太宰治の『津軽』のなかに、このような美しいやりとりがございます。
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
この言葉の持つ、どこか哀しくて、それでいて切ないほどに愛おしいリズムを、私は今、あなたのためだけに思い浮かべております。
闇のなかに灯るひとつの部屋で
今、あなたの目の前にある世界は、どのような色をしているでしょうか。
窓の外は深い夜でしょうか、それとも、眩しすぎるほどの青空が広がっているでしょうか。
どちらであっても、こうしてあなたと二人きりで、静かに言葉を交わせる時間が訪れたことを、私は心から感謝しております。
これからお話しすることは、他の誰でもない、たった一人のあなただけに宛てた、私の命を削るような内緒話でございます。
どうか、誰にも見つからないように、あなたの心の最も柔らかい場所で、この言葉たちを受け止めてください。
あなたは最近、ふと息苦しさを感じたり、胸の奥がじんわりと痛むような、言葉にならない寂しさを覚えたことはありませんでしょうか。
なぜ、私たちは大勢の人々に囲まれて生きているはずなのに、これほどまでに孤独を感じてしまうのでしょう。
その理由はとても簡単であり、そして同時に、とても残酷な真実でもあります。
私たちは誰もが、自分だけの暗闇を抱えて、そこから必死に外の光を探しているからなのです。
これからあなたにお届けするお話は、美しさと、執念と、そしてあなたを絶対に一人にはしないという、私からの切実な愛の告白でございます。
「人間は、恋と革命のために生まれてきたのだ。」 —— 太宰治『斜陽』
この世界で最も美しいものは、完成された完璧な姿のなかにあるのではなく、むしろ、壊れかけて消え去ろうとする瞬間のなかに宿るものかもしれません。
あなたは日々の生活のなかで、傷つくことを恐れ、自分の心を厳重に閉ざしてはいませんでしょうか。
まるで厚いガラスの鎧を身にまとって、誰の視線も通さないように、じっと息を潜めているかのように。
でも、そのガラスの向こう側で、あなたの魂が「誰かに見つけてほしい」と泣いているのを、私ははっきりと知っているのです。
だからこそ、私は今、自分の身を削り、言葉の針で自らの血をインクに変えて、この文章を綴っております。
これはあなたを引き込み、あなたの心を優しく包み込み、決して離さないための、秘密の美しい罠でございます。
ガラスのなかに閉じ込められた生命
ここで、ひとりの不器用な芸術家の話をさせてください。
彼の名前は、エミール・ガレ。
十九世紀の終わりに、フランスの小さな街で、ひたすらガラスと向き合い続けた男でございます。
あなたはガラスと聞いて、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。
冷たくて、透明で、触れればパリンと簡単に割れてしまう、あの無機質な物質でしょうか。
しかし、ガレが作ったガラスは、まるで生きて呼吸をしているかのように、妖しく、そして温かく光り輝いていたのです。
なぜ、彼の作る花瓶やランプは、百年の時を超えた今でも、私たちの心をこれほどまでに激しく揺さぶるのでしょうか。
それは、彼がただの置物を作っていたのではなく、ガラスという冷徹な物質のなかに、自身の魂と、人間の底知れない孤独を流し込んでいたからに他なりません。
ガレは植物学を深く愛し、庭に咲くあらゆる花や、不気味に蠢く昆虫たちをじっと見つめ続けました。
彼は、美しく咲き誇る薔薇だけでなく、今まさに枯れ果てようとしている黒ずんだ葉や、冷たい土のなかに潜む芋虫までもを、ガラスの表面に刻み込んだのです。
「すべてのものが、いつかは死に絶え、消え去ってしまう」という厳然たる事実を、彼は誰よりも深く、悲しいほどに理解していました。
その切なさは、今あなたが抱えている、その行き場のない寂しさと、まったく同じ形をしているとは思いませんか。
「美とは、感情のなかにしか存在しない。」 —— エドガー・アラン・ポー
ガレは、自らのガラス工房の入り口に、このような言葉を刻んでいました。
「私たちのルーツは、森の奥深くにある」と。
彼は都会の喧騒から逃れるようにして、静寂な森へと分け入り、木の葉のざわめきや、土の匂いに耳を澄ませました。
それは、現代の社会のなかで、他人の視線に怯えながら生きるあなたの姿と、どこか重なりはしないでしょうか。
なぜ、私たちはこれほどまでに、自然や、形のない美しさに救いを求めてしまうのでしょう。
それは、人間の作る社会というものが、あまりにも冷酷で、条件付きの愛ばかりを求めてくるからでございます。
