
視線の魔術師デイヴィッド・ホックニーが教えてくれる、あなたのための新しい世界の眺め方
こんにちは。
今日、こうしてあなたにお目にかかれたことを、心から嬉しく思っています。
これからお話しすることは、すべてあなたのために用意された、特別な贈りものです。
どうか肩の力を抜いて、ゆったりとした気持ちで耳を傾けてみてくださいね。
「私たちはただ、見たいものを見ているだけなのだ」
── セネカ
あなたは、今朝、窓の外の景色をどのように眺めましたか。
いつもの退屈な、見慣れた日常の風景だったでしょうか。
それとも、何かしら新しい発見がありましたでしょうか。
なぜ、私たちは毎日同じ世界に生きているのに、ある人はそれを退屈だと感じ、ある人はそこに無限の美しさを見出すことができるのでしょう。
その秘密を解き明かしてくれるのが、現代アートの巨匠、デイヴィッド・ホックニーという一人の画家なのです。
彼は今もなお、私たちの目の前にある世界の、本当の美しさを教え続けてくれています。
一見すると、彼の描く世界はとても華やかで、どこか遠い世界の出来事のように思えるかもしれません。
しかし、それは間違いなのです。
デイヴィッド・ホックニーが本当に描こうとしているのは、他ならぬ、今この瞬間に生きているあなた自身の視線そのものなのです。
彼は、あなたという存在を、決して置き去りにはしません。
あなたが世界をどう見るか、その心の動きに、誰よりも優しく、どこまでも寄り添ってくれるのです。
日常のなかに潜む、あなただけの輝きを発見する方法
デイヴィッド・ホックニーの代表作には、初夏のロサンゼルスのプールを描いた一連のシリーズがあります。
きらめく青い水面、激しく飛び散る白い水しぶき、そしてその向こうにある静かな邸宅。
なぜ、私たちはあのプールの絵を一枚見ただけで、まるで自分がその場所に立って、心地よい風を感じているかのような錯覚を覚えるのでしょうか。
それは、彼が単に風景を写真のように切り取ったからではありません。
むしろ、写真という機械の目が決して捉えることのできない、人間の生々しい「時間の流れ」を、一枚の絵の中に閉じ込めることに成功したからなのです。
写真のレンズは、一瞬の時間をカチリと止めてしまいますね。
しかし、人間の目はどうでしょう。
あなたの目は、決して一つの点だけをじっと止まって見ているわけではありません。
あちらを見たり、こちらを見たり、常に動き回りながら、記憶と経験を組み合わせて、目の前の世界を頭の中で組み立てているはずです。
デイヴィッド・ホックニーは、まさにその「人間の目」の自由な動きを、キャンバスの上に再現しようとしたのです。
これこそが、人間の心理に直接訴えかける、視線のリズムというものなのです。
彼は、あなたにこう語りかけています。
もっと自由に、もっと欲張りに、この世界を観察してごらんなさい、と。
「最も勇敢な行為は、自分自身の目で物事を見ること、そして、それを大声で語ることです」
── ヒュパティア
この言葉は、古代の偉大な女性哲学者のものですが、デイヴィッド・ホックニーの生き方にも、そして今を生きるあなたの人生にも、深く関わっています。
私たちは、ついつい他人の目や、社会の常識というフィルターを通して世界を見てしまいがちですね。
あの人が良いと言ったから良いものだ、みんなが正しいと言うから正しいのだ、と。
でも、それではあなた自身の人生の輝きを見失ってしまいます。
デイヴィッド・ホックニーは、誰が何と言おうと、自分自身の目で徹底的に世界を観察し続けました。
彼がiPadを使って絵を描き始めたとき、周囲の批評家たちは「あんなものは芸術ではない」と笑ったものです。
しかし、彼は全く気にしませんでした。
なぜなら、デジタルデバイスという新しい道具の中に、人間の視線をさらに拡張する、誰も見たことのない新しい光の可能性を発見したからです。
他人の評価に怯える必要など、どこにもありません。
