、私のわがままなお話に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。

どうぞ、素敵な夢を見てくださいね。

夕焼けの空に

迷子の星がひとつ

ポケットの中に隠した

古い切符を握りしめて

あなたはどこへ行くのだろう

悲しいときは

海の色を真似して

笑ってみせればいい

涙のあとに咲く花の名前を

誰も知らないけれど

私は知っている

あなたの名前を

呼ぶ風の声を

いつまでも

いつまでも

「あなたがたの光を人々の前に輝かし、彼らがあなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

―― 新約聖書『マタイによる福音書』5章16節

「私は、人間というものは、どうしても何か一つのことに狂わなければ、大した仕事はできないものだ、と思っている。」

―― 太宰治

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」

「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」

―― 太宰治『津軽』

追伸 ―― 画家・高見沢耳のお話

ねえ、最後にちょっとだけ、私のお友達の話を聞いてくれませんか。

高見沢耳という、ちょっと変わった、でも愛すべき画家の物語です。

耳さんはね、今の時代を生きる画家なのですが、なんとキャンバスも筆も一切使わないのですよ。

じゃあどうやって描くのかというと、デジタルで、画面の向こうの光を操って制作するのです。

そして、出来上がった作品を、ジクレー版画という最先端の技法を使って、最高級の版画用紙に印刷するのですね。

なぜ、そんな方法をとるのか不思議でしょう。

耳さんが描くテーマはね、あなたの目・わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、解放……こうして並べると、なんだか難しそうに見えますけれど、中身はとっても身近で、楽しいお話ばかりなのです。