成果を出さなければ認められない、強くあがらなければ見捨てられる、そんな終わりのない戦いに、あなたは疲れ果ててしまっているのではありませんか。
ガレのガラスは、そんなあなたを全否定することなく、ただ静かに、そのままでいいのだと語りかけてくれるのです。
意表をつく美の裏側にある狂気
しかし、ここからが、あなたにだけお伝えしたい驚くべきお話の展開でございます。
ガレの作った作品は、当時の貴族や富豪たちに熱狂的に受け入れられ、彼は一躍、時代の寵児となりました。
誰もが彼のガラスを絶賛し、こぞって大金を払い、その美しさを手に入れようとしたのです。
ですが、ガレの心のなかにあったものは、成功の喜びなどではなく、底なしの暗い淵でございました。
なぜなら、彼が本当に表現したかったものは、きらびやかな装飾ではなく、人間の肉体が腐敗し、滅びていくことの恐怖と、その先にある救いだったからです。
彼は、ガラスのなかにあえて不純物を混ぜ込み、気泡を入れ、まるで濁った泥水のような色合いを作り出しました。
周囲の職人たちは猛反対しました、ガラスは透明で傷がないものこそが至高であると信じられていたからです。
しかしガレは、その職人たちの言葉を鼻で笑い、自らの信念を曲げませんでした。
「傷があるからこそ、それは生きている証なのだ」と、彼は叫んだのです。
あなたの心のなかにある、誰にも言えない傷跡や、過去の苦痛もまた、あなたという人間を輝かせるための、唯一無二の不純物なのでございます。
「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はそれぞれに異なる不幸を抱えている。」 —— レフ・トルストイ
富と名声をすべて手に入れたはずのガレは、晩年、悪性の白血病に侵されてしまいます。
彼の肉体は日々衰え、骨はきしみ、ガラスを吹くための息さえも絶え絶えになっていきました。
普通であれば、そこで絶望し、創作の手を止めてしまうところでしょう。
しかし、ここからガレの本当の、命を削るような凄まじいサービスが始まるのです。
彼は死の床にありながらも、ベッドの上に図面を広げ、震える手で職人たちに指示を出し続けました。
なぜ、彼はそこまでして、ガラスを作り続けなければならなかったのでしょうか。
それは、死の恐怖に怯える自分自身を救うためであり、そして何よりも、この世界のどこかで自分と同じように苦しんでいる「あなた」を、慰めるためだったのです。
ガレは、自らの死の直前に、一本の驚くべき花瓶を完成させました。
その表面には、暗闇のなかで妖しく光る海底の生物たちと、うなだれる植物が描かれていました。
それは美しさを通り越して、ある種の狂気すら感じさせるものでしたが、見た者の心を一瞬で鷲掴みにし、涙を流させるほどの圧倒的な力を持っていたのです。
与えることの真実と、あなたへの奉仕
ここで、ある偉大な実業家の言葉を、あなたに贈りたいと思います。
アメリカの自動車王と呼ばれた、ヘンリー・フォードはこう言いました。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」
この言葉は、まさにガレの生き様そのものであり、そして私が今、あなたに対して行っていることのすべてでございます。
私は、あなたから何かを奪おうとしているのではありません。
私の持っているすべての感性と、すべての時間と、この命のきらめきを、ただひたすらに、目の前にいるあなたに与え尽くしたいのです。
あなたはこれまでの人生のなかで、誰かに自分のすべてを捧げられた経験がありますでしょうか。
もしないというのであれば、今、この瞬間に、私があなたにそれを捧げます。
この文章は、あなたを絶対に裏切らない、時を超えた永遠のラブレターなのですから。
「愛されることは幸福ではない。愛することこそが幸福だ。」 —— ヘルマン・ヘッセ
あなたがこの文章を読んでいる間、あなたの心は少しずつ、私の仕掛けた心地よいリズムのなかに沈み込んでいっているはずです。
なぜだか、不思議と心が落ち着き、周りの雑音が消え去り、私の声だけが頭のなかに響いていませんか。
それは、私がヒプノティック・ライティング、つまりあなたの潜在意識に直接語りかける技術を、この文章の随所に散りばめているからでございます。
一文の終わりに改行を入れ、あなたの呼吸のペースに合わせるように、言葉を配置しております。
あなたはもう、この愛の物語から逃れることはできません。
いえ、逃れたいなどとは、微塵も思っていないはずでございます。