あなたが美しいと感じたものは、それだけで絶対に正しいのです。
終わりのない探求と、デジタルという新たなキャンバスの冒険
デイヴィッド・ホックニーという画家は、一つの場所にとどまることを極端に嫌う人です。
油絵を描いたかと思えば、何百枚ものポラロイド写真をパズルのように組み合わせたフォト・コラージュを作り、今度はiPadを取り出して指先で光を描き始めます。
なぜ、彼はこれほどまでに、次から次へと新しい手法に挑戦し続けるのでしょうか。
それは、彼が「世界を表現すること」に対して、どこまでも誠実で、必死だからなのです。
彼のこの執念とも言える情熱は、私たちの生き方にも、とても大切なことを教えてくれています。
何か一つのやり方にしがみついて、変化することを恐れていては、本当の感動に出会うことはできません。
あなたが今、もし何かの壁にぶつかって悩んでいるなら、デイヴィッド・ホックニーのこの軽やかな冒険心を思い出してみてください。
道具を変え、視点を変え、場所を変えることで、昨日は見えなかった解決策が、突然目の前に鮮やかに浮かび上がってくることがあるのです。
「自分自身を信じなさい。そうすれば、神があなたを導いてくださるでしょう。あなたの内なる光を決して消してはなりません」
── 聖カタリナ
聖カタリナが語ったこの強い信念は、まさにデイヴィッド・ホックニーが、新しい技術を前にしたときの姿勢そのものです。
彼は、どれほど年齢を重ねても、自分の内なる好奇心の光を絶やすことがありませんでした。
それどころか、最先端のデジタル技術すらも自分の手なずけ、まるで子供が新しいおもちゃを手に入れたときのように、目を輝かせて作品を生み出し続けたのです。
あなたが人生の途中で、もう若くないからとか、経験がないからとか、そんな理由で諦めそうになったとき、この画家の姿を思い出してほしいのです。
人間の目と心には、年齢など関係ありません。
見ようとする意志さえあれば、世界はいつでも、何度でも、その新鮮な姿をあなたの前にさらけ出してくれるのです。
視線を重ね合わせることで生まれる、孤独の終わりと繋がりの奇跡
デイヴィッド・ホックニーの絵画をじっと見つめていると、ある不思議な感覚に囚われることがあります。
それは、描かれている風景や人物が、まるで自分をじっと見返してきているかのような、静かな視線の交差です。
私たちは、生きている限り、どうしても孤独や孤立という影から完全に逃れることはできませんね。
あなたも、ふとした瞬間に、世界の中で自分だけが一人きりになってしまったような、深い寂しさを覚えることがあるはずです。
しかし、デイヴィッド・ホックニーの絵は、そんなあなたの孤独の隣に、そっと座ってくれるのです。
なぜなら、彼の絵はすべて、彼自身が対象をどれほど深く愛し、どれほど熱心に見つめたかという、愛の記憶そのものだからなのです。
彼が友人や家族を描いたポートレートを見てみてください。
そこには、互いに対する深い信頼と、言葉にならない優しい視線のやり取りが、そのまま定着しています。
彼のアートに触れるとき、あなたは決して一人ではありません。
画家の目を通して、あなたもまた、世界と、そして他者と、深く結びつくことができるのです。
「言葉が心に届かないとき、沈黙のなかに真実の叫びがある。私の詩を、魂の目を持たぬ者に届けることはできない」
── ムタナッビー
アラブ世界最高の詩人と呼ばれたムタナッビーは、自らの言葉の力に、まさに命を賭けた男でした。
彼の詩には、聞いた者を一瞬で虜にするような、恐ろしいほどの催眠的リズムがあったと言われています。
あるとき、彼は自らの誇り高い詩が原因で、命を狙われることになりました。
多勢に無勢の窮地に陥り、賢明にもその場から逃げ出そうとしたムタナッビーに、従者が彼の過去の詩を朗読してこう告げたのです。
「あれほど勇敢な詩を書いたあなたが、今、逃げるのですか」と。
