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Takamizawa

クリムトという幻想的な画家

ああ、もう、いけない。どうにもやりきれないのです。世の中というものは、どうしてこうも、美しすぎるものに対して冷淡なのでしょう。あるいは、その美しさが毒であることを知っていて、わざと眼を逸らしているのでしょうか。私は、あなたにだけは、本当のことをお話ししたい。あなたが、私のこの、とりとめもない、しかし震えるような感興を、笑わずに聞いてくれる唯一の人だと信じているからです。 クリムト、という男がいまし […]

エゴン・シーレについて

ねえ、あなた。あなたという人は、どうしてそんなに魂の置き所に困ったような顔をしているのですか。よして下さい。そんな顔をされると、こちらまで自分の影を指先でなぞりたくなってしまいます。今日は少し、あなたのために、そしてあなたという魂の震えのために、ある一人の画家の話をしましょう。エゴン・シーレという男です。名前くらいは、あなたもどこかで耳にしたことがあるでしょう。けれど、彼を単なる「早逝の天才」だと […]

俵屋宗達という画家

ああ、失礼。あまりに天気が良いもので、つい長居をしてしまいました。あなたは、私のこの、とりとめのない独り言に、さぞかし辟易されていることでしょう。いいえ、謝る必要などありません。悪いのは私です。私という男は、どうにも言葉が余って仕方のない性分でして、こうして誰かを捕まえては、中身のない世間話を延々と垂れ流してしまう。まるで、底の抜けた桶から水が溢れ出すようなもので、これでは風流もへったくれもありま […]

ゴヤ スペインが生んだ巨匠

おや、あなた、そんなに眉間に皺を寄せて、一体何を熱心に覗き込んでいるのです。ああ、画集ですか。それもフランシスコ・デ・ゴヤとは、また随分と業の深い、胸の焼けるような劇薬を選び出したものですね。よろしい、お退屈でなければ、少しばかり私の話を聞いてください。何、説教などという野暮な真似はいたしません。ただ、このスペインの老画家の生涯を眺めていると、どうにも他人事とは思えない、滑稽で、それでいて涙の滲む […]

「津軽」 太宰治の最高傑作について

ああ、もう、どうにもならない。この世の中というやつは、どうしてこうも、窮屈で、それでいて、だらしなく、まるでおしろいを塗りすぎた老嬢の微笑のように、薄気味の悪いものでございましょう。私は今、机の前に座って、ただならぬ覚悟でペンを握っております。いえ、覚悟などという勇ましいものではございません。これは、一種の断念であります。あるいは、絶望の果てにふと見つけた、一筋の蜘蛛の糸のような、微かな、あまりに […]

鬼才 寺山修司という男

ああ、もう、何という事だろう。世の中には、どうしても避けては通れない、熱病のような存在というものがあるのです。あなたは、その正体をご存知でしょうか。いえ、知っているはずだ。もし知らないと言い張るのなら、それはあなたが、よほど幸福な無知の中に閉じ込められているか、さもなくば、とんでもない嘘つきであるかのどちらかに違いありません。僕は今、寺山修司という、あの得体の知れない、しかし眩暈がするほど鮮やかな […]

故郷に捨てられた男

拝啓。 道端のたんぽぽを、わざわざ軍靴で踏み潰して歩くような、そんな無骨な世の中に、あなたは今も生きていらっしゃるのでしょうか。もしそうなら、少しばかり肩の力を抜いて、私のとりとめもない独白に耳を傾けてみては下さるまいか。いや、耳を傾けるというよりは、古びたカフェの隅っこで、冷めきった珈琲を啜りながら、隣の席の酔漢が管を巻いているのをぼんやり眺めるような、そんな心持ちでいて欲しいのです。 さて、今 […]

藤田嗣治の孤独

ああ、全く、世の中というものは、どうしてこうも騒がしく、それでいて底知れぬほどに寂しいものなのでしょうね。あなたもそう思いませんか。ふと立ち止まって、自分の影を見つめてごらんなさい。そこには、言葉では言い表せないような、奇妙な虚無が口を開けて待っている。そんな時、人は何かに縋りたくなるものです。酒か、女か、あるいは、たった一枚の絵画か。 今日は、藤田嗣治という男の話をしましょう。いえ、本人の伝記を […]