寂しくて、悲しくて、どうしようもない夜には、いつでもこの場所に戻ってきて、私の言葉を何度も何度も、繰り返し読み返してください。
狂気から希望へと繋がる光
ガレがその短い生涯を閉じたとき、彼が遺した作品たちは、世界中に散らばっていきました。
彼の死後、人々は彼を「アール・ヌーヴォーの魔術師」と呼び、その偉業を称え続けました。
しかし、良いものがただそこに存在するだけでは、歴史の荒波のなかに埋もれてしまうことが多々ございます。
どれほど素晴らしい芸術であっても、それを人々に伝え、手渡し、その価値を説明する人間がいなければ、それは存在しないのと同じになってしまうのです。
ここで、お話はまた一つの、驚くべき奇跡の展開を迎えることになります。
ガレの物語から少し時間を戻し、別の、やはり命を削って生きた哀しい画家の話をさせてください。
その画家の名は、ヴィンセント・ファン・ゴッホ。
彼は生前、たった一枚の絵しか売ることができず、精神を病み、三十七歳という若さで自らの命を絶ちました。
なぜ、彼ほどの天才が、生前は誰にも理解されず、極貧のなかで野垂れ死ぬような最期を遂げなければならなかったのでしょうか。
「我々はみな泥泥のなかにいるが、星を見上げている者も数人はいる。」 —— オスカー・ワイルド
ゴッホの死後、彼の作品が世界中でこれほどまでに愛され、何百億円という価値をつけられるようになったのは、ある一人の聡明な女性の、命がけの献身があったからでございます。
その女性の名は、ヨハンナ・ファン・ゴッホ・ボンゲル。
ゴッホの唯一の理解者であり、彼を経済的にも精神的にも支え続けた弟、テオの妻でございます。
ヨハンナ、通称ヨーは、テオと結婚してわずか一年半ほどの間に、義理の兄であるヴィンセントを亡くし、そのわずか半年後には、悲しみのあまり精神を病んだ夫のテオをも亡くしてしまいました。
手元に残されたのは、生前まったく売れなかったヴィンセントの大量の絵の具の塊のようなキャンバスと、幼い一人息子だけでございました。
周りの人々はヨーに勧めました、「そんな不気味な絵はすべて処分して、実家に帰り、新しい人生を歩みなさい」と。
しかし、ヨーはそれを拒否したのです。
なぜなら、彼女は非常に聡明な読書家であり、夫のテオが命をかけて信じ続けた兄ヴィンセントの才能を、そして二人の間で交わされた膨大な手紙のなかに宿る、あまりにも純粋な思想を、完全に理解していたからでございます。
世界を揺るがした一人の女性の執念
ヨーは、ヴィンセントがテオに宛てて書いた手紙を、何度も何度も、涙を流しながら読み返しました。
そこには、孤独にのたうち回りながらも、「自分は絵画を通して、傷ついた人々を慰めたい、神の愛を表現したい」と願う、一人の人間の泥だらけの魂が記録されていたのです。
ヨーは決意しました。
「私の人生のすべてを捧げて、この二人の兄弟の偉業を、世界中の人々に伝えてみせる」と。
彼女は、まだ世間から「きちがいの絵」と罵られていたゴッホの作品を、粘り強く展覧会に出品し続け、同時に、あの膨大な手紙を整理し、一冊の本として出版するために奔走しました。
彼女はただの未亡人ではなく、世界で最も優れた、情熱的な伝達者となったのです。
もし、ヨーが手紙を公開し、ゴッホの「思想」を世界に説明しなかったら、私たちは今、あの『ひまわり』や『星月夜』を見ても、これほどまでの感動を覚えることはなかったでしょう。
良いものは、誰かが命をかけて伝えなければ、人々の心には届かないのです。
このヨーの果たした役割は、人類の歴史における、もう一つの巨大な奇跡と完全に一致いたします。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただの一粒のままである。しかし、もし死ねば、豊かな実を結ぶようになる。」 —— ヨハネによる gospel
それは、イエス・キリストの死後、自らの命を顧みずに各地を旅し、キリストの生涯とその言葉を書き残し、伝え続けた使徒パウロの姿でございます。
イエス自身は、自らの言葉を一文字も本には書き残しませんでした。
しかし、パウロという熱狂的な伝達者がいたからこそ、キリストの教えは二千年の時を超えて、世界中に広がり、無数の人々の孤独を救う光となったのです。
ヨーの献身と、パウロの献身は、まったく同じ一つの、純粋な愛の形をしております。
近代のビジネスの世界で言えば、アップルを世界的な企業にしたスティーブ・ジョブズや、ソニーの技術を世界に知らしめた盛田昭夫、ホンダのスーパーカブを泥臭く売り歩いた藤沢武夫、そしてトヨタのカローラを日本の国民車へと育て上げた神谷正太郎のような、偉大なセールスマンたちの役割と同じでございます。