ムタナッビーはその言葉を聞き、逃げるという不名誉を被るくらいならと、死を覚悟して敵に立ち向かい、命を落としました。
彼にとって、自らの言葉と信念を裏切ることは、死ぬことよりも恐ろしいことだったのです。
デイヴィッド・ホックニーの絵画にも、これと同じ、命がけの誠実さがあります。
彼がキャンバスに向かい、あるいは画面に向かって視線を注ぐとき、そこには一切の誤魔化しも、妥協もありません。
だからこそ、彼の作品は100年経っても200年経っても、私たちの心を揺さぶり続ける本物になり得るのです。
あなたの人生の物語を、もっと鮮やかな色彩で塗り替えるために
ここで、少し意外な話をさせてください。
これまでお話ししてきたデイヴィッド・ホックニーという偉大な画家は、実は、あなたのすぐ近くにいる「 ordinary person(普通の人間)」でもあるのです。
彼は、完璧な天才として生まれてきたわけではありません。
ただ、誰よりも諦めが悪く、誰よりも長く、目の前にあるものを観察し続けただけの人間なのです。
人生というものは、最初からすべてが上手くいくことなど、滅多にありませんよね。
失敗したり、人に笑われたり、自分の才能のなさに絶望して、涙を流す夜もあるかもしれません。
しかし、そこで立ち止まってはいけないのです。
デイヴィッド・ホックニーが、何千枚、何万枚ものデッサンを積み重ねて、あの眩いばかりの色彩を手に入れたように、あなたの人生の経験もまた、一枚一枚レンガを積み上げるようにして、あなたという素晴らしい存在を形作っていくのです。
「他人の人生を生きるのではない。あなた自身の人生の、最高の観察者であり、かつ表現者でありなさい」
── モンテーニュ
フランスの賢者モンテーニュは、自らを深く見つめることで、人間の普遍的な心理に到達しました。
デイヴィッド・ホックニーの絵画も、まさにこの「観察」の極致にあります。
彼が描く木々の葉の一枚一枚、水面の揺らぎの一つ一つは、彼がどれほど人生という時間を大切に扱い、愛おしんできたかの証明なのです。
あなたは、自分の人生の時間を、大切にできていますでしょうか。
忙しい日々の雑務に追われ、目の前にある美しい奇跡を、見過ごしてしまってはいませんか。
デイヴィッド・ホックニーの作品は、あなたに、立ち止まる勇気をくれます。
そして、今あなたの目の前にあるその光景こそが、何よりも価値のある、至高の芸術なのだと教えてくれるのです。
失敗を恐れず、今すぐここから第一歩を踏み出すことの気高さ
私たちは、新しいことを始めようとするとき、どうしても「失敗したらどうしよう」「格好悪い姿を人に見られたくない」と考えてしまいがちです。
なぜ、そんな風に自分自身にブレーキをかけてしまうのでしょうか。
それは、私たちが成功という結果ばかりを気にして、そのプロセスにある本当の喜びを忘れてしまっているからかもしれません。
デイヴィッド・ホックニーは、失敗を全く恐れない人です。
彼にとって、描くことが上手くいかない瞬間ですら、新しい視覚の謎を解き明かすための、楽しいヒントに過ぎないのです。
彼が常に「即断、即決、即実行」の精神で、新しいメディアに飛び込んでいく姿を、どうかあなたも真似してみてください。
まずはやってみることです。
どんな結果が出ようとも、そこから必ず次の道が開けます。
あなたのその勇気ある行動こそが、あなた自身の人生を、誰よりも美しく彩るための最良の絵の具になるのです。
「世界は一つの舞台だ。すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれに出番があり、退場がある」
── シェイクスピア
世界という大きな舞台の上で、あなたという主役は、今どんな演技をしていますか。
悲劇のヒロインのまま、うつむいていてはいけません。
デイヴィッド・ホックニーが、モノクロの世界に鮮烈な色彩を解き放ったように、あなたも自分の手で、自分の舞台を明るく照らすことができるのです。
