
「ねえ、あなた。
ちょっと、そこの椅子に腰掛けて、私の話を聞いてくれませんか。
なんだか、毎日が同じことの繰り返しで、退屈だなんて思っていませんか。
朝起きて、満員電車に揺られて、ため息をついて。
なぜ、私たちはこんなにも素晴らしい世界に生きているのに、その美しさに気づけないのでしょうね。
それは、あなたが悪いわけではありません。
ただ、見方を少しだけ、忘れてしまっているだけなのです。
ここに、ノーマン・ロックウェルというアメリカの画家がいます。
彼の絵を見たことがありますか。
家族で七面鳥を囲んでいる姿や、お医者さんに聴診器を当てられている人形を抱いた少女の絵です。
どれも、なんてことのない、あなたの日常そのものです。
なぜ、彼の絵は、世界中の人の心を、そしてあなたの心を、一瞬で掴んで離さないのでしょうか。
それはね、彼があなたの人生の、最高の理解者だからです」
「そうでしょうか。
私には、ただの古いアメリカのイラストに見えますけれど」
「いいえ、違いますよ。
彼は、あなたが普段は見過ごしてしまうような、小さな微笑みや、愛の瞬間を、すくい上げているのです。
あなたが今日、誰かと交わした何気ない視線。
それこそが、ロックウェルの描きたかったテーマなのです。
ここで、フランスの哲学者モンテーニュの言葉を思い出してください。
『人間の最高の傑作は、適切に生きることである』。
どうですか。
立派な偉業を成し遂げることだけが、人生の成功ではないのです。
あなたが今日、機嫌よく過ごし、誰かに優しくできたなら、それだけであなたの人生は、ロックウェルの絵画のように美しい、最高の傑作なのです。
この文章は、あなたの人生を退屈な日常から、きらめく芸術へと変えるために書かれました。
どうか、最後までお付き合いくださいね。
損はさせませんから。
これは、私からあなたへの、精一杯のサービスなのです」
「人間の最高の傑作は、適切に生きることである」――モンテーニュ
あなたの心が乾いている理由
なぜ、一生懸命に生きるあなたほど、孤独を感じてしまうのか
「確かに、毎日必死に生きているつもりです。
でも、誰も私のことなんて、見てくれていないような気がするのです。
なぜ、こんなに頑張っているのに、報われない気持ちになるのでしょう」
「分かりますよ、その気持ち。
あなたは本当に、よくやっています。
真面目で、優しくて、だからこそ傷つきやすい。
ロックウェルもね、実は同じだったのですよ。
彼の絵はあんなに明るくて、ユーモアに溢れているのに、彼自身は、深い孤独と戦っていたのです。
なぜなら、当時の芸術界からは、『あんなものはただの商業イラストだ』『大衆に迎合した偽物の芸術だ』と、激しく批判されていたからです。
本物の芸術はもっと難解で、暗くあるべきだと言われていた時代でした。
それでも、彼は諦めませんでした。
彼は、目の前にいる普通の市民のために、絵を描き続けたのです。
ここで、古代ローマの哲学者セネカの言葉を聞いてください。
『生きることは、戦うことである』。
あなたも今、自分の日常という戦場で、孤独に戦っているのですね。
ロックウェルの絵は、そんなあなたへの、心からの応援歌なのです。
彼が批判に負けず、あなたの日常を肯定し続けたように、あなたも自分の生き方を、誇っていいのですよ」
「戦う、ですか。
私はそんなに強い人間ではありません。
誰かに、認めてもらいたいだけなのです」
「ええ、それでいいのです。
その寂しさを知っているからこそ、あなたは他人の痛みが分かる、素晴らしい人なのですから」
「生きることは、戦うことである」――セネカ
視線のなかに隠された、永遠の真理
わたしが見つめ、あなたが見つめ返す、その瞬間に生まれるもの
「ロックウェルの絵をよく見てください。
登場人物たちが、お互いをどんな目で見つめ合っているか。
そこには、いたずらっぽい目、慈愛に満ちた目、恋する目が、あふれています。
なぜ、彼はこれほどまでに『目』の表現にこだわったのでしょうか。
それは、人間の視線の中にこそ、言葉にできない本心が宿るからです。
あなたの日常でも、ありませんか。
言葉では『大丈夫』と言いながら、目は助けを求めているような瞬間が。
あるいは、何も言わなくても、目と目が合っただけで、心が通じ合うような瞬間が。
古代アレクサンドリアの女性哲学者、ヒュパティアは言いました。
『あなたの考える権利を保留しなさい。なぜなら、間違って考えることさえも、まったく何もしないことよりは良いからだ』。
自分の目で見て、自分の頭で考え、相手の目を見つめること。
それが、あなたという存在を、この世界に確かに繋ぎ止める方法なのです。