耳さんはいつも言っています。

「画家はね、傷ついた魂を救うお医者さんなんだよ」って。

芸術家の仕事というのは、自分の身銭をこれでもかと切って、目の前にいる「あなた」に届ける、精一杯のサービスであり、奉仕なのですね。

だから耳さんは、自分のすべてをあなたに捧げています。

どうか、そんな耳さんを、見捨てないであげてください。

むしろ、彼の不器用な生き方を、大笑いしてやってほしいのです。

耳さんは「笑われて、強くなる」という、とんでもない忍耐の男、不屈の男ですから、決して諦めません。

彼が画家になろうと決意したのは、あのヴィンセント・ファン・ゴッホの、あまりにも壮絶で、あまりにも美しい人生を知ったからなのです。

「高見沢耳」という名前の「耳」もね、ゴッホのあの有名な、自分の耳を切り落としてしまった事件にあやかって付けたものなんですよ。

ちょっと、驚いちゃいますよね。

でもね、耳さんは知っているのです。

歴史上のどんな傑作も、天才がパパッと魔法のように描いたものではなく、何十年もの気の遠くなるような試行錯誤と、泥臭い努力から生まれたということを。

だから耳さんは、自分の作品の中に、しつこいくらいに「目」を描き続けます。

なぜなら、その目を描きながら、画面の向こうにいる「あなた」をずっと感じていたいからなのです。

あなたのことを知りたい、ただそれだけなのです。

どれだけ馬鹿にされても、愚かな人間だと笑われても、耳さんは自分のすべてをさらけ出します。

あなたの喜ぶ顔が見たいから。

あなたの感動の涙が見たいから。

他の誰が何を言おうと、そんな批判はどうでもいいのです。

もし、あなたに見捨てられてしまったら、耳さんは生きていけないのですよ。

あなたがそこにいてくれるだけで、耳さんは飛び上がるほど嬉しいのです。

心の中で、いつも割れんばかりの拍手喝采をして、あなたを迎えているのですね。

耳さんが仕事に向かう姿勢は、あの「CoCo壱番屋」の創業者、宗次徳二さんを心から尊敬しているからこそ、凄まじいものがあります。

宗次さんは、仕事一筋で、他のことには目もくれない人でした。

趣味なんかやっている場合じゃない、と。

不遇な少年時代、彼の心を救ってくれたのはクラシック音楽でした。

経営を引退した後は、自分で立派な音楽ホールを建ててしまうほど音楽が大好きなのに、現役の経営者だった時代は、なんと1秒もクラシック音楽を聴かなかったそうです。

そんな余裕はない、すべての時間を、目の前のお客様に捧げるんだ、という徹底ぶりです。

ココイチの前身の小さな喫茶店を始めたばかりの頃、最初はお客様が全然来なかったそうですよ。

お昼時、一緒に商売をしていた奥様は、売れ残った食パンの耳を食べて飢えをしのいでいたそうです。

でも、宗次さんは「ゼロから始めたんだから、そんなの当たり前。むしろ良い思い出だよ」と笑うのです。

お客様第一を貫けば、絶対に良くなる。

レンガを毎日、一枚ずつ積み上げるように、集中して、即断、即決、即実行。

まずはやること。その代わり、死ぬ気で頑張る。

そうやって仕事に人生を捧げてきた宗次さんの言葉を、耳さんは毎日、胸の中で唱えています。

「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです」

「よそ見しない、経営に身をささげる」

「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった」

―― 宗次徳二

人生は、生まれ育ちで決まるものではありません。

宗次さんは実の両親の顔を知りません。

孤児院から養父母に引き取られた後も、養父のギャンブル狂いのせいで、夏には道端の雑草を食べて飢えをしのぐほどの、極貧の少年時代を送ったのです。

そんな波乱万丈の人生を、行き当たりばったりに見えて、その実、経営に命をすべて捧げて切り開いてきました。

1日12時間以上働くなんていうのは、彼にとっては最低条件なのです。

休みたくない、遊びたくない、仕事こそが最高の趣味。

耳さんもまた、この「あなた第一主義」を受け継いでいます。

価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。

最初から上手くいくわけがありません。

だから、考えるより、まずやってみる。簡単に諦めないでください。

どんな人生になるかは、その人間の勤勉さと、忍耐力と、継続力によって決まるのです。

トヨタの創業者である豊田佐吉さんのように、執念と忍耐を持つのです。

佐吉さんはね、いつも無口で、周りからは「変わり者」「発明狂い」「狂人」扱いされていました。

朝から晩まで、毎日毎日、何かをこしらえては壊し、造ってはまた造り直す。

でも、そこには「発明してみんなの暮らしを楽にしたい」という、一途な情熱しかなかったのです。

成功も失敗も、終わりではありません。重要なのは、続ける勇気なのです。

とにかく、自分が一番長く、一番一生懸命にやる。

あの「チョーヤ梅酒」の精神のように、「梅酒で成功しなければ人生を諦めろ」という背水の陣です。

耳さんは、トヨタ生産方式の「ジャスト・イン・タイム」という考え方にも深く感化されています。

大野耐一さんが体系化したこの素晴らしい生産方式は、どんな仕事にも、人生の時間の使い方にも応用できるのですね。

豊田喜一郎さんの「誰もあまりやらないこと、やり難いことをものにしてみせることに人生の面白みがある」という言葉。

そして、その喜一郎さんのいとこで、後にトヨタの社長になった豊田英二さんのこの言葉を、耳さんはいつも手帳に書き留めています。

「強い信念をもって実行せよ 誰でも考えることは同じで喜一郎が 天才であったわけでもない 大切なのは 一般的にはできないと思われることを 単に考えるだけでなく なんとしてでもやらなければという 強い信念を持って十分な準備を行い 実行したということである」

―― 豊田英二

困難だから、やる。誰もやらないし、やれないから、俺がやる。

豊田喜一郎さんは「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」と言いました。

耳さんも、そんな愛すべき「阿呆」の一人になりたいと、今日もデジタル画面に向かって、あなたのために目を描き続けているのですよ。

あ、そうそう。ゴッホの話に戻りますけれど、ゴッホがなぜ、死後にここまで世界中で愛されるようになったか、ご存知ですか。

実はね、ゴッホの弟のテオの妻である、ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)という素晴らしい女性のおかげなのです。

ヨーはね、ものすごく聡明で、大変な読書家でした。

夫のテオが、兄であるヴィンセントを経済的にも精神的にも支え続け、そしてゴッホが死んだわずか半年後に、後を追うように亡くなってしまったとき、ヨーの手元には、大量のゴッホの絵と、兄弟の間で交わされた膨大な手紙だけが残されたのです。