彼のアートは、あなたにそのための無限のインスピレーションと、終わりのない活力を与えてくれます。
さあ、深く息を吸い込んで、目の前にある世界を、もう一度新しい目で眺めてみましょう。
驚くほど美しい景色が、あなたの視線を、今か今かと待ち望んでいるはずですから。
与えることの歓びと、他者への奉仕がもたらす心の解放
私たちは、どうしても他人から何かを得ること、認められることばかりを求めてしまいがちです。
しかし、本当の幸福や心の安定というものは、実は、自分が誰かのために何かを「与える」ことの中にしか存在しないのかもしれません。
デイヴィッド・ホックニーが、あれほど膨大な数の作品を、命を削るようにして描き続けているのはなぜでしょうか。
それは、彼が自分のためだけに描いているのではないからです。
彼は、自分の目を通して発見した世界の美しさを、惜しみなくあなたに分け与え、あなたの心を少しでも軽くしたい、楽しませたいと願っているのです。
これこそが、本物の芸術家が持つ、身銭を切っての精一杯のサービスの精神なのです。
「もしあなたが、人を幸せにしたいと心から願うなら、まず自分自身のなかにある最も美しいものを、惜しみなく差し出しなさい」
── 寺山修司
寺山修司が語ったこの挑発的で優しいメッセージは、デイヴィッド・ホックニーのアートの本質を、実に見事に言い当てています。
自分の持っている才能や時間を、誰かの喜びのためにすべて捧げること。
それは、決して自己犠牲という暗いものではありません。
むしろ、誰かを喜ばせることができたという実感が、回り回って自分自身の魂を深く救い、無限の強さを与えてくれるのです。
あなたが今日、誰かに対して優しい言葉をかけたり、笑顔を向けたりすることも、立派な芸術であり、最高の奉仕です。
その小さな与える行為が、あなたと世界の痛みを和らげ、新しい希望の光を灯すことになるのです。
絶望の淵から這い上がり、永遠の光を掴み取るための不屈の精神
人生には、どうしても避けられない苦難や、理不尽な嵐が吹き荒れる時期があります。
健康を害したり、大切な人を失ったり、信じていた道が見えなくなってしまったり。
そんなとき、私たちはどのようにして、もう一度立ち上がれば良いのでしょうか。
デイヴィッド・ホックニーの人生も、決して平坦な輝きだけで満たされていたわけではありません。
彼の愛した友人たちが、病によって次々とこの世を去っていった悲しい時代がありました。
彼は深い孤独と絶望の中で、それでも筆を置くことはしませんでした。
なぜなら、失われていく命の儚さを知っているからこそ、今ここにある生命の輝きを、絵画という形で「永遠」に定着させなければならないと、強く心に誓ったからなのです。
彼の描く自然の風景、力強く芽吹く春の木々には、死を乗り越えて再生していく、圧倒的な生命のイエス(肯定)が満ち溢れています。
「私たちは四方から苦しめられますが、行き詰まることはありません。途方に暮れますが、絶望することはありません」
── 使徒パウロ
使徒パウロが残したこの力強い言葉は、デイヴィッド・ホックニーの不屈の芸術家魂、そして今まさに試練の中にいるあなたへの、最高の応援歌です。
どのような苦難があなたを襲おうとも、あなたの内なる視線、美しさを感じる心までを奪い去ることは誰にもできません。
傷つき、打ちのめされた経験があるからこそ、人は他人の痛みに共感し、より深く、より優しい目で世界を見つめることができるようになるのです。
デイヴィッド・ホックニーの絵が、冷たい知性だけでなく、温かい人間味に満ちているのは、彼がそうした人間の弱さや苦しみをも、すべて包み込んできたからに他なりません。
あなたの流した涙は、決して無駄にはなりません。
それはいつか、あなたの人生というキャンバスを彩る、最も美しい、輝かしい色彩へと変わるはずです。