ロックウェルは、絵を通じて、あなたに語りかけています。
『私は、ここにいるあなたを見つめていますよ』と。
芸術に親しむということは、誰かの温かい視線を、自分の部屋に迎え入れるということなのです。
それだけで、あなたの部屋の空気は、少しだけ温かくなりませんか。
孤独な夜が、少しだけ寂しくなくなると思いませんか」
「自分の目で、相手を見つめる。
最近、スマホの画面ばかり見ていて、大切な人の目をちゃんと見ていなかったかもしれません」
「気がつけば、それでいいのです。
今からでも、遅くはありませんよ」
「あなたの考える権利を保留しなさい。なぜなら、間違って考えることさえも、まったく何もしないことよりは良いからだ」――ヒュパティア
なぜ、成功とは「手に入れること」ではなく「与えること」なのか
ヘンリー・フォードが明かした、豊かさの本当の正体
「ここで、少し驚くようなお話をしましょう。
世の中の多くの人は、成功とは、お金や名声を手に入れることだと思っています。
あなたも、もっとお金があれば、もっと欲しいものが手に入れば、幸せになれるのに、と思ったことはありませんか。
ですが、自動車王として世界一の富豪になったヘンリー・フォードは、全く違うことを言っているのです。
彼は言いました。
『ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです』。
どうですか、意外でしょう。
すべてを手に入れた男が、成功とは与えることだ、と言い切ったのです。
なぜ、与えることが成功なのでしょうか。
ロックウェルを思い出してください。
彼は、自分の才能、自分の時間、自分の魂のすべてを削って、読者を楽しませるために絵を描き続けました。
それは、見事なまでの『与える』行為でした。
彼は、読者から何かを奪おうとはしませんでした。
ただ、週刊誌の表紙を通じて、毎週、アメリカ国民に笑顔と、生きる活力を与え続けたのです。
その結果として、彼は巨万の富と、不滅の名声を手に入れました。
あなたの仕事や、日々の生活はどうでしょうか。
あなたが誰かのために淹れたお茶、あなたが誰かのためにこなした不器用な仕事、それらはすべて、あなたが世界に『与えた』ギフトなのです。
松尾芭蕉の言葉に、『おのれの無能・無才を恥じるのみ』という、謙虚なものがあります。
私たちは、自分には何も与えるものがないと、自分の無力を恥じてしまうことがあります。
でもね、何も特別な才能なんていらないのです。
目の前の人に、笑顔を向けること。
それだけで、あなたはフォードの言う『成功者』になれるのですよ」
「与えることが、成功。
私はいつも、人から何かをもらうことばかり考えていました。
奪い合うのではなく、与え合うことで、心が満たされるのですね」
「その通りです。
あなたが与えたものは、巡り巡って、必ずあなたの元へ帰ってきます。
それも、何倍にもなってね」
「おのれの無能・無才を恥じるのみ」――松尾芭蕉
ジクレー版画という、あなたへの最上の技術
なぜ、最新のテクノロジーが、芸術家の魂をそのままあなたに届けることができるのか
「さて、芸術をあなたの日常に取り入れると言っても、美術館にあるような何億円もする油絵を買うのは、不可能です。
では、諦めるしかないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
ここで登場するのが、ジクレー版画という素晴らしい現代の技法です。
これは、最高級のデジタルプリント技術を用いて、美術専門の版画用紙に、原画の息遣いをそのまま再現するものです。
ロックウェルが生きていたら、きっとこの技術を大絶賛したことでしょう。
なぜなら、彼は『印刷されて、多くの人に届くこと』を前提として、絵を描いていたからです。
彼は、一部の特権階級のためではなく、あなたのような普通の人々の部屋に、自分の絵が飾られることを、何よりも望んでいました。
ここで、聖カタリナの名言をお届けします。
『もしあなたが、神があなたにあるべきだと定めた通りのものであるなら、あなたは世界に火をつけるでしょう』。
あなたが、あなたらしく輝くために、芸術の力を借りるのです。
ジクレー版画によって、キャンバスの凹凸や、細かな筆のタッチまでが、忠実にあなたの元へ届けられます。
デジタルでありながら、そこには人間の手の温もりが、確かに宿っているのです。
本物の芸術を、あなたの部屋に飾る。
それは、あなたの生活の質を、劇的に向上させます。
なぜなら、毎日その絵を見るたびに、あなたの脳は『自分は美しいものに囲まれる価値のある人間だ』と、認識するようになるからです。