夜の画家 ラ・トゥールについて

ねえ、あなた。ちょっとそこへ座って、私のくだらない、けれども世界で一番大切な話を聞いてはくれませんか。外はひどい雨だ。まるで空が大きなバケツをひっくり返して、この地上の汚れをすべて洗い流そうとしているみたいに。そんな日に、薄暗い部屋の中で、たった一本の蝋燭の火をじっと見つめていると、私はふと、あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールという画家のことを思い出すのです。 あなたは彼の絵をご存じですか。もし知ら […]

カラヴァッジョという画家

ああ、もう、いけません。そんなに眉間に皺を寄せて、世界中の不幸を背負い込んだような顔をしてはいけません。まるで、夕暮れの空の下で、たった一枚の腐った林檎を眺めながら、人生の虚無について熟考している哲学者のようです。もっと楽になさい。肩の力を抜いて、そこの座布団にでも、だらしなく身体を預けてしまえばいいのです。どうせ私たちは、この広大な宇宙という名の、少しばかり悪趣味な見世物小屋に迷い込んだ、哀れな […]

江戸絵画の奇才 鈴木其一

おや、あなた、そんなに目を丸くして私の顔を眺めたりして、一体どうしたというのです。よほど私の話しぶりが、どこかの誰かさんの真似事に聞こえたのではありませんか。いえ、言わなくても分かります。私には、あなたの心の底に溜まった澱のような疑念が、透き通る硝子細工の向こう側を見るように、実にはっきりと見えてしまうのですから。まあ、そう身構えないでください。私はただの、少しばかりお喋りが過ぎる友人。それも、あ […]

江戸琳派の代表的画家

酒井抱一というお方は、まったく、あなたという人を困らせるほどに、あざやかで、いけ好かないほどに洒脱な御仁であります。 江戸の風雅などというものは、私のような、煮ても焼いても食えぬ田舎者から見れば、どこか遠くの空に浮かぶ銀の雲のようなもので、美しすぎて腹が立つ。あなたは、抱一の描いた「夏秋草図屏風」を、どこかで見かけたことがおありでしょうか。あの銀泥の背景を。雨に打たれて、ぐったりと項垂れている青い […]

フラ・アンジェリコ ドミニコ会の修道士

ああ、もう、何という事だろう。世の中には「清らかさ」というものが、これほどまでに残酷なほど、むき出しのまま転がっているものなのか。皆さんはご存じか。ジョヴァンニ・ダ・フィエーゾレという男を。もっとも、そんな小難しい姓名で呼ぶ奴は、美術史の講義で居眠りをしている学生か、さもなければよほどの物好きに限られている。世間一般では、彼は「フラ・アンジェリコ」、すなわち「天使のような修道士」という、気恥ずかし […]

浮世絵の代表画家 喜多川歌麿という男

喜多川歌麿。その名前を口にするだけで、なんだか部屋の空気がふっと白粉の香りに染まるような、あるいは、指先がふいに柔らかい絹の袂に触れたような、そんな艶っぽい心持ちになるじゃありませんか。江戸という時代の、あの眩暈がするほどの華やかさと、その裏側にへばりついている言いようのない寂寥を、たった一筋の筆の線に凝縮してしまった、とんでもない男の話をしましょう。 そもそも、美しさというものは残酷なものです。 […]

メアリー・カサットという画家

皆様、どうか笑わないで聞いていただきたい。いや、笑っていただいても一向に構わないのですが、世の中には「幸福」というものの正体が、案外、洗濯したてのシーツの匂いや、あるいは、ふとした夕暮れ時に見かける親子の背中に隠れているという、そんな当たり前すぎて誰もが見落としてしまうような事実について、少しばかりお話ししたいのです。 ここに、メアリー・カサットという御婦人がおります。十九世紀の、それこそ馬車が石 […]