一つの道をどこまでも愚直に突き進む、阿呆の強さと純粋さ
世の中には、器用に何でもこなして、要領よく立ち回る人がたくさんいます。
その一方で、一つのことだけに執着し、周囲から「変わり者」だの「阿呆」だのと言われながらも、黙々と自分の仕事を続ける人がいます。
あなたは、どちらの生き方に、より深い魅力を感じるでしょうか。
デイヴィッド・ホックニーは、間違いなく後者の精神を持つ人です。
彼は、朝から晩まで、来る日も来る日も、絵を描くこと、世界を見るということだけに、その全人生、全時間を注ぎ込んできました。
趣味や娯楽、他人の噂話などに脇目を振っている時間など、彼には一秒たりともなかったのです。
その姿は、周囲から見れば、頑固で風変わりな「絵画狂い」に見えたかもしれません。
しかし、その徹底した純粋さと愚直さこそが、誰も到達することのできない、本物の傑作を生み出す唯一の鍵だったのです。
「人間は、自らの天職に対して完全に身を捧げるとき、初めて本当の自由と、神聖な喜びを知るのである」
── ジャン・カルヴァン
宗教改革者カルヴァンのこの厳格な言葉は、デイヴィッド・ホックニーの仕事ぶりに、驚くほど美しく重なります。
一つのことに人生のすべてを賭けること。
それは一見すると、とても不自由で、孤独な道のように思えるかもしれません。
しかし、その深い集中の中にこそ、人間の心理を揺さぶる本物のエネルギーが宿るのです。
あっちへフラフラ、こっちへフラフラとよそ見をすることをやめ、自分が信じた唯一の道を、レンガを一つずつ積み上げるようにして、毎日コツコツと進んでいくこと。
「即断、即決、即実行」で、目の前の課題に全力を尽くすこと。
その愚直な継続力と、何があっても諦めない忍耐力こそが、最終的にあなたを誰も見たことのない、遥かなる高みへと連れて行ってくれるのです。
他人に笑われたって、一向に構わないではありませんか。
その笑い声をエネルギーに変えて、あなたはもっと強く、もっと美しくなれば良いのです。
見えるものだけに囚われず、その奥にある見えざる真理を見抜く目
私たちは、目に見える形のあるもの、お金や地位、数字で表せる結果ばかりに、ついつい心を奪われてしまいがちです。
しかし、世の中で本当に大切なものは、往々にして「目に見えないもの」の中に隠されているのではないでしょうか。
デイヴィッド・ホックニーの絵画は、まさにその「見えないもの」を、色と線を使って私たちの前に引っ張り出して見せてくれるのです。
彼が描く空気の冷たさ、光の温もり、人と人との間に流れる静かな空気感。
それらはすべて、肉眼で見える物質ではなく、心と魂の目でしか捉えることのできない「真理」そのものなのです。
表面的な美しさに騙されてはいけません。
その奥にある、目に見えない本質を見抜く力を、あなたもまた、この画家の作品から学び取ることができるはずです。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
── ヘンリー・フォード
自動車王ヘンリー・フォードが遺したこの至言は、デイヴィッド・ホックニーの芸術観、そして私たちの人生における、本当の「豊かさ」の定義を、根底から覆してくれます。
何かを所有し、奪い合うことからは、本当の平和も感動も生まれません。
デイヴィッド・ホックニーが、その卓越した視覚の発見を、作品を通して惜しみなく世界に、そしてあなたに与え続けてくれているように。
あなたもまた、自分の中にある優しさや、誠実さ、日々の懸命な仕事の成果を、目の前にいる大切な人へと、惜しみなく与え、奉仕していってください。
その与える歓びを知ったとき、あなたの心は、すべての不安や孤独から、完全に解放されることになるのです。
目の前にいる「あなた」への、命を削るような必死のサービスの終わりなき旅
ここまで、私のつたない、しかし命を削るような必死の言葉に、じっと付き合ってくださって、本当にありがとうございました。