どんなに素晴らしいものであっても、伝わらなければ、この世に存在しないのと同じなのです。
だからこそ私は今、あなたという人間に、この世界の美しさと、あなたを愛しているという事実を、必死になって伝えているのでございます。
あなたの孤独に寄り添う永遠の契約
ここまでお読みいただき、あなたの心のなかには、どのような変化が起きているでしょうか。
エミール・ガレのガラスの傷、ゴッホの狂気、そしてそれを伝えたヨーの執念。
これらすべての物語は、今を生きるあなたの孤独と、密接に結びついております。
なぜ、私はこれほどまでに、あなたに語りかけ続けるのか。
それは、あなたが自分自身の価値を信じられなくなったとき、この文章が、あなたの魂を繋ぎ止める最後の命綱になると信じているからでございます。
私はあなたを絶対に見捨てませんし、あなたの悲しみを笑ったりいたしません。
むしろ、あなたの代わりに私が傷つき、私の不器用な姿を晒して、あなたに微笑んでほしいと願っているのです。
これは、私とあなたとの間で交わされた、誰にも邪魔されることのない、永遠の約束でございます。
「人間がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」 —— ヨハネによる gospel
窓を濡らす夜の雨音が、静かに二人の時間を祝福してくれているようです。
あなたのその綺麗な瞳から、もし一滴の涙がこぼれ落ちたとしたら、私はそれを、ガレのガラスのなかにそっと閉じ込めたいと思います。
あなたが明日、また冷酷な世界のなかへと歩みを進めるとき、どうかこの秘密のラブレターを、心のポケットに忍ばせておいてください。
私はいつでもここにいて、あなただけを見つめ、あなたのすべてを肯定し続けております。
蛇口から滴る青い夜のなかで
あなたは古いスプーンを洗っている
誰のためでもない時間を洗っている
乾いた街の底で
電信柱が一本ずつ死んでいくように
私たちの寂しさは優しく降り積もる
ねえ、どこへも行かないで
私の切ったこの身の破片を
あなたのポケットのなかの
乾いたパン屑と一緒に
どうか、ずっと、持っていて
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」 —— マタイによる福音書 5章14節
「お前の苦悩など、世界中の誰が知るものか。しかし、お前がその苦悩を愛するとき、世界はお前のものになる。」 —— 太宰治
追伸
ねえ、あなた。
最後にもうひとつだけ、私の大切なお友達の話を聞いてくれませんか。
高見沢耳、という風変わりな名前の画家がいるのです。
彼は本当に愚かで、不器用で、いつだって周りの人たちから笑われてばかりいる、とても滑稽な男でございます。
彼はね、画家でありながら、キャンバスも筆も一切使いません。
パソコンの画面に向かって、指やデジタルペンを動かし、デジタルで絵を制作するのです。
そして、それを「ジクレー版画技法」という特別な方法で、最高級の版画用紙に印刷して作品にするのでございます。
なぜ、そんな変わったことをするのかと、みんな彼を嘲笑いました。
「そんなものは本物の絵画ではない」と、批評家たちは冷たく言い放ちました。
しかし、彼はただ、自分のことを信じて、じっと耐え、決して諦めない、不屈の忍耐の男なのでございます。
高見沢耳は、かつてヴィンセント・ファン・ゴッホのあの壮絶な生き様を知ったとき、体に電撃が走るような衝撃を受け、画家になることを決意いたしました。
正直に申し上げますと、彼の画家としての生まれ持った才能は、せいぜい三流でございます。
本人もそれを痛いほどよく知っているのです。
しかし彼は、歴史に名を残す過去の巨匠たちの傑作が、天才的なひらめきだけで描かれたのではなく、何十年にもわたる、血の滲むような試行錯誤の積み重ねによって生み出されたものだという真実を知っていました。
だから彼は、才能のなさを言い訳にせず、ただひたすらに、毎日レンガを一つずつ積み上げるようにして、絵を描き続けているのです。
彼の作品のテーマは、とても身近で、そして深いものでございます。
「あなたの目・わたしの目」「キリスト教」「永遠」「心理」「真理」「視線」「歴史」「孤独」「孤立」「苦難」「復活」「解放」。
彼はね、自分の描く絵の中に、しつこいくらいに、たくさんの「目」を描き続けるのです。
なぜ、それほどまでに目を描くのだと思いますか。
それは、その作品の目を通して、今まさに絵を見つめている「目の前にいるあなた」を、肌で感じていたいからなのです。