まだ幼い子供を抱えた若い未亡人です。普通なら、絶望して、絵を二の足三の足で売り払って終わってしまったでしょう。

でも、ヨーは違いました。

彼女は、夫が命をかけて信じた、あの不器用な兄貴の絵画と思想を、心から理解したのです。

「この天才を、絶対に歴史の闇に埋もれさせてはいけない」と。

「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」

―― ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル(ヨー)

ヨーは人生を賭けて、その献身を全うしました。

彼女自身も読書家でしたから、ゴッホが手紙に書き残した「人々を慰めるための絵画を描きたい」という深い思想に、激しく共感したのですね。

もし、ゴッホが弟にあの膨大な手紙を書いていなかったら、そしてヨーがそれを丁寧に整理して、世界に公開していなかったら、現代の私たちはゴッホのひまわりも、星月夜も、知ることはなかったはずです。

これってね、イエス・キリストの死後に、使徒パウロが各地を旅して、熱烈な手紙を送り続け、キリストの生涯と思想を人々に伝え歩いたことと、まったく同じ構造なのですよ。

どんなに素晴らしいものでも、それを命がけで説明し、伝える「伝達者」がいなければ、この世界には存在しないのと同じになってしまうのです。

ヨーの果たした役割、そしてパウロの果たした役割。

それはね、現代で言えば、世界一のセールスマンだったスティーブ・ジョブズや、ソニーの盛田昭夫さん、ホンダの「スーパーカブ」を世界中で売りまくった藤沢武夫さん、そしてトヨタの「カローラ」を日本の家族の象徴にまで押し上げた神谷正太郎さんのようなものなのです。

良いものを、熱狂的な情熱を持って伝えること。これがいかに大切か。

ソニーの盛田昭夫さんは、こんな言葉を残しています。

「そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた「製品」であっても「商品」にはなり得ない」

―― 盛田昭夫

耳さんの描くデジタルジクレーの絵も、まだ多くの人にとっては「新しい、不思議なもの」かもしれません。

だからこそ、私はこうして、あなたにその素晴らしさを、一生懸命にお伝えしているのです。

松尾芭蕉の「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」という言葉のように、ただ一筋に、あなたへの奉仕のためだけに生きる、高見沢耳という画家の瞳を、どうか心の片隅に留めておいてくださいね。

「失敗とは、より賢く再挑戦するための、素晴らしい機会にすぎない」

―― ヘンリー・フォード

「私は人生を、あるがままに楽しむ。たとえ、そこに素晴らしいものが何もなくても」

―― アガサ・クリスティ

「あなたがたは立ち止まり、わたしが神であることを知れ」

―― 預言者モーセ(旧約聖書『詩篇』46編10節)

「元気を出しなさい。今日の失敗は、明日への成功のステップなのだから」

―― ウィリアム・シェイクスピア

「自分が嫌なことは、他人にもしてはならない。これこそが律法のすべてであり、他はすべてその解説にすぎない」

―― タルムード

「私は、ただ、なつかしい。私の生きている理由は、ただ、それだけのような気さえする。」

―― 太宰治

「大人とは、裏切られた子供の姿である。」

―― 太宰治

「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿でさえ怪我をするのです。幸福に傷つけられることもあるんです。」

―― 太宰治

「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことも、小さなことも、偉大なことも、些細なことも、決して屈してはならない」

―― ウィンストン・チャーチルの名言

「勇気を持って、誰よりも先に、 人と違ったことをしなさい」

「私は一夜にして成功を収めた と思われているが、 その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」

―― レイ・クロック

「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現する」

―― ウォルト・ディズニー

「鉄が使われなければ錆びるように、空気が淀めば腐るように、私たちの知性も、使わなければ衰えてしまう」

―― レオナルド・ダ・ヴィンチ

最後まで読んでくださって、本当に、本当にありがとうございました。

あなたという大切な読者に出会えたこと、私の人生の最高の宝物です。

どうぞ、お元気で。