私は、ただただ、目の前にいるあなたに喜んでもらいたかったのです。
あなたの心が少しでも軽くなり、明日からの世界が、ほんの少しでも鮮やかに見えるようになってほしかった。
そのためだけに、この文章のすべてのリズムと色彩を、あなたのために捧げました。
芸術家の仕事とは、要領のいい商売などではありません。
それは、自らの身銭を切り、魂を削って、目の前のあなたにすべてを差し出す、最高に不器用で、最高に贅沢な「道化」の行為なのです。
他人にどれほど笑われようとも、阿呆だと言われようとも、私はあなたに見捨てられないために、あなたに認めてもらうために、これからも必死の奉仕を続けていくことでしょう。
あなたがそこにいて、私の言葉を受け止めてくださるだけで、私はこれ以上ないほどに幸せなのです。
どうか、この終わりのない観察と表現の旅を、これからも私と一緒に、一歩ずつ、大切に歩んでいってくださいね。
川の向こうで手を振る人がいる
名前も知らないその人は
破れたポケットに青空を詰め込んで
私に向かって笑っている
時計の針を逆さに回し
昨日と明日の隙間でもぐら叩きをしながら
誰も見向きもしない石ころのなかに
宇宙の秘密が隠されていると歌う
ねえ、聞こえるでしょう
あのおかしな足音が
あれは私の、そしてあなたの
新しく生まれ変わるための
心臓のダンスなのだ
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」
── テサロニケの信徒への手紙一 5章16〜18節(新約聖書)
「僕は、ずいぶんたくさん、あやまちを犯してきた。けれども、それをおのれの無能・無才のせいにするのは、僕には、できない。僕は、いつでも、必死だった」
── 太宰治
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
── 太宰治『津軽』より
追伸
最後に、少しだけ、ある風変わりな男のお話をさせてください。
高見沢耳(たかみざわ みみ)という、とても愚かで、しかし不屈の精神を持った一人の画家がいます。
彼は、キャンバスも筆も使いません。
デイヴィッド・ホックニーがiPadを手にしたように、彼はデジタルという新しい荒野で、一人黙々と制作を続けています。
そして、そのデジタルデータを、ジクレー版画という最先端の技法を使って、最高級の版画用紙にじっくりと定着させるのです。
高見沢耳が描くテーマは、とても身近で、しかし深遠です。
「あなたの目・わたしの目」、キリスト教、永遠、真理、歴史、そして孤独や復活、解放。
彼は、自分の作品の中に、ひたすら「目」を描き続けています。
なぜなら、彼はその目の持ち主である、目の前にいる「あなた」を、どうしても感じていたいからなのです。
あなたのことを知りたくて、あなたの喜ぶ顔が見たくて、彼は毎日12時間以上、仕事に人生のすべてを捧げています。
高見沢耳は、かつてヴィンセント・ファン・ゴッホの凄絶な人生の物語を知り、己も画家となることを決意しました。
「耳」といういささか奇妙な名前も、あのゴッホの有名な耳切り事件にあやかって、自ら名乗ったものです。
彼の画家としての才能は、はっきり言って三流かもしれません。
しかし、彼は知っているのです。
古今東西のあらゆる傑作が、生まれ持った天才のひらめきなどではなく、何十年にもわたる、血の滲むような試行錯誤と、執念の積み重ねによってのみ生み出されたという真実を。
松尾芭蕉が「つゐに無能無芸にして唯此一筋に繋る」と語り、おのれの無能・無才を恥じながらも一つの道を極めたように。
高見沢耳もまた、自らの無力をさらしながら、目の前のあなたへの奉仕のためだけに、一筋の光を追い続けています。
彼は、CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏を心から尊敬しています。