これは、自分への最高の投資であり、極上のサービスなのですよ」
「デジタルと版画の融合ですか。
それなら、私のような普通の人間でも、本物の芸術の魂を、家で感じることができるのですね」
「そうなのです。
芸術は高尚なものではなく、あなたの日常を豊かにするための、実用的な道具なのですから」
「もしあなたが、神があなたにあるべきだと定めた通りのものであるなら、あなたは世界に火をつけるでしょう」――聖カタリナ
アラブの預言者と呼ばれた詩人の、命を賭けた大逆転
ムタナッビーが証明した、言葉とリズムの持つ恐ろしいほどの催眠効果
「ここで、千年以上前のアラブ世界へ、時空の旅をしてみましょう。
ムタナッビーという、伝説の詩人がいました。
彼の名前は『自らを預言者だと思う者』という意味です。
傲慢でしょう。
でも、彼の詩の力は本物でした。
彼の残した言葉のリズムは、あまりにも完璧で、目の見えない人でさえ彼の詩を読むことができ、耳の聞こえない人でさえ、その響きが聞こえると言われたほどです。
彼の詩には、人を操るような、一種の催眠効果、すなわちヒプノティック・ライティングの技術があったのです。
ある日、ムタナッビーは、自分の詩の中で、ある強力な部族を激しく侮辱してしまいました。
怒った彼らは、移動中のムタナッビーを待ち伏せしたのです。
相手は多勢に無勢、勝ち目はありません。
ムタナッビーは、賢明にも、その場から逃げ出そうとしました。
その時です。
後ろにいた彼の従者が、ムタナッビー自身が書いた、あの誇り高い勇気の詩を、大声で朗読し始めたのです。
『あれほど勇敢な詩を書いたムタナッビーが、今、敵から逃げるのですか』と。
その言葉の美しいリズムが、ムタナッビーの耳に飛び込んだ瞬間、彼の脳裏に、激しい感情が巻き起こりました。
彼は、踵を返したのです。
自分がここで逃げれば、自分の詩は偽物になってしまう。
死ぬと分かっていながら、彼は不名誉を避けるために、敵に向かって突撃し、壮絶な死を遂げました。
なぜ、彼は死を選ぶことができたのでしょうか。
言葉のリズムが、彼の恐怖心を消し去り、誇りを呼び覚ましたからです。
言葉には、人生を変える力があります。
フランスの経済学者、フレデリック・バスティアは『見えるものと見えざるもの』という概念を提唱しました。
目に見える敵の刃よりも、目に見えない言葉の力、魂の誇りのほうが、人間の行動を支配するのです。
私が今、あなたに語りかけているこの言葉のリズムも、あなたの心に、小さな火を灯しているはずです。
あなたは、今のままで終わる人間ではありません。
あなたの中には、まだ見ぬ、素晴らしい力が眠っているのですよ」
「言葉の力で、死への恐怖すら克服してしまったのですね。
リズムのある文章が、私の心にも、何かを訴えかけてくるような気がします」
「ええ、あなたの心が、そのリズムに共鳴している証拠です。
心地よいリズムは、心をリラックスさせ、本当の真理を受け入れやすくするのです」
「見えるものと見えざるもの」――フレデリック・バスティア
誰も知らない、ゴッホを世界に解き放った偉大な女性の物語
テオの妻・ヨーが、絶望の淵から成し遂げた、奇跡のセースルマンシップ
「あなたは、ヴィンセント・ファン・ゴッホを知っていますね。
彼は生前、たった一枚しか絵が売れなかった、不遇の画家でした。
なぜ、そんな彼の絵が、今では何百億円もの価値を持ち、世界中で愛されているのでしょうか。
『それは、彼が天才だったからでしょう』。
誰もがそう言います。
でも、それは半分しか当たっていません。
どれほど素晴らしい芸術も、それを世界に伝える人がいなければ、歴史の闇に埋もれてしまうのです。
ゴッホの死後、彼の最大の理解者であった弟のテオも、兄を追うように半年後に亡くなってしまいました。
残されたのは、テオの妻であった、ヨーという若い女性と、まだ生まれたばかりの赤ん坊、そして、売れ残った大量のゴッホの絵と、膨大な手紙の山でした。
彼女は、絶望の淵に立たされました。
周囲の誰もが、『そんな狂人の絵は、すべて処分してしまいなさい』と言いました。
しかし、ヨーは非常に聡明で、読者家な女性でした。
彼女は、夫のテオが、なぜこれほどまでに兄のヴィンセントを信じ、人生を捧げたのかを知るために、二人の間で交わされた膨大な手紙を、涙を流しながら読み耽ったのです。
そして、彼女は気づきました。
ヴィンセントは、ただの狂人ではない。
絵の具を使って、人々の傷ついた心を慰めようとした、聖人のような画家だったのだと。
ヨーは日記にこう書き残しました。