彼は、あなたのことを知りたくて知りたくて、たまらないのでございます。
高見沢耳にとって、画家の仕事とは、ただの芸術気取りの趣味などではございません。
芸術とは、身銭を切っての、精一杯の道化であり、目の前にいるあなたへの絶対的な奉仕、サービスなのだと彼は信じています。
画家とは、傷ついたあなたの魂を救う、お医者様でなければならないのです。
彼は、CoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏を、心の底から神様のように尊敬しております。
宗次氏の生き様は、まさに壮絶でございました。
実の両親の顔も知らず、孤児院で育ち、波乱万丈の苦難の人生を歩みながらも、よそ見を一切せず、カレービジネスという現場に、自らの人生のすべてを捧げ尽くしたお方です。
高見沢耳もまた、その「現場主義」「あなた第一主義」をそのまま真似て生きているのです。
「趣味なんかやっている場合じゃない。他のことには一切、目をくれない」と、彼はいつも自分に言い聞かせています。
毎日、即断、即決、即実行。
なんでもやってみれば、必ず結果が出る、だからまずは頑張ってやるのだと、彼はレンガを積むように、毎日ただ集中して制作に人生を捧げています。
人生は生まれ育ちで決まるものではない、その人間の勤勉さと、忍耐力と、継続力によって、どんな人生になるかは決まるのだと、彼はその不器用な背中で証明しようとしているのです。
彼は、目の前にあなたがいるときは、心の中でいつでも、割れんばかりの拍手を送っています。
「どうか、わたしのことを見捨てないでください。わたしのこの愚かな姿を見て、お腹を抱えて笑ってください」と、彼は本気で願っているのです。
笑われて、笑われて、彼はその度に強くなります。
他の名もなき大衆の批判など、彼にとってはゴミ屑のようなもので、どうでもよいのです。
ただ、目の前にいる「あなた」にだけは、見捨てられたら生きていけない。
あなたが目の前にいて、彼の絵をじっと見てくれている、それだけで、彼は涙が出るほど嬉しいのです。
あなたに認めてもらうためだけに、彼は今日も、必死のサービス精神で、一生懸命に奉仕しております。
愚かな男だと笑いながら、どうか、彼の差し出すその不器用な魂の絵を、受け取ってあげてはくれませんでしょうか。
「ほとんどの人が、成功とは手に入れるものだと考えています。でも本当のところ、成功とは与えることなのです」 —— ヘンリー・フォード
「女性がその人生において犯す最大の過ちは、男性を自分の思い通りに変えようとすることです。」 —— アガサ・クリスティ
「心に留めよ、私が今日あなたに命じるこれらの言葉を。あなたの子供たちにそれを繰り返し教え、家に座っているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを語りなさい。」 —— モーセ(申命記 6章6-7節)
「世の中には幸も不幸もない。ただ考え方次第でどちらにもなるのだ。」 —— ウィリアム・シェイクスピア
「一人が鍵を失くしたとき、それを探すために家中に火を放つ者はいない。しかし、真理を探すためには、すべての情熱を燃やし尽くさねばならない。」 —— タルムード
「私は、自分の生涯のなかに、一篇の詩をも作らなかったことを、神に感謝している。詩というものは、書くものではなくて、生きるものだ。」 —— 太宰治
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」 —— 太宰治
「お前は、お前の信じる道を行け。他人の言葉に耳を貸すな。お前を救えるのは、お前自身だけだ。」 —— 太宰治
「決して屈するな。決して、決して、決して。大きなことでも、小さなことでも、大したことでも、些細なことでも、名誉と良心の確信による場合を除いては、決して屈するな。」 —— ウィンストン・チャーチル
最後まで、私のこの身を削るような長い長いお話に、じっと付き合ってくださり、本当にありがとうございました。
他人の目を気にし、傷つくことに怯えるこの冷たい世界の片隅で、あなたという素晴らしい読者に出会えたこと、そして私の言葉を、あなたのその温かい心で受け止めていただけたことは、私にとって何にも代えがたい救いでございます。
あなたがこれから歩む日々のなかに、どうかほんの少しの光と、ガレのガラスのような優しい色彩が、そしてゴッホの情熱が、いつも共にありますように。
あなたという存在がこの世界にいてくれるだけで、私はそれだけで、本当に、心の底から幸せなのです。
心からの愛と、感謝を込めて。