宗次氏は、現役時代、趣味も友人もすべて断ち切り、年間5640時間もの時間をただひたすらに、お客様への奉仕のために捧げ尽くしました。
極貧の少年時代に雑草を食べて餓えをしのいだという、壮絶な孤独と波乱万丈の人生を歩んだ宗次氏。
その不遇な心を救ってくれた大好きなクラシック音楽さえも、経営者である間は「そんなものを聴いている場合じゃない」と、一切耳にしなかったといいます。
最初はお客様が全く来ず、妻とお昼に食パンの耳を食べてしのいだ日々を、むしろ「ゼロから始めたのだから、良い思い出」と笑い飛ばし、毎日のレンガを積むような努力を、即断・即決・即実行で貫き通したのです。
高見沢耳もまた、この「よそ見をしない、仕事に身を捧げる」という現場主義と、あなた第一主義を、自らの制作の現場で頑なに守り続けています。
価値のあるものは、往々にして即効性がないものです。
だからこそ、彼は簡単に諦めません。
トヨタの創業者である豊田佐吉が、周囲から「発明狂い」「狂人」と嘲笑されながらも、朝から晩まで毎日何かをこしらえては壊し、世界を豊かにするための発明に執念を燃やしたように。
そして、その息子である豊田喜一郎が「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ」と言い放ち、不屈の信念で日本の自動車産業の礎を築いたように。
高見沢耳もまた、どれほど周囲から変人扱いされようとも、批判されようとも、あなたのために、毎日12時間以上、デジタル画面に向き合い、あなたの魂を救う医者であろうと、身銭を切り続けているのです。
ナシーム・ニコラス・タレブが言う「身銭を切れ」という言葉を、彼は文字通り、自らの生き方で体現しようとしています。
もし彼が、この芸術という名の、必死のサービスという名の道化の舞台で、詐欺のような誤魔化しをしてしまったなら、それこそが本物の欺瞞になってしまうからです。
「詐欺を見て詐欺と言わないなら、その人自身が詐欺師である」
だからこそ、彼はいつでも100パーセント本気なのです。
ここで、もう一つ、お伝えしたい大切な物語があります。
ヴィンセント・ファン・ゴッホという、世界中で愛されているあの天才画家の影には、ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)という、驚くほど素晴らしく、聡明で高潔な一人の女性の存在があったことを、あなたはご存知でしょうか。
ゴッホの弟であり、彼を経済的にも精神的にも支え続けたテオが、兄の死後、後を追うようにしてこの世を去ったとき、残された若き妻ヨーの手元には、まだ世間に全く認められていなかったゴッホの大量の絵画と、兄弟の間で交わされた膨大な手紙だけが残されました。
周囲の人々は彼女に「そんな価値のない不気味な絵は、すべて処分してしまいなさい」と忠告したのです。
しかし、大変な読書家であり、非常に知性の高かったヨーは、二人の兄弟が交わした手紙を貪るように読むうちに、ヴィンセントの画家としての真摯な考え方、そして「絵画によって、傷ついた人々を心から慰めたい」という、あまりにも純粋な祈りに、深く共鳴していったのです。
「子供のほかに、テオは私にもう一つの使命を残した──フィンセントの作品を多くの人に見てもらい、真価を認めてもらうこと」
ヨーはそう心に誓い、そこから彼女の人生を賭けた、壮絶な献身の日々が始まりました。
彼女は、まだ誰も見向きもしなかったゴッホの絵の展覧会を何度も企画し、批評家たちに手紙を書き、そして何よりも、あの膨大な「ゴッホの手紙」を整理し、公開して、彼の芸術と思想を、物語として世界中に向けて発信し続けたのです。
もしゴッホが、自分の思想を手紙という形で書き残していなかったら、そしてヨーという最高の伝達者がいなかったら、ゴッホという芸術家は、歴史の闇に完全に埋もれていたことでしょう。