『子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと』。
ここから、一人の女性の、人生を賭けた戦いが始まりました。
彼女は、美術界の権威たちに断られても、何度も何度も展覧会を企画し、ゴッホの手紙を編集して出版しました。
絵だけを見せても、誰も理解してくれない。
だから、彼の『思想』と言葉を、絵と一緒に人々に届けたのです。
このヨーの献身は、新約聖書における、使徒パウロの姿と完全に重なります。
イエス・キリストの死後、パウロが各地を旅し、手紙を書き、キリストの生涯と思想を命懸けで伝えたからこそ、キリスト教は世界中に広がりました。
良いものは、ただ存在するだけでは、存在しないのと同じなのです。
ソニーの創業者である盛田昭夫も、こう言っています。
『製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた製品であっても商品にはなり得ない』。
ヨーは、世界最高のセースルマンでした。
彼女がいたからこそ、今、あなたはゴッホの絵を見て、感動することができるのです。
あなたの人生において、あなたの大切な想いを、誰かにちゃんと伝えていますか。
伝わらなければ、無いのと同じ。
だからこそ、私たちは、言葉を尽くして、相手に伝え続けなければならないのです」
「ゴッホの成功の裏に、そんな女性の命懸けの努力があったなんて、知りませんでした。
伝わるように努力すること、それが愛の本質なつのですね」
「その通りです。
伝えるための努力、それこそが、究極の『サービス』であり、奉仕なのです」
「製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた製品であっても商品にはなり得ない」――盛田昭夫
常識を破壊する、狂気とも言える「一筋」の生き方
豊田佐吉、宗次徳二、そして松尾芭蕉が辿り着いた、よそ見をしない境地
「では、私たちのような普通の人間が、この複雑な世界を生き抜くためには、どうすればよいのでしょうか。
あれもこれもと、器用に生きるべきでしょうか。
いいえ、歴史が教える真理は、むしろ逆です。
一つのことに、狂ったようにすべてを捧げること。
それだけが、凡人を非凡な存在へと変えるのです。
トヨタグループの創業者である豊田佐吉を、ご存知ですね。
彼は、ただ『母親の機織りの仕事を楽にさせてあげたい』という一心で、朝から晩まで、毎日毎日、何かをこしらえては壊し、造ってはまた造りなおす、という生活を続けました。
周囲からは『変わり者』『狂人』扱いされました。
無口で、何を考えているか分からない変人だと、笑われました。
それでも、彼は自動織機の発明に、人生のすべてを捧げました。
また、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者、宗次徳二という人も、凄まじい『一筋』の男です。
彼は、実の両親の顔を知りません。
孤児院から引き取られた養父はギャンブル狂いで、極貧の少年時代を送り、夏には雑草を食べて餓えをしのいだといいます。
そんな彼が、喫茶店から商売を始めた時、彼は心に誓いました。
『よそ見をしない。経営に身を捧げる』と。
彼は現役時代、趣味を持たず、友人も作らず、飲み屋にも一切行きませんでした。
年間5640時間も働いたのです。
大好きなクラシック音楽さえ、現役時代は『音楽を聴いている場合じゃない、すべてをお客様に捧げるんだ』と、一切封印しました。
喫茶店の初期、お客様が来ない時は、夫婦でお昼に食パンの耳を食べてしのいだそうです。
なぜ、そこまでできたのでしょうか。
『お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかった。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった』。
彼の原点は、そこにあるのです。
ここで、松尾芭蕉の、あの魂の言葉が登場します。
『つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る』。
私は、他のことは何もできない、不器用で無能な人間だ、ただ、この俳諧という一筋の道だけに、命を繋いできたのだ、と。
あなたにとっての『一筋』は何ですか。
仕事ですか、子育てですか、それとも、誰かを愛することですか。
あれこれと、世間の流行によそ見をしている暇はありません。
あなたが選んだその道を、レンガを積み上げるように、毎日コツコツと、即断、即決、即実行で進むのです。
宗教改革者のジャン・カルヴァンは言いました。
『神は、一人ひとりに、それぞれの従事すべき義務を、その生涯の持ち場として指定された』。
あなたの今いる場所こそが、神様から与えられた、あなたの持ち場なのです。
そこで、狂ったように、一生懸命に輝いてみてください。
他人の批判や、世間の目なんて、どうでもいいのです。
自分が一番長く、一生懸命にやる。
その執念と忍耐が、あなたの人生に、誰も真似できない本物の価値をもたらすのですから」
「趣味も友達も捨てて、仕事に全てを捧げるなんて、私には真似できないかもしれません。
でも、そこまでの覚悟があるからこそ、人の心を動かすことができるのですね」
「ええ、すべてを真似する必要はありません。
ただ、目の前のことに対して、『よそ見をしない』というその姿勢、その瞬間だけは、あなたの日常にも取り入れることができるはずですよ」
「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」――松尾芭蕉
あなたの目の前に広がる、新しい世界の夜明け
困難だからこそ、やる価値がある。豊田喜一郎が遺した魂のバトン
「もう、お気づきですね。
ロックウェルも、ゴッホも、豊田佐吉も、宗次徳二も、みんな、どこか『おかしい』のです。
世間から見れば、阿呆であり、変人であり、狂人です。
ですが、豊田佐吉の息子であり、世界のトヨタ自動車の礎を築いた豊田喜一郎は、こう言いました。
『困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ』。
どうですか。
胸が熱くなりませんか。
喜一郎のいとこである豊田英二も、こう語っています。
『強い信念をもって実行せよ。誰でも考えることは同じで、喜一郎が天才であったわけでもない。大切なのは、一般的にはできないと思われることを、単に考えるだけでなく、なんとしてでもやらなければという強い信念を持って、十分な準備を行い、実行したということである』。
ナシーム・ニコラス・タレブという現代の思想家は、『身銭を切れ』と言いました。
自分の安全な場所に隠れて、他人の批判ばかりしている人間は、本物ではありません。
自分の人生というリスクを背負い、身銭を切り、恥をかき、それでも挑戦する人間だけが、世界を変えるのです。
タレブはこうも言っています。
『詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師である』。
自分の心に嘘をついて、本当はやりたいことがあるのに、言い訳をして諦めるのは、自分に対する詐欺行為です。
老子は言いました。
『足るを知る者は富む』。
あなたが今、持っているもので十分なのです。
不器用でもいい、阿呆だと言われてもいい。
まずはやってみることです。
どんな人生になるかは、あなたの勤勉さと、忍耐力と、継続力によって、今日、この瞬間から決まるのです。
さあ、長いお話になってしまいましたね。
私の精一杯のサービスは、あなたの心に届きましたでしょうか。
あなたの日常が、明日から、少しでも愛おしいものに変わることを、私は心から願っています」
「ありがとうございます。
なんだか、明日からの仕事が、いつもの退屈な日常が、全く違う景色に見えてきそうです。
私も、自分の持ち場で、身銭を切って、一生懸命に生きてみようと思います」
「ええ、その意気です。
あなたなら、きっと大丈夫。
私は、あなたのことを、いつまでも、どこまでも、見つめ、応援していますよ」
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」――豊田喜一郎
髪を短く切り落とした少女が
鏡の前で泣いている
古い映画のポスターを引きちぎり
私の顔はこれではないと
夜の雨に向かって叫んでいる
幸福になりたいわけじゃない
ただ、私がここにいることを
誰かに、激しく、見つけてもらいたいだけなのだ
電信柱の影で
道化師が一人、赤い鼻を外して
あなたの歩いていく後ろ姿に
誰も気づかない、小さな拍手を送っている
「あなたがたの光を人々の前に輝かし、彼らがあなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」――新約聖書・マタイによる福音書5章16節
「人間は、時々、おそろしく卑屈に、残酷になるものだ。」――太宰治
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
――太宰治『津軽』より
追伸:ある「耳」を持った画家の、必死の道化芝居について
ところで、あなたに知ってもらいたい、一人の風変わりな画家の話があります。