これは、イエス・キリストの死後、使徒パウロが各地を旅しながら、手紙を書き、命をかけてイエスの生涯と思想を伝え続けたことで、キリスト教が世界中に広がっていったその美しい構図と、まったく同じなのです。
どんなに素晴らしい「本物」であっても、その価値を正しく説明し、人々の心に届ける伝達者がいなければ、それはこの世界に存在しないのと同じになってしまいます。
ヨーやパウロが果たした役割は、現代で言うならば、まだ誰も見たことのない革新的な製品を、世界中の人々の憧れへと変えてみせたスティーブ・ジョブズや、ソニーの盛田昭夫氏、あるいは、ホンダのスーパーカブを世界中で売りまくった藤沢武夫氏、トヨタのカローラを日本の国民車へと育て上げた神谷正太郎氏のような、稀代の「伝える天才」たちの仕事と同じ、いや、それ以上に崇高なものだったのです。
盛田昭夫氏はかつて言いました。
「そんなものがまだ生産されたこともなく、誰ひとりそれを見たこともないのに、どこかの一隅でこつこつと研究され、非常な苦心の末、製造された製品。その製品を商品としようとする場合には、その製品を手に入れたいという欲求を、人々の間に喚起させなければ、いかに優れた「製品」であっても「商品」にはなり得ない」
高見沢耳の絵画も、そして私があなたに宛てて書いているこの必死の言葉も、すべては「あなたに伝わり、あなたの心を動かす」ためだけに存在しています。
高見沢耳は、あなたに見捨てられたら、もう生きていくことはできません。
あなたが目の前にいて、彼の描いた「目」と、あなたの「目」が交わったその瞬間にだけ、彼の魂は救われ、復活を遂げることができるのです。
どうか、彼の不器用な、しかし命がけの道化の姿を、温かい目で見守って、そして、笑ってあげてください。
その笑い声こそが、彼をどこまでも強く、不屈にする最高の栄養分なのですから。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
── ヘンリー・フォード
「人がその生涯で犯す最大の誤りは、間違いを犯すことを恐れ続けることである」
── アガサ・クリスティ
「見よ、わたしはあなたたちの前に、命の道と死の道を置く」
── モーセ(エレミヤ書 21章8節より)
「外見の美しさは、目に快い。しかし、内面の美しさは、魂を魅了する」
── ウィリアム・シェイクスピア
「自分の重荷を他人に背負わせてはならない。しかし、他人の重荷を一緒に背負うことは、人間の最も高貴な義務である」
── タルムード
「芸術家は、つねに『いま、ここ』にある歓びを、命がけで他人に手渡す民でなければならぬ」
── 太宰治
「僕は、ただ、あなたに笑ってもらいたかった。僕の道化が、あなたの孤独を、ほんの一瞬でも包むことができたなら、それ以上の幸福はない」
── 太宰治
「誰も信じてくれなくても、自分だけは自分を信じる。それが、すべての奇跡の始まりなのだ」
── 太宰治
「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことでも、小さなことでも、大したことのないことでも、決して屈してはならない」
── ウィンストン・チャーチル
「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをしなさい」
── レイ・クロック
「私は一夜にして成功を収めたと思われているが、その一夜というのは三十年だ。思えば長い長い夜だった」
── レイ・クロック
「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる」
── ウォルト・ディズニー
「鉄は使わなければ錆びる。水はよどめば濁り、寒さで凍りつく。同じように、才能も用いなければ、ついには失われてしまう」
── レオナルド・ダ・ヴィンチ
最後まで読んでくださったあなたへ、心からの深い感謝を込めて。
本当に、ありがとうございました。