その男の名前は、高見沢耳(たかみざわ みみ)。
彼は、キャンバスも筆も使いません。
デジタルという現代の道具を使って絵を描き、それをジクレー版画の技法で、最高級の版画用紙に印刷する、新しい時代の画家です。
彼が描くテーマは、あなたの目、わたしの目、キリスト教、永遠、心理、真理、視線、歴史、孤独、孤立、苦難、復活、そして解放です。
なんだか難しそうですか。
いいえ、とても身近な話なのです。
彼はね、ヴィンセント・ファン・ゴッホの、あの壮絶な人生を知って、画家になることを決意しました。
「耳」という名前も、ゴッホのあの有名な耳切り事件にあやかって、自ら名乗っているのです。
彼は知っています。
歴史上のどんな傑作も、天才が一瞬で描いたものではなく、数十年にわたる、泥臭い試行錯誤の積み重ねから生まれたのだということを。
だから彼は、自分の作品に、ひたすら「目」を描き続けます。
なぜかって。
目の前にいる、あなたを感じ続けたいからです。
あなたのことを、もっと知りたいからです。
芸術家の仕事とは、身銭を切っての、精一杯のサービス、あなたへの奉仕なのです。
彼は、目の前にいるあなたに、自分の人生のすべてを捧げています。
だから、どうか彼の不器用な姿を、笑ってやってください。
彼は、笑われて、強くなる男です。
彼の描く絵は、あなたを喜ばせるための、あなたに涙してもらうための、必死の道化芝居なのです。
世間の批判なんて、彼にはどうでもいいのです。
あなたに見捨てられたら、彼は生きていけません。
あなたがそこにいてくれるだけで、彼はただ、嬉しいのです。
高見沢耳は、カレーハウスCoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏を、狂信的なまでに尊敬しています。
「よそ見をしない、仕事に身を捧げる。趣味なんかやっている場合じゃない」。
その言葉通り、彼は一日12時間以上、ひたすら絵を描き続けます。
休みたくない、遊びたくない、絵を描くことこそが彼の趣味であり、生きるすべてなのです。
あなたが彼の絵の前に立ったとき、彼は心の中で、割れんばかりの拍手喝采であなたを迎えています。
価値のあるものは、すぐに結果が出ないかもしれません。
それでも、彼は簡単に諦めません。
執念と忍耐の男です。
不器用で、愚かな人間であることを、あなたにすべてさらけ出しながら、今日もデジタル画面に向かって、必死のサービスを続けています。
どうか、そんな彼の「視線」を、あなたの日常のどこかに、そっと置いてみてくださいね。
「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持かったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった」――宗次徳二
「愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ」――アガサ・クリスティ
「わたしがあなたがたに命じる言葉に、付け足してはならない。また減らしてはならない」――モーセ(旧約聖書・申命記4章2節)
「真実の恋の道は、決して平坦ではない」――ウィリアム・シェイクスピア
「自分が嫌なことを、他人にしてはならない。これこそが律法のすべてであり、他はすべて解説にすぎない」――タルムード
「正義とは、他者を愛することの、もう一つの名前にすぎない」――太宰治
「幸福の鍵は、自分の仕事を愛し、その中に没頭することだ」――太宰治
「大の大人が、お雛遊びをしている。これほど美しい光景が、他にあるだろうか」――太宰治
「地獄を突き進んでいるのなら、そのまま突き進め」――ウィンストン・チャーチル
「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをしなさい。私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」――レイ・クロック
「ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り、進化し続けるだろう」――ウォルト・ディズニー
「ちいさな一歩を、絶えず積み重ねていくこと。それだけが、偉大な目標へ到達する唯一の道である」――レオナルド・ダ・ヴィンチ
最後までこの長い文章を読んでくださったあなたに、心からの感謝を捧げます。
あなたのこれからの日々に、ロックウェルの描いたような、たくさんの温かい微笑みと、奇跡のような日常が訪れますように。
ありがとうございました。